最新ゲーム論! 第1回 「キレイなグラフィックとは何ぞや?------ゲーム・グラフィック論」
「たとえば服にしても、ブルーが良く似合う人、グレーの似合う人がいるように、ゲームにもそれに合った画面構成が必要だと思うの。
『スタートレック』みたいなのにギンギンのグラフィックやおんがくをつけるのはやりすぎじゃないかしら?」
---「はるみのゲーム・ライブラリ」に書いてあった文である。鋭い指摘だ。改めて高橋はるみというゲーム作家の感性に感心する。
PC−8001全盛の1980年代初期。まだゲーム界も開拓期にあった頃の文章である。
思えば、あの頃のパソコンはまだ、サウンドどころか、満足なグラフィック機能もついていなかった。プログラマー達は、
その中で精一杯画面をキレイにし、BEEP音を操って音楽を鳴らしていたのである。
それが、88、SR、98、…と進化し、今やパソコンは640×400ドット4096色のグラフィック機能と
FM3音を含む6重和音の演奏機能を手に入れた。X68Kシリーズともなると、4重重ね合わせやサンプリング機能まで揃っていった。
それにつれてゲームも次々に進化していった。インベーダー、ギャラクシアン、ゼビウス、グラディウス…(アーケードゲームだけど…)。
AVGなら、ミステリーハウス、ドリームランド、サラトマ、オホーツク、ジーザス…と、ドライブならカーレース、ポールポジション、
ウィニングラン…という様に。
だが、ここにきて、急速にゲームがつまらなくなってはいないだろうか。
ためしに、今のアーケードゲームランキングを見てみるといい。
ストII’、ストII、キャプテンコマンドー、龍虎の拳、…、
格闘ゲームばかりである。その他にある物といえば脱衣麻雀にUFOキャッチャー、ファイナルラップ、テトリス、コラムスといった定番ばかりである。
かつてのディグダグやパックマンのような「ゲームらしいゲーム」はゲームセンターあたり2、3台あるかないか。全くない所さえある。
コミカルアクションどころか、シューティングさえ少なくなってきている。このことは、古くからゲームに親しんでいる者にとってはとても寂しい
状況である。
かつての我々にとって、ゲーム、特にゲーム・センターのゲームは、「夢の世界」を演出する魔法の機械(古い言い回しだが…)であった。
インベーダーは純粋な面白さで多くの人々をとりこにしたし、パックマンの不思議な画面とサウンドは、まさにプレイヤーを魅了する力を持っていた。
また、ファミコンでやったゼビウスやマッピーも素晴らしかった。独自の世界を創り出し、我々を引き込んだ。そして
スーパーマリオやドラクエ。文句なしに素晴らしかった。この辺りのゲームはまだ「芸術」と呼べる深さを持っていた。
パソコンも良かった。特に「サラトマ」や「タイムトンネル」などのAVGの持つ魅力は測り知れなかった。
そう、「夢」。これがゲーム開拓期のキーワードとなる気がする。ゲームは、他の世界とは全く独立した、オリジナルな「夢の世界」を
作り出していたのである。そして我々は、そのあり余る魅力(?)によってゲーム・フリークとなったのであった。
別に格闘ゲームが悪いといっているのではない。「ストII」は素晴らしいゲームだ。他のゲームも質が高くなっている。
一昔前の「ファイナルファイト」などに比べたら格段に面白くなってきている。ただ、そればかりでは駄目だというのである。
もっと魅力のあるゲームがしたい。ゲーセンのゲームは余りに一般客に合わせすぎている。それは確かにゲーセンが一般に
認められるように努力するべきなのは分かるが、やり過ぎである。これではゲーセンが世間に認められたというより、
ただゲーセンが世間に調子を合わせて一般レベルに下がったというだけではないか。それではかつてのあの「ゲーム・センター」の魅力は
無くなってしまう。いや、もう無くなってしまっていると言ってもよい。
ゲーセンは遊園地とは違うのである。ワンダーエッグというのはアイデア的には良いし、面白い企画ではあるが、
全てのゲーセンがあのような形になるのは私は好まない。
前述の通り、今のゲームには「夢」がない。ゲーム独特の世界が。
メーカーは、インカムを得るため、なるべくグラフィックを派出にする。最初のコインを投入させるため、できるだけメジャーな要素を
取り入れる。その結果、グラフィックはどのゲームも似たようなものになる…
「グラフィックをきれいにする」というのは、ただ色数を増やして背景をリアルにすることでは決してない。ない筈だ。そうではなく、
そのゲームの持つ独自性、アイデンティティを演出し、一つの世界を作りあげる為にグラフィックが存在しなくてはならない筈なのだ。
「パックマン」や「ディグダグ」のグラフィックは、正にこの点を充分に理解して作られている。もしパックマンから
あの楽しいグラフィックがなくなったらどんなにつまらなくなるだろうか。実際、PC−8001版のパックマンはすぐに飽きてしまう。
あのサウンドとグラフィックは、パックマンを単なるドットイート・タイプのゲームではなく、一大文化を作りあげたビッグゲームにした
最も重要な要素なのである。昔のゲームは、ゲームとグラフィックが釣り合っていた。
それがハードの向上とともに、ただリアルにしただけのグラフィックが目立つようになってきた。特にパソコン・ゲームにその傾向が強い。
一連のパソコンRPGのグラフィックはどれも同じに見えてしまう。ビジュアル・シーンもアニメチックな絵ばかり。これでは、
いくら美しいグラフィックでもゲームを盛り上げることはできない。プレイヤーがこのようなグラフィックに飽きてしまうのである。
「ゲームとグラフィックは一体」---決してグラフィックだけが先走ってはいけないし、もちろん手を抜いてもいけない。ここで冒頭の文章が
重要になってくる。ハードが向上したからといって、ゲームが向上したわけでもないのにむやみにリアルなグラフィックをつけてはいけない。
ゲームにはそのゲームにピッタリな画面というのが存在する。
(だからX68Kのイースははっきりいってゴミであるとさえ思う。)あくまで大切なのはゲーム本体、そしてそのゲームが作る世界。---
グラフィックがゲームを壊してはならない。10年も前に書かれたはるみさんの文章が、この状況の中で
忘れられていた物を教えてくれる。もう一度本物のゲームが認められる日が来てほしい。