その七 土佐の高知でキャラバンバン
念願の土佐ツー
2004.8.6〜8.10

長宗我部元親初陣像
ここ何年かゴールデンウィーク、お盆などというものはまともに休めないことが普通である。
まあ仕事柄そうした日程調整などを行えるものでもなく、だからといって本当に休みなしで働くということは不可能な仕事でもある。
ということで、盆休み出勤の代休として左程忙しくないうちに各々休暇を取ろうとなったのである。
そうとなれば当然ツーリングに行きたくなるのである。
少なくとも2泊はしたいものだ。
何よりZL1000では泊まりツーリングは未経験だ。
(春の御柱祭では、ZL不調の為にMotowins店長のZR-7を代車として貸してもらって行ったのだ)
なんて思いつつ、一週間前まで目的地を決めていなかった。
行きたい処は山程あるのである。
そりゃあ、もうね、一ヶ月幾ばくかの金を持って好きにしていいとなればさ、誰にも言わずに気分次第で何処へでも行っちゃうんだよ。
海外旅行?そんなものは計画立てて仕事との兼合い見つつ、スケジュール立てればいくらでも行けるではないか。
そんなのは今はいらないのよ。
夏なんだぜ〜!
今年の暑さはまさに猛暑と言うに相応しいものだ。
暑さにうだりながらも、時折思わぬ涼しさを感じたりできるあの暑い熱い夏なんだぞ。
ちょうどCSの日本映画専門チャンネルで寺山修二の特集をやるらしく、宣伝がよく流れていたのだ。
今まで興味を持ったこともないし、さして知識があるわけじゃないが
書を捨てて、街へ出よう
この言葉は何か昔から好きなのだな。
で、何はともあれMotowinsへ、店長から何かいい情報でもなかろうかと話を聞きに出かけたわけである。
御柱祭の時もそうだったが、こうした際に大抵店長の同級生方々が何方か必ず店にいるのである。
そしてこの時も某250V氏が偶然店に来ておられたのだ。
例の如く、なんだかんだと話しながら 夏の猛熱ツーリングに良い処はないか? と意見を求めたのだ。
様々なプランをワイワイと話していたのだが、某250V氏がポツンと言ったのである。
足摺岬ってのもありますね。
おぉ!足摺岬!別段ジョン万次郎の銅像にキスしたいとか、太平洋を遠い目で見詰めて日本の行く末を憂いたいなんて思わないけれど、足摺岬といえば土佐ではないか!!!
高知県!であるが、歴史好きが災いして県境よりも国境で脳内地図を描き、地理は16世紀辺りの城名で見当がついてしまうという御馬鹿な頭では、やはり 土佐 がよろしい。
字面といい、読音といい、何ともいいじゃないか!土佐!タケヨリワケノクニだ!その名の通り16世紀には、盆踊り好きな国を、うどん好きな国を、そして愛らしい姫君のいる国を制圧し、四国制覇しちゃった国なのだ。
行ったことはなくても愛着のある処ベスト5に入る。
今回も頭になかったわけではないのだが、やはり俺は千葉に行きたいっとの思いもある中、某250V氏の一言で頭の中は長宗我部一色(いっしきではないぞ)
これで行き先が決まった!
僕も何年か前高知行きましたよという店長に、面白そうな道々を教えてもらいつつ、今回の場合どういったルートで行くのが良かろうか?と話を進めていったのだ。
四国山脈には楽しげな国道も多々あるらしい。
久さん好みかもしれませんとのこと。
つまり
ええ!これでも国道!? 狭いし、タイトコーナー連続で対向車来たらどうすんの?
ってな道なわけだ。
確かに快適な道ではないけれど、なかなかに楽しめるものだ。(まあ、Motowins店長はそんな道でも猛走ぶりに変わりないのだが)
しかも店長が言うR439、R440は景色がまた素晴らしかったとのこと(R429も林の中で、この季節は涼感あって気持ちいいだろうけれど、如何せん距離が短めで単調)
さて、土佐へ行くとなると当然海を渡っていくわけである。
●明石大橋→淡路→阿波(当然のこと長宗我部氏が三好氏と一大会戦を行った中富川の戦跡行かなきゃな)→室戸岬→安芸(虎キャンプ地というより、中世安芸氏の城跡があるな)
明石大橋は幾年か前の同じ時期に阿波踊りなどを見物に行ったり(楽しかった!)、仕事で使ったりとしておるからして特に魅力は感じないと・・・何よりのあの値段は納得行かん!それに淡路島だけでもかなり楽しめるスポットがあるのだからして・・・今回は土佐ツーであるのだからして、このルートは又の機会にしてしまおう。
で、却下。
●瀬戸大橋→讃岐→白地(というより徳島池田)→高知
四国へ渡るまでは一番無難且つ時間的にも余裕を持って走れるコースである。恐らく帰途に使うことになるであろうルートでもある。白地を通らずに行けば時間的にも最速コースだろう(渋滞等鑑みて)
瀬戸大橋の美しさは良く知っている。一度伊予西条へ仕事で行った際に渡っているのだ。じゃあ一度も渡っていない橋で行こうじゃないか!
●尾道→シマナミ海道→今治→宇和島→宿毛→足摺岬→中村(ここで一条氏関連の史跡巡り)→高知
そうなのだ。シマナミ海道は通ったことがないのだ。この海道は云わば因縁ある海道とも言えるのである。
母方の先祖がここで中世辺り盛んに、商船や大名船などから通行料をとるということをしつつも、瀬戸内は及ばず近畿まで我が物顔で生きていた処なのだ。
数日前、仕事関係の元海上自衛隊オエライさんからも
いやあ、久さん。あそこらの海はねえ、操船大変なんですよ。でもそれにも増して島々の綺麗さといったらもうねえ・・・
などと聞かされてもいたのだ。
それにこのルートは土佐から見れば、長宗我部譜代重臣久武親信が南予軍代として侵軍したものと重なる点も多々あるし・・・
などと御託を並べておるが、要はさ、来島海峡を渡りたかったのだよ!幼い頃より祖母などから聞かされていた話のせいもあろうしな。
戦前戦後などは何処其処の村上の何某であると言うだけで、大歓迎を受けつつ実家に帰れたとか、住んでいる家より大きいお墓だったとか・・・今となっては勿論何の交流もないのであってだね、当のシマナミ海道建設に絡んで幾ばくかの金が祖母の実家を継いだ方の孫だか曾孫だかの方から送られてきたって程度なのだが。
何よりもこのルートならば、体調次第では何処で高速道路を降りても宿泊場所に苦労はせずに済む。
何たって瀬戸内海だからな、古来交通の盛んなところであって、たとえ今では寂れた街となっていようとも其処此処に港があり、各々が城下町であった一時代をもっているのだ。
飯も美味いしね!
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●8月6日
出発
前日までかなりハードな仕事を目一杯していたのだが、午前中に起床。
京都にある某カスタムショップでエンジン内のカーボンを除去する装置を我がZL1000に施してからツーリングへ出る予定だったのだ。
昼少し前にショップ到着。
店長氏と四方山話をしつつ、処理終了(午後1時過ぎ)
さてこの処理は単にカーボン除去薬剤の注入だけで終わるものではなく、施工後いくらかエンジンを回しつつ走ってやり、その後オイル交換を行うことで一通り完了するというものであるのだ。
ツーリング前に来ていただけると一番いいですとの言葉を以前より聞いていたので、今回の土佐ツーを前に施工したわけだが、200km程度走ってもらえれば理想的ですねとのこと。
え!俺少なくとも1000kmは走るんだけど
じゃあ今から少し走ってこられますか?もう処理済んでますし、100km程度でも回し気味で走ってもらえれば問題ありませんから
大山崎IC.より高速に乗り、八日市まで行き戻ってくることにする。距離にして100km超。
そのままツーリングに出かけ、途中何処かでオイル交換ということも考えないでもなかったのだが、やはりそのショップはこの施工については自信もあろうし、いつも世話になっているわけでもないのに細かな心遣いをしてくれるところでもあり、最終処理まで面倒を見てもらうことにする。
100kmといっても名神高速に乗ってブワーッと行って、ブワーッと帰ってくるだけであるからして、別段書くこともない。
3時頃ショップに帰着。
そこで改めてオイル及びオイルフィルターの交換。汚れ具合を見つつ、カーボン除去施工を行った後としてはどんなものかと尋ねてみる。
結構回して走っていただけたようで、問題ないですとのこと。安心する。
オイルはMOTUL300Vを入れてもらった。
ちょうど同日、ZL900のエンジンOHをされていたオーナー氏も来店されており、店長氏を交え諸々の話をする。
結局京都出発は夕方となった。しかし中々に濃い話が多く聞けた、ウシシシシシ
ツーリング計画では(といっても、あくまで大まかなルートを決めただけであり、第一泊目の地さえまだ決めていない)、できれば夕陽のシマナミ海道をカメラに収め、今治で宿をと思っていたのだが、この様相では尾道でさえ夜になりそうである。
とりあえず中国道→山陽道→ひたすら西へ
休憩は宝塚名塩で水分補給を兼ねて少しだけ(って、ここで朝から何も食べていないことに気付いてしまう)
ええい!まずはビッシビッシと西へ進むのだ!とZL1000のタンクにガソリンを満タンに入れて出発・・・。
天気予報では特に問題ないものの、夕立のような通り雨がありそうとのことであった。
勿論そんなことは気にしない、気にしない。
快調に進み、午後7時過ぎ岡山突入。
吉備PAで休憩を取ろうと思いつつ走っていると、西の空が真っ暗と思う間もなくポツポツと雨が降り出してきた。
参ったなあ、ゴールドウィンのレインコートを買ってシートバッグに入れてあるとはいえ、着るの面倒だなと少し憂鬱になる。
雨はどんどん強くなる。
これはレインコート着なくてはもたん!という頃合(つまり既に雨粒が痛く感じる程降られてから)、吉備PA到着。
このPAのレストランは下りはまあまあ美味しいのだ。上りは・・・コメント控えよう。
ここで飯を食うのもありだが、そうしてしまうと前日までの疲れを引きずった身には、それ以上西へ進む気力が抜けてしまうような気がしてしまう。
2泊もしくは3泊を予定しているとはいえ、折角の泊まりツーリングだ。飯は土地土地の美味いものをといきたいものだ。
携帯電話を変えたこともあって天気情報などのサイトがお気に入りにない。
何調べればすぐにリンクできるのだが、Motowinsへ電話してみる。
カーボン除去処理の話などもしつつ、天気図で調べてくれる。
久さん、ちょうどねえ、広島辺りに雨雲が来てますよ。どんどん東に向かってますよ!え!?レインコート着たくないって?折角いいの買ったんだから着て下さいよ〜
などと言われつつ、雨雲の大きさなどを質問し、このままレインコートを着ずに突っ斬ってしまうことを決める。
もう雨に濡れてしまっているのだ。
宿は広島に入ってからとろう。ホテルのフロントに頼めばシューズドライヤー位何とでもなるだろう。
ミネラルウォーター500mlを一気飲みし、煙草2本を立て続けに吸い、出発。
Motowins店長の教えてくれた通り、雨は益々強くなる。
カウルの作る整流の中にスッポリと身を入れた気持ちでズンズン進む。
広島県内に入り、福山PAに着く頃には雨は上がっていた。
ウェアもそのうち風で乾いてしまうだろうと思える程度だ。
此処で既に8時過ぎ。第一泊目は尾道でとることにする。
携帯で 旅の窓口 を駆使し、某ビジネスホテル予約。
尾道辺りは出張で年に何度か訪れることもあり、道に迷うことはない。
尾道市街地に入ると、港にある重機(クレーンみたいなやつだ、名前知らぬ)が色鮮やかに塗装され、ライトアップされている。
こいつをバックにZL1000の写真を撮ればHPの表紙にもってこいだなと思いつつ、通過。
ホテルはすぐに見つかった。ホテル前にバイクを停め、単車駐車スペースについて尋ねるも、屋根なしの上車と同じ柵内、しかも出入り自由とのこと。
二度と泊まってやるものか!車であろうと電車であろうとココには二度と泊まらぬと誓う。おのれβ-twoめ!って名前間違えてるかも知れぬな・・・
