ずっと、ずっと長い間見続けてきた、夢……――――。
かなうはずもなかったその夢が、ある日突然、現実となった。
やっと手に入れた現実は、想像以上にシアワセなモノだった。
でもそれ以上に、苦しくて、痛い……。
『Border Line』
「んーーっ」
「……!」
背後にもっさりとした気配。
長いうたた寝から、どうやらやっと目が覚めたらしい。
「おはよー、武」
「おはよーって何時よ、今。もう夕飯の時間」
「そっかー。おー、いいニオイ。何?」
そう言って手元をのぞき込む。
「あさり?」
「うん……なんか捕り過ぎたからって、バイト先の子が配ってた」
「へー」
そう言って嬉しそうな笑みを浮かべて、スーッと離れていく。
詰めていた息をホッと吐き出す。
まだ、慣れない。佑輔といる事が当たり前の生活。
親ともめたなんて言ってたクセに、帰る気配もなければ解決しようとすらしていない。
口実だったのかな、なんて思ってしまう自分がどうしようもなく嫌い。
かと言って、ホントのところを確かめて、佑輔に出て行かれるのがコワイ。
「ほら、食うぞー」
テレビを見てのんびりしてる佑輔に声をかける。
慣れた様子で皿を並べ、準備を手伝う佑輔にあれこれ指示を出す。
「なんだよコレ。あさりづくし? そりゃうまそーだけどさー。モノゴトには限度っつーもんが……」
「文句あんなら食うなよ、居候」
「あー、そーゆーコト言っちゃう?」
どうでもいいような他愛のない会話は、あの頃と同じ。
「あー、腹減ったー。武、早く食おーよ」
「うん。ビールは? どうする?」
「もらうもらう」
テーブル越しに手渡す時、微かに触れた指先に火が点る。
何でもないって顔をしながら、佑輔の顔色を見る妙なクセがついた。
「どっこいしょっと……」
「じじくせーよ、武。ほら、カンパイ」
「ん……」
差し出した缶の、ぶつかる音とはじける泡。
口の中に入りそうになった前髪をかきあげると、佑輔がじっとその様子を見てる。
「……何?」
「んー?」
向こう側から手がすぅっと伸びてくる。
「髪、うざくねーの?」
無造作に俺の髪をかき上げて、顔を覗きこまれる。
「髪切りに行く金がねーの。食費上がったしねー」
「ふーん…」
そう言って、髪をぐしゃぐしゃにしてから、またその手を引っ込める。
違うよ、佑輔。本当はそうじゃない。
「単に倍になるかと思ったら、ビール代跳ね上がってんだよ。こりゃもううちも発泡酒いくしかねーかなー」
「金ないなら髪上げときゃいいじゃん。ポニテでもいいし。キレーな顔してんのに、もったいねー」
「俺にそんなん言っても何も出ねーよ」
違う。髪を切らないのは、眼鏡だけじゃ隠せない気がしてきたから。
たぶんもうそんな必要ないのかもしれないけど、でも……――。
「俺が切ってやろうか?」
「断固拒否する。俺を引きこもりにするつもりかよ」
「なんで失敗することが前提になってんだよ、武」
そう言って立ち上がり、ビールの追加を二本持ってきた武が、なぜか向かい側ではなく俺の隣に腰を下ろす。
「……せまい」
「いーじゃん、別に」
「いーけど暑い。暑いしウザい」
どんな顔をしてるんだろう、俺。
それが怖くて、ただ黙々と自分が作ったモノを口の中に放り込むけど、緊張してるのか、味もよくわからない。
そんな事も知らずに、俺の隣で佑輔はテレビ見ながらビールを飲んでる。
あれ以来、佑輔はこういう行動が目に見えて増えた。
最初は素直に嬉しかったこの距離も、日を追うにつれて妙な沈黙を伴うようになってきて、正直どうしていいのかわからない。
もっと近付きたい気持ちを、友達ではなくなった不安が押しつぶしていくのがわかる。
踏み越えるのは簡単。
佑輔もたぶん受け入れてくれるし、たぶんそのきっかけを待ってると思う。
でもいいの? 本当に俺なんかでいいの?
俺は佑輔がいいけど、佑輔は本当に俺なんかで、男の俺なんかで良かったの?
たぶん俺は踏み込んだら止まれない。
そしてそこで拒否られたら、俺達はたぶん友達にも戻れない。
だから俺は、線を引く。
「武、どしたー?」
「は?」
ビールを傍に置いて、佑輔が身を乗り出してくる。
優しい動きで、ゆっくりと眼鏡が外される。
「なんでそんな泣きそうな顔してんの?」
佑輔は優しいし、俺に対する態度にもその言葉にも嘘はない……と思ってる。
前髪がまたかき上げられて、佑輔の顔が近付いてくる。
大好きな、俺の大好きな佑輔の顔が……。
――ガツンッッ。
「いぃぃぃぃいってぇぇぇぇ!! 武っ、おまっ、このタイミングで頭突きとかするかー、普通っ?」
「ぁああっ!? うるせーんだよ、万年発情男が……。いいから先に飯を食えっ、冷めたらマズくなんだろーが!!」
「……はいはい、わかったよ」
「少しでも残したら、俺、向こう一ヶ月何も作んねーぞ?」
納得のいかない顔でぶつぶつ文句を言いながら、佑輔がまた向かい側に戻って食べ始めた。
いいよな? 今の別に不自然じゃなかったよな、俺。
「なー、武さー」
「あ?」
「……いや、やっぱいーわ」
「何だよ、それ」
何か言いたげにまっすぐ俺を見てる視線も、前とは違う、それが嬉しい。
嬉しくて、すごく苦しい。
踏み越えるのは、たぶんすごく簡単。
だけど俺は、線を引く。
この場所を壊さないように、ずっと佑輔の側にいられるように。
<< おしまい >>
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