スペイン日記B

<語学学校>

 

「私はportar(ポルタール)が好きですか?」

スイス人の女子大学生ジェイミーがスペイン語で質問する。これに対して、他の生徒たちがいっせいに答える。

「Si(シー)」

 Siとは、スペイン語で「はい」という意味である。

「毎日することですか?」

生徒たちの間からは、くすくすと笑い声がもれる。ある生徒は「Si」と答え、ある生徒は「No」と答えがわかれる。

「どこでやりますか?」

 これに対して、フアン先生から注意が入る。

「SiかNoで答えられる質問しかできません」

「私はみんなとしますか?」

「Si」と答えたアメリカ人の若い女子大学生は、おかしそうにおなかをかかえた。

 これは、ぼくが受講しているスペイン語教室での文法の時間のひとこまだ。大阪の語学学校の紹介で今、セビリアにあるCLIC(クリック)という語学学校に通っている。授業時間は午前9時から午後1時まで。前半が文法のクラスで、後半が会話クラスとなっている。1クラスの生徒は5、6人から10人ほど。国籍も年齢も様々だが、西欧の人が8割くらいを占めている。

 話を冒頭のやりとりに戻そう。これは、「portar」という言葉当てのゲームなのだ。しかし、「portar」という単語は聞いたことがない。ちなみに、「…ar」という単語は、スペイン語では動詞に多い。例えば「話す」は「hablar」、「交換する」は「cambiar」というように、動詞が様々に変化する前の基本的な形である。ぼくは先生に「それはどんな意味ですか?」と問いかけた。彼は笑いながら答えた。「意味はないんだよ」と。色々な動詞を、ひとまず「portar」という言葉に置き換えるのだ。

 ゲームのやり方は簡単だ。まず、ひとりの生徒に席をはずしてもらい、その間に他の生徒たちがひとつの単語を決める。部屋に戻ってきた生徒が、冒頭のように質問をする。色々と知恵を絞りながら、言葉を絞り込んで、その単語をあてるというゲ−ムである。正解はひとつの単語だが、それを探り当てるために様々な言葉が必要となってくる。同時に、難しい単語を知らない生徒でも、簡単な単語を様々に駆使することで、なんとか意志を通じさせることができる。様々な質問を繰り返すことで、自然と自分の考えをまわりに伝える訓練になっているのだ。言うまでもないが、授業はすべてスペイン語である。英語など外国語による翻訳や解説はほとんど入らない。ところで冒頭の「portar」の場合は「besar」、「キスをする」という単語だった。ぼくがあてる番の単語は「limpiar」、「きれいにする」という言葉で、4回の質問で見事にあてることができた。

 別の日には、ゼスチャーゲームもした。スペイン語の単語が書かれたカ−ドを生徒に配る。生徒はそれをゼスチャ−で表現し、他の生徒にあてさせるのだ。このように、授業の最初に、生徒たちをクラスに引き込むための遊びの要素を伴った時間がある。

 日本で外国語を習うとき、テキストの文章を予習し、学校ではその意味を確認するという作業の繰り返しが多い。しかし今、通っているスペイン語学校では、そういうやりかたは、初歩のクラスでもとらないようだ。文法の時間であっても、習った文法をどのように日常生活で使うかに重点を置いている。このため教材も、工夫している。たとえば街にあふれている公告を読みといたりする。あるいは新聞の人生相談のコ−ナ−などを読んでみる。それに対する回答を生徒たちが考える。ただし回答は、その日のテ−マ、例えば命令法を使う。説明はすべてスペイン語のため、文法の細かい使い方、たとえば「受け身」、「事情」、「比較」、「未来」、「動機」などがすべてスペイン語で解説される。正しい回答はわかっていても、先生の説明するスペイン語のほうがわからないことが多い。逆に言えば、その説明を正しく理解するなかで、スペイン語の特徴が生徒たちに自然にわかるようにしているのだ。

 スペイン語の学校を受講してみて感じたもうひとつのことは、スイス人やドイツ人など西欧人の生徒たちは、文法の知識は乏しくても、どんどんとスペイン語の会話に参加してくることだ。文法的な知識は、ぼくからみるとかなり劣っていても、それでもどんどんとスペイン語風の単語が飛び出してくる。それで結構、意志の疎通が可能となっているのだ。もちろん先生が生徒の間違った部分を訂正するのだが、それにしても上達のスピードがかなり速い。アルファベットによる言語の共通性に加えて、自分の意見をどんどんと主張させるヨーロッパ流の教育の成果がこんなところにも見られるように思った。

 CLICセビリア校の教師は全部で約30人。スペイン語の習熟の程度によって、8段階のクラスにわかれている。入学する際にはまず、簡単なテストがある。テストといっても難しいものではない。スペイン語を学ぶ動機や、スペインで何をしてみたいかといった質問が記載された用紙にスペイン語で記入し、それをもとにスペイン人の教師が口頭で質問し、スペイン語で答える。そのやりとりの中で学校側が生徒の水準を判断し、どのクラスに入ってもらうか決めるのだ。