部屋に入り、着ているものを全て投げ出すように脱ぐ。
チェック、チェック・・・今回はパンツをクシタニの洗えるレザージーンズにしてから初の雨降り走行である。靴も本当ならGaerne NO.145を履いている筈だったのだが、これは出発二日前に手に入れていたにも関わらずサイズが合わず販売代理店へサイズ交換で送り返していたのだ。
レザージーンズであるが、洗濯を普通のジーンズ同様できること(但し、撥水効果を期待するなら専用のリキッドソープで)、いざ転倒の際での安全性、一見革とは気付かないこと、特注といった形でニープロテクタを付けれること(取り外し自由:7000円だっけか、プロテクタ自体もレース用ツナギでも使用されているもの。硬いものではなく体温で体に馴染む)
革特有の匂いと重さを除けば不満のない買物だった。Motowins店長が薦めてくれたのが実感できる。
で、雨に対する撥水性だが、短い時間とはいえ結構大粒の雨に叩かれるような情況であったにも関わらず、全く問題はなかった。
革といっても内側はポリエステル生地をメッシュ加工されたものであり、さわやかぁ〜なままであった。
ウェアはゴールドウィンの夏用のものを愛用しているが、これも透湿率はいいものであって乾くのも早い。問題なし、ハンガーへ。
グローブ、ゴールドウィンのアンチバイブレーションタイプで一番高いのをセカンドとして持って来てはいたが、謳い文句たる耐震性、操作感共に自分には全く合わずバッグの底で眠ったまま。つまり雨の中もJRPのDRNをつけたままであった。
ジンワリと湿気を残しているものの、今回はそのままハンガーのズボン用ピンチでタグを挟んでエアコン送風口にぶら下げておくことにする。
夏とは言えども、やはりロングタイプのものを持ってくればよかった。傍から見たら暑苦しいだけだろうけれど、いざ走っていればそれ程気になるものでない。むしろ風でバタつかないことで安心感がある。
ま、中にはどうしても気になるって人もいるのだろうけれど、こればかりは人それぞれ。
ウェア類の整理が済むと猛烈なる食欲を満たす為、夜の尾道へ。
ソロで走っていると、ついつい己の体内時計を無視してしまうのだが、いやあ普段はちゃんと食べてるのだよ。
朝飯は自宅では摂らないが、それはあくまでも時間に余裕をもって起きないだけであって、出張などの際には朝からご飯を2杯以上を平気で食べれる。
昼にも充分過ぎる程食べれる。夜には朝起きたら顔が膨らんでしまうのではないか!?という程食べれる。
でもソロで走っているとついついうっちゃってしまうのだ。
何か尾道らしいものをと思うものの、近場の中華料理店へ。
中華定食(鳥唐揚、春巻、野菜サラダ、ザーサイ、蟹玉、スープ、ライス)を頼み、煙草を吸いながら待つうち尾道ラーメンも頼む。
牡蠣醤油ベースのラーメンで見た目の割りに濃厚なスープのものだが、どこか懐かしい醤油ラーメンってとこもあり結構好きなのだ。
ホテルへの帰り道にミスタードーナツがあったのだが、最早22時を過ぎており、この時間に甘いものは・・・と思いつつ、アップルパイとチョコレートナントカってドーナツを一つづつ買う。
ついでにコンビニでビール350ml、お茶500ml2本、ミネラルウォーター1lを買って帰る。
あ、スマン・・・ビールのつまみにビーフジャーキーも買ったんだった。勿論食べた・・・
本日頭の中で鳴っていた唄
時を駆ける少女(スマン・・・やはりわしはオッサンだ。だって尾道泊まりだし、7月にCSで大林宣彦特集してたんだもん、観てないけど。筒井康隆好きだしさあ)
雨の猛走タイムでは何故かJ.ガイルズバンドのTeresa(サンクチュアリというアルバムに入ってる。堕ちた天使で大ブレークする一枚前のスマッシュヒットアルバム)
What should I do next,Teresa
Where did I go wrong
様々な思いが脳内を駆け巡るも、雨に体をバシバシ打たれながら必死で運転に集中しようとする。傍から見れば馬鹿げてるのだが、こうした時間こそソロツーリングでしか味わえないものでもあるのだぜ!(大雨の中、レインコートも着ずにビキニカウルに頭をすぼめて猛スピードで走るわけだから、かなり見苦しくも迷惑なものだ)
フロントでもらったシマナミ海道の地図を眺めワクワクしつつ、明日はバランス良い食事をとも思いつつ就寝、午前1時。
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8月7日
8時起床
ホテルで和定食。ご飯2杯半、サラダ大皿山盛り、その他海苔、納豆、温泉卵、焼き魚などなど。
前述したように用意されていれば、朝からしっかりと食べるのだ。
土曜日ということもあって結構交通量は多目だった。途中PA(勿論島にある)でZZR1200のライダーと挨拶を交わした以外は黙々と走る。
高速(橋)を渡っては一般道を走るといった感じだった。原付や自転車用の道路が別に並設されているのだが、何だかそっちの方が気持ち良さそうだったな、尤も実際に自転車で走るとなると結構な距離であるし、かなりの覚悟が要りそうだが。
シマナミ海道、シマナミ海道と言い騒いでいた割りに、さして観光をするでもなく南へ南へと心は逸るのである。
それでも大三島では能島水軍資料館の看板を見つけ、のんびりとした町並みをかき分けて・・・・7月で閉館だった。
因島で行われる水軍祭は有名だが、実際には因島、来島、能島の順で農業生産量が大きかったこともあってだな、水軍としてはやはり能島、来島、因島となっていたと思うんだな。ま、村上源氏ってことで同族なわけだが(実際には北畠の血が入っているわけだが)、歴史物の読み物、TVなどで村上水軍と言えば、やはり能島村上となる。戦国時代で有名なところでは、村上武吉が三島村上の頭領として能島村上氏を率いていたわけだが、彼も結局毛利氏配下とならざるを得なくなった挙句、関ヶ原後の毛利氏減封に伴いこの地は離れた。伊予守護河野氏と密接な関係にあり、時に能島と主導権を争った来島も、秀吉、家康と続く覇権交代の時代を乗り切り大名家として残ったとはいえ、海から離され山中の大名となってしまう(これは九鬼氏もそうなんだよな、全く三河の狸とその息子は好きになれんぜ)
つまり元々農業・林業等の地盤が多少なりともあった因島に水軍の名残が最も残るということになったのか(土着した人が多かったろうしな)
まあ、この辺あやふやな知識しかないからして、それは違います!などと怒らないように。
この時代の水軍史を簡単に楽しく知るなら、城山三郎が「武吉と秀吉」(秀吉と武吉だったかも)って小説を書いています。新潮文庫だっけか文春だっけか・・・忘れた。
毛利元就関係の話には、能島村上武吉は必ず登場する。
大三島から今治まで、フェリーで30分!橋より安い!ってな看板を目にし、迷わずフェリーを使う。
来島海峡だぜ。船でこそ!ってわけで、港へ。
このフェリー発着場の目と鼻の先に道の駅があった。七輪で海の幸を焼いて食べれるようになっている。
時間はまだ11時過ぎだが、既に家族連れなどがワイワイと楽しげに食事をしている。
うまそうな匂いがたまらなかったのだが、一人で七輪つついてってのもなぁと諦める。
フェリー代500円。船内は観光客も半分程度いた。
デッキから海と島を眺めつつ今日のルートを考える。二日目の夕食は中村で鰻を食いたい。
今治→宇和島→宿毛→中村・・・このルートだと自然四国一周をしてみるかといった格好になる。
四国一周には左程関心もないし、とりあえず中村での宿を確保しよう。例の如く携帯から旅の窓口で検索・・・中村プリンスホテル予約。
船上の陽射しが強いが、気分は上々だ。
話に聞いていた通り、島々の間を船が重なるように通るのが見える。
よくわからないが、所々海流が複雑に成っているとのことだし、大小島影に姿潜めていれば確かに海の通せんぼにはぴったりのようだ。
結局今治到着まで船上で過ごす。

午後0時今治着。
高知市へ四国山脈をズン斬って出るならば、ここから東へ向かい伊予西条辺りから南下すればいいのだが、西条は以前仕事で行ったことがあるのだ。
どうせなのだから知らない道を走りたい。よってとりあえず松山へ向かうことにする。
県道を経てR196へ。
右手に海を眺めつつ走る。海の色の綺麗なこと絶品である。
途中いくつか海水浴場があることもあり、決して快走とはいかないが、いかにも真夏!といった感じであって良いものであった。
風早の郷 風和里(ふわり と読む)なる道の駅で休憩。
昼食時であるが、レストラン満杯の為断念(道路挟んで向かいに海水浴場やスポーツセンターもあった)、露店で飲物を売っている店子の女性が大変美しい人であったので自動販売機を素通りしてお茶を買う。ギンラギラ照り付ける太陽の下、お茶一気飲み煙草3本吸って即出立。
ここからR196は北条市街地へ入るわけだが、県道を選びそのまま海岸沿いを走る。北条も水軍関係のものがあったり、国津比古命神社があり、また山城跡があったりで見所はあるのだが、今日のところは素通り。途中柳原なる地名を通過。柳原という地名は全国に間々あるものなのだろうか?それとも平家絡みでこうした地名が残っているのかどうか。
福原遷都した平氏だが、柳原筋って神戸福原にあるものなあ・・・柳であるが、あそこは桜並木あるよな・・・現代では年がら年中満開らしいが、長く行ってないのでわからんが・・・
(((゛◇゛)))
R196に戻り松山市街へ。
途中、交通看板が目に止まる。
注意!伊予の早曲がり
交差点にあったのだが、伊予の と書いてあることから、その交差点だけでそうした事故が多いわけではないのだろう。
R56〜378で四国西岸沿いに宇和島→宿毛→中村で行くか、R33で久万高原を通る四国山脈路を行くか。
やはり四国西岸はいずれじっくりと周ってみたいこともあり、今回は山ルートに決定する。
R33土佐街道(久万街道)へ。
ワインディングで登る道が気持ちいい!伊勢大和辺りの山々を思い出しつつ走る。
三坂峠で一服。景色が絶品だった!(写真ないんだけどね・・・)
司馬遼太郎の小説で、長宗我部元親を主人公にした 「夏草の譜」文春文庫 の中にある一節を思い出した。
元親が土佐を統一し、初めての外征を行った時の話だ。
他国からは四国山脈で隔絶されており、山の多い土佐は自然国内に土豪の数も多く、国内の争いが絶えなかったわけである。
そんな土佐を統一後、未だまとまりのない国衆を率いての初の外征。
四国山脈を踏破し、高所から他国の灯を目にした兵士達が改めて自分達は土佐人だと感激し、結束を固めたという描写があるのだ。
三坂峠はまさにそんなことを思い起こさせる程に、素晴らしい眺めを持てる。
先に出した大和伊勢で言えば、飯高山辺りのようなところなのだ。山、山、山、結構標高の高い山の只中である。
それが、山と山の間からいかにも豊かな道後平野がウワーと目に飛び込んでくるのだ。そして海も。
小説の中の描写がどこの地であったかは忘れたが、司馬遼太郎はここからの景色が頭にあってあの一節を書いたのではないか?と思ってしまった程の眺めである。
今回は伊予側から山を登ったわけだが、これを土佐側からやってくれば正に感動も一入だろう。
明神で休憩し、いざ出発と南へ目を向けると空模様が怪しい。まだまだ四国山脈の裾みたいなとこである。雨に降られると厄介だ。
だが、この如何にも怪しげな空の色も夏の日に限ってはそう不愉快なものではない。
夏の夕立(まだ2時前だったが)を思わせるものであって、自分には妙な旅愁を覚えるものである。
熱い夏には、雨も恵みなのだ。
熱せられたアスファルトに雨が叩きつけられた後の匂い、一時の静寂を置いてから際立って聞こえてくる虫の声やら川のせせらぎ、それらがなくて何の夏らしさか。
ま、初めて走る山中の国道。しかもR439または440といった「楽しい3桁国道」の名に相応しい道々が待っていることを思えば、決して楽観していれるものではないが、そんなことはどうでもいいのだ。夏なのだ!夏!
