キネティック&コンプレックス

中国重慶市商業・運動公園コンプレックス

設計:2004年〜05年
場所:中国重慶市
担当:柳原博史、大西瞳、増澤昌
建築:久米設計

□ 場所との偶然的で必然的な出会い

観光地でもなく、取り立てて特徴があるわけでもなく、自分にゆかりがあるわけでもない場所。しかもここは、中国。このプロジェクトに関わっていなかったら、決してここに足を踏み入れることなど無かったはずの場所。でも、ここにいる偶然と必然。無重力状態のような不思議な感覚に、さらに輪をかけるように、極めて複雑な地形の中の、高低差20m以上の谷地の斜面上に、細かい区画の畑がびっしり張り付き、足を停めて真直ぐ立つことさえ難しく、自然と足が動きだし、踊り出しそうなダイナミックな躍動感を覚える。さらに畑の豊かな色彩のパッチワークが、単なる、長閑さや大らかさよりも、多様性を秘めた、動きのあるランドスケープの可能性を予感させる。初めてこの場所を訪れた時、少しずつ開発の波が近づいてはいたものの、まだまだ人口密度が低い、長閑な田舎ではあった。しかし、地に足が着かないような、不思議な躍動感を内包した田舎という第一印象は、このプロジェクトの最終段階まで尾を引くことになった。

このプロジェクトは、中国の内陸部、重慶市の更に郊外地に新たに開発された住宅地に隣接する商業施設とジム、テニスコート、プールからなる運動施設と公園のコンプレックスである。そして、その複雑な地形からもたらされた、大蛇のような動きをもつ、ユニークな建築の配置の中に、これらの要素を繋ぐ動線と、付帯する広場スペース、駐車場、そして暫定的な森林エリア、極めてユニークな、まさに複雑な複合体を与件とした計画となっていた。波打つ地形と、うねるような建築のダイナミックさを、そのまま動線的な動きとして顕在化させ、そこから弾け飛ぶように、小さな広場を散在させ、多様なシーンが展開するランドスケープ。大らかな全体感よりも、個々の細かい要素の、偶然と必然が幾重にも重なって生まれる多様性から、単なる平穏を装ったランドスケープとは違うテーマが見出せないであろうか。単なる公園ではなく、運動公園と、賑やかなショッピングセンターという組合せが、こうした「ダイナミックさ」を許容し、郊外ではあるが、多目的な動線の交錯する都市的で刺激的な複雑性に解放する、という展開を思い描きながら、このプロジェクトは進んでいった。

もちろん、植物をはじめとする自然も、複雑な要素の一因とし、森林的なボリューム感から、園芸的に仕立てられた花壇、植木鉢に詰め込まれる花、造園的スケールのちょっとした庭まで、これらが、建物の谷間のビスタ上、あるいは、高低差のある敷地内の広場などから、必然的、または偶然的に視線上で重なり合い、また運動や行楽など多目的な人々の動きがさらに交錯し、幾つもの組合せで生まれるシーンを醸し出す。ランドスケープは、計画性と無計画性の狭間で、安定感と不安定感の間を往復する。もちろん、これ自体が計画的シナリオであって、偶然を装って、必然的に仕組むシーンを内包しなくてはならない。かくして、このプロジェクトは、全体感を動線やビスタなどの視線などで繋げながら、あとは、個々の要素をオブジェクト的にデザインしてゆくという手法を取っている。このシナリオ自体は、極めて現実的で、都市的、ある意味で場当たり的なランドスケープである。しかし、本当の本当は、必然的、計画的にシーンとして仕込みを行うのである。一見このランドスケープのクオリティを保証するものは、全体計画ではなく、個々のオブジェクトであるということになる。しかし、それらの重なりから、また違うランドスケープが生まれるはず、というところが、その先の狙いである。

これは、ある奇跡に近い偶然から自分が、地球上のあまり馴染みの無い場所に迷い込むという経験において、眼前に現れた風景への不思議な感覚。樹々や、田舎風の建物、畑とそのあぜ道、風や空模様、個々の要素に対しての違和感と親近感が同居しながら、眼前のランドスケープを理解しようとする本能に向き合い、やがて偶然的な場所との遭遇が、全て織り込み済みの体験の中に回収されてゆく。未知のものが既知のものへ、キネティックなランドスケープが、少しずつスタティックなそれへと、落ち着きを見せて行く。そのための細かいエレメントは、多い方が良い。少しでもその速度を緩め、新しい組合せの発見、キネティックな刺激と不安感を維持するため。郊外であっても、都市的なコンプレックスが体験される場所。公園であっても大らかな安らぎだけでは満足されない空間。農村地帯に突如として現れる住宅街、そこに立つ異邦人にとっては、このような感覚を微かにでも保持することが、恐らく必要となるであろう。

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