1●日の出館:開館1908年〜閉館不詳:場所不明 街の有志が発起人となって、130坪の日の出館を建設し、人々の娯楽の場となった。と名誉市民小保方氏の回願に記されているのが出所源だろうが、その先を見つけることができなかった。 |
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2●互楽館:開館1910年〜閉館1921:幸町1-3-13
現在の幸町1丁目の中心部に7件の遊郭とその周辺に互楽館、巴館、常盤座があり、浪花節専門で営業していたが、1921年の鯉のぼり大火で焼失した。
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1921年の鯉のぼり大火後に記憶をもとに作られた地図 |
3●巴館:開館1910年〜閉館1921:幸町1-4-8
常盤座南側で、小さな施設で寄席専門にしていたが、1921年の鯉のぼり大火で焼失した。
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4●常盤座:開館1910年〜閉館1921年:幸町2-3-6
王子製紙苫小牧工場の開業と同じ1910年に遊郭通り(幸町2号線)突き当りに建設され、翌年王子製紙から電気が供給され、映画も上映できるようになった。1921年の鯉のぼり大火でぎりぎり焼失を免れたが、同年廃業した。常盤前道線(一条通りの旧弥生橋からアイビープラザ方向に約115m)として道路名が現在も残っている。
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5●王子娯楽場:開館1915年〜閉館1982年:表町3-1-9
東京から寒い北海道に従業員を呼ぶために、駅前通りに東京明治座を模した歌舞伎場を建設した。
当初は歌舞伎や能の公演であったが、1940年に映写機を導入、1950年に大規模内部改修がおこなわれ、回り舞台や花道が取り払われて柵席から椅子(収容人員1,500)に代わり常設映画館として再スタートし、歌舞伎・能・芝居や芸能界のトップスターを呼んでの興行もおこなった。「日本映画事業総覧昭和5年版(出版昭和2年(1927年))」を見ると「館名を演藝場・所在地王子製紙内・定員860」と確認できる。
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6●大和座:開館1919年〜閉館1922年:寿町2-4-6⇒本幸町2-3-17
簑口氏が「かねふく屋呉服店」裏に新設したが、1921年の鯉のぼり大火で焼失後、本幸町の国道沿いに再建し、映画、芝居・浪花節が行われたが、翌年売却(⇒喜楽座)し閉館となった。「日本映画事業総覧昭和5年版」に650席とあり。
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1919年移転前の大和座
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1925年移転後の大和座 |
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7●喜楽座:開館1922年〜閉館1959年:本幸町2-3-17
閉館した大和座を砂川氏が買取り「喜楽座」として映画・浪曲・芝居などを興行した。
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1925年の喜楽座 |
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8●旭館:開館1922年〜閉館1986年・大町1-2-17
初めての常設活動写真館として今井氏が新設し、この通りを「旭館通り」と呼ぶようになった。1928年の大町大火で焼失したが、有志により旭館組合が設立され再開した。「日本映画事業総覧昭和5年版」に249席とあり。東映旭館り。
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1925年の旭館
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1960年代の旭館
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9●苫小牧映劇:開館1956年〜閉館1957年:錦町2-6-3
錦町の吉本仏具店向かいに客席定員160人の洋画専門館として開館したが、わずか1年未満で閉館となった。昭和31年苫小牧市々街案内図に苫小牧劇場とあり。⇒遊楽館
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10●緑映画劇場:開館1956年〜閉館1957年頃:音羽町2-19-1
「映画年鑑 1960年版別冊 映画便覧」に大町とあるが、緑町の間違いと思われる。
閉館後かは不明であるが火災で焼失した。夜の火災で、遠くからも確認できるほどの勢いであったと聞く。2階建劇場で、火災後しばらくその姿を残していた。
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