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南帝自天皇陵と河野宮墓







informationお知らせ 自天皇は上北山村(川上村の南)にある龍泉寺を行宮(あんぐう)とされていらっしゃり、長禄の変の際には、そこで襲撃されてしまわれました。自天皇の御首級は北朝の襲撃隊の手に渡りましたが、川上郷士はそれを奪回し、川上村金剛寺に埋葬しました。本堂の裏手には自天親王神社があります。また、本堂前には小松宮彰仁親王題額の「自天王碑」が1882(明治15)年に建てられています。一方、宮内庁は金剛寺境内にある御墓を自天皇の弟宮である「河野宮墓」として管轄しています。川上村の史料によれば、河野宮は川上村高原に祭られているということです。なぜこのような違いが生じてしまったのでしょうか。

 1993(平成5)年2月5日には例年のように朝拝式が執り行われましが、このとき「後亀山天皇玄孫 南帝自天皇陵」と刻まれた石碑の除幕式が行われました。宮内庁の「河野宮墓」という標識の前に、「自天皇陵」と刻まれた石碑が建つことになったのです。川上村筋目の方々の気持ちを表した石碑となっています。


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『歴史と旅』

1994年1月号
pp. 320-323

秋田書店


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