俺とベーマガ

第2章


あのベーマガが、僕のものになった。
それは、なんともワクワクする事実だった。
もちろん、その日から、むさぼるように読んだ。
初めて買ったからかもしれないが、1985年4月号は、特におもしろそうなゲームが 多かったように思う。「ゆけゆけ串カツコウイチ」「SAVE THE MOON」 「緑のみの虫」など(誰も知らんか)、とにかくどれも楽しそうで、底知れない 魅力があった。
そして、プログラムのページの下にある、読者のハガキと 「影」とか「編」とかいうひとがやりとりするコーナーもなかなか楽しかった。
もちろん、愛機PC-8001mkII用のゲームは、すべて打ち込んだ。「緑のみの虫」は、 mkIIのハイレゾグラフィックをフルに活用したゲームで、期待を裏切らず楽しめた。 「GOAL!!」も面白かったが、難しかったのでINKEY$をINPに変えて、連打しなくて 済むようにした。「PUSER」を打ち込んだのはかなり後だが、これも面白かった。
後半のページは、市販ゲームの紹介をするもので、これも良かった。 後で、これは昔サラトマを解くときなどに お世話になった(友達から借りた)「スーパーソフトマガジン」そのものだと いうことを知った。

さて、そんなにも面白いベーマガだが、残念ながら私の小遣い(ていうか、 もらってなかった)では、毎月買うことは難しそうだった。5月号があまり 面白くなかったこともあって、6月号は買わなかった。
だが、私には、ある考えがあった。
ベーマガ読者なら一度は考えるであろう、「投稿」である。
聞けば、プログラム採用者には、原稿料と掲載誌が送られてくるというではないか。 これを見逃す手はない。
プログラムが採用され、ベーマガをもらう。もらったベーマガのカードを使って (投稿には、ベーマガに付いてくる「応募カード」を同封する必要があるのだ) また投稿し、それが採用されてまたベーマガが手に入る…
なんで原稿料でベーマガを買わないんだ?などという素朴な疑問はさておいて、 とにかくこんなアホらしい計画も、当時はまじめに考えたものである。
折しも、6年生を送る会で 東武動物公園に行っていたときに考えた、「 MOUNTAIN CLIMBER 」というゲームが完成するところだったので、これを 投稿することにした。
これは、スクロール用に初めてマシン語を使った作品で、 ICE CLIMBERのボーナスステージを彷彿とさせる(マネだが)、なかなか 楽しいゲームで、友人のウケもよかった。とはいえ、まあまさか載りはしない だろうとは思っていた。
発表は投稿月の2ヶ月後である。その間、ワクワクして結果を待った。 気をまぎらわせるために、次のゲームを作ったりしていた。 (投稿したことのある人ならわかると思うが、この間ってすごく待ち遠しいんだよね。 まあ、それが楽しいんだけど。)
そして、発表の日は来た。8月12日、 カブスカウト の合宿からの帰りにベーマガを買った。
そして、帰り道でPC-8001のコーナーを開く。その後何度も投稿をしたが、この辺は いつも緊張の時である。(入試の合格発表よりも緊張したりする。)
だが…なかった。PC-8001のコーナーには、「KABIRA」「DINKY」という、 ローレゾグラフィックを駆使したゲームが載っているだけで、「MOUNTAIN CLIMBER」 は影も形もなかった。
「はぁ〜、ダメだったか。まあ、しょうがないな。」
前述のように、別に載るとは思っていなかったので、 感想としてはそんなもんだった。
私が驚いたのは、その後、「あくせすROOM」(「投稿ありがとう」 という、ボツの人の名前を載せるコーナーがあった)のページを開いた時である。
「おおっ」
なんと、そのページに、「MOUNTAIN CLIMBER」の名前があったのである。
「明日のSTAR PROGRAMMER」という… 要するに、あと一歩だった作品(多分)を紹介(タイトルだけだが)するコーナーであった (ちなみに、ここは唯一プログラム作者の住所が載るところでもあった)。
「やったぞ」別に全然やってはいないのだが、まあとにかく、自分の作品が それなりに評価されたのは嬉しいことであった。(証拠の画像は、 ここ。)


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