旅の記録メモ
84年 メキシコ (Mexico、Guanajuato、Guadarahara) バンクーバー経由のJALでメキシコシティまで、ロス5輪の日本水泳選手団も同乗
87年 ハワイ、オアフ島とハワイ島
89年 グアム
91年 ハワイ・オアフ島
94年 プーケット
99年 台北
02年 大連、旅順
03年 ハワイ・カウアイ島
04年 青島、北京、牡丹江、ハルビン
05年 北京、山東(青島、煙台)、黒竜江(牡丹江、渤海、綏芬河、ハルビン)、ソウル
06年 上海、西安、寧夏回族自治区(銀川)、北京、延吉、図門、牡丹江、ハルビン、八重山諸島(石垣、竹富)、ハワイ・オアフ島(アロハフェスティバル・フローラルパレード参加の松平健さんも同乗)
08年 ハワイ・オアフ島でハーレーツーリング、牡丹江、ソウル、インドネシア・ジャワ島
(Jakarta、Yogyakarta)
09年 大連、ウルムチ、トルファン、敦煌、西安、香港、プーケット、ソウル、釜山
10年 インドネシア・バリ島ヌサドゥア、北京、麗江、大理、シーサンバンナ・タイ族自治州の景洪、ミャンマー連邦シャン州第4特区のモンラーへ日帰りミャンマーツアーに参加
11年 ハワイ・オアフ島でハーレーツーリング、ラサで高山病、成都、マカオ、ソウル、プーケット
12年 黒竜江(牡丹江、海林)、ソウル、ニャチャン、ホーチミン、内蒙古(ホロンベイル)、ハルビン、大連
13年 UAE(アブダビ、ドバイ、アルアイン)、大連、上海、マレーシア・ペナン、ハワイ・マウイ島でハーレーツーリング
14年 UAE(ドバイ、アブダビ)、上海、香港、モルディブ(南マーレ環礁)、ヨルダン縦断(アンマン、ジェラシュ、死海、アカバ)、ハノイ、ソウル、香港
15年 ハノイ、ニャチャン、香港、モーリシャス、UAEドバイ、牡丹江、ソウル
16年 UAEドバイ、メキシコ、キューバ、八重山諸島(石垣、小浜、竹富)、オアフ島ハーレーツーリング、ミャンマー(ヤンゴン、バガン、マンダレー)
17年 UAEドバイ、マダガスカル、セイシェル、八重山諸島(石垣、西表)、台湾、ニューカレドニア 、カンボジア(シアヌークビル、シェムリアップ)
18年 オマーン(マスカット、サラーラ)、イタリア(ローマ、シチリア島)、スペイン(バルセロナ)、モロッコ(アガディール)、バチカン、八重山諸島(石垣、黒島)、ダナン、ドバイ4回
19年 アイスランド、デンマーク、東マレーシア(コタキナバル)、エジプト縦断(アレキサンドリア、エル・アラメイン、カイロ、ルクソール、アスワン、アブシンベル)、伊良部島(下地、宮古、来間)、エジプト紅海(カイロ、ソマベイ)、北京
20年、新型コロナ流行で海外渡航を中止。伊良部島(下地、宮古、池間)のみ
23年、レンタカーでイングランド周遊。戴冠式直前のロンドン訪問、そしてボービントン戦車博物館のタイガーデイに参加。九州(佐賀、長崎)、伊良部島(宮古、池間)、久米島
24年、仏領ポリネシア=ソシエテ諸島のモーレア島、中国東北部、南イタリア〜ギリシア〜チュニジア(チュニス、モナスティル、エルジェム、ドゥッガ)、伊良部島、マレーシア(ペルヘンティアン島)、モルディブ(北マーレ環礁、アリ環礁)
25年、波照間島、宮古島、中国(西寧、張掖、成都、張家界、芙蓉鎮、鳳凰古城、青島、牡丹江、延吉、大連)、八戸-登別、マレーシア(ペルヘンティアン島)
コロナ禍で3年間大人しくしていましたが、旅行を再開。
エジプトも、ギザの大エジプト博物館が出来たところですし、未達成のアスワン〜ナセル湖沿岸の遺跡巡りも、紅海のシュノーケリングと併せて行きたいところです。自分は既にリタイヤして身軽ですが、随行部員(嫁と娘)は仕事と学業があり時間が掛かりそうです。2025年4月現在、再び円高基調なのですが、それにしてもホテルが随分と高額になっていますねえ。
今年の予定は、中国周遊くらいです。北アフリカは残すところアルジェリアとリビアだけど。。。。シュノーケリングは、沖縄とモルディブ、マレーシアで良いかなと思ってます。感動モノの紅海も再度行きたいのですが、サウジはホテルが高過ぎなので、何れアスワンとくっつけて行こうかと。出来れば、ソマベイ以南のマルサ・アラム辺りが良さげです。
学生時代は移住に憧れていましたが、家庭を持ってみると安全や教育、医療と言った面も気になり、行きたいときに行くというスタンスです。リタイア後には、中国全省制覇にトライして各地を訪れるつもり。
遺跡巡りが好きで、新疆、バガン、ボロブドゥール、ヨルダンのジェラシュやペトラ、エジプト全土、ユカタン半島、シチリア島など順に家族で旅行してます。
中国では、遺跡だけでなく、夏、殷、周、秦、匈奴、三星堆といった古代史がらみの博物館も巡ります。北京の人民公会堂の向かいにある国立博物館は、オススメです。台北の博物館もいいですけど。
2019年8月
さて、今回のエジプト行きは、4泊6日で、成田〜アブダビ〜カイロ〜ハルガダの往復で、シュノーケリングとDXingを1週間、楽しんできました。ソマベイのシェラトンホテル近辺のハウスリーフがダイバーの評判が良いとの情報を見かけて行ってきたのですが、実際、海の透明度、サンゴや魚の種類、スケールともに素晴らしく満足出来るリーフでした。
このソマベイ、バリ島のヌサドゥアのように隔離されたリゾートエリアとなっており、入り口には警備のゲートが有ります。いくつかのホテルが並んでいて、主にドイツ、ロシアなど欧州方面からのリゾート客向けとなっているのですが、今回はちょうど、14日までイスラムの犠牲祭、「イード・アル・アドハー」の連休だったので、外国人だけでなくエジプト人の家族連れも多く、ビーチやプールの方も賑わっておりました。とはいえ、ハルガダ空港から1時間弱と離れていて、やや交通が不便なことも有り、アジア人はうちの家族のみで全く見かけませんでした。
エティハド航空利用で、行きはビジネス、帰りは寝るだけなのでエコノミーです。オフラインのGoogle Mapを起動させて窓側でGPS信号を拾ってみると、パキスタンからは、オマーン湾とペルシャ湾上空、そしてサウジの北側に沿ってカイロへといったルートで飛んでいました。
カイロからハルガダまでは乗ったことのないナイルエアーを利用で、第1ターミナルから出発です。このターミナルは他の第2、第3からはかなり離れており、到着した2タミの8番出口前(普通の出口でバス表示なし)からの空港内バスに乗って15〜20分ほどで到着します。20分毎に出ているようです。途中、空港職員向けのバス停にも停車するので慌てずに確認しましょう。ナイルエアーは、定時運航で問題なしでした。
カイロからハルガダ空港までは1時間ほどで到着。紅海屈指のリゾート・ハルガダを素通りして、1時間弱でリゾートタウン・ソマベイに到着です。5年前のヨルダン縦断の際に立ち寄ったアカバで一度も泳がずに帰ったあとで、海の透明度はモルディブより紅海がオススメなんて記事を読み、いずれ行こうと決めておりました。ソマベイを選んだのは、シェラトンホテル近くのハウスリーフまで桟橋でアプローチ出来るからです。行ってみると、期待通りの素晴らしい海でした。桟橋のすぐそばには、ブレーカーズ・ダイビング & サーフィンロッジというダイバー向けのホテルも有ります。ここに宿泊すればスキューバセットごとカートに乗って桟橋の先端まで行く事が出来ます。Google Mapのフォトモードで見るとこんな感じです。
うちはシェラトン宿泊でしたが、1日2回、桟橋を徒歩往復してきました。日差しは強烈なので、桟橋に向かうにはなるべく海沿いを歩かずにホテル内と中庭を通って最短距離で行くことをオススメします。
(GoogleMap引用)
桟橋の先端からは、数メートルでドロップオフになり、そこから20mほど降りるダイビングスポットになっています。
透明度は高く、相当先まで広々とした海底が眺められました。魚影も濃く、種類、数ともに満足出来ます。もっともうちはシュノーケリングメインなので、ほんの少し潜る程度ですが。
SJCAM SJ5000Xでのビデオ撮りからのカットシーン
桟橋の途中からも降りられます。ココは干潮時には完全にプール状態で、沢山の種類の魚が見られます。 カイロに向かう機内から見る紅海は絵のように美しく感動モノ
最終日の前日には、エジプト航空でカイロまで飛んで、専用ターミナルとなっている3タミに到着。宿泊は第3ターミナル直結のメリディアンです。到着ゲートを出ると正面にメリディアンの表示が有りそのまま直進です。非常に楽ですw。
ハルガダからカイロに戻る機内からダハシュールのピラミッド群が見れました。左後方座席にて、左から黒、屈折、赤ピラミッドで、右下にはセンウセレト王のピラミッドも写り込んでいます。今回はパスしましたが、先月から屈折ピラミッドの内部公開が54年ぶりに再開されています。
翌朝は朝一でプールへ。。。。。ひと泳ぎして、帰路につきます。帰りのエティハド航空は第2ターミナルからの出発です。第3と第2は隣同士なのですが、第3から第2は一旦、表に出て坂を上がっていく感じです。それも第2の到着ゲート前を通り過ぎて、出発ゲート前まで向かうので少々歩かされます。おまけに、何度も有る保安検査で一度も止められなかったシュノーケリングセットの長めのフィンがこの第2ターミナルで引っかって確認となりました。身体検査も男女別の列になっていて何人も引っかかっていたので、セキュリティー管理はしっかりしています。カイロ空港は通常は、空港入り口、チェックインカウンター、搭乗ゲートと保安検査が3回あるので余裕を持って行動しましょう。
また、乗り継ぎついでにカイロ市内をプチ観光する場合は空港内に手荷物預けがないので、荷物置き場代わりにホテルを取っておくのがいいです。市内から空港へ戻る際の渋滞にも要注意です。
さて、ラジオの方ですがこちらでは中波で、キプロス、ヨルダン、イスラエルからスーダン、エリトリア、エチオピアまで聴くことが出来ました。
今回の成果は、エリトリア2波、エチオピア3波、スーダン2波といった感じです。カイロに戻ってからは、久し振りのシリアとレバノンのAl-nourも聴けました。765kHzのOmdurmanは、開始の5時過ぎだけまあまあ良好といった感じ。やはりアスワンまで南下しないとまともに聴けないようです。963kHzのHolyQuran放送も朝方に同波のニコシアと交互に聴こえる感じですが、何とかIDは取れました。エジプト紅海の朝はこの時期05:10くらいがちょうど日の出なのですが、ホテルのベランダで聴いていると日の出と同時にハエの大群に襲われます。30分ほど洗礼を受けるとどこかに飛び去ってしまいます。前回のアスワンの早朝ワッチと全く同じです。但し、この時間に開始する局がお目当てなので、そこは耐えるしか有りませんw
AMだけですが一覧にしました。一部、カイロで聴いたものも表示しています。
周波数 | 局名 | 状態 | 時間等 | |||
612 | Amman | 〇 | 05:27s/off、05:56s/on、06:00 News 07時過ぎまで良好 | |||
621 | Voice of Arabs | ◎ | 終日安定 | |||
675 | Bengazi ?未確認 | Cairoにて、22時半、微弱 | ||||
765 | Omdurman | 〇 | 05:00s/on サウジと交互に聴こえる | |||
765 | BSKSA Qurayyat、 | |||||
783 | Damas | ◎ | Cairoにて22時半、強力 | |||
837 | Iran | 03時半 | ||||
837 | Oromia | 〇 | QRMなし 06時過ぎf/out | |||
840 | Eritorea2 | 〇 | QRMなし、朝は1と2がパラ | |||
864 | Egypt Al-Quran al-Karim | ◎ | 終日安定 | |||
950 | Eritorea1 | ◎ | 05:00s/on QRMなし | |||
963 | Nicosia | ◎ | ||||
963 | Omdurman Al-Quran al-Karim | 朝はニコシアと交互に聴こえる | ||||
999 | BSKSA Al-Quran al-Karim Duba | ◎◎ | ソマベイの対岸なので強力 | |||
1044 | Addis Ababa | ◎ | 05:00s/on QRMなし、国歌で開始 | |||
1044 | BSKSA Jeddah | エチオピアとは分離可能 | ||||
1053 | Romania | 夜間良好 | ||||
1071 | Al nour,Beirut | ◎ | Cairoにて、22時半 | |||
1080 | Egypt Menya | Cairoにて、22時半 | ||||
1152 | Romania | 夜間良好 | ||||
1206 | IBA Haifa | ◎ | ||||
1233 | RMC | 夜間良好 | ||||
1287 | Voice of Hope, Israel | 夜間良好 | ||||
1359 | Tigre | ◎ | 05:00s/on QRMなし、06時半ごろf/out | |||
1458 | IBA Eilat | ◎ | QRMなし | |||
エジプトとサウジは混信局のみ載せました。さらっと聴いて判別できたものは以下の通り。
Egypt各局
774,864,936,1008,1035,1071,1098,1206,1215,1287,1350,1503kHz
Saudi Arabia各局
567,594,648,702,819,999,1071,1098,1449,1575kHz
短波は、朝の05時から6105kHzでNHKの台風情報と高校野球を聴いてました。7205kHzのOmdurmanは、05:00s/onで06時前後がベスト、07時にはノイズでBFになります。06時には、6090kHzのAmhara State、6110kHzのFanaが、夜は、21時半ごろに、5950kHzのTigreや6030kHzのOromiaが良好でした。
エリトリアの短波は入らずでしたが、中波は10kHz設定で混信もなく良好に聴けました。05時開始ですが他の局より少し遅くs/onします。
2019年7月
今年の沖縄行きは、伊良部島に隣接する下地島へのフライトでスタートです。下地、伊良部、宮古、来間の4島を4日間で周ってきました。
