国王の崩御で混乱しごった返す城内を、一人の男が足早に通り過ぎていく。
彼の名はグウェンザ、近衛隊に所属している。
隊長からのいきなりの呼び出しを受け、その理由も聞かされないまま、とにかく詰め所へと続く廊下を急いでいるところだった。
「いったいどうしたっていうんだ…こんな大変な時に……」
詰め所の周辺は、やはり国王崩御のからみで皆出払っているのか、人の気配はほとんど感じられなかった。
一瞬、ドアをノックする手が躊躇う。
――あれ? 俺嵌められたのかな?
そんな不安が頭をよぎる。
コンコンッ
ノックの音が誰もいない廊下に響く。
返事はすぐに返ってきた。
「誰だ?」
近衛隊長、エリオスカの声だった。
「グウェンザです」
「おぉ、来たか。入れ」
「はい、失礼します!」
ドアを開けると、正面の窓からの光で一瞬目がくらむ。
窓を背に立っているエリオスカのシルエットが、その光の中に黒く浮かび、無造作に束ねた髪が光に透けて輝いて見えた。
グウェンザが思わずその光景に見とれて立ち尽くしていると、戸惑ったような声でエリオスカが声をかけてきた。
「どうしたグウェンザ。早く入ってドアを閉めろ」
「あぁ…はい」
後ろ手にドアを閉め、グウェンザがエリオスカに歩み寄る。
エリオスカは笑っていた。
その笑顔にグウェンザが一瞬怯んで下を向いた。
いつもの近衛隊長エリオスカらしからぬ、穏やかな微笑みを浮かべていたからだ。
――いったいどうしたと言うんだ? 今日の隊長は様子がおかしい。
呼び出しの使いが来た時もそうだった。
『なんでもいいからとにかく来い』
そんなめちゃくちゃな呼び出しを受けるのは初めてだった。
グウェンザはあれこれ考えを巡らせるが、これといった答えは見当たらない。
そんな心中を見透かしたかのように、エリオスカが話しかける。
「私の笑顔はそんなに怖いか、グウェンザ。別に何かを咎めるためにここへ呼んだのではない。そう勘繰るな」
「はぁ…」
やはりこの人にはかなわない、とグウェンザは苦笑しながら顔を上げた。
「ではいったいどうして…」
そう言いかけたグウェンザの言葉を、エリオスカが遮った。
「王座に就けと、陛下に命じられた」
「え…っ」
一瞬言葉を失う。
エリオスカの顔から笑みが消え、一転して厳しい表情に変わった。
「王座に就くよう、陛下より直々に命ぜられたのだ。グウェンザ、私はそれを受け入れた。
私は次期国王となる」
「こ、国王…」
エリオスカは黙って頷いた。
「そ、そうですか…」
グウェンザの顔色が変わる。
エリオスカは一瞬寂しげな笑みを浮かべたが、すぐにそれも消え、今度は穏やかな声で話し始めた。
「今いる場所があまりに居心地が良くて、正直、戸惑ったのも本当だ。
だが、ルレイダーシュがいつ復活するやも知れぬ今の状況で、そんなわがままを言っている場合でもないからね」
居心地が良いと言われて悪い気はしなかったものの、神妙な顔をしてグウェンザがその言葉に耳を傾けていると、突然エリオスカが近付いてきて、その双肩にバシッと勢いよく手を乗せた。
「どうしたグウェンザ! そんなしみったれた面をしているようじゃ、次期近衛隊長は務まらんぞっ!!」
「ぇえ…、えぇっ!?」
驚いて目を見開くグウェンザに、エリオスカが微笑みかける。
「グウェンザ・ローク。ヴィルガント国国王の名において、お前を近衛隊隊長に任ずる。
正式な任命はまた後日になるが、今からお前がここの隊長だ。
あとは頼んだぞ、グウェンザ」
そう言ってグウェンザの肩から手を離すと、エリオスカは光の差し込む窓の方に視線を移した。
グウェンザはあまりに唐突な話に呆然としていたが、ハッとしたように口を開いた。
「俺…いや、私に勤まるでしょうか」
正直な気持ちだった。
エリオスカの近衛隊における存在の大きさは絶大なものだったし、実力と人望のそのどちらをとっても、歴代の中でも群を抜いているとの評判だった。
実際、ずっとその下にいたグウェンザも、その評価が行き過ぎたものではないということは誰よりも身に染みて感じていた。
――自分にエリオスカ隊長の後任が務まるのか?
