☆ 欧米風個人主義って、ほんとに良いの?!?

 「日本の民主主義は付けやいばだから」
 「欧米には、個人主義の伝統があるからね。その背景にキリスト教という文化もあるし、日本とは違うよ」

 そんな議論に出会ったことがありませんか?

 そして、そういう「知ったか」をされると、そうかな、と思っても、つい、そうなんだろうな、と自分の無知を知られないうちに撤退してしまいがちです。

 つまり、「欧米の個人主義」とかいう言葉に日本人は弱いのです。

 ところで、欧米風個人主義の原点にキリスト教がある、なんていう「知ったか」は、まったくの間違いです。確かに、キリスト教では、個性の尊重を大切にします。それはある意味で、個人の尊重になりますから、「それ、個人主義ではないか!」と言われそうです。しかし、違うのです。

 キリスト教で言う、個性とは、個々人が違うものとして造られている、その違いを尊重していこう、全部が目立ったら困るじゃないか、全部が手だったらどうやって食べるんだい?という至極まっとうな思想です。そして、この考え方なら、何もキリスト教を引き合いに出さなくても、人間として当たり前に納得できる考え方です。もちろん、日本人だって、西欧風の個人主義は分からなくても、平安時代から、この程度の個性尊重は行ってきています。そうでなくて、どうして、源氏物語や枕草子などといった多彩な女流文学が生まれてくるでしょう。

 でも、「欧米風個人主義」というと、チョッと違うものを意味しますよね。そこで、こんしゅうは、そのルーツを探してみようと思います。ルーツが分かれば、もう怖くない、なんてね。

 欧米風個人主義のルーツは、中国や日本の封建制とはかなり違った、西欧中世の封建制度にある、とわたしは睨んでいます。歴史の分野で中世ヨーロッパを取り上げていますから、詳しいことはそこで考えるとして、大雑把に言って、東洋の封建制が土地の支配を基盤としているのに対し、西欧中世の封建制は、人の支配を基盤として発達してきます。そもそもがゲルマン民族大移動ですから、ヨーロッパ来襲時は部族単位で耕地を毎年転々と変えていくという移動農業が経済の基本にあります。ヨーロッパ定住と言っても、何年か経てば元の耕地に戻るようなサイクルを作り、住居の移動をしなくなっただけで非効率なことに変わりはなかったのです。こうした中で、相応に生活を向上させようとすれば、周辺の土地を耕している定住民をどれだけ配下に置くか、という問題になります。彼らは、木や石で城砦を築き、そこを拠点に5キロから8キロ程度の範囲内、つまり、馬に乗って1日に無理なく往復できる範囲内を、自分の支配領域と定め、住民達の把握に全力を注いだのです。これが騎士という階級で、それぞれの思い決めた領域内に別の騎士の領域が触れると戦いになり、敗れたほうが移動するというくり返しの中で、次第にそれぞれの支配領域が確定していきます。(もちろん騎士の中には、在地の豪農から進化したものもいたし、有力な封建領主から役人として派遣されたものも居た。しかし、基本は、ゲルマン部族の有力者出身のこうした騎士たちだった。)

 さて、このような騎士階級を基盤にして、ヨーロッパの封建制は発展する。騎士がその配下や住民達を把握しようとしたのと同様に、有力な騎士たち(ゲルマンの部族の中での元来の有力者、たまたま定住した土地が裕福であったために有力になった新興豪族、いち早く、配下の騎士たちを糾合して、勢力を培ったもの)は、その力をより強めるために、一人でも多くの騎士たちを配下に置こうとする。その際に用いられた方法が、主従契約というやり方で、騎士たちは相互に契約を交わしあい、連合体を作っていったのです。

 この契約という考え方に、個人主義の源泉があるのです。お互いに契約に縛られる、という事から、それぞれが自分に少しでも有利に契約を結んでいこうという考え方が生まれます。また、一人の騎士が複数の領主あるいは騎士と異なる契約を結ぶということもあるので、その契約の内容をよく吟味してなるべく競合がないようにしなければなりません。実際、戦いに参加する日数は月に5日以内、というような契約を交わしていた場合、たとえ戦いの最中であっても、5日が過ぎればその騎士は退陣しても良かったのです。これなど、日本や中国の封建関係では考えることもできない光景でしょう。

 と、まぁ、「欧米風個人主義」のルーツを探ってみたわけですが、要するに、利己主義の徹底したもの、と考えることができます。ヨーロッパにも、福祉であるとか、社会資産であるとか、全体を考える思想はあります。しかし、全体は全体で、個人は個人で考える、というのが、個人主義の基本でしょう。この主張を貫徹するためには、まず強烈な自己主張とそれを支える利己主義が必要とされるのです。利己主義というと、わたしたち日本人は、何か悪いことのように考えてしまいます。日本の場合、まず農地が存在し、そこに定住した民衆の共同作業が存在しました。祭りなどにその痕跡が見られます。公地公民という思想が日本全土に広まるに連れ、この農業共同体を管理する役人が中央から派遣されてきます。その役人達のうち、地域に定住したものが、やがて武士階級を作り、地域ごとに源氏なり平氏なりに統合されていきます。日本での封建制度は、この基盤の上に、家柄という考え方が加わり、ご恩とご奉公、つまり、大将から土地の委託権を受けた武士は、その大将が召集をかけた時には「いざ、鎌倉」と集まって誠心誠意ご奉公していく、という関係により成立していきます。その意味で、日本人にとって、西欧的個人主義に違和感があるのは当然です。

 ところで、民主主義とはなんでしょう。ルーツであるギリシャ・ローマを見ても、民衆一人一人の考え方が全体に反映するという思想で、個人の利己主義と、その総和である全体の福祉とをどう調和させていくかという決定を行うのも、民の総意によるという思想です。この意味で、「欧米風個人主義」の伝統は、日本的な「全体主義」の伝統同様、民主主義の基礎にも発展にも何の役割も果たしていないのです。わたしたちは、もうそろそろ、この拝欧主義という目の曇りを拭い去り、日本独自の民主主義の伝統を作り上げるという気概を持つ時期に来ているのではないでしょうか。

 あぁ、今回は、大真面目に書いてしまったね。みんな息が詰まったかな。来週は軽く行きます。