久万川沿いにR33を土佐へ向け走る。
水色の綺麗なことこの上なし。
河原の石も綺麗な青色のものが目に付く。一際綺麗な水面、岩々のある辺りで遅めの昼食をとることにする。
そのものズバリ美川村。
泳いでいる家族連れなども目にしたが、羨ましくなる程綺麗な川だった。
写真で見るとそうでもないようだが、まさに清澄な湖とでも言えるような美しさであった。
あめご釜飯定食を頼む。
何のこともないお手軽な食堂といった体の店構えだったが、付出しから味噌汁まで美味しく、丁寧に造られていた。
食べ終わったのが3時頃だったろうか、煙草を吸っていると急に雨音がし出した。
店のおばちゃんが、「お兄さん、単車やろう。えらい降ってきたよ。夏の通り雨やろうき、休んでってください」と言ってくれる。
お礼を言いつつも、すぐに抜けれるでしょうと店を出る。
レインコート着るかと一瞬迷うが、少しくらいの雨ならすぐに乾くとそのままで走り出す。
久万川が面河川と名を変えた流れを横目にR33をひたすら走る。雨も時にやんだりする程で、この分ならウェアもすぐに乾きそうだ。
面河川ダムや大渡ダム、国道の真横に唐突に自然の滝があったりするのを楽しみつつ走る。
雨は止んだ。
R440なら四国カルストなどもあり景色もより楽しめたかもしれない。だがあそこらへ行くならもう少し時間が欲しいところだ。
いずれまた来襲せんと心に誓いつつR439へ。
ところがー!ここで仁淀村を通って南下するところを、北東方向へR439を走ってしまう。
明神でMotowins店長へ電話した際、以前彼が走ったルートを聞いたのだが、中村へ行くルートとゴッチャに覚えてしまったのだ。
伝説の怪鳥 鵺(ぬえ)の里 なる怪しくも惹かれる看板を目にしつつ快調に走っていると、対向車線から来るバイク数台とすれ違う、大峠辺りだったろうか。
4台程とすれ違ったのだが、皆が皆レインコートを着込んでいる。
これはレインコートを着込んでおいた方がいいなと思いつつ、そのまま走る。
R439は事前に聞いていた通り、かなり狭くなってきた。
農村地帯を走っていると、農家の私道か国道か判別が付き難い箇所もあったりした。
路面も良いとは言えない上に、車一台がやっとといった道幅の箇所も多々あり中々に味のある国道である。
走りやすい道ではないけれど、これはこれで楽しいものである。だがしかしこの辺りで大雨となる。
痛い痛い、雨粒の大きさ、勢いの強さが凄まじい。
慌てて置き捨てられたような煙草屋の軒先でレインコートを着込む。
既にウェアはずぶ濡れだ、パンツ、シャツ、靴下はドライ生地だからしてこのままで良いとして、ウェアはとても着ていれるものではない。シャツの上から直にレインコートを着、ウェアはシートバッグの上から網で固定してしまおう。
レインコート購入後10ヶ月にして、初使用。
このままR439を走り続ければ本山へ出てしまう。そうなると次は阿波讃岐へと続く四国山脈となるわけであって、さすがにR194で南下を決心する。
実はかなり心動かぬでもなかったのだ。
本山といえば、本山氏だろう。土佐七守護の一(この辺りは後述する)にして、長宗我部氏が土佐を統一する過程において一番ポイントとなった敵だ。
本山城跡など(残っているのかどうか)是非とも行きたい処でもある。
また早明浦ダムなども良さそうだ。
ルート確認を兼ねて地図などを眺めていると、何とも行きたい処ばかりである。
であるが、今宵は中村泊。またとてものこと4日や5日では(知らぬ間に休みが増えているようだが、気にするな)観れるものではないということが、実感を持って理解できるようになっていたのだ。
かなり後ろ髪を引かれる思いでR194、仁淀川沿の道を走る。
仁淀川を右手に南下しつつ、河原の石の色が山中と違っているのに気付く。美川辺りではまさに蒼々した色合いのものが多かったのだが、この辺りでは白色が目につく。
最早太平洋へも近い。
途中道の駅 土佐和紙工芸村 にて休憩。
実はR439でライトが点かなくなっていたのだ。
兵庫辺りで言えばR429の如き道・・・尤もより楽しくも厳しい道が長く続くのだが・・・そうした中、トンネルの中で何気にパッシングスイッチを押したところ(別段威嚇行為をしたわけではない。ファンスイッチ装着に伴って、ウインカースイッチをプッシュキャンセルのものへ変えたのだ。そしてパッシングスイッチの具合をと、対向車ない状態でパラパラと試していたのだ)、いきなり真っ暗!
多少なりとも雨が小降りになってきたとはいえ、中村へ着くのは早くとも19時頃だろう。ライトを点けずに走っている車を見かけないではない時間帯とはいえ、やはり危なかしい。
何より夜間走れないとなると、行動範囲が一気に狭くなる。それだけは耐え難い。
道の駅にて、コネクタ周りの結線チェック・・・異常なし。
カプラの結線がおかしいのであれば、ウインカーも点灯しない。ライトケース辺りで外れたならバイク屋を見つけて、工具を借りるなり見てもらうなりするか・・・
が、トップブリッジのインジケーターも点かない。ヒューズかなと思いながらも、他に何かあり得るかとMotowinsの店長に電話してみる。
やはりヒューズの線が一番有力だとのこと。予備ヒューズ付いてますからとの言葉にサイドカバー外してみると、古ぼけてはいるものの予備が残っていた。
焼け切れていたものを予備と交換。
復活、これで夜中だろうが雨降りだろうが安心である。
そういえば沈下橋を見たが、案の定写真には撮らず。
走ったルートを後から眺めてみると、まだまだ見逃していたものが多いのに気付く。
この辺り夜鳴き石というものがあるらしい。
最近では映画化された 死国 あの小説に限らず、四国は所謂怨霊譚の宝庫である。
あまりそうしたものに興味はないのだが、今回メインで訪れようとしている長宗我部絡みだけでも結構その手の話は多い。
仁淀川辺りだと吉良親実と関係があるのかどうか・・・親実は元親の弟親貞の子である。
元親の嫡男信親が豊後で討死した後、家督問題紛糾に際して元親と対立し、同じく親族で元親の従兄弟比江山親輿と共に切腹させられている。
この親実に関した数ある怨霊譚の中に、仁淀川が出てくるものがある。
夜鳴き石、何か関係があるのかどうか・・・
ま、こうした話は当時の政治的な背景を暗喩的に示していると解することができるものが多いのだが、それでも実際に供養が大々的に行われたりということがされている。
この手の怨霊譚では、宗像氏(九州の豪族だが)の盛衰を描いた小説にいいものがある。白石一郎の短編だが、あれは中々に恐ろしい話だったなあ・・・短編集の名前は忘れたが・・・
ツーリングへ戻ってっと、仁淀川大橋を渡りR56別名中村街道へ。
かなり回り道をしていたりライト周りのトラブルがあったりもしたが、充分楽しみながら走れたので気分は上々である。
土佐市からは高知自動車道が須崎東まで通っているのだが、そのまま国道で中村を目指す。
中村までは100km位か、須崎辺りで疲れを感じ始めた。
かわうその郷 すさき なる道の駅に、オッ?となるも停まらず。
今地図を見れば、R56中村街道から外れ海沿いに走れる県道があるのだが、この時は早く中村に着いてしまいたいとの思いでひたすら走る。
久礼から窪川、佐賀町へ走るうちには、峠を下っているといきなり太平洋が望める箇所もあったりした。
交通量はそこそこあったのだが、信号も少ない為まずます順調に進む。
佐賀で太平洋岸へ出る。
岸壁沿いにある休憩スペースで一服、17時半頃だったか。
煙草を吸っていると、町内放送?で佐賀町で今夜祭があることを知る。
アナウンスを聞いていると、このまま佐賀で宿を取るのもいいなと思い出す。
中村はキャンセルしてしまうか!と思いはしたのだが、明日以降を思えば今夜中に中村へ行っておきたい。
写真を撮った場所から向きを変えたところに見える山間の町並みを目にしつつ、出立。
太平洋を左手に見つつ走り続ける。
途中、ホエールウォッチングの看板を見るも、素通り。この辺り景観も広々としており、気分良く走る。
松並木が綺麗である。うむ!海と松!大好きな景色だ!
