[PR] リフレクソロジー 蒼天にあがる月・番外編

遠い日の夏祭り


 祭の近付く夜の郷を、神妙な顔をした子ども達がいくつかの集団になって歩いていた。
 ホムラの郷の、郷塾に通う子ども達である。
 毎年、篝火が焚かれるようになる祭の前のこの時期、郷塾でも夏祭りが催される。
 郷を上げて行われる『神宿りの儀』のように盛大なものではないが、郷のしきたりなどを知る教育の一環として、郷塾主催で行われる子ども達のための行事である。
 夏祭りでは、縁日の出店で自分達で買い物を体験してみたり、祭に向けて準備を進める大人達の見学をしてみたりといったものの他にも、ちょっとした企画などが用意されていた。

「スマル。ほら、あれ見てよ。懐かしいねぇ」

 社へ向かう子ども達が目に入って、ユウヒの足が止まった。
 隣りを歩くスマルもその場に立ち止まり、ユウヒの視線を辿った。

「ん? あぁ、郷塾の…あの神妙な顔つきは、今日が社に行く日ってとこか?」
「だろうね。あぁ、もう泣いてる子がいるよ、あそこ」

 ユウヒの顔に思わず笑みが浮かぶ。
 そんな子ども達の表情を眺めながら、スマルとユウヒは遠く過ぎ去った日々に思いを馳せていた。

  ◇◆◇◆◇

「聞いた? 夜のお社でね、ホムラ様を鎮めるんだって」

 不安そうに口を開いたのは、今年九歳になったばかりのアサキだった。

「鎮めるって、何をするの?」
 アサキと同じ歳のユウヒがひょいっと顔を上げた。
「子どもの存在自体が神聖な空気を生み出すとかって。四人一組でホムラ様を囲んで座っておくみたい」
 アサキが不安そうな顔をさらに曇らせて答えた。
「なんかよくわかんないけど、変な事やるよね」
 二人して顔を見合わせて、不満そうに頬を膨らませる。

 今日は郷塾の夏祭り。その総仕上げとも言える「ホムラ様のお清め」の日だった。
 とは言っても、実際子ども達が四人でご神体を囲んだところで結界が張られるわけでもなく、何が起きるわけでもない。
 ただ「形のない何かとてつもない力のようなものに対する畏怖の念」を感じて欲しいというのが、この行事の目的だった。
 それでも子ども達の不安は相当なもので、誰と組むかで話題はもちきりだった。

 ユウヒは暗闇は平気だが、暗がりに置かれた灯りに照らされてできる影がとても嫌いだった。
 不安に思う子ども達のためにと蝋燭が灯されると聞いて以来、ユウヒはこの日が憂鬱でならなかった。

「ねぇ、ユウヒ! 一緒に組もうね!!」
 アサキが手をぎゅっと握って、大きな目で訴えてくる。
「う、うん。でも他にも声かけられてて…」
 その日は朝から、もう何人にそう言われたかわからなかった。
 それが余計にユウヒを憂鬱にさせていた。

 ――そうだ。スマルと組もう。

 ユウヒの頭の中に思い浮かんだせいいっぱいの打開策だった。
 そのスマルはと言うと、やはりユウヒを同じようにたくさんの友達に囲まれていた。
 頭一つ皆よりも大きなスマルは、キョロキョロと周りを見渡し、ユウヒの姿を見つけると身振り手振りで何かをしきりに訴えていた。

「スマルのあれ、何だろうね?」

 アサキが不思議そうに指差したが、その隣りでユウヒは思わず破顔していた。
 スマルも自分と同じように、ユウヒと組もうとしていたからだ。

 ――あいつは昔から恐がりだからなぁ…

 ユウヒがスマルの方に手を振って承知したとの合図を送ると、スマルは安心したようにニカッと笑って、また友達と遊び始めた。

 だが、実際にはなかなかそうもいかないもので、いざ四人組を分けるとなると、スマルとユウヒは一緒に組もうとする友達にすっかり囲まれてしまい、お互いに声をかけることすらできなくなってしまっていた。
 何も言い出せないまま、スマルともアサキとも組めなくなったユウヒは、恐がって泣き出した子や、しがみついて離れない子達を連れて社の中へと入っていった。
 スマルもまた、同じように恐がって動こうとしない子どもを引きずるようにして引っ張りながら社に入った。

