水彩画の未来は?
 ―道彩展25周年展によせて

作家
札幌時計台ギャラリー代表
荒 巻 義 雄

 西暦2030年、道彩展は50周年を迎える。この年、会員や会友、一般出品者の大たちの多くが、鬼籍入りをされておられるであろうが、未来を考えてもしょうがない―などとはおっしゃらないでほしい。
 なぜなら、現在の道彩展も、国松登さんや八木保次さんはじめ多くの先人たちの尽力があってこそ、25年前に発足したのだから。
 物事には必ずはじまりがあり、終わりがある。道彩展にも創立の世代があり、継承者がいる。さらに後継者がつづく。このように、代を重ねながら未来へ受け継がれていくことが大事だ。“継続は力”だ。道彩展が25年後も存続して欲しいと思うのは、至極、自然な人の心だ。
 しかし、一方では、滅びもまた自然の理である。実は、芸術が滅びるかもしれないと考える識者もいるわけで、従って、水彩画の運命についてもよく考えておく必要がある。
 かつて20世紀初頭、写真が登場して絵画を脅かしたように、高度な電子技術の駆使される映像が、絵画を衰退させるというのである。しかし、20世紀を通じて、絵画は写真とは競合すらしなかった。新しい領域を目指し、多様な変化をつづけて発展したではないか。なぜだろうか。写真が、従来の絵画の写実の部分を引きうけてくれたため、かえって自由になったからではないだろうか。電子映像技術の発展も同じだ。絵画は、絵画自身が自己目的化して、一層、奔放になるはずである。
 水彩画もますます自由になり、その多様化は油彩以上であろう。第一、顔料自体、従来の水彩絵具やアクリルに加えて、種類が増えつつある。
 因みに、顔彩、粉絵具、水可溶性油絵具、水彩色鉛筆、水溶性クレヨン、ドローイング・インクなどが思い浮かぶ。また、技法も、次々と新しい工夫が登場し、筆者なども、展覧会場でそれを見付けるのが楽しみである。むろん、お手軽だからというわけではない。入口が広く、それでいて奥が深いのが水彩画である。水彩画は、〈軽さ〉や〈スピード〉〈明透性〉など、21世紀という宝瓶宮コードにもぴったりである。



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