 ぼくがCLICの授業で最初に出会った教師がサルバだ。27歳の彼は、アメリカのテレビドラマ、「ER」に出てくるカ−タ−医師に似た端正な顔立ちだが、頭はパ−マがかかってもじゃもじゃ。小柄で陽気なサルバは、典型的なスペイン人という印象だ。彼は大学でマスメディアを専攻し、大学院へ進学して言語学を学んだ。さらに私立の学校で、外国人に対するスペイン語の教授法も学んだという。彼は、外国語をマスタ−するこつは、文法よりコミュニケ−ションだと言う。確かに、スペインの語学学校に通ううちに、そう思うようになった。日本の外国語教育には、何のための語学かという視点が欠けていると感じざるを得ないのである。

 せっかくだから、クラスメートたちを紹介しておこう。40歳代のアメリカ人はシカゴ出身で、コンピュ−タ−のソフトウェア会社を経営したり、海外との為替取引をしたり、3つの仕事をしているという。ドイツ語は仕事上の必要から勉強したが、スペイン語はとりあえずおもしろそうだから勉強することにしたという。20歳代の中国人は、中国でアパ−トなどの不動産の仕事をしているという。仕事をリタイアしたあとの64歳のスゥエ−デン夫婦もいた。20歳代のスゥエ−デン人女性は学校の教師をしているが、留学のためにスペインに来たという。フラメンコを学ぶために来たという日本人女性もいる。その他、大半は現役の大学生である。

<コンセルバトリオ・デ・ムジカ>

「頭でわかっているだけではだめだ。もっと巧みに。もっとなめらかに」

 大柄なスペイン人の先生は、日本人学生の小原望(こはら・のぞむ)さんにそう語るとギターを手にとり、クラシックの課題曲を弾き始めた。確かに先生が弾くと、小原さんとはギターの音色が違う。音の幅が広がり、自然な音楽の渦に引き込まれてゆく。セビリアのコンセルバトリオ・デ・ムジカ、国立高等音楽院の一室で行われているギターの個人教授の様子を見学させてもらった時のことだ。

 セビリアに来て、セビリアっ子お薦めのレストランへ行こうと、人気のあまりない通りを歩くうち、すでに午後9時前になるというのに、ピアノやバイオリン、そしてギターの音がもれてくる古い建物があった。そこが国立高等音楽院だった。石作りの古い町並みからもれ出て、乾いた夜空に響く音色は、いかにもクラシック音楽に似つかわしかった。スペインの音楽教育を垣間見たいと思い立ったぼくは、セビリアで偶然知り合った小原さんに、コンセルバトリオの授業風景を見せてもらったのだ。

 セルビアのコンセルバトリオは教師が80人、生徒は約400人。スペインに限らず、西欧諸国は芸術に様々な面で力を入れている。授業料は年間140ユ−ロ、日本円にしてわずか1万8000円ほどだ。しかしその分、入学試験は厳しい。特にスペインはギターの本場だけに、ギター科は難関のひとつである。

 小原さんはスペイン語も、ギターも独学である。スペインに来て4年。音楽学校に入学するため、一年前にセビリアに移ってきた。複雑な音楽用語をマスタ−する必要があるが、これもほぼ独学したという。小原さんは、大阪府羽曳野市出身の25歳で独身。中国人女性と交際中だが、彼女は香港在住の遠距離恋愛だ。この学校は6年制で、卒業するまでセビリアに滞在するという。

「日本では、学校でギターの勉強はできませんでした。ぼくらがクラシックギターを習うには、日本は費用がかかりすぎるんです」

 小原さんの滞在しているアパートを訪ねてみた。4LDKのかなり広いアパ−トを日本円にして3万円ほどで借りたという。このうち自分が使うのは一部屋だけで、他の部屋を3人に又貸して、家賃にあてている。ひとり住まいの部屋はベッドと机の他には譜面を置く台があるばかりだ。

「将来のことを考えると不安になるので、考えないことにしているんです」

 そう語る小原さんだが、クラシックの他にもジャズギタ−の勉強をはじめたところだという。自分の部屋で自分の好きな曲を弾いてくれたそのギターの音色は、コンセルバトリオの課題曲を引いた時の音色とは違って、柔らかく心地よかった。

長くのばした髪を後で束ね、頬には不精髭。小説は坂口安吾、音楽は坂本龍一が好きだという。彼は小さな時から英才教育を受けたエリートではない。音楽の世界で生きるには、遅すぎるスタートかもしれない。しかし彼は自分の力で未来の扉を開いてきた。スペインの片隅から世界に通じる扉も、確かにあるのだ。

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