3月末にジェットスター成田便で開業した下地島空港は、24年ぶりの定期便で注目されましたが、この7月からは関空からも飛ぶようになり宮古島以外の観光地もその恩恵にあずかれるようになりました。
島の半分くらいが滑走路になっている下地島は、北端の17エンドと南西部の中の島ビーチの2ヵ所が有名なシュノーケリングスポットとなっていてサンゴ礁の海が満喫できます。生憎、今回は波浪警報が出るくらいの南南西の強風だったので、ボートでアプローチする17エンドは諦めて、中の島ビーチや宮古島のイムギャーマリンガーデンで泳いで来ました。どちらも入り江で風の影響を受けにくいので強風の日でも安心して泳げます。一般に、風速6メートルを超えると透明度が落ちてきます。
宿泊は、成田前泊と伊良部島の民宿で2泊。佐和田の浜に面した宿で下地島西側にある中の島ビーチへも10分程度で行けることから2泊しました。到着初日は、佐和田漁港近くの蟹蔵さんというカニ料理店でアミメノコギリガザミを頂き、そこの御主人にサバニ船で佐和田の浜から下地島の滑走路東側の海や下地島の通り池を案内して頂きました。蟹蔵さんのサバニ船は遠浅の海でも舟底を傷めずに進む事が出来るそうで、エコモーター制御です。
この佐和田の浜から下地島の滑走路東側の海にかけては沢山の巨石が海中に転がっています。1771年に起こった八重山地震により引き起こされた「明和の大津波」によって運ばれてきた津波石と言われています。 蟹蔵さんの話では、1972年(昭和47年)4月の空港建設でかなりの巨石がダイナマイトで破壊され埋め立てしてしまったそうです。また、祖父の頃までは、ジュゴンも生息していて食用にもなっていたそうですが、建設着工前の1967年を最後にこの辺りでは確認されていないようです。
2日目は、AMは中の島ビーチでシュノーケリング、PMは伊良部島東側の佐良浜港からボートで南下してシュノーケリングです。
夕方には、民宿の自転車を借りて17エンドに向かいます。18:15に、関空便の着陸がこの絶景ポイントで見られるからです。頭上を轟音を響かせて通過、着陸する様子は感動モノです。空港の開港とともに「車両通行止め」となった17エンドは自転車か徒歩でしか行けないのですが、この日も関空便の着陸間際には、10人以上のギャラリーが集まっていました。
3日目も朝から南南西の強風で予報では2.5メートルの波です。AMは中の島ビーチ、PMは宮古島南部のイムギャーマリンガーデンでひと泳ぎ。イムギャーマリンガーデンは波が立たない入り江なので強風の日でも気にせずに楽しめるビーチです。但し、干潮時には浅過ぎで窮屈な感じです。体がサンゴに触れないように、サンゴの間を縫って泳ぐので泳ぎにくかったです。
夕方には来間島に移動し、「RuGu Glamping Resort」で1泊です。ココはこの春にオープンしたばかりのところで、バーベキューと星空がオススメです。
グランピングは、glamorousとcampingを合わせた造語で、アウトドアを楽しむリゾートスタイルなのですが、要は設営しなくて飲み食いも出来るお手軽アウトドア施設のこと。近年、UAEやヨルダン、ナミビアなど砂漠地帯でセレブが宿泊しているハイソなキャンピングの記事も目にするのでお高いイメージが有ったのですが、ココはトレーラータイプの部屋でコスパも良く楽しめました。深夜にトレーラーの屋根に上がると雲の切れ目から綺麗な星を眺められました。
中の島ビーチ、下地島空港離陸の際に撮影、写真右下に駐車スペースが有ります。左下の少し濃い色のところがシュノーケリングスポットです。干潮でもある程度の深さが有ることから、サンゴと距離を持ってゆったりと見渡せます。
17エンドにて関空からのGK377便を撮影。サンゴ礁は、イムギャーマリンガーデンの展望台からの眺め。
2019年5月
今年の連休は、9泊12日でエジプト縦断に行ってきました。
ルートは、羽田-ドバイ-カイロ-アスワン-アブシンベル-アスワン-ルクソール-カイロ-エル・アラメイン-アレキサンドリア-カイロ-アブダビ-成田です。
エジプトはカイロ中心の航空路線のため地方間の接続が少なく、飛行機で全部移動するとほとんど毎回、カイロに戻って乗り換える必要が有ります。今回は、アスワン-ルクソールを列車で、カイロ-エル・アラメイン-アレキサンドリアを旅行会社のチャーター車で移動しました。
ホテルはマリオットのポイントが溜まっていたのでトラベルパッケージを利用し、ギザピラミッド前のマリオット・メナハウスを1年前に予約しておきました。トラベルパッケージは7泊分ですが減らすことも出来ます。
ピラミッドビューを指定したところ、その分のみポイント外とのことで若干の追加費用が掛かりました。新館前の庭園は、カイロ宣言の場所として有名です。チャーチル、ルーズベルト、蒋介石が記念撮影したところですw
昨年、マリオット系列になってから旧館の客室はリノベーションでクローズされており、庭園を挟んだ新館での宿泊です。
航空券は、行きがエミレーツのエコノミー、帰りのエティハドはカイロ発券のビジネス成田往復を買いました。これで行くと成田発往復の1/4のコストで行けます。但し、エジプトに2度行くことになります。乗り換えで使ってもいいですが。。。。
国内便は、エジプト航空でバラ買いしました。こちらはルートに関係なく、便ごとに1年前、半年前と売り出し時期が違っています。規則性は不明です。また、遅延はごく普通に有るので余裕の有るスケジュールにしました。アスワンまでは330日前に押さえていたのですが、アスワン-アブシンベルの往復は半年前に発売されました。買えなければ最悪、陸路で向かうつもりでいましたが、何とか取れました。チケット発売を見かけた時点で行きのエコノミーは既に売り切れてビジネスのみとなっていました。もちろんそれでも直ぐに押えます。この路線はカイロ-アスワン-アブシンベルを日帰りで飛ぶ人気路線なので直ぐに売り切れます。
初日は入国後、乗り継ぎ待ちの時間を使って考古学博物館を見学。夕方にアスワンへ飛びました。この日はアスワン市内ではなく、ナイル川対岸のヌビアの村の中に有る「Kato Dool Nubian House」に宿泊。このホテル、ヌビアの村の中に有るので、表に出れば小さな商店が並んでいます。アスワンの街中と違って素朴な雰囲気で過ごせます。空港送迎はホテルに依頼しました。市内に向かうルートからは外れるのでタクシーだとかなりかかりそうです。途中、ヌビアの村をいくつか徐行で通過していくので、Google mapの表示通りでは着きません。
取り敢えず、夜着なので翌日に備えてゆっくり休みます。
朝方にラジオを点けると、765kHzでスーダンのRadio
Omdurmanがガツンと良好に入っています。短波の7205kHzとパラです。当地では、5時の日の出と共に一気に気温が上がって来ます。ノイズレベルもそれに合わせて上がってきます。早朝は26℃、昼は40℃を越えます。
HND 0030−0645 0815-1005 CAI
CAI 1720-1845 ASW
1010-1055 ASW-ABS 1315-1400 ABS-ASW
アブシンベル神殿は空港から無料バスが出ているので、90分ほど観光です。アスワンに戻って空港から駅まで移動、16時発の列車で出発です。コム・オンボやエドフを通過して3時間ほどでルクソールへ。
ホテルは、「Eatabe Luxor Hotel」、ナイル川クルーズの船着き場前でルクソール神殿、ルクソール博物館、ミイラ博物館が徒歩圏内と、何かと便利なホテルでした。安いホテルで建物も古いので、多少の不具合は有りますが、立地の良さでカバーしています。リクエストすればブレックファストボックスも準備してくれます。西岸はチャーター車で、東岸は徒歩と馬車で回りました。馬車は、2人組の馬車だったのですが、途中で急に金額を上げだす曲者もいるので交渉した後も注意です。何かと言ってきますが、最初に交渉した金額を渡して途中で降りました。やはり向こうが2人だと強気になっていくので止めた方が無難です。ルクソール博物館の傍で降りると警察署の近くなので追いかけてきません。
この日の目玉は、王家の谷のセティ1世の墓(1,000ポンド) 王妃の谷のネフェルタリの墓(1,200ポンド)です。ツタンカーメン(250ポンド)も、もちろん見ましたが前述の2つの墓とは比べ物になりません。ハトシェプスト女王葬祭殿、ラムセス三世葬祭殿(メディネト・ハブ)、メムノンの巨像まで見てちょうど昼過ぎでホテルに戻り、いよいよカルナック神殿です。と、ここまで来て財布が寂しくなってきました。入場料が全部キャッシュなのであっという間になくなります。生憎この日は、コプト教のイースターで祝日だったので、銀行が休みです。カードが使えるATMを探すのに多少、苦労しました。昼食後、カルナック神殿をじっくり回り、17時オープンのルクソール博物館を見てホテルに戻りました。博物館は、昼過ぎ〜17時まで一旦閉鎖されます。ルクソール神殿は夕食後に外からのライトアップを見て早々と眠りにつきました。
ラジオを点けると、765kHz、スーダンのRadio Omdurmanは同波のサウジアラビアと同じ強さで入っています。サウジはクルアーンなので、分離は出来ますが聴きづらいです。
次の日は、少し離れたアビドス・デンデラの観光です。ルクソールから北上するのですが、ココも検問をいくつか通過していくので、Google
mapの表示通りでは着きません。早朝出発で3時間ほどかけてアビドスに到着。セティー1世葬祭殿を観光しました。アビドスの砂漠、ウンム・エル・カアブには第一王朝のジェル王墓やデン王墓など有るのですが、残念なことに許可制で一般開放はされていません。第一王朝以前の紀元前3,200年頃のスコルピオン1世は、スコーピオン・キングで有名ですが、その墓もここに有ります。今から5200年前で、メソポタミアのシュメール神話時代のころです。
デンデラでは比較的新しいプトレマイオス朝時代のハトホル神殿を含むデンデラ神殿複合体を観光。色彩豊かな天井、オーパーツで有名な地下壁画、クレオパトラのレリーフなどをじっくり見れました。
1820-1930 LXR-CAI
夕方にはルクソールに戻り、空路カイロへ。ギザのホテルまで1時間のドライブです。カイロ市内は慢性的に渋滞しています。車線がないので結構、皆さん斜め走りしていていますが大きな事故は見かけませんでした。ギザは6泊7日です。
ラジオを点けると、765kHz、スーダンのRadio Omdurmanは同波のサウジアラビアにカバーされてバックで入っています。ほぼ聴けない状態です。6メガのエチオピアはオロモを除いて、ティグレ、アムハラ、ファナが強く入感。上の方は、9620kHz Oman、9555kHzと9870kHzのサウジ、9655kHzのアルジェ、11745kHzのサウジ軍、11860kHzのイエメン(サウジ送信)が強く入っていました。NHKは、6105kHzのイスダン送信が04時に聞こえていました。どのバンドも、トルコ、サウジ、イランは特に強く入っていました。カイロの短波は出ていないようで見つかりませんでした。
ギザ2日目は朝から1日、ピラミッド巡りです。メイドゥム(スネフェル)、ダハシュール(屈折、赤)、メンフィス博物館、サッカラ(ジェセル、ウナス)、ギザの順で行ったのですが、ウナス王のピラミッドが午前中のみ入れるので、屈折ピラミッドは遠景のみ、赤ピラミッドに入る有名な苦行も止めて駆け足で回りました。南端のラフーンも行きたかったのですが、アスワン観光と合わせて老後の楽しみにします。午後からは、クフ王のピラミッドにも入って帰りました。
3日目は、ナイルマキシムのディナークルーズです。こちらのベリーダンサー、演奏などはプロということで一押しです。前座は普通の洋楽歌手でした。
4日目は、エル・アラメインとアレキサンドリアを無理やり1日で周って南北縦断が完了。ギザから3時間で、エル・アラメイン。エル・アラメインから2時間でアレキサンドリアです。アレキサンドリアからギザは夜だと3時間なので、移動だけでも8時間のドライブになります。
旅行会社のチャーターでアレキサンドリア・デザート・ロードという自動車道を北上します。この自動車道は片側車線4つが、それぞれ最高速が違っていて路面に書かれていました。また、トラックはその4車線の横に有る側道を走ることになっており、なかなか合理的な運用になっていました。カイロ市内は無理ですが、ギザからアレキサンドリアならレンタカーも有りと感じました。但し、オービスも有るので注意です。
第二次大戦の激戦地、エル・アラメインでは、軍事博物館と独軍墓地を訪問。軍事博物館では、ロンメルとモントゴメリー、枢軸国と連合国各国の展示が見られます。屋外には当時の車両や戦車、高射砲なども展示されています。ドイツ・アフリカ軍団のサンドイエローに塗装された、88ミリ高射砲、38ミリ砲、Sd.Kfz.7(8トンハーフトラック)が見られました。残念ながら、Sd.Kfz.7はほとんど潰れた状態でした。欧州戦線のジャーマングレイ塗装の88ミリ高射砲は、コペンハーゲンの軍事博物館で見る事が出来ます。
この軍事博物館を挟んで、独・伊の枢軸国は海側に、連合国は陸側に墓地や慰霊碑が配置されています。連合国墓地(コモンウェルス)から更に西へ11km行った海側に要塞のような独軍墓地が有ります。独軍4,480名の集団墓地の上に戦没者記念碑とオベリスクが建てられています。
ローマ帝国の再来を夢見てイギリス領エジプトへ侵攻したイタリア軍が、イギリス軍の反撃によりベンガジまで後退。そのイタリア軍救援のために派遣されたドイツ軍ですが、トブルクで英軍を包囲し、このエル・アラメインまで攻め込んで1942年10月に敗北。以後、チュニジア南部まで後退し、1943年5月には連合国軍に降伏。アフリカにおけるドイツの戦いも終わる事となります。 エル・アラメインは、現在は海側で新興住宅地の開発が進んでいますが、その一方で広大な墓地とメモリアル、未だに未処理の地雷原が残る砂漠地帯を抱える戦争の歴史の街と言えます。
エル・アラメインで昼になってしまい、急いでアレキサンドリアに向かいます。定番のポンペイの柱、アレキサンドリア国立博物館と、そこまでで16:30。。。。博物館を閉館間際に出てコルニッシュ沿いのレストランで、夕方の海鮮ランチタイムです。