写真を撮りたいと思い、良い場所はないかと思っているうちまたも山の中へ。
だが中村はもうすぐだ。
黒潮鉄道沿いに走っていると 一條公饅頭 なる看板を目にする。
中村では未だに一条人気ありとは聞いていたが、饅頭の看板でそれを実感する。
一条といえば、お公卿さんのような名前とお思いであろうが、まさにその通りなのである。
応仁の乱で都が荒廃した頃、都を離れ地方へ難を逃れた公卿はかなりいたようであるが、一条氏もそうであった。
ただし、少し変わっているのは土佐に下向した一条氏は、関白まで務めた者であった。
前関白一条教房がそれである。関白まで務めた公卿が、現代でさえその市民に「中村は陸の孤島ですから」と言われる地にやって来たわけである。
家領として幡多一円があったとはいえ、時代が時代である。都を捨てたことより、このように遠い地へ(当時ならまさに遠国としか言い様がなかったであろうことは容易に想像できる)乗り込もうというのは凄まじいばかりの勇断ではなかったか。
結果として、幡多郡の豪族らも多く一条氏を戴くことになった背景に事前工作があったにせよ、そんなものは所詮絵に描いた餅なのだから。
土佐へ土着したとはいえ、一条氏は親王王女を室に迎えるなど都との関係も親密を保ち、代々高官位を得ている。(この親王王女=玉姫の墓は今も保存されている)
鴨川に模すには雄大過ぎる四万十川、大なる太平洋、そして山々。
そうした中にも一条氏は今も小京都と言われる街並を造っていく。
鴨川、東山、祇園神社、碁盤目状の街並・・・大文字山もあるが、これは笑いを堪えられずといったものであった。
だがそれ故にこそ、遠隔の地で逞しく生きつつも都への想いを募らせていたであろうことが思われた。
京から下向した教房
京一条家に息子を養子として出し、自らは正二位権大納言となりつつ土佐一条氏の確立に尽力した房家
その影に隠れがちながらも、大内氏との縁組や恵良沼の戦いなど戦国大名としての地盤を堅めた房冬
大内氏との更なる縁強化、大友氏との縁組(宗麟の姉を室とする)、土佐七守護の一津野氏を支配下におさめ高岡郡を支配するなど、短い生涯ながら全盛期を生きた房基
そして実質的な最後の土佐一条氏当主兼定・・・大友宗麟の娘を室とし、南伊予侵略など軍事行動も盛んに行うも、家政乱れさせ後長宗我部元親に幡多を追われる。
権中納言拝命、内紛、長宗我部氏の侵攻、豊後への逃亡、キリシタンへの改宗などと波乱に満ちた生涯を送った。
歴史シミュレーションゲームなどでは、兼定の能力値はこれでもかという位低いものである。
哀憐を覚える程ひどいものが多い・・・
その終焉は必ずしも褒められたものではなかったにも関わらず、一条氏は現代の中村市に足跡を色濃く残している。
祭に限るだけでも
五月には葵祭に倣った藤祭=土佐一条公行列
8月の終わりには、大文字の送り火
10月には、一条氏幡多下向の際、石清水八幡宮を勧請した不破八幡宮で行われる不破八幡宮大祭
そして11月、幕末一条氏を慕う有志によってその館跡に建立された一条神社の祭 一条大祭
などがある。
しかし、幕末の土佐で一条氏を慕い神社が建立されたというのはどういう背景があったのか興味がある。
土佐の幕末といえば、坂本竜馬、武市半平太、中岡慎太郎など長宗我部旧臣や長宗我部一領具足の子孫である郷士達の活動が著名であるのに・・・
そういえば小説竜馬がゆくの中でも、かの三菱創始者岩崎弥太郎が他の郷士上がりの志士へ冷たい視線を送る場面で、自分の家は長宗我部氏に滅ぼされた安芸氏の臣であり、長宗我部氏に恨みこそあれど親しみなどないといった描写があった。(これまた!ではあるが、現代の安芸市では最期の当主安芸国虎とその妻に扮した行列を行う祭があるそうである)
まあ、幕末は土佐に限らず、薩摩、長州も関ヶ原の怨讐晴らしといった一面も濃厚にあったわけで、お前らが今更長宗我部時代を云々するならば、一条氏もいたことを思い出させてやる!なんて為政者側の思惑なきにしもあらずだったのかもしれない(尊王、勤皇ということなら、何せ摂政関白を出す家柄なのだし)
勤皇の時来たれリということで、何の遠慮もなく一条氏を懐かしむことができるようになっただけというのもあり得るか。
佐賀町で休憩の際、ホテルへ電話を入れており大体の行き方を聞いていたので少し中村市内を走る。
18時過ぎという時間であったが、玉姫の墓、一条神社、教房の墓などを観る。
19時前、中村プリンスホテル着。
駐車場の雰囲気が観光ホテルといった感じであった、というか観光ホテルだわな、窓から四万十川が見えるというのを謳い文句にしているくらいだから。
まずはフロントへ。
バイクの駐輪場所について尋ねる。佐賀町から電話をした際に、単車である旨を伝えておいたのだが、やはり心配である。
玄関の自動ドアの真横、フロントから丸見えの場所に停めてくださいとのこと。
そういえば自動ドアを通る際、カラーコーンが軽自動車程度のスペース確保に置かれていた。
しかし一階に名産品売場もあるようだし、丸見えだけどいいのかね?と思いつつ再確認。
はい、お電話いただきましたので
ありがとう
で、駐輪場所OK〜バイク旅では、盗難イタズラの心配がない駐輪場所が確保できるというのは大きな安心だ。
部屋は4階。6階以上なら窓から四万十川が眺めれるのだが、当日昼に予約をしたこともあり、こればかりは仕方ない。
値段だって朝食付で6500円しなかったのだ。
シャワーで汗を流し、一息ついてから夕食をとホテルを出る。
1km程ブラリと街を歩きつつ、良さそうな店を探す。
ごくごく普通の和食店へ。鰻定食・・・待ち時間30分だったが、四万十の天然鰻(ひつまぶしはメニューになかった)、3500円。
高いのか安いのか、天然鰻は食べたことがなかったのでわからぬ。
が、美味かったぞ!さっぱりとした身だった。普通にスーパーで売っている地鶏(これは地面に足を着けてさえいれば地鶏と言えるらしい)と本当に地面をバタバタと駆け回っておる地鶏位の差があった。
店を出てホテルまでまたもフラフラ歩く。
ううむ、いかにも夏の夜って感じだぜ。この微妙な湿気が堪らんわいと思いつつ汗ばみながらも歩く。
途中で細かな雨が降り出す。まあ、別段傘が必要な程の雨でもないので、そのまま歩く。
(って傘なんか持ってるわけがない。実は家にもなかったりして・・・免停講習で某教習所に行った際、朝雨、帰り晴れってことで置いてきちゃったのだ。傘取りに教習所に戻るのは癪だったので、そのままにしたのだった)
ホテルの前まで来たが、そのまま道を真っ直ぐにほんの3分程。
四万十川なり。
堤を少し散歩。
河原の散歩というのはなかなかいいものぞ。そりゃあ、隣に美人がいれば言うことなしだがな。
一人でもそう悪いもんでもない。
フロントで市街地図と簡単な観光案内図をもらって部屋へ。
岡豊城跡にある高知県立歴史民族資料館は是非にも行かねばならない、9日=月曜日は休館日なのだ。
岡豊は南国市だ。
中村から高知自動車道を使うにせよ、中村、足摺岬、そして又も中村経由でR56中村街道を須崎東まで行かねばならない。
尾道〜シマナミ〜四国山脈を少々〜R56といったルートで走った身には、午後の中村街道は実際より長く感じていた。
とりあえず幡多郷土資料館(関ヶ原後、山内氏によって建てられた城跡にある)に行ってから足摺岬へ足を延ばすことだけ決める。
中村は飲み屋なども多く、食事に行った際などにも浴衣で出勤といった趣きのオネーサン方をまま見かけたが、当方下戸の為大人しく部屋へ帰ったのだ。
下戸とは言えども、コンビニで買ったビール350mlを寝酒に就寝、午前1時過ぎ。
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8月8日
9時起床、朝食へ。普段結婚式などで使われているような大広間でバイキング。御飯3杯、その他ワンサカ満足する。
幡多郷土資料館へ。
城跡を含む一帯が為松公園というものになっている。桜の名所でもあるらしい。
資料館自体は尾張犬山城を模したもの。
駐車場に中村城の説明がある。
一条時代中村城は西に四万十川、東に後川を望み、中村平野を一望できる丘陵に築城された総面積10586平米
東城、為松城、中の森、御城、今城の五群の城を統合したもので、平野部を東西に通ずる陸路を押さえ、南北と西部に至る河川により攻防いずれにも臨機応変の戦いに備えることができた。
とのこと。普段の政事は平野部の現在一条神社の地にあった御所で、いざとなればこの為松城?でということだったのかもしれない。

古代からの幡多地方の遺跡出土品などから一条氏関係のもの、山内氏統治時代のもの、幸徳秋水に関する資料などなど。
天守からの眺めが素晴らしかった。
↑右端の写真は、16世紀に実際に使われた鎖帷子。
鎖帷子というと 千葉真一演ずるところの 影の軍団 服部半蔵(スカパーでやってんのよ、観てないけどな)みたいな、鎖帷子=忍者でありますっ!てな、判らないように着る物なのに目立ってますっ!といったものしか知らなかったが、成る程これなら実用的だ。
頭巾部は脱着できるようになっている。
「えー、岡豊の長宗我部んとこ使者に行くの?わしが?でも今攻めて来てんじゃんか、元親。まいったなあ・・・寝返ろうと思ってたのになあ・・・あ、使者で行ったついでに話つけてきてもいい訳じゃん。でもいきなり斬られたりしたら嫌だしなあ。元親ってよく出来た男らしいけど、それでもわからんもんなあ。とりあえずこれ着ていこ♪」
などという使い方の際にも便利そうだ。
ま、リアル(って本物だから)鎖帷子はこんなのだったぜってことで。
その他、日本に4振しかないという七星剣など(写真みたらぶれまくりで載せれず)
中村を陸の孤島と言ったのは、この資料館の受付をしていた人である。
確かに高知から100kmの距離であるし、実際に走ってみれば距離以上に遠く感じてしまうのだが・・・
高所から四方を眺めまわしたが、山、山、山、太平洋そして四万十川という格好であり、一条氏が思い切って下向したというのもわからんでもないかな。
数あった中でも豊かな荘園だったのだろう。
さーて、足摺岬へ行くぜっ!天気も良い!カッカと照り付ける太陽が南国だぜ!
ってなわけで、四万十川沿いに南下開始。
R321を走る。交通量は結構ある、観光らしき家族連れの車が多かった。
またしても山中である。
途中長いトンネルを抜けた辺りから、川沿いに田園の中を走るといった景色へ変わる。
そして海へ。
松林が美しい。
そして綺麗な砂浜だ。
昨今世間を騒がせている若狭にある某発電所傍にも綺麗な砂浜の海水浴場があり、大阪京都神戸はもとより名古屋、岐阜などからも人がワンサカ押し寄せていたのだが、この太平洋をドカンと目の前に据えた砂浜に比べれば話にならない。
県道27、左手に夏の太平洋を見つつ南下、南下。
植樹されたのかどうか、南国ちっくな木々が目に付く。
天狗の鼻、足摺岬へ到達。

足摺岬とジョン万・・・携帯で撮った割りに綺麗に撮れた
観光客が多かった。
人が多すぎてあまりのんびりできず、15分程で出立。
中浜万次郎=ジョン万次郎像の横に映っているのは知らない人、ずっと座ってやんの。露骨に邪魔気な目を向ける観光客多。
山道(足摺スカイライン?)で北上。
なかなかに楽しい道だった。ただしサンデードライバー多し。
R321で土佐清水さかなセンターへ到着。ここで食事にしようかと思ったのだが、どうも某丹後国某市にある とれとれセンター なるものを連想してしまいげんなりする。
土佐清水市街へ入ったところで昼食。天麩羅定食と鰹のたたきを単品で。
よく言われることだが、普段口にする鰹のたたきと違って、周りがしっかりと焼かれている。
スーパーなんかで売ってるのであるじゃないか。
確かに周りは焼けているけれど、食った感触が刺身ってのが。あれは鰹のたたきに似て非なる物であることを改めて実感。
って美味かったの当たり前かも・・・昼定食もやっている寿司屋で食ったのだ。
もう海キラキラだぜ!
