スペイン日記@ <国際旅団のモニュメント> 今回の旅のテーマのひとつは、1936年から1939年にかけてスペイン国内で戦われたスペイン市民戦争である。スペイン市民戦争には多数の外国人義勇兵が参戦した。(Guerra Civi=「内戦」を「市民戦争」に誤訳したと言われる。しかしここでは、自立した市民が戦ったという積極的意味を込めて市民戦争と呼ぶことにする。)欧米人が多かったが、スペインに直接の関係を持たないアジア人も参戦した。フランコが勝利し、共和国の敗北に終わった戦争は、第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)、さらにそれ以降のアジア情勢にも少なからぬ影響を及ぼした。日本や中国の今を考える上でも、第二次大戦の前哨戦となったスペイン市民戦争の意味を再評価することは、今日的意義がある。時代の不透明感が増すなか、理想と現実の狭間で格闘した先人の足跡は、現代を生きるわれわれにとっての水先案内ともなるだろう。さらに、戦争とは絶対悪であるが、それでも戦わねばならない戦争とは何か。そんなテーマを探る旅である。 スペインを訪れるにあたり、首都マドリードに国際旅団のモニュメントがあることを知り、そこを訪ねてみることにした。文献によるとフエンカラール(fuencarral)という場所である。マドリードで在スペイン20年近い日本人に訪ねたが、そんな場所は聞いたことがないという。知人のスペイン人に聞いてもらったが、知らないという返事。それでもフエンカラールにそのような場所がないか調べてもらったところ、cementerio municipal de fuencarral(フエンカラ−ルの市立墓地)という所があるという。1月15日、コピーした地図を片手に現地へ向かった。地下鉄でグランビア駅から市北部のチャマルティン駅へ。墓地にはfuencarral駅のほうが近いのだが、タクシ−を拾えるかどうかわからないので、国鉄のタ−ミナル駅でもあるチャマルティン駅で降りた。近代的で大きな駅だ。タクシ−乗り場で乗車して地図を見せた。30歳代前半くらいの運転手さんは、市内には5箇所の墓地があるが、この墓地は行ったことがなく、まして国際旅団のモニュメントなど聞いたことがないという。それでも携帯電話を取り出して仲間に電話し、場所を確認すると出発した。こちらのタクシ−はスピ−ドを出すのが好きなようで、130キロ前後で片側3車線の道路をびゅんびゅんと飛ばす。駅から20分ほど走ると、その一帯はだだっぴろい大地を造成していた。どんどんと大規模なマンションが建設されている。運転手さんは、「ちょっと前はここは田舎で何もなかった」と話した。そんなことを聞いているうちに、午後2時すぎに墓地へと到着した。運転手さんに待っていてもらうよう頼んだが、「昼食がまだ」とか言って、嫌がっているようすだ。それでもモニュメント探しを手伝ってくれる気になったのか、タクシ−を降りて墓地の管理人室をノックしてくれた。しかし誰もいない。スペインではこの頃がちょうど昼食時間なのだ。「広い墓地をひとつづつ探してあるくのは大変だよ」と運転手さんに言われてどうしようかと思案していたところに、ちょうど管理人さんが帰ってきた。運転手さんに聞いてもらうと、場所が判明した。墓地の入り口から100メ−トルほど入ったところにそのモニュメントはあった。上に瓦の屋根がついた、高さ3メ−トルほどの塀の左側に銘板がはめこまれていた。しかし、前に植えられたバラが生い茂って、文字を隠している。ふつうに訪れる人は、気が付かないだろう。 何枚かの銘板がはめこまれたうち、一番大きなタイトルは次のようなものだった。 V0LONTAIRES DES BRIGADES INTERNATIONALESTOMBES EN HEROS スペイン語とは綴りが違う。大意は次のようなものだろう。 「国際旅団の義勇兵 その隣には、次のような銘板があった。 「”IN MEMORIAM” 「”記憶に” その下には、次のよう文が刻まれていた。 「PRIMO GBELLI ユ−ゴスラヴィア人と思われる次の記載もあった。 「BLAGOJEPAROVIC 次も同じブルネテの激戦での死者である。 「KOMESAR XIII さらに、以下の名前が二枚の銘板に分けられて綴られていた。 「AKKERMAN EMIL さらに小さな、次のような銘板も埋め込まれていた。 「CHWALA 3200 解読できないが、ポ−ランド人だろうか。 銘板の刻み込まれた塀には、ダビデの星のマ−クも書かれていた。これら銘板のあたりには、彼らの墓とおぼしきものがなかった。フランコ時代は、共和国派はすべて弾圧された。民主化後にようやく復権したのだろう。 墓地の入り口の方へ歩いて戻る途中、御影石で作られた新しい石碑を見付けた。 「EN MEMORIA 「ヨ−ロッパで自由のために戦ったスペイン人の想い出に 1939−1945」と書かれている。しかし誰が作ったのかは、記載がない。スペインに帰れなくなった共和国兵士に捧げたものだろうか。誰かが花を捧げていた。 その近くに、おもしろい形をしたモニュメントがあった。ソビエトからスペインへと来た兵士たちのメモリアムだ。兵士たち数人が岩の中に向かっているような姿を描いたものだ。つまり正面から見ると、彼らは背を向けている。その意味するところは、何なのだろうか。スペイン内戦後にスタ−リンが内戦に係わった人々を処刑したことなども思い起させる。 <エル・ブジ> エル・ブジとは今、世界で最も注目されているスペインのレストランである。地中海沿岸のバルセロナ北部の片田舎にあるレストランだが、いつも予約で一杯だという評判だ。スペインで聞いてもやはり、今年の予約はすべて埋まっているのだという。だがマドリードに、そのエル・ブジのシェフ、フェラン・アドリアが監修したレストランがあるという。「料理の鉄人」監修のレストランと似たようなものかと思いながらも、せっかくだからと予約した。1月14日夜9時、そのレストラン、ラ・テラサ(la terraza)へ。ゴシック建築の建物がすばらしい。入り口で荷物を預け、昔風の手で扉をあける木造のエレベ−タ−で3階へ。シャンデリアはバラをかたどってある。注文した食事は、すべてのメニューを一通りを味わうことのできるサンプルメニュ−だ。食前酒は上がホットで下がアイスの、なんとも人をびっくりさせるジントニック。食事のメニューはカラメルなどを使った独創的なスナック類から始まった。そのあと、次々と客を驚かせる新しい趣向の料理が登場する。スペインオムレツのメレンゲ風。きしめん風煮凝りタリアッテレのカルボナ−ラソ−ス。イワシをうえに乗せたイタリアトマトとねぎのミルフィーユ風さくさくサンドをバジルソ−スとブラックオリ−ブソ−スで。小イカのイカ墨とシャンピニオンのたまねぎソ−ス添え。鯛ときのこの茎のソテ−。フォアグラのような舌触りのすじ肉。確かにスペイン料理がベースにはなっているものの、すべて独創的なうえに、火加減が絶妙だ。テ−ブルには竹を思わせる飾りがある。日本の懐石料理をも思い起こさせる雰囲気だ。デザートはシャ−ベット、バニラアイス、ココナッツミルクのババロア、バナナのバタ−炒め、カルメラ、クリ−ムチ−ズなど。これでひとり87ユ−ロ(1ユーロは約130円)。料理によくあうカバ(スペインのシャンパン)が20ユ−ロ。日本でこんな店があったら超人気だろう。 |