5日目は、徒歩でピラミッドエリアを散策。メナハウス前の右手から上がり、正面ゲートの開門と同時に入場して、エリア内の葬祭殿やマスタバ、王妃のピラミッドなど一通り見てメンカフラー王のピラミッドの奥の高台に有る通称第2ビューポイントまで砂漠をひたすら歩いて。。。。そこから、観光バスが止まるパノラミックビューポイントを経由してホテルの横を通り過ぎてカルフールまで。。。。途中、土産物屋さんなども立ち寄りながらぶらついて来ました。多分、8〜10km位は歩いたと思いますが、朝一で2人目の入場だったので爽快な気分で散歩が出来ました。但し、このフルコースは真昼は流石に止めておいた方がいいです。
ギザ6日目で既に出発から11日目となり、同行の家人もかなり疲れて来たようで、1日中、ホテルのプールで休憩。7日目の朝には、再びカイロの渋滞を通って空港へ向かいアブダビ経由で帰路につきました。アブダビのビジネスラウンジで休憩しているとエティハド航空から携帯に電話が入り1時間のディレイとか。アテネからの便が遅れたようで、その便の到着待ちにしたようです。表示を見ると仁川と東京がディレイです。連休最終日到着の帰国便なので置いていくとクレームの嵐になります。結局、その便の皆さんは乗り継ぎに間に合ったのですが、それでも機内では遅延クレームの嵐が吹いてました。CAさんに言ってもしょうがないのですがねぇw
CAI 13:15-19:00 AUH 2200-1300 NRT
今回、各地のオプショナルツアーについては、カイロの「ベニス細川家」さんを通じて段取りして頂きました。色々と調べましたが、ココは良心的な料金設定なのと、丁寧な受け答えをされるところなのでオススメ出来ます。
それにしても、海外のオプショナルツアー会社のサイトは現地の物価レベルで見ると高過ぎます。。。。。ラクダや馬車の吹っ掛けが可愛く思えてきますね。。。。。
第2ビューポイントからの眺め。この向こう側がギザの街。メナハウスから、3.2kmで徒歩45分。
パノラミックビューポイントからの眺め。一番奥のクフ王のピラミッドの裏がメナハウス。
メナハウスから、2.5kmで徒歩35分。
2019年2月
3泊5日で、ボルネオに行ってきました。今回は、コタキナバル沖合のガヤ島でシュノーケリングです。Gayana Marine Resortの水上コテージで宿泊です。直行便は毎日飛んでいないので、クアラルンプールで乗り換えです。
HND 00:05-06:45 KUL 全日空
KUL 08:00-10:40 BKI マリンドエアー
クアラルンプール空港は、案内板が見づらくて初めての人はまごつきます。
国際線が到着するサテライトビルからエアロトレインでメインターミナルに移動、サテライトビルにもトランジットカウンターは有るけど、ここではないと言われメインターミナルへ向かいます。
メインターミナルのトランジットカウンターで国内線のチェックインをしてから、国内線乗り継ぎ用入国審査カウンター、保安検査を通過してゲートの一番右側に有る東マレーシアに向かう案内板の方へといった手順です。もちろん、荷物は出発の際にスルーバゲッジの確認をしておきます。
マレー半島と東マレーシアは、国内線ですが2時間半も離れていることから、その出入りは国際線並みに厳しく管理されています。クアラルンプールでのスタンプの漏れが有るとコタキナバルで入境出来ないとかいう話も有るので家族連れは注意です。
コタキナバルの空港からのタクシーは、空港内のタクシーカウンターで定額のチケットを購入して行くシステムです。大人の人数と行きたい場所を告げれば料金が提示されます。
ガヤ島の海は透明度も高く、まずまず楽しめます。このホテルは入り江の奥の浅瀬に有る為、どうしても小さな魚が多いのですが、点在するサンゴの周りに綺麗な色の魚が見られます。深みに行くとやや大き目の魚が見られますが、魚影は薄く、見られる数は少なかったです。
満潮時でも大人がつま先立ちできるくらいなので、干潮時には小学生の子供も立てるようになりライフジャケットがなくても安心して泳げる海になります。ホテルのスタッフによると、ウミガメは夜だけ時々見られるそうです。このホテルには、海洋研究所も併設されていて、日中は研究用の水槽を見たり所内の説明会も開かれています。散歩がてら見に行くと、シャコ貝の幼生を飼育していました。
BKI 21:30 - 23:55 KUL マレーシア航空
KUL 08:00 - 15:40 NRT 全日空
帰りはマレーシア航空でスルーチェックインが出来ました。深夜にクアラルンプール着となるので空港内サテライトビルに有るトランジットホテル(サマサマ)に泊まり帰国しました。国内線で到着後、一旦、空港外の喫煙所に寄ってから出国ゲートに向かいました。
この空港、サテライトビルの上のフロアーに喫煙所が有るのですが、そもそもホテルがエアロトレインのホームの一番奥まったところにあるため、遠くて愛煙家には辛い空港です。ディズニーランドの喫煙所行くみたいにひたすら歩きます。
* 2月3日、タイ国内主要6空港が全面禁煙となりました。
スワンナプーム国際空港、国際線ターミナル内だけでなく屋外も全て閉鎖されたとのこと(泣
朝は誰も泳いでいません。自分だけですw。
2019年1月
年末年始にアイスランドへ行ってきました。年の瀬の29日、成田発のスカンジナビア航空で、やや広めの座席のプレエコ利用です。コペンハーゲンでアイスランド航空に乗り換え、その日の22時半には何にもないケプラビーク国際空港に到着。レイキャビクまではシャトルバスで1時間ほど。途中、BSIバスターミナルで乗り換えの人を下ろしていくつかのホテルを巡回して行きます。ホテル到着のころには雪がしんしんと降ってきました。
期待していた初日オーロラは断念です。というか、この時点では次の日には見れるものと思っておりました。Hi。
翌朝、氷の洞窟ツアーに参加はしたものの、大晦日の朝まで生憎のブリザードで、ヴァトナヨークトル氷河行きは中止。氷の洞窟は、またの機会となりました。結局、ツアーバスでいくつか滝巡りをして、カトラ火山の麓に有るホテル ディルホラエイでビバーク宿泊して、翌日、レイキャビクに戻りました。一応、後日、氷河行きの分としていくらかの返金が有りました。
しかし、その後も、曇りか雪でオーロラも拝めず。しかも日の出が11時、日没が15時半とほとんど太陽を見ない珍しい旅を経験しました。
幸い、大晦日の夜だけ晴れてくれたのでレイキャビク名物である年越し花火は何とか楽しめて満喫出来ました。宿泊はフォスホテルでその近くには、1986年、米ソ冷戦終結となったレーガン・ゴルバチョフ会談が行われたホフディ・ハウスが有ります。歩いて10分ほどで市の中心部、ハットルグリムス教会です。教会前は23時頃には、既に人だかりとなっていましたが、それから1時間以上続く目の前の花火に圧倒されました。
観光客は圧倒的に欧州&中国からが多く、時期にもよるのでしょうが日本人、韓国人はほとんど見かけません。見かけたのは、1週間で10人未満です。元々、人口34万人弱と人が少ない国でもあり、レストランなどでは、スペインやイタリアから働きに来ている人が多く見受けられました。ラテン系の言葉が厨房からガンガン聞こえてくる感じですw
翌朝の元旦から3ヶ日は市内でレンタカーを借りて、レイキャビクからクヴェラゲルジのゲストハウスに移動です。ゲイシルの間欠泉、シークレットラグーン、数々の滝など、あちこち走って見て回りました。クヴェラゲルジは地熱発電所が有り、レイキャビクに電力を供給しています。ココに着いて分かったのですが、地元唯一の博物館、地熱博物館と市内のレストランは全て正月休み。夕食時には暗闇と吹雪の中、14キロ離れた隣町のセールフォスまでディナードライブを敢行しました。ゲストハウスで夕食をお願いすることも可能だったのですが、羊肉のステーキが食べたくてセールフォスに通いました。何でも高いアイスランドでしたが、新鮮な羊のステーキは堪りません。いつかまた来るぞと。。。。
ハットルグリムス教会前の様子 MP4ファイル (2019年1月1日0時)
2018年10月
今年3度目のドバイですw。目的の一つは、IMGワールド・オブ・アドベンチャーを楽しむことです。前回、絶叫系のアトラクションをスルーしてしまったので今回はそのリベンジで、一応、全部制覇出来ました。世界最大の屋内テーマパークですが、昼前に入ると広すぎる場内でお客より多い従業員が目立ちます。残念ながらお隣のグローバルビレッジはこの時期まだオープンしていません。
また今回は、ラス・アル・ホールというラムサール条約湿地でフラミンゴの群れを見る事が出来ました。ドバイクリークの上流のわかりづらい場所で、タクシーの運転手もほとんど知らない場所なので、iPhoneのGoogleナビは必須です。Ras Al Flamingo Hide Veiwing Area で検索すると出てきます。駐車場にタクシーを止めてバードウォッチングエリアに歩いていくと、タクシーの運転手と湿地の警備員も後についてきます。運ちゃんはネパール人、警備員はエジプト人という取り合わせでしたが、3人でフラミンゴを眺めながらしばし談笑して過ごせました。これまで何度もドバイに来ていますが、市の中心部近くでこれだけ静かな場所が有るとは知りませんでした。ここのフラミンゴは、もちろん野生なのですが、餌付けをしたことで群れごと居ついてしまったようです。
2018年8月
8月の終わりにベトナムのダナンに行ってきました。マカオ航空で乗り継ぎの便で行ったのですが、マカオ空港が夜間運用されていないというのを知らずに行ったので、かなり閑散とした感じで過ごしました。最終便の出発で店が全部閉まって、自販機のみとなります。そんな感じのレアなルートになるのでチケットも格安です。
ダナンは同国の代表的なビーチリゾートで、周辺に、ミーソン遺跡や古都ホイアンといった観光資源も有ることから、ベトナム最大の観光都市にもなっています。これまで何度か、ニャチャンには遊びに行っていますが、開発の規模はこちらの方が大きく、そのペースも早いようです。近年、観光客数でホーチミンを抜いたとも言われています。ミーソン遺跡はあちこち崩壊したままで整備作業を進めている途中でした。日に2度ほど、遺跡敷地内での民族舞踊ショーが行われています。
一方のニャチャンは、旧ソビエト海軍が駐留していたカムラン湾の軍港が30kmほど南にあり、そのおかげでロシアンリゾートとして発展した歴史から、今でもロシアからのリゾート客が多く訪れています。最寄りの空港も、ニャチャン市内の空港は04年に廃止され、カムラン空港となっています。
2018年5月
7泊10日でシチリア島とモロッコのアガディールに行ってきました。今回のルートは、羽田-香港-ドバイ-ローマ-カターニャ-バルセロナ-カサブランカ-アガディール-バルセロナ-ドバイ-香港-台北-成田です。
かなりの周遊というか変則なのですが、貯まったマイルを利用して計画しました。まずは、JALマイルでエミレーツのビジネス3席取りです。チケットの販売開始に合わせて、帰着日の330日前に申し込みます。とは言え日本発のビジネス3席取得は無理なようで、香港-欧州で検討。こちらは、行きをローマ、帰りをバルセロナにすると取れるということで即決。予め予想される都市の時間を全てチェックした上で電話しないと混乱してきます。香港スタートにすることで消化するマイルも少なくて済みます。上海スタートも有りですが、乗り継ぎの時間がかかるのとディレイが多い空港なので避けたほうが賢明です。
次にデルタのマイルで、連休最終日の香港-台北-成田を3席取得しました。このマイルで取れるチケットは台北経由のみでした。そもそも5月連休にマイルを使うというところに無理が有るので仕方ないです。
これ以外は、香港行きが香港エクスプレス、ローマ-カターニャはアリタリア航空、カターニャ-バルセロナはブエリング航空というバルセロナのLCC、モロッコ行きはエアモロッコで往復といった感じでランダムに繋いでみました。ローマ-カターニャは初めは、ローマーナポリーカターニャのチケットを購入して日帰りポンペイを計画していたのですが、直前にナポリ行きのフライトが無くなってしまい、キャンセルした上で上記のルートで買いなおしをしました。
チケットはバラ買いなので、部分的に変更したり買い替えたり出来ます。但し、途中で乗り継ぎに失敗すると、追いつくのが大変です。このため、長旅では3〜4時間、或いはプチ観光がてらで8時間ほどの乗り継ぎ時間を設定します。
これまで60回以上の海外旅行で、2回だけ失敗しました。同一の航空会社の乗り継ぎで、濃霧で着陸出来なかったケースです。当然、航空会社負担で次の乗り継ぎ便とホテルが準備されました。この場合、同一の航空会社でチェックイン済みが前提となります。航空会社が違うと補償なしですので、3〜4時間は必要と考えています。
際どい乗り継ぎも過去に経験していて、中国の内蒙古、満州里から北京南苑、そして北京国際から大連の乗り継ぎで、北京の空港が違うので4時間取っていたのですが。。。北京の南にあるマイナーな南苑空港に2時間20分遅れで到着。タクシーに飛び乗り、運転手に頼んで飛ばしてもらい北京国際空港に滑り込んで何とかセーフ。晩飯のために最終の大連便を取っていたおかげで助かりました。結局、その日は晩飯抜きでしたがw
羽田 06:30-09:55 香港 18:25-23:15 ドバイ
ドバイ 0320-0720 ローマ 17:00-18:15 カターニャ
CTA 1435-1650 BCN
BCN 1330-1445 カサブランカ 1610-1710 アガディール
AGA 0950-1055 CMN 1510-1810 バルセロナBCN
BCN 2240-0735 DXB 1005-2120 HKG
HKG 10:15-12:05 TPE 14:40-18:55 成田NRT
次にレンタカーの手配です。そもそもシチリア島を選んだのが、古代ギリシアの植民都市アグリジェントの遺跡を見に行くためなので、カターニャで2日間、そして、アガディール周辺をドライブするのに3日間レンタルしました。どちらも、左ハンドルのマニュアル車です。多少の不安も有ったのですが少し走ればすぐに慣れます。(とはいえ一度だけ反対車線に入り込みましたw)