ライディングウェアの襟元を寛げて走っていたが、その僅かな隙間にさえ熱い陽射しを感じながらも気持ちのいいこと。
この辺り別名足摺サニーロードなり。
同じような道ばかりで飽きると思われるかもしれないが、飽きなかった。
頭の中がhappy状態で走る。
竜串海岸までずっと躁状態である。
ちと気恥ずかしいが、ヘルメットの内ではEaglesのTake
it easy、あれ唄えるのだよな(一部ハミングになるが)
途中千尋岬及び見残し海岸なる標識を見るも、それなら見残しておいて次回に見ようではないかと素通り。
県道28へ入る。
山中の道だが、快調に走る。
更に別の県道に乗り宗呂中村線を走る。山中で川があれば幸せといった気分である(要は自然が自然のままである景色なら気分が良いのだ)
県道46、中村宿毛線へ。
結構狭い田舎道だが、気分上々で走る。
この辺でそろそろ時間が気になりだす。
岡豊には3時までには着きたいのだ。
またまた宗呂中村線となった道を進む。
生野銀山辺りを思わせるような道で、これまた楽しく楽しく走る。
なんだか楽しい楽しいばかりだが、本当に楽しいんだぜ〜フフフン
と、今地図で確認したら蛍湖なるところがあったのだな。少し北上しなければいけないようだが、変わった形の湖だΩ。
次回は必ず行くぞ。
R56に乗り又もや中村へ。
ここからは一心に須崎を目指す。岡豊に行かなければ・・・
途中窪川町で休憩、道の駅 あぐり窪川。
道の駅を出て少しいった所で給油したのだが、なかなか気分良いスタンドだった。
夫婦二人だけでされているような小さなスタンドだったが、何気にミラーを拭いてくれたりライトに付いた虫跡などをとってくれる。
お気をつけて
次来る時は又ここで給油することに決定。
須崎東より高知自動車道へ、午後2時半。
順調に進む。
が、高知を前に東の空が真っ黒。
今日は室戸に大雨注意報が出ているんだよなと思う間もなく、雨が降り出す。
レインコートを着るべきだと強く強く感じたものの、そのまま走る。
高知IC間近で大雨となる・・・遅かりし・・・どうしようもない程大降りとなってきた。
仕方なしに途中停止してレインコートを着る。
が、が、南国PAに着く頃には雨もやむ。
レインコートをバッグにしまい、一服。
ゆずアイスクリームを食べる。ちょっと甘さが強すぎたような気がしたが、美味かった。
同じ商品を探せばもっと美味いのがありそうだと思える味→PA商品としては充分合格。
さてさて、いよいよ岡豊だ。
ずっと来たかった処なのだ。
南国ICで精算の際、念の為場所を尋ねる。
「城跡?・・・ああ、岡豊城ですか?」
ICを降りると、そこは背面に四国山脈に連なる土佐の山々、南には平野が大きく広がっている。
山からの川も豊かであって、これはいい土地だと思わせる。
岡豊という字面も理解できる。
長宗我部元親の当時、ある旅の僧侶が岡豊城を訪ねた際に元親に進言したことがあるらしい。
「岡豊をオコウと読むのはおかしい。本来はオカホウと読んだものが、崩れてオコウと読み慣わすようになったのでしょう」
それに対して元親は
「例え読みがおかしかろうとも、長い歳月をかけて人々の口に馴染み生きてきた土地の言葉である。それをおかしいから改めよというのは傲慢というものである」
と、その僧を追い出したという。
岡豊城である。
ICからR32を南下すれば、すぐに歴史民族資料館の案内板が目につく。
案内に従い県道384に入る。
するとすぐに左手に城山がある。
資料館への上り道も綺麗に舗装されている。
写真は資料館のテラス?から北方に向かって撮ったもの。
歴史民族資料館、岡豊城跡、そして旧味元家(みもとけ)住宅主屋という山村民家の移築などを含めた城山全体が岡豊山公園として整備されている。
ハイキングコースともなっているようだ。
現にそうした家族連れを二組見た。
資料館の建物も明るく、大きく採光を取り入れた造りの建物だ。
駐車場から階段を昇り、露天の通路を歩くとそこが入口だ。
入口傍にはカフェ・レスト菜菜(司馬遼太郎著「夏草の譜」での、元親の妻の名前)
建物自体も明るい色合いである上に、前述したように陽が映える造り、清潔感のあるいい建物だと思う。
と、ここで岡豊城跡の方(資料館に向かって右手の山・・・資料館も山の上だけどぉ・・・)から蝉の声に混じって笛の音が微かに聞こえる。BGMなんか流しているのか?
一歩館内に足を入れると冷房がよく効いている。
入って正面に受付があり、女性が二人声を揃えて いらっしゃいませ
入館チケットを購入して(18歳以上450円、高校生以下は無料)・・・あの、お客様っ・・・はい?・・・こちらから順にご覧になっていただくようになっておりますので・・・はい・・・
戦国土佐の一領具足についてのアニメーションなどもある。
一領具足というのは、戦国期長宗我部独特の兵制である。百姓兵といえばそうなのだが、普通百姓兵=足軽となるのだが、一領具足の場合はちゃんとした騎兵である。
城からの布令があれば、即対応できるように一領の具足を常に身近に置いていたということらしい。
農民が戦時には兵士になるというのは当時当たり前のことであったが、土佐長宗我部氏においては発言力も相応にあったようだ。
つまり一般にいう百姓兵とは似て非なる物として存在していたということらしい。百姓兵とはいえども、一領具足の勇猛さはよく知られており、現に元親の指揮の下に四国を征服しているのだ。
アニメーションは、長閑な農作業中一服タイム〜
オイオイ、ゴンベエさん、また戦があるっちゅう話だが、ホンマかいのう
ううむ、こないだ戦ったばかりだがなあ
ダナ〜、でも殿さんの頼みだからな
ウンウン、元親様のおかげでこうして暮らせているからのう、一踏ん張りするか!
おう!
てな感じで、15分位?の作品だ。
展示物についてだが、公開するにはポマードブラザーズ弟君へ申請して許可をもらわなくてはならない為、ここでは載せぬ。
音楽のとこでやったら使っておいて今更ではあるが、今回はそうしたことはせぬ。
この歴史民族資料館、博物館としての一面もあり、高知へ行かれることがあれば一度行ってみられたし。
馬鹿の一つ覚えみたいに竜馬記念館で、「はぅーっ!りょ、りょーまぁぁぁ!」などという面で恥ずかし気もなく目をキラキラさせて太平洋を見詰めたいというなら、それはそれでいいのだが。て、坂本竜馬決して嫌いではないんだが・・・マ、コノー、ドウモネッ・・・
長宗我部家の盛衰を描いたフィルム上映を観て、いざ岡豊城跡へ。
空模様が益々怪しい、時折雷鳴が聞こえる。
詰とニの段(江戸以降でいえば本丸、二の丸か)への石段を昇る。
先ほど耳にした笛の音はまだ聞こえる。最初はスピーカーでも置いて流しているのかと思っていたが、どうやら違うようだ。
ニの段、礎石建物跡と登るうちに音は大きくなる。何やら子供の声も聞こえる。
三の段の辺りで詰の段を見上げると、子供の姿がちらと見えた。
詰の段にあがると判明。お祖母さん、両親と共に小さな子供、4人が詰の段にあるベンチで笛の練習をしていたのだった。
資料館で耳にした時は、何やら少し物寂しげな音色が古の城跡といった雰囲気を醸し出しており、情感が高まったものであった。
軽く会釈しつつ、一服(ちゃんと携帯灰皿持ってるのだ。だからといって何処でも吸っていいってものではないが・・・灰皿も置いてあったし・・・)
夫婦交互に同じ曲を練習されているようであった、微笑まし。
この城は落城を経験しているのだ。
元親の父国親が幼少時代のことである。
管領細川氏が土佐にまだ力を持っていた頃、長宗我部家は寺社奉行としてなかなかに権勢を奮っていたとのことである。
とはいえ、土佐七守護のうちでは所領も少なかった。
一条氏=16,000貫、津野氏=5,000貫、大平氏=4,000貫、吉良氏=5,000貫、本山氏=5,000貫、山田氏(これは資料館で買った図録にも出てない)、香曽我部氏=4,000貫、安芸氏=5,000貫、そして長宗我部氏が3,000貫。
1貫が大体2石5斗だからして・・・1万石に足らない所領だったわけだ。
1508年、本山、山田、吉良、大平連合軍により当主元秀自害。そして岡豊城も落城・・・ニの段に炭化層が含まれているらしい。
まだ幼少の国親は家臣に守られ、後一条氏を頼ることになる。
そして一条氏の働きかけで岡豊城へ復帰するのだ。
長宗我部元親はその国親の嫡男である。
長宗我部遺臣によって江戸初期に書かれた土佐物語によれば
背高く、色白く、器量人のように見えたけれど、無口で来客などがあっても挨拶さえままならず、ただ微笑を浮べるのみという有様であったらしい。
深窓の令嬢ならぬ深窓の令息というわけだ。
ところが初陣(諸説あるが22歳らしい)で、早くも(ってかなり遅い初陣だが)機略を見せ野戦に勝ち、敵城を占領するという功を立てる。
そこで家臣ら打って変わって
土佐の出来人と称え、いずれ四国を治められる程のお方になられるであろう
などと調子付いたとのことである。
その後国親死後に、仇敵たる本山氏を降伏させ、一条、安芸氏らをも攻め滅ぼし土佐を統一するわけである。
妻(判り易くいうと、春日局の父である明智光秀旗下の重臣斉藤利三の姪)の縁から明智光秀を取次として信長に接近、長男に信の字を与えられたりしつつも・・・
四国征伐決定〜本能寺の変〜四国制覇〜秀吉の台頭〜家康・雑賀衆らとの秀吉包囲網〜家康と秀吉の和睦〜秀吉の四国討伐〜土佐一国安堵で降伏
となるわけである。
その元親が浦戸城へ移転するまで(途中、現在の高知城の場所に築城しかけるも断念)、長く長宗我部氏の居城であったのがこの岡豊城である。

↑岡豊城詰及びニの段からの景色。
天気が今ひとつだったが、それでもこの城の名前である 豊かな岡 ということがわかってもらえるだろう。
紀貫之の土佐物語時代には、此処南国市に国府が置かれていたというのも納得できる。
城山には30分以上いたか、あっちを見、こっちを見、またまたそっちを見、なんて具合で怪しかったかもしれん。
もう一度資料館の受付に戻り、図録、小冊子類購入。こんなのも買った↓(そんなの何が嬉しいのと言われても、欲しかったんだから・・・)

テレフォンカード
長宗我部元親像 原画は秦神社蔵で重文
(長宗我部氏は秦河勝の後胤)
これらは通販もしておる。(高知県立歴史民俗資料館)
受付嬢(嬢か!?本当か!?本当に嬢なのか!?などと言ってはいかん)が、単車で来ているからと館の封筒に入れてくれた上、ビニール製のカバン?に入れ更にテーピングしてくれた(雨降りそうだったからね)
ここは前日に電話した際の対応も懇切丁寧であったぞ。
土佐神社にも寄ったが、写真は撮らず。
正直、あまり観光地でカメラを構えてパシャパシャするのは好きじゃないのだな・・・本当は面倒だってのが一番の理由だが。
さてさて、なんだかんだ言ってこの日も400km程走った。
何より念願の岡豊城跡に来れたんだし、おとなしくホテルへ行くこととする。
これまた当日旅の窓口で予約した。
ホテルサンルート。
全国チェーンのビジネスホテルだ。ここは岡山出張でも利用したし、値段的にも気軽に使える。
駐車スペースは岡山と同じく(全国どこでもか?)、一階部分が駐車場(単車でも500円取られた)になっている。
買ってきた図録などをウシャシャシャと喜びながら貪り読む。
この日の夕食はホテルのレストランでとる。御飯のおかわりを頼んだら、「追加オーダーになりますが、よろしいでしょうか?」足りないのだから仕方ない。
ステーキ定食とサラダ盛合せ。
食べ終わった後、道路事情について従業員に尋ねる(残念ながら黒服蝶ネクタイの青年であった)
なかなか気さくな人間であるようで、ツーリングで来られたのですか?ヨサコイはどうされます?などという話になる。
ヨサコイは翌9日が前夜祭なのだ。
本来なら10,11と高知で過ごし、ヨサコイを見物したかったのだが、12からは仕事だったのだ。
それは大変残念ですね!でも前夜祭だけでも是非ご覧になってくださいよ!前夜祭といいましても去年表彰されたチームが全国から来ますし!
