[PR] B型肝炎 蒼天にあがる月・いただきもの

その先に…


 いつもは爽快に駆け抜ける大好きな荷馬車だが、このときばかりは大嫌いになる。
「こ……んな坂あったっけ?」
「あったよ。あんた下るときに変な声出して喜んでたろ?」
「覚えてない、よっ」
 やり場のない不満を母にぶつけながら、ユウヒは荷馬車を押していた。
「ほら、もう少しだから」
 父であるイチが額に汗を浮かべて、精一杯の力を込めている。
「そうだよ。口動かしてる暇があれば、もう少し力込めな」
 母のヨキはこの後の酒はさぞかし美味いだろう、と労働後の楽しみを思い浮かべて乗り切っている。
 前で馬の手綱を引きながら、リンは何度も心配そうに後ろを振り返っていた。
「もう少し、見えてきたよ」
 天辺はすぐそこだと、家族に力を送る。 

「よっ……」
 ユウヒが最後の力を込めた後、馬が大きくいなないた。
 

 越えた……。


 その瞬間、押している三人に笑みが浮かぶ。
 馬も最後の力を込めて荷馬車を引き上げると、ブルルルと鼻を鳴らし首を振った。
 汗がびっしょりだ。
 すぐに拭いてやらなければ馬が体調を崩してしまう。
 ホムラまではもう少しかかる。ここで調子が悪くなってしまえば、『神宿りの儀』には間に合わない。

「少し休憩にしようかね」
 ヨキの一声で、ユウヒはホッと力が抜けた。
 馬の手綱を引いていたリンが近くの水辺へ駆けて行き、布を絞り、桶に水を汲んで戻ってくる。
「ご苦労様」
 にっこり笑って馬の身体を拭ってやった。
 水で喉を潤しながら、馬は気持ちよさそうに目を細めている。
「はぁ……しんどかった」
「はい、姉さんも」
「おっ、ありがと」
 リンは笑って布を手渡す。
 父にも母にも同じように手渡した。
 冷たくさっぱりした感触に少し疲れが飛ぶ。

 ユウヒは竹で出来た水筒から豪快に水を煽ると、当然のように口の端からこぼれ落ちる。それを無造作に手の甲で拭い、水筒を「飲むかい?」とリンに放った。
「姉さん、その仕草、スマルさんそっくり」
「え? どれ?」
「手で水を拭ったのも、水筒を渡すときの言い方も仕草も」
 妹の言い分にユウヒは眉根を寄せた。
 自分の記憶の中のスマルと照らし合わせてみるも無意識なので良く覚えていない。
「冗談じゃない」
 吐き捨てるように言うと、プッとリンは笑った。
「何?」
「な…なんでもない」
 手で口を覆って、必死で笑いをこらえる。きっと自分では思ってもいないだろう。言い捨てた言葉もその顔も、とてもよく似ていたから。
 
 雰囲気でそれが伝わったのか、憮然とした表情でユウヒが顔を背ける。
「ご、ごめん。そんなに笑うつもりは……ぷっ」
「リーンー?」
「あはは。私その水辺で水筒を満たしてくるね。お花が咲いてたのも見つけたから、結い紐用にちょっと摘んでくる。母さんが飲み過ぎないようにちょっと見ててね」
「げっ、もう飲んでんの? あ、こら、リン!」
 母に気を取られた瞬間、ハッと気付いたユウヒに、申し訳なさそうに両手を合わせ、リンは衣を翻して駆けていく。
 そんな姿を見てユウヒは「仕方ないね」と微笑した。



 リンがそう言って出かけてからどれくらい経ったであろうか。
 酒のにおいを周りに撒き散らしながらヨキが「リンは?」と呟き、そこでユウヒは目が覚めた。
 食べ物を胃にいれたら、疲れが手伝ったのか、ついうとうとしていたらしい。それは父も同じだった。
 夫と娘が寝ている中、ヨキは一人飲み続けていたのか、酒の入れ物はすでに空だ。
「……飲みすぎだよ。今日中にもう少し先まで行くんだろ?」
「これっぽっちの酒なんて水みたいなものさ。それよりユウヒ、リンは何処へ行ったんだい?」
「水辺行ったよ。水筒に水足すのと、あと花が咲いてたから摘んでくるって。でもちょっと遅いね。見てくるよ」
「頼んだよ」
 母はしっかりした足取りで食い散らかしたものを片付け始める。
 この母の限界は年々見えなくなっているような気がする。ユウヒは溜息を吐きつつ水辺へと踏みしめた。

 水辺には小さい白い花が敷き詰めるように咲いていた。
 ヨキが小さい頃花飾りを作ってくれた思い出の花だ。
 ユウヒは微笑んでそれを一輪手に取ると、くるくると指の先でもて遊ぶ。
「ここにきていた女の子が何処へ行ったか知ってる?」
 リンが座っていた跡は見つけたが、姿はまったく見えない。
 花に問い、辺りを見渡すと、小川沿いに続く道が開けていた。
「まったく、世話が焼ける」
 ゆったりと髪を結ぶ紐にそれを絡ませると、妹の名を呼び開けた道を歩む。

