第11話 Out of Algorithm(後編)

 方針が決まれば、あとは速かった。最初は面ごとに異なる地形の迷路型ステージにすることも 考えたが、できるだけ単純明快にアイディアを生かす、ということを追求するうち、ゲームは 極めてシンプルな形になった。「見分ける」という以外は、ベーマガでもよく見かけた 「ウジャウジャ動く敵を避ける(だけの)ゲーム」である。 個人的にこのタイプのゲームは大好きであり、 プログラマーとしても、単純なわりに必ず面白く作れるという伝家の宝刀的ゲームシステムであった。

 プログラムのキモは、もちろん敵の移動アルゴリズム。 ステージは10個と決めていたので、10種類×2の異なる動きを考えなくてはならない。 しかし、題材の面白さからか、考え始めてあっという間に(1時間後くらいか)、全部のステージを考えついてしまった。

 そして実際のプログラミング。ここも、事実上、敵の移動アルゴリズムをマシン語で実装することが プログラムの全てである。比較的単純なアルゴリズムが多かったせいもあるが、 NEVIOUSをプログラムした私には、小学生の計算問題のようなものである。 ほとんど何も詰まることも無く、サクサクと進む。ハンドアセンブルも入力もBASIC部分も何の問題もなく終わり、 ゲームはあっという間に完成した。

 このゲームの特徴、それは、「とてつもなく面白い」ということだろう。 小学生時代は作るゲームはほとんど全て面白く感じていたが、GOLD ATTACKのあたりからは、 むしろつまらないことのほうが多かった。それでもPC-8001を使って作ったゲームは 比較的面白かったが、それでも、初めて「ピラミッド」を作った時のような「自分の作ったゲームにワクワクする感じ」は なかった。しかし、このゲームにはそれがあった。予備校に通う電車の中などの暇な時間に、 時折このゲームについて考え、そしてそれだけで楽しくなる、というくらいのものであった。 会心の一作、という以外に表現のしようのないほどの自信作であった。

 これは絶対に載る、そう確信してベーマガに投稿する。しかし、NEVIOUSやBEEP音源ドライバーの例もあり、 どうなるかはわからない。辛い予備校生活 (というほど頑張ってたかと言われると困るが)の心の支えの一つは、 「Out of Algorithm」ベーマガ掲載、の未来予想であった。

 当時、PC−8001のコーナーはついに隔月掲載になってしまっていた。1月号、Thin Thickの載った3月号ときて、 次は5月号。これには流石に載らない。期待は6月8日、すなわち7月号の発売日である。

 しかし、異変が起こる。5月8日、6月号を見ると、PC−8001のコーナーがあるではないか! 「やった!PC−8001、毎月掲載に復活か?」そんな儚い期待を抱き、友人の吉野(仮名)に 話していたのも無理からぬことだったといえよう。 自分のゲームではなかったが、PC−8001のコーナーが2月連続で見れたのは非常に嬉しい出来事であった。

 そしてやってきた、6月8日。ベーマガ7月号発売日。PC−8001のコーナーは果たしてあるのだろうか?

 正直、コーナーさえあれば自分のゲームが載っていることは間違いないと思っていた。逸る心を抑え、ページをめくる。 「えーと、PC−8001、PC−8001…」

 だが…そこに、PC−8001のコーナーは無かった。

 ある程度予想したこととはいえ、落胆する。やはり、今更毎月復活などという夢のような 出来事が起こるはずはなかったのだ。

 しかし、悲劇はそこで終わらない。翌月、7月8日。また今月も、予備校に行く前に わざわざ近所の本屋に立ち寄り、コーナーを確認する。前日から当日、またいつものドキドキ感。しかし、 PC−8001のコーナーは、またしても見つからなかった。
 2ヶ月連続の休載。各月掲載の約束ではなかったのか?予備校に通う間、ほとんど放心状態であった。 それとも、連続掲載の月があった分休載しているだけか?わずかな希望を、翌月に託す。

 8月8日。9月号発売日。

 無かった。

 「まさか、3ヶ月連続とは…」落胆、そして絶望。10月号、11月号、やはり、PC−8001のコーナーはどこにもなかった。 「もう駄目だ…。」ここにきて、諦めの境地に達しつつあった。

 12月号、11月8日。ここでもPC−8001のコーナーはなかった。しかし、驚くことが一つあった。 88のコーナーの前のページ。やはり休載の続いていたPC−6001のコーナーが、突如として復活していた。 旧機種のコーナーが読めたことに、少し嬉しくなった。「この勢いで、PC−8001も復活したりしないかなー」 そんな、夢のような出来事を妄想したりした。

 年も押し迫った、12月8日。2度目の受験に向けて、センター試験の足音も聞こえつつあろうかという、臨戦態勢間近の 冬の眠い朝。
 毎月8日のルーチンワーク、買うのは予備校から帰ってきてからだったが、行きの電車に乗る前に、 ほとんど無意識の義務と化した作業をする。掲載機種の確認である。

 めくって最初に見えたのは、PC−9801のコーナー。少し前をめくって、PC−88のコーナーがあった。 さらに何ページかめくって、MSXのコーナーが目に入った。その中間のページをめくって…

 あった。

 「PC−8001」。

 一瞬、事態が飲み込めない。次の瞬間、目に飛び込む「Out of Algorithm」の文字。

 「あ……載ってる……」

 まだ少し寝ぼけているようだ。そのまま、やや呆然としつつ、ページをめくる。

 「明日のスタープログラマー」のコーナーが一瞬見えた。

 そうだ、今月のベストプログラマーだ。見なくては。

 もし載れば、ベストプログラマーに選ばれる自信がある。それくらいの自信作であった。 明日のスタープログラマーのページを探し、めくる。

 「年のはじめからいきなり番狂わせ!?今月のベスト・プログラマーは、な・なんと、PC−8001用 「Out of Algorithm」でチャレンジしてくれた吉田 稔くんです!」

 そのとき、呆然とした心の中、はじめて嬉しさが込み上げてきた。

 「やった!やった!」言葉にすればそれだけだが、本当に嬉しかった。もう完全に諦めていた PC−8001コーナーの復活、そして、初めて自分のプログラムにコメントを貰った嬉しさ (それまで4回載ったが、CHECKER FLAGがついたことは一度もなかった)。 それまで長い間味わってきた無力感の反動もあり、1993年12月8日は忘れられない日になったのであった。


Out of Algorithm


タイトル画面。


外見は同じだが動きの違う敵とターゲットを見分けろ!


3面は難しい。どこが違うのか?


うわぁー、細胞が動いている!?しかし面自体は簡単で…。


ゲームオーバー。


ベストプログラマーの証拠画像。

エミュレータ用ファイルは こちらです。