キャッシング コイバナ/unoさんへ

 風が少し肌寒くなってきて、朝晩は冷え込むこの季節。
 休日の昼前のこの時間、店の中はいつもと違った空気が漂う。

 席を埋めるのはほぼ男性の一人客ばかり。
 布団から出られずに家族と一緒の朝食をとり損ねたのであろう。
 既に食べ終わったモーニングセットのトレイはそのままに、煙草の煙を燻らせつつ、各々の時間をのんびりと過ごしている。
 そこに会話らしい会話はほとんどなく、雑誌や新聞のページを捲る音が店内に流れるBGMに混ざって時々聞こえてくるくらいだ。
 カウンター席の馴染みの客と一言二言ぼそぼそと言葉を交わしながら、マスター自らも珈琲を口に運ぶ。
 それでも絶えることのない水音は、カウンターの中で洗い物をしているアルバイトの立てているものだ。
 夏もとうに終わり、そろそろ結花理の短期のアルバイトも一段落の時期となる。

「今日はまた一段と寒いですね」

 そんな結花理に、カウンターの一番端から声がかかった。
 あからさまに煙草の煙を避けようとその席に座っているのは、結花理の1年後輩の佐伯塔子である。
 2人は高校の生徒会で一緒だったが、結花理は既に卒業して大学生。
 塔子は在学中ではあるが生徒会の一線からは退いて、今の肩書きはといえば受験生だ。

「そうね。そう言えば時間は大丈夫なの? めずらしい時間に顔を出したかと思えば、随分とゆっくりしてるようだけど……」
「いいんです。今日はこの後、午後いっぱい予備校に缶詰ですから……」
「そうなの? 受験生は大変ね」

 まるでヒトゴトのようにさらりと言った結花理に塔子が怪訝そうに返す。

「結花理先輩だって去年はそうだったでしょう?」
「そうだったかしら。過ぎてしまうとねぇ……もう忘れちゃったわ」

 まるで遠い昔の話をしているような様子に、2人は顔を見合わせてくすくすと笑った。

 そのタイミングで店内に流れるBGMが変わった。
 いつもマスター自ら選曲している店内のBGM。
 休日のこの時間は客層に合わせてか、ちょっと懐かしい歌謡曲が流れている事が多い。
 どれもその頃には流行した曲らしく、まだ生まれていなかったはずの結花理や塔子でも、メロディーくらいは口ずさむことができる。
 その時流れてきた曲に、塔子は思わず笑みを零した。

「どうしたの? 楽しそうね、塔子」

 結花理が話しかけると、塔子はそのまま小さく笑いながら言った。

「先輩知ってます? イッサの着信音、これなんですよ」
「……また随分と渋い趣味してるわね、イッサも」

 珈琲を口にした男が恋に落ちるというような歌詞が、耳慣れたメロディーにのって流れている。

「これ、一度聞くとずっと耳に残るのよね」
「子どもの頃に覚えた曲って、そういうの多いかも」
「そうね……意味もわからず歌ってた気がするけど……」
「こんな歌だったんですね」

 しばしの沈黙は、ままならない恋心を抱く二人の気持ちそのもの。
 小さく溜息を吐いた塔子に、結花理は言った。

「仕方ないわよ。私達じゃイッサに珈琲飲ませることはできなかったんだもの」
「な……何を言ってるんですか、先輩」
「あら、違った?」
「……いや、その通りかな。私なんて、イッサが珈琲を飲むっていう発想すらなかったし」
「そうなの? それはそれでどうかしらね、塔子」
「……あんまりいじわる言わないで下さい」

 そう言った塔子の表情は、おそらく喫茶部の誰も見た事のないものだ。
 もっとこういう部分を出せば塔子もいろいろと違うのだろうにと結花理は内心思ったりもするが、それができない塔子の性格もよく知っている。
 だからあえて口には出さないが、そんな素直じゃない後輩を結花理はとても可愛いと思っていた。

「これはまた……話がはずんでいるようだね」

 そう言って会話に割り込んできたのはマスターである。
 結花理が洗い物を終えたのを見て、何か淹れてやろうと声をかけてきたのだ。
 ついでに一杯と塔子にも声がかかったが、当然のように塔子は遠慮した。
 マスターはそんな2人に、半ば強引にご馳走するよと言い放ってその場を離れた。
 常連とはいえ恐縮する塔子に、結花理がくすくすと笑いながら言った。

「マスター、自分ばっかり飲みながら仕事してるから。気にしてんのよ、たぶん」
「だからって私にまで……」
「いいからいいから、もらっておきなさいな」

 マスターに負けず劣らずの強引さで押し切り、結花理は2杯のカフェラテを頼んだ。
 カウンターの奥で笑みを浮かべ、マスターはこっくりと頷いた。

「そういえばどうなってるの、イッサの方は」
「さぁ……私ももう生徒会に出入りしてませんからあまり……あ、でも聞いたところでは市原さんって誰かと付き合い始めたとか何とか」
「そうなの? それって喫茶部の誰かなのかしら。っていうかイッサは何をしてるの」
「そんな、私に聞かれても」

