[PR] 癒し 蒼天にあがる月・番外編

終の舞


 気付いた時にはいつも自分の前に姉の背中があった。

 私と、私より2年先に生まれた姉とを、母はいつでも対等に扱った。
 母は姉に対して年上だからという理由で我慢を強いる事もなかったし、私に対して年が下だからという理由で何かを許したりする事もなかった。

 しかし、いくら対等にといってもやはり二年という時間は二人の間にそれなりの差を作っていて、対等に扱われるからこそ姉は我慢する事や譲る事を覚えていったのかもしれない。
 そしてそんな姉の事を私が頼るようになるのも、姉に対して甘えたりするようになるのも、当然の成り行きだったのだろうと思う。

 父と母は、国で風の民と呼ばれている、いわゆる流れ者の生活を送っていた。
 どこかに家をかまえ定住するのではなく、年に一度の祭の時期以外は各地を転々として暮らしていた。
 それでも姉がホムラの郷の郷塾に通う歳になると、風の民であることをやめ、祖母と共に郷で暮らすようになった。

 姉はいつも友達に囲まれていて、郷塾から帰ってくるとすぐに家を飛び出して友達のもとへと遊びに行った。
 私はそんな姉について、その友達の輪の中に入っていった。
 自然、私には年上の友達が増えてくる。
 そして周りにいるその年上の友達の真似をすることで、私は遊びも含めていろいろな事を覚えていった。
 まだ幼かった私を連れて歩くのに、姉はいつも私の手を引いてくれた。
 どこへ行くにもしっかりと握ってくれている、その姉の手が私はいつも嬉しかった。
 離されないようにとぎゅっと強く握り返すと、姉はいつも振り返り、大丈夫かと笑ってくれた。

 友達の多い姉。
 皆に好かれ、いつもその中心で明るく笑っている姉。

 その頃の私の世界は、たぶん姉を中心にして回っていたのだと思う。
 いつも姉がそこにいて、その明るい場所に一緒にいる事で私自身も姉のように明るく輝いているといつの間にか思い込んでしまっていた。

 つないだ手を離したのは、どちらからだったのだろう…

 妹と一緒では皆と同じように遊べない姉が、友のいる場所へと走っていくために手を離されたのか。
 同じくらいの年の友達が出来た私が、その子達と遊ぶために姉の手を離したのか。
 いつも一緒だった私達が、離れた瞬間だった。
 ただそれだけの事だろうと、私は思っていた。

 だが、そうではなかった。

 いつもと同じように明るい場所で楽しそうに笑う姉とは違い、私の世界は急に小さく暗いものに変わってしまった。
 今までの全てが、姉と一緒だったから得られたものだったのだと思い知る。
 手をひいて前を歩く姉が、手本となる姉や友達がいない。
 いつも自分は周りを頼り、周りからも助けられていたのだと知る。
 何でも一人で出来るようになったと思っていた自分が、実はそうではなかったのだと理解する。

 それまで自分を守ってくれるものだった姉の背中が、自分の前に立ちはだかる壁となった。
 何をするにも、無意識にいないはずの姉のあとを追う。
 姉はどうしていただろうか?
 あの人なら、ここはいったいどうするのだろうか?

 いつの間にか、暗闇の中ですら姉の姿を追う自分を責める『もう一人の自分』が生まれていた。

 ――お前は自分の力では立ち上がることもできないのか

 真似ではないと思うのに、何をやっても姉のあとを追っている気がする。
 姉の存在がどんどん大きくなっていく。

 考えないようにしようとすればするほど、姉がすごい人間に見えてくる。
 何をやっても、どうしても姉と自分を比べてしまう。
 前を歩く姉は、何でもできて、何をやっても難なくこなしていた。
 だから私は何の心配もしないで、ただ姉の後ろを歩いていれば良かったのだ。

 どうしてこんな事が私はできないんだろう…
 姉ならもっと…あの人ならばきっと……

 目の前の壁はどんどん大きくなり、やがて私をすっかり囲い込み、私の周りから光を完全に奪ってしまった。
 私の顔からは本物の笑みが消え、自分を守ることが私の全てになりつつあった。

 私は認めてもらいたかった。
 だから何でもひたすらに頑張った。
 そしてその努力は実を結ぶ。
 私を褒める人の輪の中に、あの人もいた。
 昔からずっと変わらぬ、あの明るい笑顔で…

 足りない。まだ、足りない。
 もっと、私はもっとできるはず。

 私を認めていないのは自分自身なのだと気付いてはいたけれど…
 周りに広がる闇はあまりにも暗くて、這い出す方法もわからなくなっていた。

 だから私は、暗闇の中で剣を取った。
 握り締めた剣で、その暗闇を断ち切ろうともがく。
 はらってもはらってもまとわりついてくる暗闇に、射し込んだのはひとすじの光。
 その光を手繰り寄せるように剣を振るう、走り出す。
 やがて光はまっすぐに私を照らし、明るい場所へと優しく誘う。

 突然開けた私の目の前には、鏡に映したように私を見つめる姉の姿があった。

 光のもとで、姉が舞う。
 その光に照らされた影の中で、私の体もそれに合わせて動く。
 やはり私はこの人にはかなわないのかと思う反面、不思議な安心感が私を包み込んでいく。

 あの時、手を離したのは、私だったのかもしれない。

 向かい合って舞う姉を見ながら、私はずっとそんな事を考えていた。

 私は、前を歩く姉がどんな表情をしているのか、気にした時があっただろうか。
 姉はいつも私の方を振り返り、私の事を見てくれていた。
 私はそんな姉の事を、きちんと見た事があったのだろうか。
 あの頃と同じ眼差しで、心配そうに私を見つめる姉がいた。
 私はそれに応える方法もわからないまま…

 ただ体を動かす不思議な力に身を委ねて、姉の姿を目で追っていた。
 光の中で舞う姉の姿を、私の中の暗闇から、ただずっと見つめていた。

 夜の闇に、篝火の炎がゆらゆらと揺れる。
 あたりは紫色の霧に包まれ、景色も音もすべて消え去った。
 あるのはただ、私と、そして姉と…

 二人、対になって舞う。

 静かに、ただひたすらに……