力説される。無論そのつもりであって、だからこそ一日予定を延ばしたのだ。本来なら仕事の前日はゆっくりと身体を休めたいところなのだが・・・
サンルートは翌日の予約が既に埋まっていた(禁煙室は空あり)
食事後、部屋に戻りさっそく旅の窓口・・・なんと9日の晩泊まれる宿があった(予約してしばらくしてもう一度確認すると空きなしとなっていたが)
ワシントンホテルプラザが空いていたのだ。さすがにヨサコイ祭ともなれば、飛込みで宿確保は難しいだろう。
ここがなければ新阪急か全日空で一泊1万5千円〜の部屋しかないところだった。
夜は市街を少し歩く、はりまや橋など。
コンビニで例によってビール350ml、水、お茶などなどを買い込む。
ついでに本屋で文庫一冊(歴史物ではない・・・宮部みゆきの短編集)
それだけで済ますつもりだったが・・・持ち帰りを頼み易い雰囲気の寿司屋があったので、にぎり一人前(ハマチ、トロ、サケなどを除いてもらって、代わりにサザエを入れてもらった)
少々食いすぎではあるが、バイクに乗るというのも結構体力要るのだぜ。ダラリンコと乗ってりゃどうか知らんが、普通に乗ってれば足腰腹筋背筋と疲れるものだ。
などと己に言い聞かせ寿司を頬張る。
朝用にと買った ゆずジュース を飲んでしまう。
これ美味しかったぞ。高知県だけ(四国の他県もあるかも)なのかどうか、怖いもの見たさで買ったがよかったぜ!
で、文庫読みつつ就寝とはいかず、読んでたら眠らないからして、VHS民放局が三つしかない高知のテレビを観つつ就寝。
民放局なんざ3つあれば充分だってこった。大して代わり映えしないからね。いい番組であれば、3つあるうちの何処かが放送してくれるわけだし、CSやケーブルもあるのだから。
あ、街を歩いていての発見・・・高知の女性は綺麗だぞ。
何処いっても女性が綺麗だ!と騒いでいるように思われるかもしれないが、本当に綺麗な女性がいる街だった。
(本当に何処いってもそう書いているような気がするが)
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8月9日
9時過ぎ起床(しかし休日にすれば早起きなのだ)
ホテルレストランで朝食。自粛して御飯軽く二杯、料理普通。
18時半から中央公園でヨサコイ前夜祭がある。
ホテルチェックアウト後、ZL1000のエンジンをかけてっと・・・
ガラガラガラガラ・・・・昨日はシャーシャーと異音がしていた。これは恐らくカムチェーンだろうと思っていたのだが、張りが緩んできた位と気にしていなかったのだ。
カーボン落とし処理を行ったことで、各部クリアランスが確保されたせいで微妙なズレが出てきているのかな?と思いつつ出発。
今更どうなるものでもないじゃないか。カムチェーンならば走行に左程危険があるわけではない。
ガラガラいうものの、クラッチ破損であればこの程度の音で済むわけもない。ギアチェンジの際の挙動にも変化はない。
とりあえずKawasakiの店を目にしたら、音を聞いてもらえば良い。
この日の予定というか目論見は、雪渓寺、若宮八幡宮、元親墓、桂浜ではなく浦戸城跡などなど高知市内の史跡、後は気分次第で安芸、室戸岬といったところである。
市街を走り、最初に目に付いた標識で桂浜へ向かう。
これならば若宮八幡、雪渓寺=長浜城跡、元親墓、一領具足の碑、浦戸などなどを観て回れる。
最初に若宮八幡宮へ。
桂浜へ向かう道を走れば、槍を手にした元親初陣像が見える。
台座の前は四国地図が置かれている。
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初陣由来記
頃は永禄三年(1560年)五月末、
二十二歳で初陣を迎えた若武者元親は
父国親と共に宿敵本山勢の立てこもる
長浜城攻めに取りかかる。
決戦前夜、若宮八幡宮社頭の
この地に陣をはり、必勝を祈願し、
見事これを打ち破る。
初陣以来二十五年、
ついに四国全土を掌握す。
元親公没後四百年に当り、
文武両道にわたる公の郷土への
偉大なる業績を顕彰し、
歴史に名を残しながら
悲運のうちに倒れた長宗我部一族や、
あまたの武将達の御霊を鎮めると共に
末永く郷土の誇りとして
語り伝えん為、この像を建つ。
平成十一年五月三日
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これは中々いい銅像だぞ。
騎上姿を敢えて選ばず、槍を持たせたのも素晴らしい。
寄付名簿に広末何某氏の名があったような・・・
秀吉の九州征伐先遣隊として、豊後戸次川における島津氏との戦いで元親の長男信親と共に戦死した者の名を刻印した銅板もここにある。
豊臣期を代表する激戦 戸次川の合戦(天正十四年 1586年) でのことである。
讃岐十河存保、土佐長宗我部元親、そして先遣隊指揮者である秀吉の家臣仙石久秀。
全てはこの仙石久秀の愚劣な作戦が因であった。
十河は三好家一族として阿波・讃岐で、仙石は秀吉四国戦に先立つ三好氏援護作戦でそれぞれ長宗我部家に散々な目にあわされている。
敵である島津家は長宗我部家との交誼も盛んであり、何とこの戦の直前にも元親から島津義久へ大船を贈っている仲である。
そうした中々に複雑な感情を織り交ぜつつの戦でもあった。
三好一族として元親に最期まで頑強に抵抗した十河も歴戦の大将であり、元親共々仙石の作戦に反対したのだが、秀吉の権威をかさに仙石は突撃を命じる。
合戦初頭、長宗我部隊は島津隊をかなり押したようである。
薩摩兵の強さはよく知られたことだが、土佐兵もまた同じく強兵で知られている。
しかし敵に策(島津は伏兵をよく使ったのである。釣り野付せと言われるものだ)があることが明白であれば、引くべきであった。
だが仙石の指令はただただ進むのみであった。
果たして伏兵に襲われた四国勢であった。
ここで仙石は真っ先に逃げ出したのである。逃げるといっても、後退して戦機を待つといったどころではなく、友軍たる十河・長宗我部をほったらかして、己が領地である淡路島まで海を越えて遁走したのだ。
残された土佐・讃岐の軍勢は悲惨である。たださえ強兵で鳴る島津の軍勢数倍を相手に十河存保は討死、元親も愛馬内記黒で戦場離脱がやっとという有様であった。(この馬の墓は今も高知市にある)
土佐軍先鋒であった信親は幾度か島津勢を押し返しはしたものの、結局討たれてしまうのだ。
その配下700人全てが信親と共に討死したという。
信親は大柄で、言葉優しく、大力、礼あり、儀あり・・・などなどと、土佐はおろか諸家からも羨望されるほどの跡継であったらしい。
島津家でも信親を荼毘にふし、丁重に元親の元へ送っている。
今でも戸次川には、信親の墓や記念碑があるとのこと。
森鴎外の叙事詩 長宗我部信親 (明治36年刊行)で知っている人もいるかもしれない。
関ヶ原での敗者であり、かつ大阪の陣においても徳川の敵であった長宗我部家だが、信親についてはタブー視されず語り継がれていたということだけでも、この合戦が凄まじいものであったことがうかがえる。
ちなみに仙石権兵衛久秀は指揮指令すべき軍をうっちゃって家まで逃げた廉により、秀吉から領土没収されている。
しかし家康に取り入り後信濃で復帰、更に出石へ転封。かくして現代に出石蕎麦が残るわけである。
高知市中心部から桂浜へかけては、長宗我部氏関係の史跡が数多くある。
前もって地図を作るか、観光案内所で地図を手に入れるとかすればいいのだが
どうせまた来る!今回は気侭に行くぜ!
と強がりつつ走り回ったのだ。
で、秦神社、元親墓所、一領具足の碑などは・・・写真がなーい!
元親の墓所はバス停の名前が元親公史跡前だったり、元親が御神体の秦神社、一領具足の碑は海沿いの幹線沿いにごく自然に存していたりと・・・写真を撮りたかったが・・・。
何せバラバラな回り方をしたのだよな・・・若宮八幡宮〜雪渓寺(長浜神社=長浜城址と隣合っている)〜浦戸城址までは電池あったのだ。
コンビニで買おうと思ったのだが、その時は
俺は絶対にまたここへ来るのだ。だから脳裏に焼き付けておけばいいのだ!
などと独り無意味に興奮状態だったのだ。
雪渓寺。
ここは長宗我部信親の墓がある。
そして寄り添うように戸次川の合戦で戦死した者達の墓もある。
八十八ヵ所巡礼寺であって観光バスもやってくる、訪れた際は擦れ違いで助かったが・・・
信親の墓は寺の右奥にあるのだがわかりづらい。長浜神社の敷地からの方が見易いくらいだ。
これでは話にならぬと雪渓寺の事務所へ入る。
お婆さんが受付に座っていたので、聞いてみる。
長宗我部信親の墓に参りたいのだが、どうやって行けばいいのですか?
今、工事中だけど、そこの廊下の下を潜って行っていただいて構いません。
建物が工事中なのだ。ロープまで張ってある。
これは聞かなきゃ裏手の墓場からフェンス越に見るだけになってしまう。
お婆さん話し続ける。
九州の戸次川で信親公と一緒に亡くなった方のお墓もあるんやけどー、あなたさんのお名前は?
