サターン




SEGAの第四世代ハードで、CPUに日立製のSH2を二つ装備している。
デュアルCPUと言うことで、発表当時はかなり騒がれていた。
SEGA製のS−サターン、ビクター製のV−サターン、日立製のHi−サターンが存在し、発売時に予想される品薄を分散回避する事に成功した。
しかし、初期型のサターンはマザーボードに爆弾を抱えており、修理に出すとマザーボード交換で帰って来る事もあった。
そのためか、私が確認しただけでも、初期、100万台キャンペーン時、白サターンと、三種類のマザーボードが存在している。
当初の計画ではROMカッセトのソフトも考えられていたようだが、結局は実現しなかった。
そのため、上部にあるスロットは、拡張メモリー、データ保存用のフラッシュメモリー用拡張スロットとなってしまった。
後に、セガサターンモデム、セガサターンキーボードが発売され、当時流行の兆しを見せていたインターネットの波に乗ろうとしたが、劣悪な通信環境、対応ソフトの少なさから不発に終わっている。
サターン発売時、バーチャファイターの影響もあり、時代は3Dポリゴン全盛期を迎えていた。
3D専用チップを搭載していないサターンにとって、この風潮は正に命取りになってしまったのだ。
目が肥えて、より細かく移植度をチェックするユーザー、3D専用チップを搭載し発売されたプレイステーション。何より業務用基板MODEL2が可能にした秒間60フレームの動き。
どれもサターンの3D性能では太刀打ちできない物だった。
特に、バーチャファイター2は業務用、家庭用共に鉄拳と比較され、それはそのままサターンの寿命を短くしてしまった。
運悪く、PC用のCPUが周波数競争の時代に突入し、10年分の進化を1年足らずで行い、それにつられる形で周辺のチップも見る間に高性能化していった。
数年は持つはずであったMODEL2が、MODEL3へとその座を明け渡す中、すでにその能力の限界に達していたサターンは、業務用の移植に耐えるだけのスペックを持ち合わせていなかった。
そこで、拡張スロットにCPUを搭載したボードを刺し、内部CPUを乗っ取る言う、メガドライブ時の32X同様の延命措置が計られたが、コスト面から実現はしなかった。
夢に終わったサターン版バーチャファイター3がそれである。
3Dの道が閉ざされたサターンにとって、武器となるのは2D性能とセーブ、ロードのスピードだけだった。
2D格闘やシュミレーション等、高速なロードスピードを要求されるゲームにとって、サターンは最高のハードだったわけである。
しかし、プレイステーションも2Dが苦手と言うだけで、表示できないわけではなく、ハードの普及率の問題もあり、サターンで出たタイトルは、その殆どがプレイステーションに移植されていった。
そして、サターンに残ったのは美少女ゲームであった。
家庭用ハードの末期状態の証明、美少女ゲームにラインナップを埋め尽くされ、某漫画家に「いっその事、ピンクサターンを出せばいい」と揶揄され、それでも耐えてきたサターンだったが、ドリームキャストの発売で、その一生を終えることになった。
その時々の最新の技術を取り入れ開発されたMODEL2、MODEL3基盤。それに付いて行けなかったサターン。ドリームキャストの発表、発売。
皮肉にも、SEGAの高い技術力が、サターンに止めを刺してしまったのである。
今にして思えば、時代の流れがサターンに背を向けていたようにも感じられる。
サターンは不幸なハードとは言えないだろうか。

1999/9/21   SOM


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