その不安が顔にも出ていたのだろう。
ちらりとグウェンザの方に視線を投げかけたエリオスカが、笑みを浮かべ、また窓の外に視線を移して話し始めた。
「大丈夫だよ、グウェンザ。一騎当千とも言われる近衛隊の中でも、私の背中を預けられる者などそうはいない。次期隊長をと考えた時、私はお前以外には思いつかなかった」
エリオスカの言葉が身体に染み渡っていく。
グウェンザはただ黙って立ち尽くし、その声に耳を傾けていた。
「隊長になるような者には2種類の人間がいる。圧倒的な求心力を持って隊を自ら導いていく者と、隊員一人一人の心や気持ちを汲み取って、その絶大な信頼感から皆をまとめて率いていく者。
自分で言うのもどうかと思うが、私はおそらく前者で、お前は後者だ、グウェンザ。わかるか?」
「そう…でしょうか?」
隊員達のエリオスカへの信頼の深さを知るグウェンザは、素直に頷くことができなかった。
エリオスカはグウェンザを見て笑みを浮かべた。
「納得のいかない顔をしているな。自分の力が信じられないのか?」
「いや、そういうわけでは…」
エリオスカの語気が強まり、その言葉に力が宿る。
それは戸惑いを隠せないグウェンザに向けて、まっすぐに投げかけられた。
「私が今まで自分の思うように隊を率いてこれたのは、影でお前が隊員達へのフォローに回ってくれていたからだ。お前が自ら隊員達の不平や不満の受け皿になってくれていたおかげで、私は今日まで無事に隊長を務めてこられたのだと思っている」
「そっ、そんなことはっ!」
「グウェンザ。これは買い被りでも何でもない、私の正直な気持ちだ。すぐに自信を持つのは無理かもしれないが、私が信じるお前を信じろ。
お前は私以上に立派な近衛隊隊長になる」
グウェンザは返す言葉も見つからず、ただ静かに目の前の人物から目を離さずに立ち尽くしていた。
「グウェンザ!」
「は、はいっ!」
いきなり大きな声で名前を呼ばれ、グウェンザは思わず姿勢を正す。
エリオスカはそれを見て笑みを浮かべると、近付いてきて右手を差し出した。
「近衛隊を頼んだぞ、隊長」
「わ…わかりました、隊…こ、国王陛下」
慌てて言い直した言葉にエリオスカが思わず顔をゆがめた。
硬く握り合った手を離し、エリオスカがつぶやいた。
「今日でここも最後か…そう思うと、やはり名残惜しいな……」
「――……」
立ち去ろうとするエリオスカの後を追うように、グウェンザが歩き始めると、突如立ち止まったエリオスカがおもむろに剣を抜いた。
「そ〜うだ、言い忘れたが…」
あまりに突然の事で、手にした剣を抜くこともできなかったグウェンザの目と鼻の先に、エリオスカの剣の切っ先が鋭く光る。
剣を突きつけた主は歯を見せていたずらっぽく笑うと、怯むグウェンザの顔を見つめて楽しそうに言った。
「これから先、二人だけしかいない時に私の事を国王陛下などと呼んでみろ? ルレイダーシュよりも先にまずお前から始末してやるからな、グウェンザ」
「んな…っ!」
その言葉とは裏腹に、その瞳には何とも寂しげな影が浮かんでいた。
「かっ…かんべんしろよ、エリオスカ…」
その影が一瞬より深くなり、次の瞬間あとかたもなく消え去った。
エリオスカは剣を納め、グウェンザは詰めていた息をはぁっと吐き出した。
ドアの方へとまた歩き出そうとしたエリオスカが、足を止め、思い出したように口を開いた。
「そういえば、子どもが生まれるんだったな」
「あ? あぁ…もう半年くらい先ですが」
「そうか…皆で冷やかしに行こうと言っていたんだが…それもどうやら難しそうだな」
そう言うと、エリオスカはドアのノブに手をかけた。
「あのっ」
「ん?」
振り返るエリオスカにグウェンザが言った。
「あの、隊ちょ…エリ、エリオスカどっ、殿がよろしければ、顔くらいは見せに伺いますが…その…」
慣れない呼び方にしどろもどろになりながら話すグウェンザに、エリオスカは嬉しそうな笑みを浮かべて返事をした。
「ありがとう。楽しみにしておく。それじゃ…」
そう言ってドアを開けると、エリオスカは振り返ることなく近衛隊の詰め所を出て行った。
――あぁ、行ってしまわれた…。
一人になった詰め所の中は、いつも以上に広く感じられた。
部屋の中が暗いと感じるのは、日が翳ってきたからではない。
やけに心細く感じるのは、部屋に一人でいるからではない。
エリオスカという光を失った今、近衛隊の隊長という任はあまりに重たかった。
――私が信じる、お前を信じろ…――
その言葉を胸の奥に深く深く刻み込み、グウェンザは誰もいなくなった詰め所の中で、つい先刻、前隊長が出て行ったドアに向かい一人静かに敬礼をした。
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