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ホールを見てみたい!

地図の赤丸がホールの位置

 
幕末の探検家「松浦武四郎」が安政4年(1857年)、新道調査のためこの一帯を踏査し作成した地図を眺めると、よくぞ情報のない時代にこれだけのものを!とつくづく感心させられる。
どこの図書館にも置いてあると思うので、一度眺める見るとよい。
ホールって何?どこにあるの?当然の疑問だ。これは、以前に古地図(松浦武四郎)を見たときに風不死岳北東の支笏湖畔に「ホール」と記載があり、何なんだろうと疑問を持った。その後、 「ちとせ地名散歩」を見たところ、その本に詳細が書かれていたことが今回の探索の切っ掛けとなった。
その本には、ホール=horu=洞窟とあり、シリシュット湾の東端で、そこに四つの洞窟が連続して並んでいて、その湖畔は、やや湖に突き出て沖に大きな岩がころがり、その大きさ(幅奥×行き)が
2.5m×2.5m ・ 3.0m×2.5m ・ 6.0m×1.5m ・ 3.0m×2.0mと詳細に記載されている。
また、湖の波に削り取られてできたこの穴を、狩りに来た古人達は雨露をしのいだり、寝泊の場として利用していたとも書いている。
この文献でも洞窟の崩壊が進んでい ると書いてあったが、現在のホールは昔の面影を残しているものの崩壊が進み、ここにハッキリとした4つの洞窟を見つけることはできず、古地図や文献を知らないものにとって洞窟を認識する者はないと思われる。
 


シリシュット[Sir-sut  山・麓]湾とは、米軍キャンプの有った入り江のこと。
米軍がここの砂浜の地形に惚れて訓練所の名目で借り上げていた。しかし、米軍 広報誌には「サマーキャンプ」とうたい、禁漁区を開放させ、スナックと宿泊施設や水浴場を作り、小さな「アメリカ」を米軍人の保養として使用していた。 現在は、国道からの入口に鉄のゲートが設けられ、車での進入はできなくなっているが、釣り人の姿は絶えない静かな入り江である。
ホールの東側湖畔には、今も多くの大木の根株が水辺に残っている。これは、支笏湖がダム化したことによって水位が上がり死んでいった大木の残骸だ。