常連の世界

このコーナーでは、プログラムコーナーで活躍したさまざまな常連について、 その業績を大紹介していきたいと思います。なお、データは、 1984年6月号から1990年3月号(大型化の前)までを対象にしています (例外あり)。


●新野 恵貴(ベース機種=PC−6001)

登場期間 :1985年10月号〜1990年以降も活躍
’85/10恐怖・投稿者の呪い
’86/3まてっ!
’86/6SAVE ME
’86/7YOUばく!
’86/10SLAYER
’86/11蚊たたきっ! Programmer of the month受賞
’86/12MAGNET BEAD
’87/5WHITE ROAD Programmer of the month受賞
’87/8伝説の城
’88/2SILENT
’88/7特攻!ツナガ君
’88/9Windy Wolf
’89/6愛媛なんかに負けてたまるか! みかんはやっぱり静岡県!for PC-8801mkIISR

 「新野恵貴?誰それ?」と言う人も少なくないだろう。これだけの実績を 残しておきながら、ほとんど名前が知られていない。 本名投稿者の悲哀を感じる事実である。 ちなみに、「にいのしげき」と読むらしい。

 彼について特筆すべきことは、やはり初掲載(おそらく初投稿)の作品 であろう。’85/9のOFで、「僕はイラスト、OF、プログラムの 3本を同時に送った。何本載るか楽しみだ」という投稿があり、 影さんが「まずはOFで達成だな。でもあとの2つは簡単には…」と答えていた のを覚えている人もいるだろうが、その結末が「本当に載ってしまった」というのを 知っている人はきっと日本に10人くらいしかいないだろう。それが 「恐怖・投稿者の呪い」である。もっとも、チェッカーでは「ゲームはいまいち。 あやうくボツでした…」と言われていたが…。「WHITE ROAD」 はPC−6001最高峰の出来といっても過言ではない一方、 面白いアイデアのゲームも数多く作っている、まさにオールラウンドプレイヤー (プレイヤーではないが)。


●佐井川 師治(/NAMKO2/ズオ)(ベース機種=X1)

登場期間 :1987年6月号〜1990年以降も活躍
’87/6桃次郎
’87/7DESERT MAN
’87/8KAGEKIYO
’87/10浦島太子
’88/1AAVG 桃三郎
’88/7浦島次子for MSX
’88/9CLOUD COUNTRY
’88/10移植版 浦島次子
’88/11はんず
’89/2SANJA WARRIORS
’89/3GALAXY CHASE
’89/7ゲッ!イングランド
’90/2ブラボーマンfor PC-6001mkII

ここに書いてあるのは10本強だが、90年以降も主にFM−TOWNSで 大常連として毎月のように掲載され、掲載数No.1ではないかと思われる。 大学卒業後SEGAのプログラマーとして就職し、現在ベーマガに 連載を持っている。「センスの良さで常連になっている」とはDr.Dの弁。 ただ、そのぶん気合いの入った大作が少なく、Bug太郎に比べて やや知名度が低いような気がする。


●まっぴー(ベース機種=MZ−700)

登場期間 :1987年5月号〜1990年以降も活躍
’87/5WORD PANIC
’88/2INTELLIGENCE TEST for PC-6001mkII
’88/4SUPER DICE 700
’88/5BATTLE ROBOT for FAMILY COMPUTER
’88/5WORD CATCH for PC-8001
’88/7オリエンテーリング
’88/8EIGHT DIRECTION SEARCH for PC-6001
’89/1NUMBER MOLE
’89/3移植版SPACE BATTLE for M5
’89/5早押しスクラッチfor PC-6001
’89/7CHECK!CHECK!CHECK!
’89/9WORD SHOT
’89/12ナンテコッタイ99
’90/1はるかなるボンドマン
’90/2VS510for PC-8001

いろんな機種に登場する神出鬼没の投稿者。掲載本数も多く、 この期間だけで15本も採用されている。だが、ゲームの傾向として、 ワンアイデアの小品やカードゲームの移植などが多いため、 割合地味な存在である。


●谷 裕紀彦(/Bug太郎)(ベース機種=PC−8001)

登場期間 :1987年10月号〜1990年10月号
’87/10DRAGON’N’SPIRIT Programmer of the month受賞
’87/11Deosfor PC-8801mkIISR
’88/1Deos−II
’88/4N−TYPE 創刊70号記念ザ・ベスト・プログラマー・コンテスト優勝
’88/10Thunder’N’Blade
’89/3GIVERS
’90/10Full−Fire 創刊100号記念ザ・ベスト・プログラム・コンテスト優勝

