スペイン日記D

<戦争にノーを!>

「みんなは戦争について、どう思う?」

 語学学校で文法の授業の時間に、フアン先生が生徒たちに問いかけた。彼の言う「戦争」について説明はないが、アメリカがイラクを攻撃しようとしている戦争についてのことなのは明らかだ。

「もちろん反対です」「アメリカはおかしい」

 生徒から口々に、戦争反対の意見が出された。ただし、ここは語学学校である。発言はすべてスペイン語。そして今は、「接続法」という文法を学んでいるところである。「私はブッシュが間違っていると考えています」と表現する時は「直説法」と呼ばれる普通の表現でOKなのだが、「私はブッシュが間違っているだろうと考えています」と言いたい時、従属節の動詞は「接続法」の活用をとらねばならない。英語にはない、その動詞の変化がまたややこしいのだ。発言のたびに、フアンに動詞の正しい活用を指摘されながら、それでも生徒たちは口々に発言を続ける。スイス人女子学生のリサはアメリカ人女子学生のジェニファ−にといじわるく聞いた。

「アメリカ人はみんな、戦争が好きじゃないの?」

「南部ではそうかもしれない。でも人によるわ」と彼女は反論した。このクラスには、ブッシュに賛成する意見の持ち主はいないようだ。フアンは質問を続けた。

「どうすれば戦争を止められるだろうか?」

「各国の政府に訴える」「デモで表現する」

 ぼくも討論に加わり、過去の戦争の歴史をきちんと理解すること、そして今の職場などで戦争反対の意思表示をすることが大切だと思うと述べた。

 それにしても、授業中に政治的な問題を討論することは、日本ではあまり考えられない。では今回は特別なのだろうか。たぶん特別なのだと、ぼくは思う。教師のフアンが特に左翼思想の持ち主というわけではない。フアンだけでなく、アメリカが始めようとしている戦争に対する関心が、一般の人々の間でとみに高まっている。

 テレビのニュ−ス番組を見ると連日、戦争関連のニュースに多くの時間をさいている。例えば今月12日には、セビリアで最も格式のある劇場のテアトロ・セントラルに、著名なフラメンコの歌手や踊り手たち、あるいは画家などの芸術家が集まって、対イラン戦争反対の集会が開かれた。アンダルシアはフラメンコ発祥の地であり、彼らの発言は一般の人々に対する強いメッセージとなる。

事務の職場や工場、あるいは大学で、人々が戦争反対のステッカ−を胸につけている。ぼくの通う語学学校でも、もちろんそうだ。スペインの児童生徒が通う一般の学校でも、戦争反対の意思表示がなされている。小学校でも子どもたちが参加して戦争反対の集会が開かれる。ニュースで記者のインタビューに対し、小学生たちが口々に「たくさんの人たちが死ぬから戦争はだめだ」と答えていたのが印象的だった。しかもある日のニュースでは小学校にとどまらず、幼稚園でも戦争反対のうねりが広まっていることを伝えていた。幼稚園児たちが「NO a la GUERRA(戦争にNOを!)」の文句を画用紙に書いていた。それを先生たちが園内に掲示するのだ。日本だったら、「子どもたちを政治に巻き込んではならない」という理由で、こうした授業を先導した教師たちは処分の対象になるかもしれない。しかしスペインでは、そのような動きはまったくない。さらに言えばスペインでは、子どもたちも感じざるを得ないほど、戦争に対する危機感が高まっているのである。

2月15日の土曜日は、今回の戦争の動きに対して世界中で統一して抗議のデモが行われる日である。スペインでは前日に主要全国紙の一面を使って、人々にデモへの参加を呼びかける宣伝が出された。

「この戦争を私たちは止めることができる」

「NO a la GUERRA(ノー・ア・ラ・ゲラ)」

 戦争にNOを訴える大きな文字が紙面に躍る。アスナールを首班とする民衆党政権はイギリスと同様、アメリカ支持の方針を打ち出している。このため今回の抗議デモは野党による反政府デモの色彩も帯びている。デモの新聞広告も、前政権を執っていた社会労働党や左翼連合といった主要野党はもちろん、小さな政党も名前を連ねていて、戦争反対の一点で大同団結したわけだ。