この時奥から男性の事務員?も出て来てにこやかに頭を下げ答えを待つ。
はあ、はあ、●●さん・・・いらっしゃいますよ。信親公と一緒に亡くなっておられます。●●▼十郎さんやね。
うちは丹波に多く親戚がいる。土佐云々を話していた年寄りもいたらしいが、大方の意見では関係ないとのこと。つまりごく普通の現代日本の家だ。
お婆さんには、はぁ なるほど とだけ答えておく(そんなもん、秀吉方だったなどと言えば、怒られることはないにせよ、そういえる雰囲気ではなかったぞ)
お婆さん、いきなり元気になり、語りだす
月に5,6人はあなたのように、信親公と戦死者のお墓を訪ねてこられる方がいるんです。
先日も山口の水族館の館長さんが来られて・・・
やはり盛親公の御代でご子孫の方々も全国色々なところへ散ってしまわれておるので、もうわからなくなっている方が殆どでしょう。
こうして・・・単車で来られたのですか・・・此処においでになったのもきっとご縁でしょうから、是非参ってあげてください。
お言葉通り工事中区画をくぐり奥へ。
お遍路の老夫婦が、不謹慎な!といった顔で見ておった。おまけに婦人などは 通っちゃ駄目だからああしてあるのにね などと言っておる。
俺はちゃんと了解を得、教えてもらった通りに行っておるだけだ。お遍路してるだけで人間が出来てきたとでも思っておるのかね?このクソババアめっ!と己も人間が出来ていないことを感じつつ進む。

右:信親墓所、左:戸次川合戦の戦死者墓碑
ちゃんと花も供えられていた。合掌〜
ガラス越しに事務所の中へ会釈して寺を出る。
次に浦戸城跡へ向かう。
坂本竜馬記念館があるのだ。桂浜だ。
いやあ、本当に坂本竜馬嫌いじゃないのだ。
でもな、昨今の自治体の低脳さ丸出しのオバカな地名付けと同列に感じてしまう 高知竜馬空港 なんてものが出来た日には、益々目を潤ませて
「りょうまあああああ」などと喜ぶ馬鹿も増えようというものではないか。
浦戸山近辺に来るとわざわざ鞄からパンフレットを出し、がに股でニコニコと歩いている輩を幾人か目にする。
ぼ、ぼかぁ、今、考えています。竜馬がもし殺されずにいたとしたら・・・
ぼかぁ、今、桂浜にいます。人という字はぁ・・・
いかんいかん、何やらどいつもこいつも30年前のフォークシンガーもどきに見えてきたぞ。
ったく、記念館の駐車場に停めるのさえ嫌になってきたと思い、途中の国民宿舎に停める。
だが歩いて降りてくる輩で挨拶してくるのまでいる。
こいつらは何を考えているのだ?勿論無視する。
本当は竜馬記念館行きたかったんだがな・・・
大袈裟な!と思われるであろうが、本当にいたんだぜ。
りょぉぉまぁぁぁぁっ!などと叫びだしそうなアホ面した輩がさ。
なんだかどいつもこいつも武田鉄也に見えてきてしまって、今回は断念じゃ。
竜馬記念館・・・こいつがなければ浦戸城跡からの眺めもより素晴らしいものになったのに・・・
もう少し場所を何とかできなかったのか・・・竜馬だって長宗我部遺臣の子孫じゃないか、こんなこと望んでおらんぞ!
この左手にはホテルもある。ここは眺めも素晴らしいだろうし、そのうち泊まってみたいものだと思った。
で、竜馬記念館の駐車場に背を向ければ↓である。

暑い日だった。
蝉音が喧しい石段を一人昇り出す。
時折蜘蛛の巣が身体にまとわりつくのが、腹立たしくも哀しい。
浦戸城に長宗我部家が居を置いたのは15年に満たない。
しかし関ヶ原の後、長宗我部遺臣、一領具足らが此処浦戸城に篭城し、徳川の軍勢を迎え撃とうとまでしたところなのだ。
ここから海沿いに少しいったところには、一領具足の碑だってある。
だからこその竜馬縁の地と言えなくもないのだが・・・(坂本家は明智光秀一族、明智左馬助の子孫が元親の妻が重臣斉藤利三の縁者という縁から土佐へ逃れ、長宗我部氏に仕えたという)
あー別段幕末嫌いだとか興味がないなんてことはないんだがね。もう一つついでに言えば、司馬史観なるものにも何ら異義唱える気もない。
確かに幾つか、いかにもやっつけ仕事です!といった感が否めないものもないではないが、あの人の書く物語というのはすごく力があると思っている。
いずれにせよ、かつての城山のうち天守部分のみ(まあ、他もないわけではないが)残存というのは、物悲しいものである。
それでも浦戸城跡保存会といったようなものがあるようだ。
仮にも長宗我部氏最後の城なのだ。

天守跡及び城山沿いの道路から
もう少し木々の整備などをすれば、訪れる人も増え、土佐の歴史紹介といった一面でも大いに役立つと思うのだが・・・木が邪魔で海が見えなかった。
本末転倒ではあるかもしれないが、折角坂本竜馬記念館があるのだ。
そこに来る観光客にも足を向けてみようかと思わせるような工夫がされて然るべきだぞ!高知県&高知市!
天守跡にある高知市教育委員会の案内板によると、
天守部は詰の段より7m高く、東西11m、南北15mといびつな台形をしており、斜面には石垣の名残と思われる石が露出しているらしい(行って確認しようと思わない程整備されていない)
五間四方、三層の天守閣が築かれていたそうである。
織豊時代の城といえば、実際には天守閣のある城など稀な存在であって、まして山城となれば珍しいものである。
さあ、今日は黒潮ラインで室戸まで行ってみるか!
そう思い、沿岸道路を走り出す。
が、エンジンからの異音が激しさを増してきた。
大方カムチェーン周りだと見当こそ付いてはいたが、断言できない。
Motowinsの店長の携帯へかけ、考え得る事態について教えてもらう。
曰く
エンジンの回りも良いとのことですし、前日からの音が変化して大きくなったということも考えて、多分カムチェーン・テンショナーだと思います。
ただ万が一のこともあるので、バイク屋で見てもらった方がいいです。
高知市内に戻り、kawasaki取り扱い店を探す。
ない ない ない
岡豊傍、つまり南国辺りまで走ってみたがない。
HONDA、HONDA、SUZUKI、YAMAHA
kawasakiがないではないか!
結局店長が3件程リストアップしてくれた。
結局、城山(じょうやま)の方まで行く。
結果カムチェーンですねえ、いきなり切れたりすることはないと思うので、このままツーリング続けられるしかないですね。
とのこと。
このお店を探すのに、実は結構時間がかかった。
というか、高知市内走っているわけだな。つまり其処此処に、あ!この地名は知っているぞ!おぉ!ここは来たかった処だ!などとしておったわけである。
途中、しなとらラーメンという高知のチェーン店で昼食(縮れ細麺の醤油ラーメン・・・これは悪くなかったが、セットで頼んだ炒飯が激不味だった。あれは手抜きだ)
城山、つまり中村街道R56沿いのバイク屋を出たのが3時過ぎ(カムチェーン以外にも細かく見てくれて、親切な対応だった・・・ツナギがYAMAHAだったが)
今宵の宿は、ワシントンホテルプラザ。
ヨサコイ前夜祭が行われる中央公園からは歩いても2,3分の処だ。
そもそもヨサコイ観たさに一泊延ばしたのだ。
何だかんだで疲れてしまった。やはり道は迷うよりも、気侭に知らない道を楽しむというのが一番だ。
今から室戸に行けば、前夜祭開催時刻である18時半には帰ってこれてもギリギリといったところだろう。
どうせなら安芸、室戸、阿波海部とゆっくり周りたい。
今回のツーリングで土佐に益々惹かれたことでもあるし、いずれまたやって来るのだから。
ホテルでシャワーでも浴びてさっぱりした体で、ヨサコイを観に行こうと決める。
ホテルは高知市中心部の道路沿いにあり、賑やかなところである。
外観も綺麗な大きなホテルだった。
今日は炎天下の下、市内をあちこちと走ったせいもあり、かなり汗をかいている。
少し躊躇しつつも、舗道にバイクを止めフロントへ。
げ!受付、可愛い女性が3人もいるではないか・・・などと思いつつ、本人はさり気ないつもり、実は他人からは何やら必死に見えるであろう所作で、ヘルメットで潰れた髪を直す。
予約確認を済ませ、部屋の鍵を受け取る前に駐輪について尋ねる。
このホテルは市街地中心部(すぐ裏手が帯屋町のアーケード商店街がある・・・広末涼子の出身地らしい)にあるので覚悟していたが、やはり駐車・駐輪は契約駐車場になるようだ。
話をしてくれた可愛らしい女性に、単車であるのでできれば雨が凌げると有難い旨を話すと、駐車場に電話し確認してくれる。
場所は歩いて5分かからない処。荷物を預かってもらう。
礼を言ってフロントを出、バイクに跨ったところで、くだんの女性が外まで出て見送ってくれる。
お気をつけていってらっしゃいませ
い、いやあ、何だか照れたぞ。小首をかしげ微笑まれてしまったわい。ううむ、いい女だ!高知はいい女のいる街だ!
独りヘルメットの中で激しく肯きつつ駐車場へ。
駐車場へ行くと、既にホテルから連絡が入っていたからか、係員が誘導してくれる。
ヘルメットと手袋を手にブラブラとホテルへ。飲食店も多く、賑やかな界隈だ。
ヨサコイの装いをした人もちらほら見かける。
ううむ、とうとうやって来たわい。数年前札幌の友人から、ヨサコイソーランを観に来てくれ!と熱心に薦められたことがあるが、ついに本家本元に来たぜ。
ホテルへ戻ると、さっきの女性がおらんではないか。少々ムスッとしつつも、荷物を受け取り部屋へ。
例によって、ウェア類をハンガーにかけ即風呂へ。
泡風呂にしてゆっくり浸かる。
髭を剃り、さっぱりである(ちなみにこのホテル、剃刀、歯ブラシは部屋にない・・・とはいっても、値段7000円足らずよりはずっと満足感はあるし、フロントの美麗さ、大きさも大変宜しい)
商店街へ。
サンダルを買いたかったのだ。
誰が重たいライディングシューズで祭見物など出来るものか。
何故かどの店も売り切れ・・・商店街の中にあるダイエーへ・・・ここでサンダル購入。
この日は夕から前夜祭。
高知の街も、この時期は言い様のない雰囲気になるとのことだ。
もっとも商店街をフラフラした印象では、自分も含めた他府県からの観光客もかなりいた。
しかし前夜祭以降の本番では本当に街中が沸きたつようになるとのこと。
午前中幡多地方に大雨注意報が出ていたが、東へ前線が流れてきたように思える。
吸い込む空気までねっとりとした感じがする。
湿度が高く、気温も高いとなれば不快になるしかないものだが、夏の夕に限れば、祭前ともなればそれもまたいいもんだぜ!
夏じゃ、夏じゃ、俺の好きな夏じゃ と一人どこか顔を緩めつつ、中央公園辺りも行ってみる。
当然ステージ会場は完成している。周りには祭衣装を着込んだ人も多くいる。
屋台も既に繁盛中。
中央公園辺りで、霧雨ともいえない程の雨が少し降った。
いいじゃないか、いいじゃないか、益々空気が濃密になってきたじゃないか。確かにじっとしているだけで、首筋に、脇にとじんわりと汗を感じる程だが、夏の夜祭って感じだぞ。
公園を出、ホテルへ向かうと更に人が増している。
ホテル裏にあるコンビニ(高知でコンビニといえば如月だ)で夜食、飲物等買い込みホテルへ。
前日サンルートで手に入れていた祭のパンフレットを見つつ、既に6時前。
夕飯はホテル一階のレストランにする。
ガラス越しに通りの賑わいが見える。
土佐和牛ヒレステーキをご飯と味噌汁の和風セットで(いや、ホント肉ばっか食ってるな)
ここは従業員の対応がキチンとしていて、値段以上の快適さがあったぞ。
チーフ格らしき青年が親切でよろしい。
例の如く肉を半分近く残した状態で御飯平らげてしまう。
周りのテーブルは着飾った中年女性の観光グループらしきものなどが多く、ウェイトレスもそちらへかかっている。
傍に来るかしたらおかわりを頼もうと思っていると、こちらが遠慮を感じず済むような声量で声がかかる。
「お客様、御飯のおかわりお持ち致しましょうか?」
うむうむ、気取るだけでなくちゃんと客のことを考えて仕事しておるではないかと思いつつ、茶碗を渡す。
新たな茶碗に程よく盛って出されてきた。
たまに体裁の良い店でも、御飯のお代わりなどを頼むと、誰がこんなに詰め込めと言ったんだ!ええ!と言いたくなるような処もあるものだが(これは高い安い関係なくな)、ちゃんと盛られていて安心する。
大体詰め込んだりしたら米が潰れるだろうが!潰れた米なんぞ食いたくはない!こいつは家でもこんな風に育ったのか?
