一筋の道

春陽会会員
八 木 伸 子

 幼時から病気ばかりして、両親を困らせていた私が、80歳になって、今も絵をつづけているのを、周囲の人達は皆びっくりしています。 50歳を過ぎるまで、絵を教えることなど、考えてもいませんでした。しかし、朝日カルチャーやNHK文化センターなど、私達のもとで20年以上も描きつづけて、道彩展にも出品し、賞や会員になった人達の活躍―。うれしくありかたいことです。
 ただその人達も、決してスラスラと前進出来ないでいる事も知っています。
 「スランプです。」とか「描いても描いてもわからなくなる。」とかいろいろ聞きます。絵の深さ、むつかしさに突き当ったからこその苦しみでしょう。
 私にしても、「楽しそうに好きな絵が描けていいですネ。」とか時々言われることがあって、答えに困ります。ふいたり消したり、出来ない絵の前で、絵の具だらけの私の姿、誰にも見せたくありません。
 ただ何年間かに一度位、夢中になって描いていて、今迄やったことが無い絵になってパッと筆を置くことがある。ものを作り出すことの喜び―。この一瞬のために、60年も苦しんで来たのかも知れません。
 決して才能があるわけでも無く不器用な私。でも他の事は頭に無く、絵しかやることはないと、一筋にやって来ました。
 女流画家として最高の仕事をされた三岸節子女史、94歳で亡くなった時、「指に赤い絵の具が残っていた。」と息子さんが書いておられます。
 又、昨年札幌で「102歳、小川マリの世界展」を開かれた私の師、マリ先生、小品なのに、身辺静物だけ追究された、あの格調高い画面は、私に絵を描く意味を改めて教えて下さったのでした。
 25年続いた道彩展、小堀さんはじめ皆さんが、背伸びせず地味な努力をつづけた結果でしょう。これから一層この会が輝くことを願って、私も蔭から応援して行くつもりです。



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