トゥエルの村風景

ストーリーと背景

 物語はまさに現代、西暦2000年のフィリピンが舞台です。
 豊かな生活を求めてルソン島北部の
コルディリエラ地方(*1)の村から バギオ(*2)の町へ出てきた日系フィリピン人(*3)三世のハポン。ジープニー(乗り合いジープ)の運転手をして働きながら、高級住宅地に家を買うことを夢見ていました。しかし妻が3人の子どもを置いて外国へ出稼ぎ(*4)に行こうとし、不法斡旋業者の偽造パスポートが見つかり捕まってしまいます。出稼ぎ資金で多額の借金を抱えたハポンは、一獲千金の算段をするが上手くいかず、子どもたちと共に不法居住者地区の家も追われます。
 そして、やむなく日系2世の祖母が待つ故郷の村へ戻ります。しかし、子どもたちと共に、村であらためて発見したのは、豊かな自然と、
伝統的な精霊信仰(*5)、そして自然の恵みを享受して楽しそうに暮らす山岳民族の人々でした…。ハポンは、そこで家族が生きて行く本当の場所を再確認するのです。
 物語の中には、小さな湧水がいくつも映しだされ、それがやがて一本の沢と山の全体を映し出します。個性にみちた登場人物の語る言葉、村や町の風景、クローズアップされる自然界の生き物たちの多様な形や色が、さらにこの映画の物
語を豊かに彩っていきます。

* コルディリエラ地方
コルディリエラ地方は、北部ルソンの内陸にある6つの州からなっている広大で急峻な山岳地帯で、山裾から海抜千数百メートル〜二千メートル余りの高地まで続くライステラス(棚田)で名高いところです。そこで暮らしている人々は、総称してイゴロット(山の民)呼ばれる少数民族の人たちで、彼等は、他の低地フィリピン人とは異なった独自な伝統的な生産様式、社会・政治制度、世界観、宗教、文化的伝統を現在にいたるまで保持し続けてきました。これは、イゴロットの人たちが、フィリピンを3世紀に渡って植民地化したスペインの支配に対して抵抗しつづけ、西洋文明の影響を受けるのが他の場所より遅くなった結果なのですが、このことによって、イゴロットの人たちは、フィリピンの中でも異教徒で文明を知らない原始的な連中という差別をうけることになりました。
 
しかし最近世界的に先住民族や少数民族の文化が注目されるようになったこともあって、自然と共生してきたイゴロットの文化は徐々にフィリピンの貴重な文化遺産として敬意が払われるようになっています。実際、イゴロットの人たちは自分達の文化に対して誇り高い人たちで、この映画の中のように、一度町へ出た人でもまた村へ戻って、伝統的な生活様式を引き継ぐということもめずらしくないようです。(コルディレラの棚田は、2千年の歴史を持つと言われ、1995年に「世界文化遺産」として登録されました)

* 2 バギオ
 バギオは、コルディリエラ地方の入り口に位置する都市で、マニラからバスで約6時間、標高1500mのところにあります。年間の平均気温が20℃という過ごしやすさから、アメリカ統治時代、夏の首都(Summer Capital)として開発され、合衆国植民地の模範都市として「アメリカに最も近い場所」とも言われたというくらいアメリカ風の町だったようです。
現在のバギオは、コルディリエラの人々の生活の中心地として、山岳民族の人たちが多く集まり賑わう町です。町の中心には、大きなマーケットがあって、周辺各地の産物は、ここに集積し売買され、また、バスターミナルからはコルディレラ各地へ向かうバスがひっきりなしに発着します。バギオはまた、大学、専門学校の町でもあり、やはりコルディレラの村々から出て来たたくさんの若者でいつもあふれんばかりです。