ローマは、真面目に観光となると数日かかりますが、今回は立ち寄る程度なので朝の08時過ぎに到着し荷物を預けて、タクでバチカンのサンピエトロ寺院に向かいました。日曜の朝ということで、無料で入場出来るバチカン美術館の周りはとんでもない人の列です。次に、ローマ帝国の首都の遺跡フォロ・ロマーノを訪れます。空港近くにもオスティア・アンティカの遺跡が有り、帰りに寄ろうかと思ってたのですが、結局、歩き疲れてそのまま空港に戻りカターニャへ。
カターニャは、日没前の19時前に到着。レンタカーを借りて、早速スーパーマーケットで買い出しです。走ってみてわかったのがスーパーは、日曜が休みということw。コンビニなんてのも見当たらず空港近くのホテルで宿泊しました。次の日は、いよいよアグリジェントに向かって出発です。途中、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレという古代ローマの別荘跡を見学。ココとアグリジェント、シラクサの遺跡がシチリア島の世界遺産です。
アグリジェントについてからは、州立考古学博物館に寄ってから遺跡に入場です。この日は昼から夕方まで、広大な神殿の谷を巡ってきました。全体で片道2kmほどで往復4kmといった感じで、歩いてみると、点在している遺跡が順に見えてくることもあり余り苦になりません。この日は、観光客以外で結婚写真の撮影チームや現地の修学旅行なども見られ賑わっていました。かつて、ヨルダンのペトラ遺跡でもかなり歩きましたが、いつ着くかわからない岩山を延々歩くのと、目標が見えてるのとではえらい違いです。
宿泊は、遺跡近くのHotel Villa Athenaにしました。レストランからライトアップされたコンコルディア神殿が綺麗に見えます。これまでの経験では遺跡近くのホテルは、閑散としていて安かったのですが、ココはいい値段です。オマケになかなか予約が取れません。何より景色は最高なので記念旅行で泊まる分にはオススメします。当日は、旅慣れた日本人女性客が数名宿泊されていました。
5日目は、カターニャ市内を回って、バルセロナに飛びます。カターニャの市街地は、石畳の狭い道に思い切り路駐していて走りにくいです。市内に有るロマーノ劇場など色々な遺跡を見に行きました。専用の駐車場など元々無いので、多少離れていても路肩に駐車スペースが有ったらさっさと止めて歩くのがイイです。
バルセロナへは、LCCのブエリング航空を使いました。スペインに帰る観光客が多くて賑やかでした。ホテルは、サグラダファミリアから歩いて5分のIbis Barcelona Centro Sagrada Familiaです。ここも人気があり、かなり早めに予約しないと取れません。サグラダファミリアは、翌朝09時のチケットを取っていたので、入り口近くのカフェで朝食を取り入場しました。朝イチが一番空いているようで、ゆっくり回る事が出来ます。開館30分ほどで満員状態になります。一時間ほど中で過ごして、いよいよモロッコへ出発です。
アガディールは、地図で見るとカナリア諸島の右上辺り、大西洋に面するリゾート地です。欧州からのリゾート客ばかりなのでモロッコらしからぬ街でした。寒流の流れる海岸部は涼しい風が吹き、空気も乾燥していて夕方はTシャツだと寒くなります。アガディールから西サハラにかけての沿岸は日中も風が強く、サーフィンが盛んです。ホテルは、1年前に予約したイベロスターが改装休業期間になってしまい、Royal Atlas & Spaにしました。涼しい土地柄なので、プールは通年で温水です。
アガディールの名産品は、アルガンオイルと少しマニアックですが三葉虫の化石で、その両方を購入してきました。三葉虫の化石はクリーニング済みの品、石に入ったままの品、修復しなおして石に閉じ込めた品(所謂偽物)などいろんな品を見る事が出来ますが、専門店は有りません。クリーニング済みの品や偽物は石の店に、石に入ったままの品は土産物屋さんに行けば手に入ります。ドライブがてら、山間の採掘地の近くまでレンタカーで行ってみたのですが、扱っていそうな店は見当たりませんでした。
帰りは、アガディール発で当日の時刻変更に遭遇w。90分ほど出発時間がずれるとのメールが、前日の夜中に来て焦りましたが、カサブランカの乗り継ぎで4時間半みてたのでそこで追いつき無事に帰着しました。
今回、延べで5日間レンタカーで走ってみて思ったのですが、シチリア島もアガディールも市街地を除けば信号が少なく、幹線道路の接続のほとんどがロータリーでした。ロータリーに入って1つ目、2つ目、3つ目と出ていくわけで、間違えて通り過ぎたらもう一回回ればOKという作りです。信号だらけの我が国の道路事情と比べてみると、全く合理的で省エネであると感じました。ロータリーに入る際は、自然に減速するか一旦停止するため、事故も見かけません。
2018年2月
3泊6日でオマーンのサラーラに行ってきました。以前から行きたかった街の一つで、紀元前からの乳香の集積地です。ローマ帝国へ輸出していた積出港の遺跡も残っていて、乳香の土地として世界遺産に登録されています。
サラーラはドファール特別行政区の中心地で、かつての独立運動、ドファール解放戦線の地でもあります。70年代後半には、政府軍に殲滅されてしまうのですが、ドファール地方の独立運動を南イエメンが支援していたころ、アデンの短波放送、DYBSから「オマーン革命の声」という支援番組が放送され、日本でも良好に受信出来ていました。かくいう私も76年当時、連日連夜イエメンの短波を聴いていたこともあり、懐かしい記憶でもあります。
今回の出発も、いつもの00:30羽田発エミレーツです。ドバイ着07:20なのですが、その日は濃い霧がドバイ空港を覆っており、40分ばかり着陸待ちの旋回をしていました。降りてみると案の定、乗り継ぎのマスカット便が飛び立った後でした。クレームカウンターで、次の便が夕方になることを確認した上で、用意されたホテルに移動して朝食です。この便で、6人ほどが置いてきぼりになったようです。
この時点で、その日予定していたマスカット市内のBigbus tourはキャンセルです。Bigbus tourは香港やドバイで走っているのと同じ会社です。前回、ドバイの正月火事騒ぎの時もマスカット行きを取り止めてキャンセルしてるので、これで2度目です。返金してもらえるかな〜とも思いながら、そういう運命なのだとアッサリ諦めて翌日に備えます。(メールで予約番号を伝えたところ、後日、返金されました)
夕方になって、エミレーツの迎えが来てマスカットに飛びました。この日のホテルはインターコンチで、到着すると敷地内でアラビア歌謡の屋外コンサートをやってました。観客は全員、白い民族衣装で、入場ゲートには、なぜかマシンガンを持った警官が立っていました。もしかしたら王族がエジプトかレバノンの歌手を呼んで貸し切りにしたのかもしれません。
翌朝は、オマーン・エアでサラーラに飛びます。ホテルはサラーラから少し離れたミルバトという街のマリオット、Mirbat Marriott Resortです。今回、このホテルの海辺の写真でココに決めました。シュノーケリングが楽しめそうなくらい海の透明度が高く、綺麗で、ミルバトを選んだ甲斐が有りました。
最終日は、チャーターした車でローマ帝国のころのサムハラム遺跡、自然公園のWadi Darbat、シンクホールやCave Teyqといった地底の大きな穴など見て帰国の途に就きました。
2018年1月
年末年始は、5泊7日でカンボジアに行ってきました。今回は、ANAの成田-プノンペン行きで飛びました。カンボジア国内は、アンコールエアです。年末にシェムリアップを訪問してから、シアヌークビルで年越しのスケジュールです。
NRT 10:50-15:40 PNH プノンペンで入国、乗り換え
PNH 19:15-20:05 REP
REP 17:25-18:30 KOS
シェムリアップでは、Wheel Garden Residenceという街中の小さなホテルに宿泊しました。キリング・フィールドのワット・メイ寺院の近所です。2日間、トゥクトゥクをチャーターして遺跡巡りをしながら揺られてきました。
大晦日は、お昼にシアヌークビルへ飛んで早めに休むつもりだったのですが、アンコールエアのお昼の便がフライトキャンセルになり、夜の便で向かうことになりました。ホテルはシアヌークビルでは少し豪華な、ソカビーチリゾート、Moha Mohori by Sokha Beach Resortです。部屋に入ると、キングサイズベッドの前にジャグジーが有り、その向こう側にTVが置いてあるという映画に出てきそうな配置で楽しめました。ソカは、カンボジアの代表的なホテルチェーンなので、建物は古いながらも豪華な作りです。ガラディナーの後、プライベートビーチを散歩して花火など眺めて過ごしました。
元旦は、ホテルで予約したアイランドツアーに参加してシュノーケリングです。ある程度大きな船で、中国からの団体さんが大勢乗っていました。前回、ヌメアで使ったフィンが物足らなくて、今回、長めのモノを購入して持参しました。使い始めは、楽に早く泳げるので良かったのですが、その分、脚力も必要になり後半は足が攣りまくりでしたw。おまけに水中メガネを、うっかり深みに落としてしまい、海の透明度も悪くてロストしました。やはり、どれだけ深くても底まで透き通った海がイイです。
2日は完全にオフ状態で、市内見物、観光。3日朝にはプノンペンに戻り帰国です。
プノンペン行きは評判の良い長距離バスGiant Ibisを予約しておいたので、安心してバス停に向かったところ、その時間のバスは前倒しになって出発してしまったとのこと。こちらも、携帯電話をwifi機内モードにしていたため、変更の連絡を受けられない状態でした。でも、前倒しって有りか??w。
兎に角、プノンペンに戻らないことには帰国出来ません。この日は、プノンペンの王宮と国立博物館も見学する予定だったのが、それどころではなくなりました。バス会社のカウンターでタクシーを当たってもらうも捕まりません。結局、夕方発のバスの補助席を確保してプノンペンに戻りました。長距離バスはターミナルが有るわけでもなく、その会社のプノンペン営業所までの運行です。ということは、そこからまたタクシーで空港まで行かねばなりません。
このペースだと夕食も無理かもと諦めかけていたところ、乗っていたバスが車線変更でトゥクトゥクを巻き込み事故を起こしてしまいました。幸い、誰も怪我もなく運転手同士が相手のせいだと延々言い合いしています。時間が。。。ふと、窓の外に目をやると、そこは見覚えの有るプノンペン空港でした。不幸中の幸いと、慌ててドアを開けてもらい、同乗の皆さんに挨拶して降車しました。おかげで、飛行機の時間にも間に合い、更に空港前の吉野家で牛丼を食べることも出来ました。吉野家ウマシw
2017年11月
3泊5日でニューカレドニアに行ってきました。今回は特に目的もなく、ヌメア沖合にあるメトル島のホテル、Escapade llot Maitreの水上コテージに泊まってみようと出かけました。成田からの直行便で気軽に行けます。
NRT 12:30-23:00 NOU
パリ-成田-ヌメア間は、エールフランスとエアカランの共同運航路線なので、エールフランスでチケットを購入しても値段は同じです。今まで知らなかったのですが、パリからエールフランスでヌメアに行く人は必ず成田を経由するということ。結果、機内はフランス人で満席です。日本人は女性同士や新婚さんのツアー客が数えるほどしかいませんでした。
初日は0時近くに到着で、市内のヌバタホテルに泊まり、翌朝メトル島へ移動です。水上コテージは当然部屋からそのまま海なので、持参したHD水中カメラとシュノーケルセットで長時間泳げました。魚の群れに囲まれる経験は感動ものです。子供連れで水上コテージに宿泊する場合は、事故免責の書類にサインする必要が有ります。前後の1泊ずつが市内のホテルなので、1泊だけの水上コテージが高めの価格でも3日間の通しで考えれば気になりません。
翌朝、明け方に目が覚めてデッキから海を眺めてみると、ウミガメだらけで驚きました。エイやウミヘビも見られます。我を忘れてビデオ撮りですw。太陽光の角度のせいか時間と共に海の色が変化するのが意外でした。
次の日は、ヌメアのヌバタホテルに戻り、ポンツーン(浮き島)に出かけて一日過ごしました。レストランと日本人向けのスキューバクラブの休憩所を兼ねた設備のようです。そのスキューバクラブを通して予約しました。折角なのでウェットスーツも着てみたのですが、窮屈過ぎて直ぐに脱いでしまいます。やはり海パンにフィンで泳ぐのが、一番気楽でイイです。
2017年7月
4泊5日で西表島に行ってきました。今回の目的地は、陸路で行けないイダの浜です。海に浮かぶ2人乗りのクリヤカヤックの影が海底に映った写真を見てしまったのがきっかけです。隣の石垣島は、毎年、海の日に来るので、少し足を延ばして行ってきました。
羽田 6:55発 → 石垣 9:45着
早朝の直行便なので羽田に前泊してスタートです。石垣空港から港のフェリー乗り場、そして西表島へ。港に着いてみると。。。大原港!?。
うっかり乗ってしまったのですが、ホテルは、ニラカナイにしたので、上原港行きのフェリーに乗るはずが大原港行きに乗ってしまいました。。。。。。
そうです、チケットの買い間違えです。慌ててタクシーを探すも乗り場には1台もいません。売店で聞いてもらうと、元々2台しかないタクシーはチャーターされてるとのこと。しょうがないので急遽、レンタカーを借りてホテルに向かいます。おかげで、西表島を半周ドライブすることになり、随分楽しめました。この島にしかないヤマネコに注意の標識も在りました。また、後から伺った話では、信号は島の南と北の2ヵ所しかなくて、それも小学校の生徒に教えるために設置されているとのこと。随分のんびりしています。
翌日は、イダの浜のクリヤカヤックで半日、シュノーケリングツアーで半日と海三昧です。夕食は、お店が少ないことから、どの店も予約が必要とのことでした。唯一、道路沿いにラーメン屋さんが有り何とか食事は出来たのですが、中国人の家族連れも後から入ってきてレストランがないとぼやいていました。食事に限って言うと、ホテルから一歩出てしまうと、海外からのインバウンド需要に答えられそうに有りません。
最終日は石垣島で、マグロと石垣牛の握り寿司を堪能して帰途につきました。
2017年5月
7泊10日でマダガスカルとセーシェルに行ってきました。今回の目的地は、モロンダバのバオバブ街道とセイシェルズ、プララン島のアンスラジオです。どちらも国内便を乗り継いで行くことになります。
