1943年
デンマークのソーレンセンおじさんが、
一生懸命子ども達のことを思って、公園
をつくった。でもその公園を見に行くと、
子どもではなく大人たちがくつろいでい
た。そこでおじさんは、子どもたちはい
ったいどこで遊んでいるのかと町を探す
と、子どもたちは、廃材置場や爆撃跡の
廃墟など、ちょっと危なっかしいところ
でイキイキ遊んでいた。おじさんは、考
えた。「そうだ、廃材置場のような遊び
場をつくろう!」そして、つくった遊び
場の名は、『エンドラップ廃材遊び場』

1948年
イギリスのアレンおばさんが、その『エンドラップ廃材遊び場』で遊ぶ子どもたちを見て感激した。「なんと目を輝かせて遊んでいることか!」「そうだ、私もこういう遊び場をつくろう!」そして、つくった遊び場が、≪冒険遊び場≫
 それから、ヨーロッパ各地に≪冒険遊び場≫は広がり、日本でもアレンおばさんが書いた「年の遊び場」の本を通じて知られるようになった。

1979年(国際児童年)
世田谷区の大村おじさんとおばさんが、言い出しっぺとなって、地域住民と行政が協力して子どもたちのために、公園の中の≪冒険遊び場≫『羽根木プレーパーク』が誕生したってわけ。

 その後、日本各地にプレーパークづくりが伝わり、遊び場づくりを真剣に考えはじめた。そうした大人たちのコミュニケーションの輪が、地域住民の住みよいまちづくりを考えるエネルギーとなって広がっている。
 そして、ここ板橋区でもプレーパークづくりの動きが、始まっている。
プレーパークはどうやってはじまったの?
 地域住民・プレーリーダー・行政が協力して運営するプレーパークは、子どもたちの成長を願う人々を結ぶコミュニティーです。
 子どもの遊びを見守り、遊び場にまつわるいろいろなことを通して、地域の人々のつながりができてきます。地域住民が、公共の場に主体的にかかわっていくことにより「まちは自分たちのもの」という気持ちが芽生え、自然豊かなまちづくり、人に優しいまちづくりが実現できるのではないでしょうか。
プレーパークはまちづくりの拠点
 これはプレーパークのモットーです。
 子どもが自由に遊びを楽しもうとするとケガをすることや迷惑をかけることもでてきます。けれど、子どもはこのような経験から、危険から身を守ることやいろんな人と折り合うことも、学ぶのではないでしょうか?
 今、子どもが学校や公園等で、ケガをしたり迷惑をかけたとき、大人は当事者責任よりも管理者責任を追及する傾向があり、その結果、子どもの自由な空間をせばめています。
 プレーパークは、「自分の責任で自由に遊ぶ。他人が自由に遊ぶことも大事にする。そこでぶつかったらとことん話し合う。そうやって自分で考え行動し、生きることを学ぶ場として誰でも関わっていける。」そんなところです。
 プレーリーダーは、子どもがイキイキ遊ぶことができる環境のつくり手として、プレーパークでは大切な存在です。
自分の責任で自由に遊ぶ場
子どもがイキイキ遊ぶ場
 遊びは生きることを学ぶ大切なことです。
 子どもは、遊びを通して、自分を知り仲間を知り、お互いに育ち合う関係を築く社会性を身につけると言われています。
 今、子どもたちは、自由に遊ぶことができた路地裏やはらっぱから追い出されています。
 子どもがイキイキと、目を輝かせるような遊び場は、自然があり、ちょっと危険があり、仲間と創造的に遊びを自由に展開していけるそんな空間ではないでしょうか?
 プレーパークは、「木登り・泥んこ遊び・穴掘り・たき火・虫とりができる。仲間と共に生きる(遊ぶ)楽しさや喜びを味わうことができる。」そんなところです。