 何度目だろうか。
 妹の名を呼ぶと「姉さん」と小さな声が帰ってくる。
「リン? 黙って行っちゃ駄目だろ?」
 低木の隙間に、自分より若干濃い色のリンの髪が見える。
「ごめんなさい。すぐ帰ろうと思ったんだけど、この石像のお顔を見ていたら、時間が経つのを忘れちゃった」
「石像?」
 妹の隣によると、岩に彫られた石像の姿が確かにある。
「こんなところに?」
「私も不思議に思って。本当は奥のお花の香りがするところへ行こうと思ったんだけど、ちょっと気になってのぞきに来たら、なんか動けなくなっちゃったの」
 リンは愛おしそうに石像に触れる。
 確かにいい顔をしているが、そこまで惹かれるものだろうか。ユウヒはそれを覗き込んだ。
「この垂目具合、誰かに似てるね」
 にやにやと茶化す姉に、リンは少し赤くなる。
「もう少し歩くとホムラだよ。そうすりゃ本物が待ってるさ」
「姉さん! そう言うんじゃないんだってば!」
 ますます顔を赤くしたリンが踵を返したユウヒを追う。
 少し手を振り上げて小突こうとすると、ひらりと姉が身を翻すのでリンは焦れて足が次第に速くなる。
 口ではお互いを悪く言いながらも、顔は笑顔で、二人はじゃれ合いながら両親の元に戻っていった。



 ◇ ◇ ◇


「それはねぇ、道祖神だよ」
「道祖神?」
 あれから幾日して着いたホムラの郷で、チコ婆の肩を揉みながら姉妹が聞き返した。
 旅の話を聞かせているときに、あの小さな石像の事を思い出したので、ちょっと聞いてみたのだ。
「この郷の入り口にもあるだろう? 小さな地蔵様のことだ」
「でも、あんなところになぜ?」
「道祖神は結界として置かれていることが多い。ホムラの郷を守り、繁栄を請い、郷を出入りする者たちの無事を祈る。ホムラの道祖神は常にそういう思いで大切にされてきた」
「じゃあ、あの森の中の道祖神も結界ってこと?」
「さぁのぉ」
「さぁのぉ、って……」
「古の時代にあの神様をお作りなさった人が、どう考えてあそこに据えられたのか、私はわからん。だが……」
 ちらりとリンを見た。
「お前が道祖神の神様の前で足を止めて見入ったのならば、リンはその神様にそれ以上の進入を拒まれた、ということじゃぁないのかい?」
 チコ婆が言うと、「あ」とリンは小さく声を上げた。
「じゃあ、あの神様はやっぱり結界ってこと?」
「さぁのぉ」
「だから、さぁのぉ、って……」
「ユウヒはそれを見てもどうも思わなかったんだろう?」
 確かにそうだ。ユウヒは頷く。
「だから、お前はもしかするとあの先へ入れるかもしれないよ」
「私は?」
 眉根を寄せた孫娘にチコ婆は笑う。
「今度は行ってみるといいさ。答えはその中にあるだろうからね」
「げっ、や…やだよ。なんか薄気味悪い……」
「……相変わらず気の小さい子だね。みんなにその姿見せてやりたいよ」
 ヒョッヒョッヒョと笑う祖母の隣にユウヒはひっくり返った。
「どうぞご勝手に。周りが勝手に私の心像を作り上げてるだけだよ。こっちはいい迷惑さ」
「いいじゃないか。その心象が崩れたとき、もっとみんなと仲良くなれる。そう思われるのが嫌なら自分から破壊してみてはどうだい?」
 まあアンタの性格じゃ無理だろうけど。と付けたし、ヨイコラショとチコ婆は身体を起こした。

 すっかり軽くなった肩を何度かまわし、ついでに首もぐるりとさせる。
「はぁ、ありがとよ。気持ちよくてここで寝てしまう前に自分の部屋に戻るかねぇ」
 小さな丸い背中をユウヒが見つめる。
「私の直感だが、あの神様はお前を待っているのかもしれないよ」
「私?」
「直感だから何故と言われても困るが、なんとなくそう思うよ」
「……」
「行くか行かないかは、ユウヒ。お前が決めることだからこれ以上は言わないよ。自分の中で何か変化があったら行ってみてもいいんじゃないかね?」


 チコ婆の言葉は意味深なものが多い。
 次の言葉を言わないときは「後は自分で判断しなさい」と言うことで、ユウヒはいつも何かしら考えさせられる。
「私を呼んでいる?」
 天井を見上げ、チコ婆の言葉を思い出す。
「私の中の変化……? ……あぁもうわからないよ!」
 髪を掻き毟って瞼を閉じた。

 明日は舞の本番だ。
 雑念を追い出さなければ舞は踊れない。
 頭の中に太鼓の音を無理矢理鳴り響かせると、脳裏に舞う自分の姿を浮かべた。


 都から早馬がやってきたあの祭りの、一年ほど前の話である。

【written by Fumio Takada :『ホムラの祭』完結記念で、たかだ様よりSSを戴きました。】