チケットは、セーシェル航空の周遊券を組んで、香港-アブダビ-マヘ-アンタナナリボ往復で7万5千円と格安でした。但し、羽田-香港のチケットは香港エクスプレスで、別途往復3万2千円。
香港-アブダビ間は、セーシェル航空の株の40%を取得したエティハド航空便の共同運航便でマイルもエティハドに貯められます。香港や仁川からのチケットが安いといのは知っていますが、それにしても安い。。。。香港では乗り換え時間を利用して、ディズニーランドで半日遊んできました。
羽田 06:35-10:05 HKG
HKG 18:55-23:40 AUH
AUH 02:40-07:20 SEZ
SEZ 10:05-11:50 TNR
マダガスカル初日は、レミュールパーク観光で、2日目にモロンダバです。レミュールパークは、キツネザルがじっくり見られる自然公園です。何でも、日本人とフランス人の共同経営だとか。アンタナナリボ市内の治安には、多少の不安が有ったので、この日は空港近くの宿で泊まりました。市内のマーケットなどでギャングが出没するとかで、ツアー会社の運転手さんも市内中心部を走るときは、ドアロックして警戒しています。一方、空港近くの街は、未舗装道路が多く懐かしい雰囲気が漂っています。50年前の日本の田舎道を思い出します。
翌日、アンタナナリボからモロンダバは、エア・マダガスカルではなくマダガスカル・エアウェイで飛びました。wikiにも載っていない新しい航空会社ですが、破綻したマダガスカル航空に代わって伸びそうな気がします。但し、イヴァト空港のターミナルでのチェックインではなく、空港側面のプライベート・ゲートでパスポートを見せて敷地内に入りチェックインしました。チャーターした車の運転手さんが知っていて助かりました。知らないと空港正面で降りてしまい、慌てること間違いなしですw
この路線、困ったことにどちらの航空会社も毎日飛んでいません。次の日に戻れないわけです。陸路でも、700km弱の一般道をひたすら走って1日半はかかります。未だに山賊もいるそうで夜間走行は御法度です。第一、街灯もない山道が続くのと、村を通過する際は、手動のゲートも開かねばなりません。また、モロンダバからアンツィラベのほとんどの橋が何故か、1車線の交互通行です。おまけに山羊の群れや牛車もいるのでナビの時間は全く当てになりません。
結局、モロンダバからアンタナナリボは、旅行会社手配のチャーター車にしました。到着した日に出発すれば1泊2日で、取り敢えず翌日には戻れます。バオバブの森で90分ほど散歩して帰途につきます。市場の街や電気のない村など、いくつか通過してアンツィラベで宿泊。マダガスカル第3の都市で標高1,500m。ここまで来れば、アンタナナリボなで、あと3時間ほどです。
翌日、昼前にはアンタナナリボ空港まで戻ってきました。お隣のモーリシャスと比較すると、観光向きとは言い難い国なのですが、治安とインフラ面が整備されれば、豊富な自然を背景に観光立国になる可能性は残っています。広い国土なので移動時間だけがネックです。主な観光地巡りだけでも2週間は必要です。今回は、レミュールパークとバオバブ街道のみの決め打ちで、入国から出国まで3日間で押さえました。これにセーシェル4日間プラス移動といった感じです。
空港に戻る途中で川沿いに有る土産物の屋台村に立ち寄って、アンモナイトの化石を物色。アンモナイトの店は確か3つ、4つくらいは有ります。屋台村の中ほどの店が良い品が多くてオススメです。但し、店の親父は頑固でなかなか値引きしてくれません。その店で、白亜紀の光り輝くクレオニセラス種と1kg以上する砂岩のようなジュラ紀のペリスフィンクテス種を手に入れました。到着した日に店を覗いて目を付けていた品です。
この品のおかげで、出国後、ちょっと慌てることに。。。。空港でチェックインして出国ゲートを越えたところで、何故か「手荷物検査場」が有り、アンモナイトは機内持ち込みできないとのこと。購入証明書が有れば通れるものと思いきや、凶器になる可能性があるからか預け入れ荷物にするよう指示され慌てて出国ゲートを逆行するハメに。再びチェックインカウンターに戻ると、向こうも慣れたもので袋のままで大丈夫とか言ってコンベアに乗せていました。出国後の手荷物チェックは、勘弁して欲しいところです。。。。。というかそもそも順番が違うし、こんな国は他にないでしょうw。
5日目の昼から、次の目的地、セイシェルズに向かいます。マヘ空港近くの民宿で一晩泊まって翌早朝、プララン島へ出発です。そして、世界で最も美しいビーチと言われるアンスラジオ・ビーチで泳いで来ました。透き通った海辺に砂浜、独特な岩がマッチして絵になる風景です。 浅瀬で、足元にエイの子供が泳いできたりします。ホテルはプララン島南側のココ ドゥメールホテルで、アンスラジオを往復するバスが一日2便出ていました。
2017年3月
2泊5日でドバイに行ってきました。砂漠の中にあるバブ アル シャムス デザート リゾート アンド スパと、パームジュメイラにあるアトランティス ザ パームに1泊ずつです。今回は、砂漠に囲まれたプールで一度泳いでみようということで行ってきました。
UAEは、毎年行くようになったので温泉旅行に行く感じで、0時半の羽田発エミレーツです。ドバイ着07:20ですが、ホテル送迎が有ったのでそのままホテルへ向かい、朝食、プールでひと泳ぎしてからチェックインです。砂漠の真ん中なので、泳ぐ以外は何も在りません。
夜は、隣接しているレストランAL HADHEERAHのディナーショーで、ベリーダンスとBBQディナーを堪能しました。iPhoneアプリで、アラビア半島のレストラン予約アプリReserveoutというのが有り、事前に予約しておきました、ベルトラなどオプショナルツアーで販売されている砂漠のショーのひとつです。ホテルの宿泊者は、着いてからでも予約出来ます。
ホテルからレストランに向かう砂漠の小道が在るのですが、道沿いにスピーカーが仕込まれた岩がいくつも有り、アラビア音楽を聴きながら夜道を散歩する感じで、宿泊者だけの憎いサービスが楽しめます。空は満天の星です。ツアーの人は送迎車で来るので両方とも気が付かないかもしれません。入場すると、一般席ではなくて、ソファー席にアサインされました。「今度宿泊するけど先に予約しとくよ」と伝えて有ったのが良かったのかもしれません。
入場したときは宿泊客だけでガラガラだったのが、ショーが始まるころにはツアー客も到着し満席となっていました。ベリーダンスは、まあまあです。その後のベドウィンダンスはかなり長めで、我が家の娘はソファーで爆睡ですw。
翌日は昼にチェックアウトして、アトランティス ザ パームに向かいます。バブ アル シャムスからアトランティスに向かう途中に、トランプ大統領の経営するゴルフ場や分譲マンションが見えます。
アトランティス ザ パームはアクアベンチャー ウォーターパークが併設されていて宿泊者は無料です。世界のウォーターパークランキングTOP10にランクインしていて、多くのアトラクションが有ります。9階の高さからほぼ垂直(!)に滑り落ちるウォータースライダーがウリで、2回滑ったのですが落ちるのが早過ぎて景色は楽しめません。
4日目は、チェックアウトして郊外のドバイスポーツシティに在るビジネスホテルに移動。翌日深夜02:55のフライトなので、宿泊はしないけど荷物置きとシャワーが使えるように取りました。
今回の目的のひとつが、前年にオープンしたIMG Worlds of Adventureに行くことだったので、まったり覗いてきました。ここは世界最大級の屋内メガパークで、マーベル、カートゥーンネットワーク、IMGブールバード、ロスト・バレーの4つのセクトに分かれていて、20以上のアトラクションが楽しめる全天候型テーマパークです。特に、マーベルはアベンジャーズ、スパイダーマンなど大人も楽しめます。平日ということもあり、かなりガラガラでお客より従業員のほうが多い感じです。ここは、お客が来ないとタクシー乗り場に車が来ません。待ちの時間を見ておいたほうがよさそうです。屋内から屋外に突き抜けるジェットコースターも、一人で貸し切りでした。
2020年には、ドバイ万博EXPO2020が開催され、延べ2,500万人の来場を見込んでいることから、それまでもてば期間中はここも満員になるでしょう。ドバイ万博は、2020年10月20日から2021年4月10日の期間で、中東・アフリカでは初開催となります。
夕方からは、グローバルビレッジへ。 冬場の16:00〜0:00に開催されるミニ万博で、これが楽しみで毎年ドバイに来るようになりました。各国のパビリオンが広大な敷地にずらっと並んでいて、万博みたいですが、どこも中に入ると小さなお店が並んでいる物産展の感じです。パビリオン内でのショッピング、ライブ演奏や民族舞踊、夜には屋外でもアラビアン、アフリカンなど同時に数ヵ所でライブ演奏をやってます。また、シリア、イエメン、アフガニスタン、アフリカ館などでそこそこ珍しい品を見る事が出来ます。暑いドバイでは夕方より、21時以降の遅い時間ほど人が多くなります。
このグローバルビレッジには、冬場だけの移動遊園地も併設されていて同じ時間で運用されてます。専用コインをまとめ買いして遊ぶシステムです。お客の100%近くが、サウジやクウェートなどアラビア半島からの家族連れです。どちらも帰りのタクシーは、遅い時間であれば山ほどいるので心配なしです。
2016年11月
3泊5日でミャンマーのバガンに行ってきました。ボロブドゥール、アンコールワットと並ぶ、世界の仏教3大遺跡の一つです。今回は、JALでオーソドックスにバンコク乗り換えでヤンゴンへ。乗り換え時間を使って、黄金に輝くシュエダゴンパゴダに向かいました。国営TV、MRTVの終了時や開始時に国歌演奏のバックに写される巨大な仏塔です。
ゆっくり回って1時間半くらいかかります。それからハウス オブ メモリーズ レストランで昼食。ここは、ミャンマー独立の父であるアウンサン将軍が、事務所として使っていた建物をレストランとして利用していて、書斎がそのまま展示室になっています。この日は、欧米からの団体ツアーと、うちの家族で貸し切りの様相でした。
名駅 19:00-中部国際空港19:44
21:00 中部国際 (NGO) - 羽田(HND) 22:00
00:05 HND - 05:05 BKK 08:00 - 08:45 RGN ヤンゴン
15:30 RGN - 16:50 NYU ニャウンウー
ヤンゴンからバガン近郊のニャウンウー までは、エア・カンボーザ(AIR KBZ) で向かいます。チェックインの際、シャツに航空会社名の入ったシールを貼り付けられます。
ヤンゴンの国内向けターミナルは外国人には鬼門です。アナウンスは全てビルマ語で、おまけに電光掲示板も有りません。時間通りに飛ぶわけでもないのでアナウンスが有るたびに欧米ツアーの皆さんが立ち上がりますw。かくいう私も、それとなく歩き回って列に並んでいる人の身に着けている航空会社のシールを確認していました。衛星テレビのおかげで、ビルマ語を聴くのはかなり慣れていますが、それでも全く理解出来ません。
結局、ニャウンウーには3時間遅れの双発プロペラ機で20時過ぎに到着。丁度、日没前の時間で着陸体勢に入ったあと左側の窓からバガンの遺跡群が少しだけ見えます。(ヤンゴン発便の場合)
ホテルは、バガンを代表するAureum Palace Hotelです。バガン考古学保護区内に有り、ホテルのインフィニティプールからは古代寺院が目の前に見えるロケーションです。遺跡群まで数分の距離なので泊まるならココと決め、このホテルを予約してから航空券を買いました。
実際、人気が高いのでかなり早めに押さえないとなかなか取れません。ホテルサイトの枠取りも有るので、希望の日の部屋を持っているサイトを探さないといけません。このホテルに隣接した付属施設であるバガンビュータワーからはオールドバガンの全景が見渡せます。明け方がオススメです。もちろん宿泊客は無料でアクセス出来ます。
次の日は、中国製の電動バイクをレンタルして遺跡巡りです。バガン考古学保護区は、11世紀から13世紀に建てられたパゴダや寺院が3000以上有りながら、世界遺産に指定されていない街です。完全な遺跡でなく、現在もあれこれ改装しながら参拝客が訪れていることが世界遺産の認定されない理由ということらしいですが、それでもその規模には圧倒されます。
タビィニュ僧院では、日本語とビルマ語で書かれた日本人戦没者慰霊碑を参拝。昭和19年のウ号作戦(インパール作戦)では、インドの英軍への投入兵力8万6千人に対して、帰還時の兵力は僅か1万2千人という悲惨な記録が残っています。当時、後方基地がマンダレーからバガンの地に有ったわけで、寺院の休憩所には戦跡巡拝団寄贈の時計がかけられていました。
3日目は時間が有ったので、近隣の村も訪問してみました。村に行くと、子供たちが土産物屋さんに案内してくれます。夜は街に出て、ディナーショー(Bagan Golden Palace Dandaree)を楽しみました。数か月前に予約していたので最前列のテーブルです。こちらは、日本からの団体ツアーも来ていましたが時間の都合からか、ショーの途中に入ってきて食事が済むと再びショーの途中で帰ってしまいました。それでも楽しめるならいいのですが。。。。
我が家の娘は遺跡巡りで疲れたのか、スプーンを持ったまま爆睡ですw
帰りはマンダレーからバンコクのチケットにしたので、マンダレーに移動。車で3時間以上ですが、飛行機だと30分です。ここではミャンマー木造寺院の最高傑作と言われているシュエナンドー僧院を見学して、王宮の外観を眺めながら空港に向かいました。空港の掲示板にはいつものディレイの表示が出ていて。。。。。マンダレーで40分、バンコクで3時間半の遅延で帰国しました。
そして、この後、転勤で名古屋から宇都宮へ移住です。
2016年5月の連休はメキシコ、キューバ9日間です。キューバはビザの代わりにツーリストカードが必要で、ロンドンのCubaism Limitedに依頼しました。1人23ポンドくらいで、国内で手配するよりかなり安く手に入ります。 ホテルも米国系はまだ有りませんから、イベロスターから選んで、Laguna Azulをチョイス。これはギリシアの旅行会社を経由して取りました。これもかなり安い設定でした。