などなどと突き進めていくと、アータソウイウコトカイチャダメナンジャナイノてな方向へも進みかねないのでやめておくが・・・
要するにここのレストランは値段も高過ぎるわけでもないけれど、接客が細かいところまで快適で、安心して過ごせたぜってことだ。
肉も旨かった。やれ霜降りだなんだと巷のグルメ番組は五月蝿いが、個人的にヒレ周りが一番好きなのだ。
ったく口の中でとろけそうなら何でもいいのか!?キサマらは!などと滅多にみないテレビだけれど、みれば癇に障るグルメ番組の阿呆面を思い出しつつ食後の一服。
会計を済ませ、明日の朝食について聞きつつも、ヨサコイ前夜祭についても教えてもらう。
やはり客商売としてキチンとしているところは気持ちよい。
またここで食べようかなと思う。
世に多くある応対が今ひとつの接客業ってのは、結局自分が客で行ってもぼーっとしておるのだろうな。
別段特別なことでもないと思うのだが、飲食店に限らずダメダメな店は何時の世もある。
夕飯の後、そのまま外へ出る。
前夜祭はもうすぐ。
ステージ前に座れる場所があるものの、殆どは立ち見となる。
テレビ局のアナウンサー男女が司会でいよいよ開催。
これでもかなり前の方のつもりだったんだがな。
何せ人、人、人。御柱祭は何だかんだいってもスペースが広かったので、それほど窮屈さは感じずに済んだのだったが、今回は凄かった。
観光客、地元の人、もーう暑くてかなわん!という位だった。
ヨサコイ演舞そのものは、昨今の踊り系祭でみかけるような妙に芸術ぶった物もあったりした。
そうした趣向は趣向で良いのだけれど、陳腐としか言い様のない説明台詞まで喋られた日には興醒めするしかない。
NTTドコモ四国高知、AU KDDI高知などは楽しさを前面に出していてよかった。
日韓合同学生チームもよかったぞ。
しかし一番楽しかったのは、地元町内のもの。
帯屋町 と ゑびすしばてん連 が気に入った。
20時頃まで頑張って観ていたのだが、何せ人の多さと暑さに草臥れてしまい、一旦離脱。
屋台で焼ソバを買食いしたりして、休憩。
踊りの終わった若い女の子二人が、互いを携帯電話のカメラで撮り合っている。
片手に鳴る子を持っているのが可愛らしかった!
二人を撮らせてもらおうか思ったが、携帯で撮るってのも何だかなあと悩んだ末やめる。
この夜の暑さは格別であって、もうシャツから髪の毛からぐっしょりという有様。団扇をもらい損ねた身には、周りの人が仰ぐ団扇の風を期待するような状態だった。
それでも時折頭の上を流れていく風が気持ちよく、そんな時は皆が一瞬ステージから目を離し空を見上げて涼を感じるといったこともあった。
昨今は全国に拡がって、ヨサコイヨサコイ彼方此方でやっておるわけであるが、街の盛上がりはやはり本家高知でしょう!と地元の人が言っていたのがわかる。
↑の写真は鳥取県から参加したチーム。
カメラを掲げていると、後ろにいた祭衣装を着た地元らしき女の子が
こんなん撮らんでええちゅうに
思わず振り返り
君が踊っとったんも撮ったぞ
口から出任せを言う。
生意気ぶった顔をしていたのが、顔を赤く染めて頭を下げるのを観つつも
すまん!ホントは撮っとらんのだ!と心の中で謝る。
ううむ、あそこで正直に撮り損ねたと言って、鳴子をかざした格好の写真を撮らせてくれ と言えばよかったかもな。
本当を言うとあまりこうした際、カメラを振り回すのは嫌なのだ。
あるだろう?
デジタルビデオを恥ずかし気もなく高く掲げ、後ろの年寄りや子供が見えなくて難渋しているような図が。
時に周りの人間に平気で腕をぶつけたりするような輩がさ・・・
まあ、本当のところを白状すると、窮屈さと面倒臭さで撮らなかっただけなんだがな。
いかにもお義理で撮りましたって写真はその為だああああ!うはははははは!
これまで一番思い出にある祭といえば、阿波踊りなんだが、その時だって一枚も写真など撮っていない。
そりゃあるに越したことはないのだろうけど、別段そんなものなくても記憶だけでも充分なのだぜってこった(すんごい苦しい言い訳に聞こえるかも知れぬが真実だ)
阿波踊りの最終日も往来の雰囲気が何とも言えないものだった。
見物客も歩きながら、時に河原で涼をとったりとしながら楽しめるしな・・・
こういう祭の時ってのは、少しその輪から外れてそぞろ歩きするというのも又いいものだ。
熱かったけれど、それ以上に暑かった!
ホテルへ戻る際には、シャツはおろかパンツまで汗だくだった。
買い置きした飲物だけでは足りぬとばかりに、再度ホテル裏の如月で買物。
おかえりなさいませ と鍵を受け取り部屋へ。
ぐったりしてしまった。
本当なら身体を休める程度に河原歩きなどしてみたかったのだが、立ち放しは辛かった。
シャワーを浴びて、冷房を最強に効かせつつベッドに大の字。
明後日からはハードな仕事が待っていることを考え、明日は真っ直ぐに帰宅しなくてはと思う。
冷房を緩めに直し、就寝時間はかなり遅かったのではないか、唄って踊ってキャラバンバンを観つつ就寝。
キャラバンバンってのは高知地元放送局ののど自慢番組だ。生放送で毎日行われている。
日々チャンピオンが生まれ、ある程度の期間でグランドチャンピオンを決めるといったものだ。
生放送と深夜の再放送と日に二度観れる。
高知に行く時は、キャラバンバンとコンビニ如月を覚えておけばよろしい(ウソ)
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8月10日
9時半過ぎに起床。
朝食を摂っている間がなくなってしまった。
荷物整理を慌てて行い、チェックアウト。無論、駐車場へは歩いていかねばならない為、荷物はフロントに預ける。
バイクで再度ホテルへ戻り、荷物をセットアップして出立(前日の女性従業員はいなかった)、10時。
真っ直ぐに高知自動車道高知ICへ。
時間を考え瀬戸大橋を渡るルートに決める。
だが池田町(白地城跡付近)へと続く徳島道との分岐で、激しく迷うも讃岐を進む。
途中PAがあったものの、ここのうどんが不味いのは以前仕事で通った際にわかっておったからして素通り。
瀬戸大橋へ
淡路大橋よりこちらの方が昼間の景色はいいのではなかろうか。
明石淡路は夜景がいい。
好天。
いい景色を時にシールドを上げながら走る。
与島PAにて休憩。
家族連れに話しかけられる。
ツーリングですか?どちらから?お気をつけて
元ライダーであろうか、我がZLを眩しそうに眺めておられた(雨降りにあって汚かったのだが)
朝飯を摂っていないが構うものか!と走り出す。
山陽道へ出、東へ東へ。出張でも幾度も走った道だ。
帰りたいような、もう一度土佐へ引き返したいような気持ちで走る。
播州を抜け神戸へ
やはり帰りたいぞ、帰りたいぞ、帰りたいぞ、帰りたいぞと頭に訳のわからん電線巻きつけた修行者の如く、帰りたい症候群となる。
山陽道〜中国道〜若狭舞鶴道は取締り機の場所もインプットされている。
イカンイカン、ダメヨダメヨと思いつつ「快走」する。
西紀のPAで給油するも、飯を食わず出発。
気が付けば某丹後国某市西IC通過、2時なり。
何故かつい先だって、公安委員会などという人に
免許証の写真、いい男っぷりですね。ちょっと見せてくださいよ〜
などと言われて、一ヶ月返ってこなかった免許証なのであるが、気が付けばホテルを出てから4時間しか経っていなかった。
いつもの定食屋へ。
今度はどこに行ってられました?高知?はあ!一度ヨサコイ行きたいんですよ
などと会話しつつ、エビフライ定食。
家に帰る前にMotowinsへ行き、無事帰還挨拶及びこのカムチェーンはどないなっとるんじゃっ!と会話し、応急処置をしてもらう。
何だかんだと話しつつ、4時過ぎ帰宅。
給油しようと思いつつ、これまたいつも行くスタンドを素通り。
疲れた!
けれど楽しかったぜ!土佐の国★
まだまだ観てまわりたいところもたっぷりあるし、必ずやまた行かんと心に誓う。
ヨサコイも本祭を是非観たい!
長く望んでいた岡豊城跡にも行けた。
元親の銅像も見れた。
四国山脈もほんの少しではあるけれど走れた。
中村、太平洋沿いの気分良いことこの上なしといった道も走れた。
そしてヨサコイも少しだけ観れた。
また行かねばならぬ。
必ずや行かねばならぬ。
誰が何と言おうと行かねばならぬ。
ずぇぇぇぇぇったいにもう一度と言わず、何度でも行っちゃるきのぉ
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今回のツーリングでは初めてバイク用レーダー探知機(ユピテル)を使った。
ポケットに入れて使うことも出来るものだが、ウエストバッグですら嫌いな程であるからして、左グリップチョークスイッチ辺に冶具にて固定。
ヘルメットに入れた小さなスピーカーから延びるコードは、ウェアの袖中を通して探知機と接続した。
最初のうちは腕を動かす度にジャックが抜けたりと不自由したが、袖口から70cm程コードを出すことで不都合なく走れた。
バイクを降りる際に、ジャックを抜くのが面倒ではあるが(探知機とヘルメット側と)、機能的には過不足なくいいものであった。
初日のところでも書いたが、今回初めてツーリング使用したクシタニのレザージーンズは大変よろしかった。
メッシュ地の物もあるようだが、こうした暑い最中の走りではむしろ普通の生地の物を買ったことに満足した。
やはりエンジンからの熱気が遮られるだけで、かなり快適さがある。
メッシュ地だとむしろエンジン熱をまともに感じるのではなかろうか。
欠点と言えば、着座位置の変更が少々難渋する事位か・・・これは個人で好みもあるだろう。
総走行距離は・・・1200mile前後、2000km前後といったところではないか(燃費計算はするのだが、出発前の距離をチェックしたりしないので)
4泊5日にすれば決して多くはないのかもしれないが、山間部から市街地まで結構細かく動いたりもしたので距離が伸びたのかもしれない。
毎度毎度の事ながら、少しはスケジュール調べるかな・・・?実は南国市で8.7祭があったのだ。
南国まほろば祭、調べてみると中々に情緒ありそうな祭だ。
まあ、スケジュールっても何処で何時どんな祭があるかってこと程度で充分なんだが。
本当にいつものことだけど、次はちゃんと事前リサーチするぜっ!(と、今は思ってる)
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子供の落書じみているが、大体こんなルート
こうしてみると大して走ってないように見えるものだ
(著作権フリーの地図探してたらこんなのしかなかった)
本当に楽しいツーリングだったぜ!