 社の中は静まりかえり、空気も心なしかひんやりと冷たい。
 背後の山から吹きおろす風のせいか、時折どこからともなく軋むような音が聞こえてくる。
 その度に怯えきった子どもがひぃと奇妙な声をあげたり、しゃがみこんだりして、広間へと続く廊下は騒然となった。
 足音がむやみに響く廊下を抜けて広間に出ると、この日のために奥から出された鳥獣絵図、つまりホムラ様の絵が不自然なまでに中央に置かれ、少し離れたところには点々と、蝋燭の火が揺れていた。
 大人でも一瞬足が止まるその光景に、子ども達は言葉を失って立ち尽くし、、郷塾の先生の声でやっと我に返る。
 ここから先は、四人一組での行動となる。一番最初の四人はスマル達の組だった。その四人を残し、他の塾生は先生とともに廊下に戻る。
 中に入った四人は、説明を受けたとおりにホムラ様を囲んで座った。ただそれだけで、黙ったまま、良しと言われるまで広間にいる。
 その行動の意味がわからない分、余計に不気味さが増すのだった。

 四人ずつ、一定の時間で交替して広間に入っていく。もう何組が終わったのだろうか? ついにユウヒ達の順番となった。
 皆、ただただ無言で、ユウヒの腕にしがみついているせいで、ユウヒは両手を広げて磔にされているような体勢で歩いていた。
 広間の中に入り、ゆらりと揺れる蝋燭の炎が目に入った途端、ユウヒの背筋に冷たいものが走った。

 ――ど、どうしよう……

 頼りにされてしまった以上、もう自分も恐いなどといえるような状況ではないが、おそらく顔は青ざめてひきつっているだろうことは、ユウヒ自身もわかるほどだ。
 よりどころになる友がいない以上、自分で自分を保つしかない。畏怖ではない、恐怖としか言いようのない怖れが、自分の肩にのしかかってきた。

 ――終われぇ! 早く終われぇっ!!

 ユウヒはいっそ消えてしまいたいと思うくらいに怖くて仕方がなかった。
 蝋燭の炎が揺れる度に、床や天井に伸びた友の影も揺れた。その度に歯が鳴ってしまいそうなほどに震えがきた。

 ぼんやりと遠くで誰かの声が聞こえて、同じ組の他の三人がまたユウヒにしがみついてきた。
 ユウヒは何が何だかわからず、また磔のような体勢で廊下に出ると、そのまま四人団子のようになったままで、社の外へと飛び出した。
「怖かったねぇっ! もうユウヒさんが一緒で良かったぁ!!」
「やっぱりユウヒはすごいねぇ! 怖かったぁっ!!」
 先に終わった友達のところに走って行く者、安心のあまり抱き合って泣いている者、皆、気が緩んだのか大騒ぎをしていた。

 そんな中、ユウヒはぼんやりと数歩歩き、近くにあった石段にストンと腰をおろした。

 ――怖かった……

 声も出せなかった。どうしても震えてしまう膝をぎゅっと手で押さえて、恐怖が通りすぎるのを静かに一人で待っていた。
 目をぎゅっとつぶって震えがくるのをこらえていると、肩にそっと手を置いて、隣りに誰かがゆっくりと並んで座った。