中部国際-成田-メキシコシティ-ハバナ-カンクン、メリーダ-メキシコシティ-成田-中部国際というルートで、成田、ハバナの両方に乗り入れしているアエロメヒコで、昨年の11月に周遊券を組んでみました。全部で7回飛んで来ました。これでチケット代は13万くらいです。カンクンからメリーダのみバス移動です。
メキシコシティーは実に30年ぶりでしたが、ソカロにホテルを取って、テオティワカンのピラミッドを見る定番コース、キューバはメイデイの昼に到着ということもありハバナには寄らずにバラデロ直行です。ハバナの空港からバラデロまでは、タクで2時間ほどです。まだ、物価が安いので長距離でもタクが使えます。4日滞在して、最後はユカタン半島です。
帰りのハバナ空港で燃料漏れのトラブル発生。というか機体右翼後方にあったマンホールからの燃料噴出で巨大なシャワーが上がりだしました。作業員2人がマンホールのふたの上に乗っても水圧で、持ち上げられてます。気の毒なことに作業員は、そのまま10分以上、燃料を被っていました。こちらも物珍しさに眺めていましたが、サブエンジンが停止され嫌な予感。。。。
搭乗完了後で発進直前でしたが、直ぐに全員降機となりました。
その後、路面にこぼれた燃料を中和し、機体を移動させ、1時間遅れで出発。
カンクンには、予約したバスにギリギリ間に合うくらいの時間に到着。到着ターミナルからは一番遠い、バス停のある国内ターミナルに猛ダッシュ。結局、幸か不幸か、その時間のバスはキャンセルになっていて、次のは1時間後にあるとの事。来たのは15人乗りのミニバスで、客は9人だけ、飛ばして3時間ちょっとで到着。大型バスだと4時間半の道のりなので、予定より早く到着となりました。
翌日は昼までのんびりしてウシュマルヘ向かいます。この日は、ピラミッド近郊のホテルに宿泊。ピラミッド近くは、道路以外はほぼ、ジャングルといった感じ。宿泊客はうち以外は3組のカップルのみです。夜遅くには、スペインのバルセロナ大学の研修ツアーが到着。こちらは大型バスの弾丸ツアーで、朝食後には出発して行きました。日本人だけではないですね、慌ただしいのは。
ピラミッド近郊は、何もないので昼にメリーダに移動。空港でチェックインして荷物を下して市内散策です。空港タクシーは街まで定額で200ペソ。空港の外まで歩いて流しのタクシーで街に向かえば半分くらいで行けます。その日の夕方、メキシコシティに向かう飛行機は乗り換えの客待ちで、40分程度の遅延で済みました。既に遅延慣れしていて、このくらいは全く焦りません。
メキシコシティには21時に到着。成田行きは02時なので早過ぎるけど、中途半端な時間なので取り敢えずチェックイン。んで、ラウンジに行ってみると何故か超満員でやたら日本人が多いことに気付く。。。16時の成田行きチャーター便がキャンセルになったらしい。アエロメヒコ的には、こういうのは日常茶飯事らしい。
で、その人たちは01時くらいに集合場所に行ってしまい、一気に閑散となりホッとしておりました。この後、何かが起きる前兆だったと気付くのは、搭乗ゲート前でスタンバイした時でした。
5つくらいの列があり、係員にあなた達あっち!!と指差されたのが最後の列でした。本来の列の外やカウンターにも人が群がっています。んー、連休最終日の成田帰着便なので元々満員なのに、キャンセルになったチャータ便の客をこちらに全員乗せる気ですw
もっともアエロメヒコ的には、こういうのも日常茶飯事らしいです。ゲート前は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」状態です。やわら、振替ボランティア募集のアナウンスも流れ出しました。同じ席のチケットを持った人達が後方に回されて、リストを基に手作業で振替の席を付けてもらっています。振替の席と言ってもまだゲートに来ていない人のを順にあてがう訳で、知らずにのんびり来た人たちはチケットを持ちながらもアウトでした。
飛行の方はやや遅れて出発したものの、途中で時間を稼いで、20分の遅延で成田へ到着しました。やれやれ。
2016年の正月は7日間、ドバイで過ごしました。今回のルートはA380に乗るために、アシアナとエミレーツで中部国際-仁川-ドバイの往復です。それぞれ、ANAとJALのマイレージ利用です。JALのマイレージでエミレーツのチケットは比較的取り易く、日本のハイシーズンも関係有りません。但し、今回は正月を挟むので前年の2月、10ヵ月前にチケットを取りました。
ソウルでは久しぶりに、梨泰院に立ち寄り焼肉をガツンと食べて出発します。ドバイのホテルは9ヵ月ほど前に苦労して予約したシャングリラです。これはメンバーサイトで既に売り切れていた部屋をとあるサイトで偶然に発見して押さえたもので、それも格安でした。で、多少の怪しさもあったので、念の為、シャングリラ本部に照会して確認の上、出発しました。ドバイの正月はホテルを先に取りましょう。出来れば1年前にw
ドバイでは、Big busに乗ってブラブラ歩き回ったり、プールサイドでイエメンの短波を聴いたりしていたのですが、大晦日の夜、ジ アドレス ダウンタウン ドバイ の火災に遭遇。
年越しのパーティーに備えて眠ってたのですが、ふと22時半にCNNをつけたところ、ドバイで火事とのテロップが。。。。。で、2kmばかり先にあるホテルが燃えていてビックリしました。 私の滞在したシャングリラから2kmちょっと離れていますが、シェイクザイードロードの向こう側、ディシタニとブルジュカリファの隙間に見えておりました。隣のブルジュカリファは、828m(160階建)有るのでアドレスは小さく見えますが、それでも東京タワー333mとほぼ同じ、302mの超高層ビルです。63階建ての20階付近より出火で消防の放水も届きません。この後、2日間、片面の壁が燃え続けていました。1月20日の警察の発表によると、14階と15階の間に設置された、ホテルを電飾する照明がショートして壁面が燃えたという捜査結果を発表しています。
この日、ブルジュカリファの花火客は既に通りに溢れていて、人にまみれながら火事と花火見物となりました。あの花火の2時間前に隣のホテルが燃えるなんて、全くどうなっているのやら。結局、元旦から予定していたマスカット行きは取り止めにして、火事騒ぎで空きが出たダウンタウンラマダに移動して正月三が日をまったりと過ごして来ました。
2015年の5月連休は香港、ドバイ経由のモーリシャス7日間です。中部国際-香港は香港エクスプレスを利用、香港からはエミレーツのA380です。このルートは、11万程度のチケット代で東アフリカに向かえることから、もう少し足を延ばしてモーリシャスに決定。ヒンズーの祭りに遭遇したり、ゾウガメの保護センターを見に行ったりしました。
2015年の正月はニャチャンで過ごしてきました。前に一度、訪れたのですが、その時は5月で暑すぎて、あまり歩き回れなかったので、今回はそのリベンジです。
名古屋からニャチャンへは、ベトナム航空のハノイ便を乗り継ぎで全行程12時間半くらい。ニャチャンの気温は21〜28℃くらいで大変過ごしやすい時期でした。曇りの日のプールは肌寒い感じですが、晴れればプールサイドで日光浴が楽しめます。ホテルは、昨年オープンしたインターコンチネンタルと、2008年ミス・ユニバースのホスト会場として使用されたダイアモンドベイ・リゾート&スパを利用しました。 このニャチャンでのミス・ユニバは、当時、Thaicom-5のVTVやFTVでも中継されていて見ておりました。ダイアモンドベイ・リゾートの方は、市内からは離れていて、かなり静かな場所にあります。このホテル、前回も利用しているのですが、常にほとんどの宿泊客がロシア人です。少々古い作りということも有り、お手頃な価格で広い敷地でのリゾート気分が味わえます。ニャチャン空港には、モスクワからの直行便が飛んでいて、一応、国際空港となっています。年末には、大韓航空もソウルからの乗り入れを開始しています。
最終日は、朝のフライトでハノイに戻り、終日市内観光です。昨年の夏に訪れ、少しばかり土地勘もあったので、旧市街のあるホアンキエム湖周辺の安宿を取っておきました。日中の休憩所、兼荷物置き場です。
帰国の便は深夜の0時過ぎということもあり、タクシーと人力車・三輪自転車のシクロを駆使してじっくり回って参りました。ハノイ市は、13年8月に同市を象徴する人力車の廃止を決定していますが、未だ排除に至っていません。恐らく、新たな登録を認めないとか緩やかな規制に留まっているのではないかと思われます。
夜の21時半、ハノイ市内から空港に向かいます。
12月31日には、ノイバイ国際空港第2ターミナルが運用を開始しており、帰国は新ターミナルからです。旅行中、航空会社からの新ターミナルの案内は一切なかったのですが、ネットで検索してオープンを知りました。30日まで、国内線、国際線共用だった第1ターミナルは国内線専用となっているので、気が付かなかったら、随分、時間をロスするところでした。新ターミナルと旧ターミナルの距離は約850mあり、シャトルバスでの移動になります。第1ターミナルには、隣のゲートに移動出来る渡り廊下がありますが、これは第1ターミナルの増設部分で第2ターミナルではありません。
空港に到着してみると、とんでもない人の列です。オープンして、まだ2日目ということでかなりの混乱具合です。セキュリティーも厳しく、通常ならほとんどフリーパスのCAが出国できずに並んでいたりしています。幸い、昨年、スカイチームのエリート・プラス会員を取得していたので、エコノミーながら、並ぶことなく優先チェックイン、優先出国が出来ました。
2014年5月、念願のヨルダン縦断に行ってきました。セントレア-北京-アブダビ-アンマン、ジェラシュ、死海、アカバ-アンマン-アブダビ-北京-セントレア
アカバは最高気温38℃。アンマンは32℃といった感じです。初日は、ジェラシュのローマ帝国遺跡を堪能し、日没前に死海に到着。取り敢えず、お決まりの写真を撮るため海に浮かんでみたところ、カメラマン役の家人が「塩が痛すぎ。。。。」と逃げてしまいましたw
翌朝はペトラに向かいます。ペトラは、入り口から奥まで往復で10kmくらいの巨大な遺跡で、さすがに全徒歩というのは無理でした。行きはシークを馬車に乗り、エル・ハズネの手前からエド・ディルまでを徒歩で、帰りは徒歩、ロバ、徒歩、馬と乗り継ぎです。途中から、延々登りの坂道で、炎天下ということもありなかなかハードなトリップです。夕方までにアカバに入りたかったこともあって、4時間半で何とか往復しました。
アカバには中国人の小さなコミュニティーがあり、ちょっと驚きました。中国製品の雑貨店に行くと、どちらからともなく、「ニーハオ」のご挨拶です。日本人と直ぐに分かるでしょうが、アラブの地では容易に親しくなります。こちらも取り合えず、マクドと中華料理があれば慣れない土地でも何とか凌げます。個人商店のレバノン人、レストランのフィリピン人、メイドのインドネシア人など国際色豊かな街です。ベドウィンの子供がラクダに乗って目の前を通過していきます。
帰りは、ちょっと慌てる一幕もありましたが、何とか帰着しました。
最終日の朝、アカバの空港に行くと米国の団体旅行客ばかりで、一般客はうちの家族の他はソロの米国人1名だけです。アンマンに着いてスーツケースを取りに行くと、米国の団体さんが全員いなくなり、何となく怪しい雰囲気が。。。。。んで、30分経っても荷物が出て来ません。取り敢えず、一般客の米国人1名と一緒に航空会社のカウンターで待つことしばし。。。。。案の定、国際便ターミナルに全部の荷物が行ったようです。結局、ヨルダン航空でそのまま海外に飛ぶ団体さんの荷物が優先されたようです。ソロの米国人は、このあとエミレーツで、うちはエティハドです。こりゃあ、嫌がらせやなあと言ってたら、米国人1名の荷物がようやく出てきて、やれやれと思ったら、うちの荷物が出ないままコンベアが停止してしまいました。しょうがないので、今度はゲートから外に出て、外からガラス越しにコールしました。本来は、荷物を待たずに出てはいけませんが、中の職員を待っていたら間に合わない可能性が出てきたため、そういう判断をして成功しました。
コールして説明して待つことしばし、どこからか、荷物を引っ張ってきてくれました。実に、アカバ-アンマンの飛行時間の倍くらい荷物を待っていたことになります。こちらはアブダビ行きの飛行機に乗れないと、その先の乗り継ぎが出来なくなり、かなり面倒な事になるので、文句も言わずに国際線のカウンターにさっさと向かいました。
今回、旅の友としてDEGENの録音できる短波ラジオを連れて行きました。ペトラでの休憩や、死海やアカバのホテルのベランダでいじっていました。早朝から、FMのアンマン・クルアーン、イスラエルの国内向けや、Kol Israelのアラビア語、スペイン語、ロシア語などをのんびり聴くことが出来ました。短波では、クウェートが強力に入っています。本来、強い信号のはずのカイロやリヤドは、サイドの混信に悩まされていて楽しむといった感じではありませんでした。特に、リヤドは変調も浅く、隣国でも聞きづらい感じがします。また、イエメンとオマーンが久々に聴けると楽しみにしていたのですが、DEGENのロッドアンテナでは、なぜか受信できませんでした。短波で出ていないのかもしれません。帰りのアブダビ空港でも、ラウンジでFMを聴きまくりました。これが最後とばかり、デーツを頬張りロッドアンテナをあちこちに向けて電波と格闘しておりました。
2014年の年末年始をモルディブで過ごしました。12/29-1/5 小松-上海-香港-ドバイ-モルディブ-香港-上海-小松
当初、ヨルダン行きを予定して、アンマンからの直行便が出ている香港までのチケットを購入していたのですが、8月にシリアの毒ガス事件があり周辺諸国の状況もやや流動的でしたので、一旦、延期にしてモルディブへ変更。10月にはキャセイ航空が、香港-モルディブの路線を開設したので、早速、チケットを購入しました。但し、香港からの乗り換えの都合で、行きは、ドバイ経由のエミレーツ航空で、キャセイは帰りの片道だけにしました。運航は水・木・土・日の週4便となっています。片道チケットは高いというイメージがあるのですが、今回、チケット検索サイトで片道で検索してみたところ、いいチケットを偶然にみつけました。航空券を検索する際は、念のため、片道でも検索されることをオススメします。航空会社によってですが、格安で購入出来るケースがあります。往復の半額以下もあれば、逆に往復と片道がほとんど変わらない航空会社もあります。
