トップ > 雑記帳 > アート関連 1998

Sorry this page is in Japanese only.

上から古い順。 一番下の記事

一時期通っていたイラスト講座の課題エッセイ集。後日加筆修正あり。


1998-05-05
画家とイラストレーターの違い
とりあえず浮かぶのが、画家=芸術家、イラストレーター=職人、という関係でしょうか。画家は絵画という方法で自己表現が自由にできるけれど、成功するかどうかは世間の評価にかかっているし、一方、イラストレーターはある依頼があってそのために絵を描くので、報酬は保障されるけれど自分の好きなものが描けない、という訳です。おおざっぱに言ってしまえばこんな感じでしょうか。でも、それではなんとなくつまらない気がします。本当のところは画家だって依頼されて絵を描くし、イラストレーターだって好きな絵を描いてそれを売り込む場合もあるでしょう。
そもそも絵画とイラストはどう違うのでしょう。絵画=油絵/水彩画/水墨画など、イラスト=ポスターカラー/鉛筆/ペン画など? イメージ的にはそうでも、実際は必ずしもそうでもないようです。今まで漠然と区別ができたつもりでしたけれど、いざ考えてみると案外曖昧なので、我ながら驚いています。
小学校のころからイラストレーターになりたいなあという漠然とした夢がありました(漫画家というのもあったのですが)。それは第一に絵を描くことが好きだったからというのがありましたけれど、なぜか「イラストレーター」であって「画家」ではないのです。そこになんとなく答えがあるような気がします。今となってははっきり思い出せないけれど、イラストというものは自分の中のイメージや空想を自由に表現できるもので、人物や風景などを模写する絵画より夢のあるものという風に考えていたと思います。このエッセイを書いていて、もしかしたら私は今でもそう思っているから絵画でなくイラストのコースを選択したのだろうな、と今更ながら気づきました。私にとっては画家(絵画)とイラストレーター(イラスト)の違いとは、多分そういうことなのです。


1998-05-13
中学校、高校で描いた絵について
絵を描くこと自体は楽しんでいたのですが、私は一体何を書いていたのだっけ、と頭をひねらせてしまいます。ただ、高校の時の授業のやり方が面白かったので、それについて書いてみます。
大体一ヶ月かけて一つのテーマを与えられるのですが、まず、A1サイズの画用紙を毎週一枚ずつ、自ら調べたことやイメージ等々の絵を描いて埋めます(小さなデッサンがたくさんあってもいいし、大きな絵が二つ位でもいい)。絵だけでなく、自分で撮った写真を貼ってもいい。それを三週間ほど続けて、四週目は今まで集めたアイデアをまとめて完成画を一枚作ります(この時点ではスケッチ程度)。そうして一年を通してできたいくつもの完成画の中から一つを選んで、最終的に清書(絵の具やシルクスクリーン等で)します。図書館に行って調べ物をしたり、外に写真を撮りにいったり、他の科目ではない面白さがあってとても好きでした。ただ、テーマによるのですが。フリーマーケットや建築現場ならまだしも、墓場というお題になると! カメラ片手に近所のお墓に写真を撮りに行きながら、私は何をやっているのだろう、と思ったこともあります……。
その授業では、絵はできるだけ汚く、雑に描きなさいと教えられました。失敗した線も消さずにどんどん上から描き込むように、色もなるべく多く思い切りつけなさいと。絵は綺麗に丁寧に描くものだと思っていた私はとてもショックでしたが、だんだん慣れてきて、最後には思う存分紙の上に絵の具やパステルをぶちまけていました。今はその感覚はすっかりわすれてしまいましたが、またそんな風に自由奔放に絵を描くことができるでしょうか。