「…こ、怖かったな……」

 ひどく上ずっているけれど、小さくつぶやくその声は、まぎれもなくスマルの声だった。
 肩に置かれた手が、今度はゆっくりと動いて膝を押さえたユウヒの手をその上からぎゅっと握る。スマルの手もひどく冷たく、そしてユウヒと同じように小さく震えていた。
 ユウヒは目を開けて顔を上げると、スマルの方をゆっくりと見た。
 暗くてはっきりとは見えなかったけれど、スマルが泣いているように見えてユウヒは慌てて目を逸らす。そして、慰める代わりにやっと口を開いた。

「うん…怖かった…すっごく怖かった……」

 スマルよりもっと小さな、耳をすませばやっと聞こえるくらいの小さな声でユウヒがつぶやいた。
 言葉にする事でやっと安心できたのか、ユウヒの目にも涙が浮かび、それは頬を静かに伝って流れて落ちた。

 二人とも、何を言うわけでもなく、ただ黙って座っていた。
 周りで大騒ぎしていた塾生達は、いつの間にか自分の家へと向かったらしく、辺りには誰もいなくなっていた。

 ――あれ? あったかい……

 重ねられた手の温度が、自分の手の甲に伝わってくる。
 スマルもユウヒもやっと緊張が解けて、冷え切っていた手に熱が戻ってきたのだった。

「なんで俺達は平気だって、決めつけてんだよなぁ」

 そういうスマルの声があまりに弱々しくて情けなかったので、ユウヒは思わず噴出した。
 やっと表情が明るくなったユウヒを見て、スマルが安心したように立ち上がると、ユウヒの頭をグシャグシャと撫でた。

「もう大丈夫、だよな? さて…帰るか、ユウヒ」
「おぅ…」
 ユウヒも立ち上がった。そして二人顔を見合わせると、クシャクシャな笑顔で笑い転げた。
「怖がりぃ〜!」
「うるせぇ、泣き虫ぃ!!」
 小突いたり、蹴っ飛ばしたり、かわして飛びついたり、二人は何事もなかったかのようにふざけながらその場を後にした。

  ◇◆◇◆◇

 スマルが小さく笑って、独り言のようにつぶやく。
「お前はあいかわらずだな、よく泣くし…」
 それを聞いたユウヒが負けじと言い返した。
「うるさいなぁ。お前だって、怖がりなままだろうがスマル。無理して強がっても、丸わかりだよ」
「うるせぇ、黙れ」
 二人してバツが悪そうな顔をして、相手のわき腹の辺りや肩を肘で小突く。
 こいつだけはわかってくれているという安心感は、昔も今もずっと変わらない。
 子ども達の神妙な顔を見つめたまま、スマルがボソッと小さくつぶやいた。
「あんな風にできれば、俺達も少しは変わってたんかな…」
 ユウヒは子ども達をぼんやりと見つめたままで言葉を探していたが、それよりも早くスマルが口を開いた。
「俺には無理だな」
 ユウヒは思わず噴出してスマルを見上げた。
「私にも無理そう。あいかわらず、自分の事を言うのは下手くそなままだ…」
 珍しく素直に言葉の出るユウヒの驚きながらも、そんな素振りは全く見せずにスマルはただ頷いた。
「まぁ、いいんじゃねぇのか?」
「うん。別にいいさ、これで…」

 ――わかってくれている人間がいるって、それだけで充分じゃないか。

 お互いに飲み込んだ言葉を噛みしめて、その頃と同じように相変わらず自分の傍らにいる親友の存在に感謝する。
 子ども達の集団は、いつの間にか社の方へと姿を消していた。

「さて、いくか。ユウヒ、お前は今日どうすんだ…」
「んー? そうだなぁ…また行くかな、キトの家に。スマルはどうすんの?」
「俺はキトの家。他に誰か……」

 他愛もない会話をしながらキトの家に向かう。そこで待つのは、昔から変わらない、仲の良い友人達である。
 変わらずにつながっていられる幸せ。
 そして何より変わらず差し伸べられる暖かい手に感謝しつつ、二人は夜の郷を友の待つ場所へと急いだ――。