「記録ではなく、記憶に残る」タイプのスター・プログラマーで、 掲載本数はたったの7本であるが、おそらく全投稿者の中で 最も有名なプログラマーだろう。PC−8001という、 ベーマガの中でも最も非力な部類に位置する機種を使って (本人が持っていたのは88SRらしいが)の ハイレベルなゲームの数々は、 N−BASICの黄金時代ともいえる 「N−BASICブーム」を作りだし、 PC−8001のみならず全ベーマガに影響を与えた。 他の機種でも負けじと、多くのアーケードゲームを模倣したゲームが登場 したほか、「メーカー公開質問状」のコーナーでは、88ユーザーの 「88でN−BASICを使う方法を教えてください」という質問が 相次いだということからもそれがうかがい知れる。 現在はウルフ・チームのプログラマーとして活躍しているそうで、 ベーマガにわりと長期間連載を持っていたこともある。


●お楽しみはこれからだ(ベース機種=PASOPIA7)

Home Page

登場期間 :1986年9月号〜1988年8月号
’86/9MAZI
’86/10ZERO
’87/1はさんでやろうじゃないか
’87/4影ちゃんの青春の1ページ
’87/6男一匹雪おろし一直線
’87/8つぐ美ちゃんの青春の1ページ
’87/9斬ってやろうじゃないか
’87/11 REVENGE OF REFRIGERATOR
’87/12沙羅
’88/3塔だ
’88/4宇宙戦艦
’88/5 70号記念コンテスト努力賞受賞
’88/8無題

瀕死の状態だったPASOPIA7に現れた救世主ともいえる存在。 実際、彼のプログラムは、他のPASOPIA7の投稿者のそれと 比べて格段に面白そうだった。PASOPIA7のもう一人の 常連だった川町兼弘氏と比べても抜きんでていた。 しかし、約2年ほどで投稿がなくなってしまう。 それも、88年頃の彼の掲載作品は、「投稿しなくなったあと 昔のボツ作品が引っぱりだされたもの」だそうで、実質的な 登場期間はもっと少ないということになる。 その後のPASOPIA7は あれよあれよという間にランダム行きになってしまった。


●謎のパズル大好きおじさん(ベース機種=MZ−2500)

登場期間 :1988年5月号〜1990年以降も活躍
’88/5かめ君・うさぎ君
’88/7ワタの鳴く夜は恐ろしい
’88/10ドミノたおし
’89/6送風機大作戦
’89/10酔いどれ天使
’90/1風の迷宮

「本当にパズルゲームしか送ってこない謎のおじさん」と紹介されている。 掲載本数もそれほど多いわけでなく、どのゲームも同じような パズルゲームなのだが、その丁寧なつくりと凝った設定が、 作品に(中高生が大部分の)他の投稿者のゲームにはない魅力を 持たせていた。やはりここまで一貫したポリシーを持った投稿者は 本数が少なくても印象に残る。


●田村しんいち(/Random田村)(ベース機種=MZ−1500) Home Page

登場期間 :1983年8月号〜1988年11月号
’83/8SHARPを救え! for MZ-80K
’86/9SHARPを救え!2
’86/11Technocity Cars
’87/5SHARPを救え!3
’87/8ズルポコ大作戦
’87/11SHARPを救え!4
’88/7Lip Lop Lap! for X1
’88/10ローマ字→かな自動変換プログラム for MSX
’88/11光GENJIをやっつけろ! for SC-3000
’88/11GAMBLE MAN

独特の作風と文章のノリの良さで存在感を持っていたプログラマー。 投稿作品のほかにも、「ベーマガ常連投稿者のサークル」を 主催していたのが印象的。


●森 巧尚(ベース機種=PC−8001) Home Page

登場期間 :1983年以前も活躍〜1985年7月号
’83/7TECHNO HOLE
’83/8COMMUNICATION
’83/9メビウス
’83/10ACROMASTER
’84/2BREAK FAST
’84/2LEAD MAN 「森くんのGAME TOPIA」記事中
’84/9DRACULA for BASIC MASTER Jr/LEVEL II
’85/3 森 巧尚のプログラミング・エッセイ「GAMEについて」 「移植テクニック・マスター大作戦」記事中
’85/7格闘技 森 巧尚のプログラミング・エッセイ集2

実はこのデータはかなり不完全である。今回だけ特別に’83年6月号からの 作品も加えてあるが、それもPC−8001用だけなので、かなり多くあった PC−88用のゲームなどは全く把握できなかった。 また、高橋はるみについては、これまでの調査では作品が全く見つかっていない。 おそらく2人とも、83年5月号以前が活躍のメインだったのだろう。


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