 拗ねたような表情を見せる塔子に、結花理はごめんごめんと謝った。
 そこにふっといい香りと共にマスターがカフェラテを持って近付いてきた。

「はい、どうぞ」
「ありがとう、マスター」
「すみません、私にまで……」
「いやいや、遠慮は無用。ところで、何の話?」

 会話が続いているわりにあまり晴れない2人の表情を気にしてか、マスターが珍しく会話に割り込んできた。
 困ったように言葉を探す塔子に代わって、結花理が口を開いた。

「女2人の会話なんて、コイバナに決まってるでしょう、マスター」
「コイバナ?」
「そう、コイバナ。恋の話ってコトですよ」

 そう言って微笑む結花理に対して、塔子は恥ずかしそうに目を逸らす。
 マスターは、ふむ……と2人の顔を交互に見た。

「何か?」

 まじまじと見つめられて、結花理が不思議そうに訊ねると、マスターは少しだけ顔を曇らせて答えた。

「そのワリには随分と浮かぬ表情ですねぇ」

 そう言ってカウンターの台の上に淹れたてのカフェラテを並べる。
 柔らかな真っ白い湯気が、ゆらゆらと揺れては消えていく。
 結花理はふっと溜息混じりに笑ってから言った。

「お互い実りそうにない恋だから……こんな顔にもなっちゃうんですよ」
「ちょ……ちょっと、先輩」

 気まずそうに塔子が言ったが、結花理はそれを気にする様子もない。
 マスターは少し驚いたような表情を見せたが、それも一瞬で、すぐに穏やかな笑みを浮かべて言った。

「実るも実らないも……」

 そう言って身を乗り出して、カウンターの上のカフェラテに手を伸ばす。

「関係ないじゃないですか。咲かせたもの勝ちですよ、恋の花なんて」

 にっこりと笑って手渡されたカフェラテには、マスターの年齢からはちょっと想像できないようなポップな花が一輪咲いていた。

「あら、これかわいい。ラテアート……でしたっけ?」

 思わず塔子の顔に笑みが浮かぶ。
 それを見て満足そうに笑うと、マスターはもう一方のカフェラテにも花を咲かせて結花理に渡した。
 そしてちょっとおどけたように笑うと、ニット帽を被った頭をぽんと叩いて言った。

「あぁ違ったか。恋の話を略してコイバナ、か。これじゃとんだ親父ギャグだったね」

 わかっているくせにそう言って、茶目っ気たっぷりにウィンクする。
 そうしてマスターは何事もなかったように二人から離れ、他の客の方へと行ってしまった。
 思わず顔を見合わせた結花理と塔子は、次の瞬間2人してくすくすと笑い出した。

「やだ、ちょっと……マスターかっこいい」
「ホントですよ。ちょっとドキッてしちゃったじゃない」

 いきなり笑い出した2人に視線が集まり、塔子も結花理も思わず口を抑えて小さくなる。
 やがてまた周りの客も自分達の世界に浸り始め、2人はまた顔を見合わせてくすりと笑った。

「そうよね。好きなものは仕方がないもの」
「私はそんな風に開き直るのは難しいかなぁ」
「塔子はそれでいいわよ。だって、本気で来られたら私達ライバルってコトにならない?」
「え……」

 固まった塔子を見て、結花理がイタズラっぽい笑みを浮かべる。

「冗談よ、冗談」
「なんだ……びっくりした」

 上辺をなぞるだけのような会話だが、自分の秘めた想いを2人が表に出すのは珍しい。
 マスターの淹れたカフェラテはほんのりと甘く、そして少しだけほろ苦かった。
 店内には相変わらずの懐かしの歌謡曲が流れている。
 また口ずさめるその歌詞は、伝えられない恋心。
 甘く切ないメロディーが、ランチタイムを迎えてじわじわと混み始めた店内のざわめきに紛れて聞こえてくる。
 そんなBGMに耳を傾けながら、2人は無言のままカフェラテを味わっていた。

 ゆっくり、ゆっくりと飲み込んでいく。
 きれいに咲いた花も丸ごと、ゆっくり全部呑み込んでいく。

 気が付くと店内はランチ目当ての客が増え始め、まったりと自分の時間を過ごしていた男性客達は、まるで追い立てられるように一人、また一人と席を立っていた。
 カチャリと音をたてて、空になったカップとソーサーをカウンターの台の上に塔子が置いた。
 結花理はエプロンの紐を結びなおすと、一回だけ伸びをして大きく息を吐いた。

「じゃ、私そろそろ行きますね」

 そう言って塔子が珈琲代を置いて席を立つ。
 そのお金を受け取った結花理はにっこりと笑って頷いた。

「勉強頑張ってね、受験生」
「はい……あの、また来ますね」
「あら。毎度ご贔屓に……ありがとうございます」

 そう言ってまた顔を見合わせて笑う。
 奥にいるマスターにカフェラテのお礼を言ってから、塔子は店をあとにした。
 火照った頬に当たる風が、程よく冷たく気持ちが良い。
 カランと音を立ててドアが閉まると、店内にはいつの間にかイマドキの流行の曲が流れていた。

「じゃ、ランチもまた頼みますよ」

 マスターが結花理に声をかける。

「はい」

 返事をした結花理の顔を見て、マスターは満足そうに笑みを浮かべた。


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