年末年始のハイシーズンなので、ホテルも青天井価格。大晦日のガラ・ディナー強制参加や航空運賃を合計したら、実にヨルダンへ2度行けるくらいになり目が点になります。
2013年5月、シンガポール経由でペナン島に行って来ました。2005年以来の遅い寒波を迎えた北陸とは対照的で連日、32℃と少々暑過ぎる連休でした。
ペナン州の人口比率は華人系42.9%、マレー系40.7%、インド系9.8%で、全国的レベルのマレー系65%、華人系25%という基準から人口構成が逆転している地域と言えます。要は仏教徒とムスリムが半々なわけです。世界遺産として、また、日本からの定年後のロングステイ先としても有名で、現在、1,600人ほどのリタイヤ世代がペナンに住んでいるそうです。その他、400名ほど企業の駐在員や自営業をされている邦人が住んでいると現地ガイドから聞きました。
マレーシアの通貨リンギットは、昨年、新しいお札とコインが発行されていて、新旧入り混じった状態です。2リンギット札はMeasat衛星がデザインされているのですが、新札発行の対象にならなかったことからか見かけることはありませんでした。また、50センコインなどは前々回のバージョンも流通していて3世代が混在していました。
2012年の年末年始をUAEで過ごしました。12/29-1/5 成田-広州-ドバイ
悪天候で衛星TVが見れないほどの日が多かったので、10月の終りにのんびりと年末の旅行プランを立てました。
初めは、マレーシアのランカウイでも行こうかとチケットの価格動向、タイムテーブルを見ていたのですが、いい乗り継ぎが見つかりません。小松からの安いルートは、成田からではなく、仁川あるいは上海からシンガポールかクアラルンプールに移動して更に乗り換えなのですが、月末に調べた際の最安値は小松-上海-昆明-シンガポールで59,000円でした。現在は78,000が表示されています。但し、このルートは片道で1日半かかります。往復で3日ロスすることからアクセスがあまりに悪くあきらめました。その他、短時間で到着できるルートは83,000円から96,000円と当然いい値段になっていました。年末のマレー半島は、西岸のペナン以北が乾季、クアラルンプールや東岸は雨季になります。
もう、シンガポールから船に乗って、ビンタンでもいいかと考えていた矢先のことです。コタキナバル、セイシェルズ、モーリシャス、ヌメア、ドバイ、アブダビと順に範囲を広げて検索していたところ、ドバイ行きのいいチケットを見つけました。南方航空の成田-広州-ドバイ線です。月初の2日に燃油込み67,500円で押さえました。これでブルジュハリファの花火を楽しめそうです。eチケットを取り出してみると成田-広州の部分はJAL運行便となっています。JALのサイトで成田-広州を見ると85,000円になっています。南方航空のサイトで今日現在の価格を見てみると、成田-広州が14,3500円、成田-(広州)-ドバイが午前発で77,700円、午後発で94,500円となっています。全く不思議な業界です。
ドバイの郊外にグローバル・ヴィレッジというミニ博覧会があり行ってみたのですが、その中にあるシリア館は何事もなかったかのように平穏そのものでした。秋から春にかけて、16時から24時まで開催されていて世界各国のスーク・パビリオンで、名産品や衣料品が割と手頃な価格で販売されています。当然、価格交渉は必要ですがそれも楽しみのうちです。このグローバル・ヴィレッジには、遊園地も併設されていて現地の家族連れが過ごし易い冬場の夜を堪能していました。18時ごろのパビリオン前ではアフリカ、中東、東南アジアなど様々なライブショーが繰り広げられ実に楽しい一時を過ごせます。21時を過ぎると気温も20度を下回り肌寒くなってきます。念のため、長袖の準備もしておいたほうがいいです。
大晦日は、予定通りブルジュ・ハリファの花火見物をしました。ドバイ-アブダビ間を繋ぐシェイク・ザイードロードは片側で最大7車線、本線から分岐したり合流したりする側道が別に2車線あるのですがブルジュ・ハリファに向かう海側車線は数時間に渡り大渋滞していました。今回、初めて行ったのでいい場所がわからなかったのですが、大混雑のドバイモールではなく、メトロのブルジュ・ハリファ駅を直下のバス停の方に降りて数十メートルだけタワーに近づいた位置がベストのような気がしました。とは言っても、1日の明け方に散歩していて気が付いたので実際はココでは見ていません。。。。朝の7時すぎにはタワーの後ろから太陽が昇ってきて逆光になってしまうので、その前に薄明の空をバックに綺麗な写真を撮ってきました。
ここだけ前方が工事現場で広い視野が確保できます。但し、工事現場ですから年末にはもっと西側に行かないと見れなくなっているかもしれません。大晦日のメトロは24時間稼動で、ブルジュ・ハリファ駅は混乱を避けるため降りるだけの駅となっていました。従って、終ってからはある程度歩く覚悟が必要です。正月明けは、1日にアブダビ、2日にはアルアイン〜オマーン国境、3日に再びドバイといつもの駆け足で回ってきました。またいつか行ってみたい国が一つ増えました。
2012年9月に内蒙古(ホロンベイル、満州里)に行って来ました。
本当はノモンハンに行きたかったのですが、基点である満州里から南のモンゴル国境までの往復では1日潰れてしまう=草原を1日ドライブしてもしょうがないということで、満州里市のみの観光にしました。あとでわかったのですがモンゴル族の街は南のベイル湖の方にあります。満州里を含むホロンベイル市の面積は93,000平方キロで、北海道と四国を合わせたくらいの感じ(96,790平方キロ)です。実に、省2つ分くらいの大草原です。満州里周辺は全て観光地化されていて、そういう意味では家族連れでも全く安心です。但し、夜間の治安については中国のサイトに要注意の書き込みが見受けられます。夜は中心部のホテルでロシア人のダンスショーなんかもやっています。
飛行ルートは富山-大連-ハルビン-満州里-北京南苑-北京-大連-富山です。満州里は気温の差が激しく、昼が24度でTシャツ、夜が8度で長袖ジャケットといった感じです。来月には雪の世界です。昨年の12月にはマイナス35度、今年の1月末にはマイナス44.9度と記録更新している極寒の地でもあります。飛行機の着陸寸前には、石炭露天掘りの街、ジャライノールの鉱区上空を通過します。石炭の推定埋蔵量は、ここだけで100億トン以上とされています。
ロシアとの国境である満州里国門は有名な観光地でもあり、到着後早速向かったのですが、外国人は立ち入り禁止というのを知らずに入ってしまい追い出されました。電気自動車の運転手や係員の中国語に即答できないと確実にバレますw
あと、満州里から西に向かうと成吉思汗長城という名の長城があります。実際はジンギスカンとは関係ない金の煕宗の時代に造成された国境線で、地図で見るとモンゴルから中国、ロシアにかけて伸びています。満州里駅の南側にたむろしているタクシーの運転手さんに尋ねたところ、1人だけ行ったことがあると言う人がいました。ここも行きたかったのですが往復で1日がかりと言われ、ノモンハンを止めたのと同じ理由で中止しました。以前、敦煌から西に110kmの所にある漢の長城を見たことがあるのですが、砂に埋もれたり崩れたりで高さ1-2mくらいしかない「長城」でした。敦煌は世界的に有名な観光地なので道路は整備されていましたが、1つ1つの遺跡が普通に100kmくらい離れていて1日中、タクシーに揺られた記憶があります。今回断念した成吉思汗長城も、同様におそらく荒れるがままに放置されている「長城」ではないかと勝手に想像しています。
結局、お決まりの観光コースをタクシーで回ってきました。昼はフロン湖で羊肉とえび、貝、白身魚のバーベキュー、夜は市内で旨い羊肉のしゃぶしゃぶを堪能。
意外だったのが、7日の晩のことです。19-22時くらいまで街のあちこちで花火が打上げられていました。春節のような爆竹と花火で、金運の神様を迎え入れるとのことでした。陰暦のお祭りのひとつだそうです。空を見ると、火のついたロケット凧のようなものも飛んでいました。
満州里の観光シーズンは8月で終りなので、ロシアからの買い物客や旅行者は、まばらな感じでしたが、週末になると中国人の団体観光客がどっと押し寄せてきていました。そして、帰りは、満州里からの飛行機がまさかの2時間遅れで。。。北京のマイナーな南苑空港に2時間20分遅れで到着して、タクシーに飛び乗り北京国際空港に滑り込み何とかセーフ。北京での晩飯のために最終の大連便を取っていたおかげで助かりました。で、結局、食事抜きで次のフライトです。
その後、予定通り02時に大連到着で一安心してたところ、タラップ下でロシア人と連れのモンゴル人(おそらくブリヤート人)対中国人で喧嘩を始めてしまい空港内のバスが動かないという珍しいトラブルに遭遇。バスの窓越しで見ていたので何語で喧嘩してたのか不明ですが、なかなか終らないのでそのまま置いて出発。深夜到着便だったので空港周辺のホテルを取っておいたのですが、何とホテルに明かりが灯っていません。ドアを開けると薄暗いフロントに人がいます。聞くと、この日に限ってホテル周辺の電気工事で02-04時が停電とのこと。今更、市内まで行く気力もなく、言われるままに5階の部屋まで荷物を持って上がり泥のように眠りに付きました。実に、寝るだけなら電気はいりません。今回、日本人旅行者への対応がどうかなーという時期に行って来たわけですが、他の問題の方が多かったのでその点は気になりませんでした。
2012年5月連休は、ベトナム南部のニャチャンで過ごしました。
1週間の滞在でしたが、ベトナムの人たちは朝の4時半から6時半くらいまでと、16時から18時くらいにだけ泳いでいて驚きました。それ以外の時間にビーチで泳いだり日光浴をしているのは、ほとんどがロシア人でした。ニャチャンには、国際便の直接乗り入れはロシアのみなので、アジアのリゾートでたくさん見られる韓国人、中国人はごくまれに見かける程度です。日本人もあまり見かけませんでした。
2011年の年末を牡丹江で過ごしてきました。
今回、大韓航空で牡丹江に行ってきたのですが、仁川経由で中国東北部に行くと近いような気がしたので実際に飛んでみました。北京や青島経由より早いのは言うまでもありませんが、仁川-牡丹江間での実際の飛行ルートは大連-瀋陽-長春-ハルビンと、東北部主要都市の上空を通過するかなり遠まわりのルートでした。
お正月の牡丹江は日没が16時前、最低気温-26℃と極寒で、数年ぶりに再び解放軍のショップへ行き防寒用のロングブーツを購入するハメになりました。牡丹江は、かつての東満州の要衝ですが、当時の面影は既に10数年前に消え去り今では全く見当たりません。今回は、隣の海林市にも足を伸ばしてみました。この海林は人口の4割が朝鮮族です。1940年の時点で、満州には日本人が227万人移住していましたが、そのうち145万人が日本国籍の朝鮮族となっています。戦後、この地に留まった人々の子孫は、現在の韓国では海外同胞として韓国国内で働くことを許されています。この街もその恩恵があるようで、知人に聞いてみるとそういう境遇の人は割と高い生活水準を維持できているようです。また、北朝鮮の方はどうなのかも聞いてみたところ、かつては親戚同士の行き来があったそうですが、今では世代交代が進んだこと、及び現地の貧しさ、政権への不信感から誰も行かないし来ることもないとのことでした。
2011年5月、10日間で、ラサ、成都、マカオを周遊してきました。
往路は成田-北京-成都-ラサと乗り継いで、片道一日半かかりました。
ラサに到着してすぐにチャーターしたランクルに乗り込み、山南地区のチョンギェにある吐蕃王墓に向かいました。ここには言い伝えによると合計21ヶ所の王墓があると言われていますが、発見されている16ヶ所についても、未だに発掘されていません。夕方にはラサ市内に入りたかったので、その後向かったユムブラカンは遠くから眺めておしまいにしました。
ラサ市内は傍目には平穏な印象を持ちましたが、やはり市の中心にある大昭寺(ジョカン寺)の前には、武装警察と特殊警察(SWAT)が通りのあちこちと主な建物の屋上に配置され、ラマ達を監視していました。その周囲、バルコルには市場、土産物店、さらに交番があり、公安が待機していました。ガイドの注意事項は、唯一、彼らの写真を撮らないこと。。。です。大昭寺は、7世紀中頃に建てられた仏教徒巡礼の聖地なので、人ごみの中には五体投地の巡礼者もいます。
ラサの2日目、ポタラ宮、チベット博物館を見学の予定でしたが。。。。昼を過ぎたあたりから、不覚にも高山病の症状が出てきました。前日にガイドから言われた3つの忠告、煙草を吸わない、酒を飲まない、走らない。。。。を3つとも無視したのがいけなかったのか。メキシコでバスケをして息が上がったケースはありますが、ここまで苦しいのは我慢出来ません。酸欠の金魚に近い状態で、薬局に向かい取り敢えず酸素ボンベを購入。折角なので、ホテルには戻らずに、ペースダウンして回ることにしました。ガイドの話では、チベットでの高山病は、圧倒的に日本人に多いそうです。体が高地に順応できるかどうかだけの話なので、飛行機でラサに行く際は、初日だけ大人しくしていればいいのかもしれません。夜には鼻血も出てきて、標高3,600Mのラサを実感することとなりました。めまいが頭痛に変わり、食欲不振や悪寒、呼吸困難といった症状が初期、鼻血や幻覚といった症状が出てきたらやや重い高山病ですので注意が必要です。当地を去って数日後、高山病によって、日本人がエベレストで死亡との報道を目にしました。
4日目の朝には、ラサを後にして成都に帰着しました。成都では、「蜀風雅韵」という劇場にて川劇を見に行きました。Bian Lianの映画「The King of Masks」などで有名な変面のショーも見られます。今のところ、劇場の模様も映画も共に、youtube.comで見ることが出来ます。
蜀の都では、300年前の町並みを再現した寛窄巷子あたりもオススメの見所です。
6日目、マカオ航空でマカオに移動しました。同じ中国とはいえ、本土からの入境には公安で通行証を取得する必要があり、飛行機は空席が目立ちました。(中略)
9日目、北京市朝陽区にあるレストラン「紅色経典餐庁」に行きました。