* 3 日系フィリピン人
 コルディリエラ地方が日本と深い関係にあること、そして多くの日系人が暮らしていることはあまり知られていません。彼等は、この100年の日比関係史、とりわけその不幸な部分に翻弄された人々でした。
 そもそもこの地にたくさんの日本人がやってきたのは、1900年代初頭に、アメリカ植民地政府が山岳地帯の「夏の首都」バギオへ登る鋪装道路「ベンゲット道路」を建設しようとしたことに始まります。急峻な山の斜面を切り開くこの道路建設は難航を極め、労働者不足を補うために多くの外国人労働者が呼び集められましたが、その中には延べ2千5百人程の日本人労働者たちがいました。彼等は、当時まだ貧しかった日本から海外に新天地を求めて渡って来た人々でしたが、待っていたのは危険な難工事と重労働で、完成するまでに、500人とも700人とも言われる多数の人々が事故や病で亡くなったということです。
 工事終了後、日本人は多くこの地に残り、ほとんどが単身男性だったこともあって現地の女性と結婚して家庭を築きます。そして、新しく日本からやってきた人も加わって、バギオには大きな日本人町が形成されました。日本人たちは商業、農業、建設業などに従事し、その頃大工技術や高原野菜の栽培法などをこの地に伝えたということです。
 着々と生活基盤を築いていたのも束の間、やがて、第二次世界大戦が勃発。戦争中、日本軍兵士たちと同行を強制された日系民間人たちは、敗走する日本軍と共に、飢餓線上をさまよい、多くの命が失われます。しかも残虐行為を行った日本軍に加担したということで、生き残った人たちも戦犯となって処刑されたり、戦後フィリピン人たちの激しい憎悪と差別の対象になります。日系人は、その後長い間日本の名前を隠し、山岳地帯でひっそりと、身を隠すように暮らすことになりました。
 1975年にこの地を訪れたシスター海野が、日系人たちの窮状を知って支援活動に立ち上がったこと、また80年代に入り、経済大国としての日本のイメージが浸透していったことなどもあって、最近日系人たちは、再び日本名を名乗りはじめています。しかし、彼等の生活は総じて厳しい状態が続いており、昨今日本で、日系人のみが制限ない就労ビザを取得できる制度が出来たこともあり、今度はこの映画のハポンのように、逆方向の出稼ぎ労働者となって祖父の生まれた国、日本へ働きに行くようになっています。ここ数年日本国内に暮らすフィリピン人はまた急増していますが、その中にはこうした日系人も含まれています。

* 4 外国へ出稼ぎ
フィリピンは労働者輸出大国と言われています。労働力人口の約1割に当たる約4百万人が海外へ出稼ぎに出ていて、その国内への送金額は、1996年の統計で約50億米ドル、これはフィリピンの国家予算の三分の一に匹敵する額 でした。 彼らの主な仕事は、アメリカでは看護婦、サウジアラビアでは工場労働者、ヨーロッパ、シンガポール、香港では家政婦など、日本ではエンターテイナーと看護師、 そして車や家電の工場で働く日系人が増加しています。一般にフィリピン人の教育程度が高く英語も話すことが出来るということが、 海外での就労に拍車をかけているようです。このようにフィリピン経済にとっては大きな役割を担っている海外労働者ですが、逆に言えば国内の就業機会が限られているため止むを得ず海外に出ている面もあり、海外労働者の急増は、 国内では家庭崩壊や地方経済の衰退など深刻な社会問題なり、また出稼ぎ先では、差別、搾取、暴力や虐待といった人権侵害が頻発する状況を生み出しています。

* 5 伝統的な精霊信仰
  独自の文化伝統を維持しているコルディリエラの人々は、キリスト教などの影響をうけつつも、その生活において、今なおアミニズム(精霊信仰)に裏付けられた宗教的な世界の中で暮らしています。先住山岳民族の一つであるボントック族がアニトと呼ぶ精霊は、広義には、霊的、超自然的な存在全般、例えば森や川に住む自然の精霊、妖怪、動物の霊などであり、狭義には、人間の霊です。そして、人々は、生活の中でこの精霊に常に身近に意識し、事あるごとに語りかけ、祈ります。人と人の調和だけでなく、人と超自然的存在との調和にみちた生活こそ、もっとも理想とされる。

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