デモ当日のセビリアは快晴だった。午後1時にデモ隊は、市役所前のヌエバ広場を出発する予定である。アンダルシア州の州都セビリアは人口70万人あまり。スペイン第4の大都市だ。少なくとも数百人は集まるだろうと思いながら、ぼくはヌエバ広場を目指した。ところが広場に近づくにつれ、大きな歓声が響いてくる。ようやくたどり着いた広場は、身動きもできないほどの人だかりだ。周辺の道路も入れたら、すごい人数だ。一般のおじさん、おばさんたち、ネクタイを締めた紳士、学生、小さな子どもの手をひいた親子連れ。鼻や口にピアスをした若者たち。とにかくありとあらゆる人たちが集まっている。みんな胸に「NO a la GUERRA」のステッカ−を貼っている。いろんな政党が作ったり、労働組合が作ったりして配ったものだ。ぼくもデモの群衆の中をうろうろするうちに、何種類ものステッカーを手渡された。人々は政党名の異なったステッカーを何種類もジャンパーに貼り付けている。ぼくもスペイン人にならって、そのステッカーを全部ジャンパーにぺたぺたと貼った。それにしても大混雑だ。日本の場合で例えれば、神戸で年末に行われるルミナリエと、正月の年始客で賑わう京都の八坂神社の混雑をあわせたような人混みである。人混みがどこまで続いているのか、見当もつかない。

予定の出発時間から30分ほども遅れて、ようやくデモ隊が動き出した。人々は手に手に、手作りのプラカ−ドや横断幕を持っている。そこには様々なメッセ−ジが書かれている。

「この戦争もまたテロリズムだ」「戦争を止めよう」

対米追従のアスナ−ル政権に対する批判も多い。「政府は辞任せよ」、英語で「アスナ−ル・ゴ−・ホ−ム」もあった。アスナール首相がブッシュ大統領のおしりをなめているという、ちょっとえげつない絵も目立っていた。

「ヒロシマを忘れるな」というものもあった。

 デモ隊の中で、ひときわ歓声の目立つ一群がいる。人々の波をかき分けかき分け近寄ってみると、スーパーマーケットの店内で使う、コロのついた大型のカ−トを何台もつなぎあわせて大きな戦車を作り、その上に女子学生が乗っている。彼女は「ノ−・ア・ラ・ゲラ」の掛け声を先導し、それに応えて人々が何度も「ノ−・ア・ラ・ゲラ」と繰り返しているのだ。血のペイントを顔にしている人たちもいる。デモ隊の人々は太鼓をたたいたり、笛を吹いたりして、とてもにぎやかだ。戦争反対というテーマでも、深刻な印象はなく、ビールを片手に陽気にやるのがアンダルシア流だ。

 ヌエバ広場から大教会前を通り、かのカルメンも働いたタバコ工場の建物前あたりまで2キロほど、ふつうに歩けば20分ほどの道のりを、結局3時間あまりかけて行進し、デモは終わった。いつもは観光客で賑わうこの界隈もこの日ばかりはセビリャーノ、セビリャーナス(セビリアっ子)に占領され、観光客を乗せる馬車のおじさんたちも商売あがったりの一日だった。

 その日の夜のテレビニュースを見ると、マドリッドでは目抜き通りのグランビアが人の波で埋まり、上空から撮影した映像では蟻の群れが街中を埋め尽くしたかのようだった。翌日の新聞によれば、セルビアでのデモ参加者は、治安を担当する国家警察発表で10万人、主催者と地方警察発表で25万人という。さらにスペインの他の主要都市では主催者発表でマドリッドで100万人、バルセロナでは130万人に上ったという。同じ新聞で外国と比較すると、ロンドンの100万人に匹敵し、ベルリンの50万人、パリの25万人と比べてスペイン国民の反戦意識はきわめて高いと言える。アメリカに直接ものを言うことはできないけれど、しかし黙ってはいられないスペインの人々の気持ちは明確に示された。しかもおとなたちばかりでなく、本当にたくさんの子どもたちがデモに参加していた。むずかしいことはまだわからなくとも、社会の問題を肌身に感じ、それをどう表現すればよいか、身体で理解していくことだろう。ひるがえって、日本ではどうだろうか。ちなみにスペインの新聞で伝えられた東京でのデモ参加者は2万5000人、セビリアの十分の一の規模である。

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