いわゆる文革レストランで、文革の雰囲気で演劇や歌を楽しみながら食事をします。スタッフは紅衛兵の井出達です。4-5年前にブームになり地方にも広まったのですが、その後、北京と南京といった集客が見込めるところだけ残ったようです。
ショーが盛り上がってくると食事しながら、紅旗を振って革命歌を合唱するといった感じです。とは言ってもお客の大半は若い年代なので、立ち上がって、歌いながら旗を振っていたのは年配の人たちだけでした。場所は頤和園の西、香山近郊になり、やや不便な場所ですが料理も旨く楽しめることから、行ってみる価値は充分ありマス。今回は北京空港から向かったので、タクシーで約1時間半かかりました。市内からなら半分の時間で行けるはずです。
2010年5月、9日間で、雲南省の麗江、大理、シーサンバンナ・タイ族自治州の景洪に行って来ました。
関空発で北京、重慶を乗り継ぎ、麗江へ、古城見学を満喫してバスで大理へ、有名な三塔、古城を見て回りました。ちょうど、7日間の祭をしていたので全国から集まった膨大な屋台を見ることも出来ました。
景洪では、シーサンパンナ大橋からメコン川沿いをのんびり歩いてみたところ、新しい住宅地が広がり、川沿いには洒落たパブがずらりと並んでいました。レストランも数軒あり、家族で食事をしてきました。ちょうど、景洪港の対岸になります。ホテルで見た景洪のTVはJHTV (ジンホンTV)、及びBNTV1と2 (バンナTV)の3チャンネルでした。
景洪での滞在中に、日帰りでミャンマー連邦シャン州第4特区の首都、モンラーを訪れました。雲南省にもモンラーという街がありますが、そちらはラオス国境寄りです。
面白いことに中国側の国境検問(出入国管理)は1ヶ所なのですが、東シャン州軍の国境検問は数ヶ所あります。入り口と出口の数が合わないわけです。
中国の国境の町、打洛の国境は日本人の通過が不可となっています。但し、前述の通り正面以外にも東シャン州軍の国境検問があるのと、この地にミャンマー中央政府の支配が及んでないことから、中国人の日帰り秘境ツアーに参加してフリーパスで越境し、決まったルートの観光をして帰ることができます。モンラー自体は観光地ではないので、景洪に来たついでに寄ってみるといった感じです。
打洛郊外の旧国境検問所近くの脇道から山の中のダートをバイクに乗って越境しました。小さな山を越えると、そこは既にミャンマーで中国側のゲートはありません。山奥にある東シャン州軍の国境検問を雲南ナンバーのバイクが何台も通過していました。地元の人はわりと自由に行き来しているようです。砂利と岩の山岳ダートなので徒歩では無理なようです。また、3-4人乗ったバイクで山越えするので雨天の場合は、危険なルートと感じました。国境の軍人の軍服の袖にはミャンマーの旗ではなく第4特区の3色旗と東シャン州軍のマークと思われる赤地に黒のXマークが縫い付けられています。
モンラーはビルマ共産党から分裂した軍閥、リン・ミン・シャン率いる東シャン州軍(ESSA)支配地で、高台にはワ族軍と東シャン州軍のプロパガンダ施設、麻薬撲滅博物館があります。数年前まで賑わっていたモンラーも、度重なる国境の閉鎖やカジノ閉店などのために街は衰退の一途です。休日なのに商店街も閑散としていました。お寺、麻薬博物館、ワニ園と象のショーを見物して、ランチタイムです。中国人の参加費用600元に対して、あまりに簡単なツアーのために、旅行者の何人かが怒り出してツアーのドライバーに怒りをぶつけていました。費用は前払いで、中国の旅行社が200元、ミャンマーの旅行社が食事別で400元です。我が家族は日本人ということで外国人価格で200元割り増しを取られましたw合計で800元/人ですから安くはありません。安く上げるなら、タイから陸路で移動して時間をかけて行く必要があります。
4月からシャン州では、ミャンマー軍7万がワ族連合軍2万5千と対峙しており、中国側も国境付近の辺防武警を増強しているとの情報があるのでシャン州の特区を長時間うろつくのは今の時期は得策ではありません。Apstar-2Rで放送されている民主ビルマの声(DVB)のニュースでも、中国がワ州連合軍(UWSA)とミャンマー軍との戦争開始を懸念して国境に兵士5000人を派遣したと報じられています。<ビルマ情報ネットワーク<observingchina 解放軍増派
シャン州の4つの特区は共に旧ビルマ共産党の軍部が治めているので、ミャンマーの軍政が12月の総選挙までに特区の軍を解体し、国境警備隊に改編させる話をどこまで進められるか甚だ疑問です。東シャン州軍(モンラー軍)も例外ではなく、国境警備隊になるよう、軍政が説得工作を再開したそうです。中国とミャンマーの緊密度から東シャン州軍(ESSA)支配地が攻撃される可能性は低いものの、ワ族連合軍がミャンマー軍に追われてなだれ込んで来ることも有り得ます。タイ軍も、総選挙前に難民の流入があることを予測してミャンマー国境近くに難民用の「保護区」を準備したと報じられています。
モンラーのレストランに入ってみると、お客は観光の中国人のみで、服務員は漢族とミャンマーの少数民族でした。40元で虎の骨を漬け込んだ漢方酒があったので呑んでみました。料理はシーサンパンナとほとんど同じですが、蛇肉などのレアものもあります。通貨は中国元で完全な中国モードの街です。ミャンマーらしさを探しても、食材の猿、蛇以外は何も見当たりませんでした。
嘘か真か、わかりませんがリン・ミン・シャン(林明賢)氏の自宅周辺を通過する際には時速20キロ以下での徐行が義務づけられていて、違反者は問答無用で一斉掃射されるそうです。また、中国の国境の町、打洛と近すぎるためか中国政府からの要望で、カジノを国境から15キロ以上離して再建したそうです。再建したカジノが現在も営業しているのかどうかは不明です。
景洪からミャンマー国境の打洛までは、省道320号線が昨年完成したので、これまで片道4時間かかった道が2時間に短縮されています。この省道320号線で、シャン州第4特区のSRナンバー車も何台か見かけました。SRで始まる車のナンバーもミャンマーと別の独自のもので、富裕層の高級車が多いとのことです。景洪で買い物でもして帰るところなのでしょう。ホテルに帰ってニュースを見ると、金正日総書記の大連入りを伝えていました。
麗江
ナシ族の街。世界で唯一現存する象形文字、東巴象形文字があちこちで見られます。世界遺産の麗江古城で2日間まったりしました。雲南名物は米線(米の麺)と毛牛の乾し肉。お土産は芸術的な曲線の毛牛のくしです。
大理
白族の街。おきまりの三塔、喜州古鎮、大理古城めぐりのあとで、中国ドラマの映画村、天龍八部影視城を訪問しました。
その敷地内に日本人僧侶の供養塔(日本四僧塔)があります。
明代初めの1380年、明の宰相が謀反を図ったとして3万人余りが連座して洪武帝に粛清されます。宰相が保護していた大理の僧たちは国に送り返されることとなり、国交がなくなった日本人僧侶も大理へ追放され生きて日本の地を踏むことはありませんでした。
それから600年もの間、白族がその墓を保護してきたわけです。大理に流刑された日本人僧は総勢9名。うち、日本への帰国が叶ったものは1名と考えられています。
景洪
タイ族の街。シーサンバンナ・タイ族自治州はラオス、ベトナム、ミャンマーと接し、パゴダが彼方此方に見られ中国らしからぬ雰囲気です。タイ族の村、タイ族園観光、メコン川沿いを散歩、日帰りミャンマーなど。
2009年5月、ウルムチ-トルファン-敦煌-西安と8日間行って来ました。西域のオフシーズンに自分でチケットを取った手配旅行なのでかなり割安でした。オフシーズンのリスクは砂嵐で、一度来ると空港、バス、電車、レストランなど全ての経済活動が停止するそうです。高速道路で立ち往生したバスの窓ガラスが砂嵐で全損なんて普通にあるようです。
4月29日 12:20-14:10 富山-大連 同日16:50-22:35
大連-ウルムチ このタイムテーブルのおかげで当日にウルムチ着
4月30日 ウルムチ-トルファン バスで移動 トルファン観光
5月1日 トルファン観光 トルファンには空港が無いため夜にウルムチへバスで移動。バスで3時間、200キロ走ればトルファンです。
5月2日 ウルムチ-敦煌
5月2-4日 敦煌観光
5月4日 19:00-21:20 敦煌-西安
5月5日 午前中、西安観光 14:55-17:10 西安-大連
5月6日 07:55-11:20 大連-富山
ウルムチ
中央アジア最大の巨大都市です。特に観光スポットはありません。その後、漢族とウイグル族との間が険悪になり旅行どころではなくなりましたが、多くの新疆ツアーはこの街からスタートします。羊の肉が旨いです。
トルファン
火焔山・高昌古城・アスターナ古墳・叶峪溝・べゼクリク千仏洞・葡萄溝・蘇公塔・交河古城と見所満載。トルファンのバスターミナルには日本人相手の個人観光ガイドがいるので交渉の上、早速観光へ。旅行者に対する扱いは慣れているので油断しないこと。食事でも油断してると運転手やガイドなど数人分をオーダーされてしまいますw。夜はウイグルの民族舞踊ショーが楽しめます。
敦煌
念願の敦煌遺跡めぐりをしました。タクシーをチャーターして回ったのですが、漢代遺跡間の距離は半端じゃないです。莫高窟、鳴沙山、月牙泉、玉門関および漢代長城など最低3日くらいは滞在した方がイイです。タクシーの運転手さんによると砂漠には、野良駱駝がいるそうです。驢馬の肉が旨いです。専門店で是非どうぞ。
北京
世界遺産の旅。兎に角、たくさんあって回り切れません。
上海
浦東からリニアと地下鉄を乗り継いで、南京路の吉野屋で一服w。
西安
飛行機が空港に着く直前に旧市街の城壁が一望できます。何度見ても感動します。
東コースは中国人向けの安いツアーで回りました。兵馬俑坑、華清池、秦始皇帝陵など。
西コースは「紅旗」の貸切でリッチに回りました。乾陵、乾陵博物館
武帝茂陵など。
銀川
西夏王陵と塔、回族の博物館。羊の肉は旨い。
延吉
延辺は吉林省の朝鮮族自治州です。北京から延吉空港に夜遅く着いたのですが、空港タクシーには地元組も含めて吹っ掛けられます。この洗礼を受けないと北朝鮮国境ツアーは始まりません。中国の地方都市の空港アクセスはタクシー頼りなので、粘り強い交渉力が必要ですww
北朝鮮レストラン、柳京(ユギョン)食堂が再開してるそうです。=世紀ホテルの2階。私が行ったときには遅い時間で、海棠花(ヘダンファ)食堂は閉店時間で間に合わず、世紀ホテルに向かったのですが、その時にタクシーの運転手が閉鎖と言っていたところです。単に、ホテルが改装中だったのかもしれませんが、店員の脱走も多かったようで継続困難かと思っておりました。服務員の多くは、中国へ留学に来ている聡明なお嬢さんたちとのことです。良家の子女といったところでしょうか。2軒とも北朝鮮政府の公営レストランです。延辺師範学校の北にあった文革調のレトロパブ、紅色暴風はオープンして数ヶ月で潰れたそうです。
図門
橋の向こうは北朝鮮。人気のお土産は将軍様のバッジです。
渤海
黒龍江省の渤海鎮に行きました。牡丹江からバスに揺られて東京城まで行き、そこから軽のタクに乗り換えてしばらく行くと渤海の首都、上京龍泉府に着きます。8-10世紀に北陸と関わりのあった国で、日本からの使者もこの地に立ったのかと思うと感慨深いものがありました。沿海州にも遺跡があるようで機会があれば是非足を伸ばして見に行きたいと思っています。
牡丹江
ハルビンから355km。赤い月で知られる街。東満州の中心地です。ここからロシアに向かう途中で、開拓団の跡地や日本軍の要塞などが見られます。何度と無く行く街ですが、いつの年だったか5月の連休に雪が降っていました。
綏芬河(スイフェンホ)
ゲートの向こうはロシア沿海州。国境の街。ロシア人の買い物客がやたら多かった。ロシア人以外、入場不可のショッピングセンターもある。喫茶店のケーキはやたら甘い。
ハルビン
9月に行ったらホテルにまだ、スチームが入ってなくて非常に寒かったです。古いロシアの建物が残っています。黒竜江省の横道河子にも古い民家が多く残っていて、通りがかりに見かけて驚いたことがあります。古いロシア建築は趣があり、一見に値します。
2月に行ったら、-20℃前後で凍りましたw。1月は-25℃前後でもっと寒いそうです。有名な哈爾濱国際氷雪祭の入場料は何と150元もしていましたが満員の盛況ぶりでした。市政府のロシア系中国人がチケットを捌いていました。予想以上の規模でした。
彼の地では夜間や早朝に窓を開けると、冷凍庫を明けるように白い外気が部屋に入ってきて極寒の様相ですが、室内は終日28℃の床暖房で暑くて寝苦しいくらいでした。そんな極寒の地でも春節前夜には、皆さん爆竹の束を手にして出歩いています。ちょうど、20時から恒例のCCTV春節晩会を見ていたのですが、23時過ぎから0時にかけてはTVの音が聞こえなくなるくらいの騒音となりました。
青島
仁川経由が安くて韓国旅行もできます。早くて便利なのは福岡から。
第一次大戦のころの独軍の砲台が高台に残っています。
海軍博物館 =T34や高射砲に乗り放題。その他、かなりの点数があり圧倒されます。潜水艦内部のみ別途有料。海軍博物館ですが、陸海空揃っています。Google EarthでQingdao Navy Museumを検索すると上空からの全貌が見れます。
煙台
古いロシア公使館などが保存されています。養馬島に韓国系の温泉ホテルが出来たので行ってみました。畳の部屋があって驚きました。リゾート化されるとのことでしたが、その後どうなったやら。。。
大連、旅順
初めての中国旅行で行った。富山から飛んでいるので北陸から一番近い国です。02年にはまだ郊外で馬車が荷車を引いていた街ですが、いつの間にか都会になってしまいました。
年間 7〜8%の経済成長が期待される中国。1人当たりの国民所得は中国 840 US$/人、韓国 8,910 US$/人、日本 35,620 US$/人。
韓国の人口規模に近い4000万名が年所得 30万元以上、年所得 100万元を超える '金領(ゴールデンカラー)' も 34万2000人いる不思議な国。
東北では、日本が60年前まで国力を注いで構築した満州の広大な鉄道網を見てみたい。満州全域をカバーする満鉄に注ぎ込んだ費用は、当時のGDPの40%という試算もある。
主な方言: 広東語(広東省、海南省、香港、マカオなど)
みん南語(福建省南部、台湾)
上海語(上海付近)
四川語(四川省)
東北語(黒龍江省、吉林省、遼寧省)
山東語(山東省付近)など…数十種類