1998-05-20
デッサンについて
デッサンとは、実物が目の前にあって、それを正確に写実することだと思っていました。でも、それだけではないのですね。イメージデッサンというものを前回の講義で初めて知りました。考えてみれば、目の前にあるものを描くということは誰でもできることですが、目の前にないものを頭の中のイメージだけで正確に描くということは、なかなかできることではありません。そのために普段からしっかりとものを見るようにしていないといけないのですね。
今まで自分が、どれだけまわりのものをきちんと見ていなかったか、ということを、イメージデッサンをして実感しました。つまり、見て、観察して、記憶することができていなかった。描く技術だけでなく、見る技術も同じ位大切なものなのですね。ものすごく納得してしまった講義でした。最近あまり頭を使っていなかったので、たまにはものをきちんと観察して見てみることを覚えようと思いました。
都会に住んでいると、まわりに無関心になるとよくいいますが、私もそんな大都会病みたいなものにかかっているのでしょうか。街を歩いていても、電車に乗っていても、あまりまわりを見回すということをしないので、そこにどんな人がいたか、どんな建物があったか、あとで聞かれても答えられないと思います。でも、それを変えていくことが、ものを見る第一歩になるのでしょう。残業続きで毎日家と会社を往復するだけの生活にはうんざりしていたのですが、そういう時こそまわりを見回して、色々なものを見ていたら気が紛れていたかもしれません。単調な生活を、下を向いてますます狭いものにしていたのかもしれないな、と感じました。


1998-05-27
ムーミンの作者トーベ・ヤンソンについて
ムーミンといえば、小さい頃にテレビアニメで観ていましたが、その時はてっきり日本の作品だと思っていて、原作がフィンランド人によって描かれたものだと知ったのは、ずいぶん後になってからだと思います。他の作品と違ってキャラクターが印象的で、不思議な雰囲気の作品だなあとは感じてはいたのですが。
ですから、トーベ・ヤンソンという人がどんな人だったか、今までほとんど知りませんでした。あわてて図書館で本を探して、ムーミンシリーズは全くの創作というわけではなく、ヤンソンの育ったフィンランドの豊かな自然と民話の精霊たちが背景になっているのを知りました。物語もそんな中で自然に生まれてきたものかと思いましたが、それほど単純でもなさそうです。雑誌に風刺漫画などを描いていたものの、反戦・反独裁主義という理由で検閲での手直しが続き(第二次世界大戦の前後だったので)自由に描けない苦悩があり、戦争の影響で何を描いても暗い灰色の絵になってしまい画家としても挫折があり……云々。そんな泥沼をぬけるために、架空の生き物ムーミントロールのおとぎ話ができたといいます。ムーミントロールはその前からヤンソンの風刺漫画にも登場していますが、その表情は(戦争に対する)怒りさえもうかがえるもので、私の知っているあのかわいいムーミンの違った一面を見たようで、複雑な気持ちになりました。
しかしながら、ムーミンパパとママは父と母、ムーミン谷とそれをとりまく海や山は子どものころから過ごしたフィンランドの島々や海、そしてムーミンやしきは祖父母の家がそれぞれモデルになっているようで、やはりヤンソンが育った家族のあたたかい環境があったからこそできた物語なのでしょう。それにしても、ヤンソンが水道も電気も電話もない孤島で一年の三分の一ほどすごし、(ムーミンシリーズや他の小説の)執筆活動を続けていたとは驚きました。自然が好きだったからなのでしょうか、それとも、文明社会には無駄な物事が多すぎて、静かに考えることができなかったからなのでしょうか。
リンドバーグ夫人著「海からの贈り物」という本で、印象深い一節を思い出しました。夫人が浜辺の「暖房も電話も湯を沸かす設備もない」家で書いたもので、「浜辺での生活で第一に覚えることは、不必要な物を捨てるということである。どれだけ少ないものでやっていけるかで、どれだけ多くではない」と記しています。ヤンソンの島の生活はそれに通じるものがあるのでしょうか。この本を読んだ当時、大変感銘を受けたのを覚えています。


1998-06-04
印象派について
印象派の絵、というとなんとなく全体的にぼんやりした感じの絵、輪郭より色彩の調子で表現する絵を想像します。ぱっと浮かぶのが、モネの水連の絵。さて、印象派とはなにか? 名前のもとはモネの作品の一つのタイトル「印象、日の出」とも言われているそうですが、時代は十九世紀後期、もともとはスケッチじみた未完成な感じのする作品に対する嘲りの言葉として始まったそうです。それまではきっちり完成され、テーマも伝統的なものが好まれていたので、スケッチ風でしかも現代的な情景を描いた絵はなかなか評価されませんでした。そのため、印象派の画家は、当時のサロン(フランスで行われた芸術品評会)から拒絶され、独自に開いた印象派展に作品を出品していたそうです。
一言で印象派といっても、様々な画家がいてそれぞれの好みはあったようです。でも、アトリエを出て戸外で描くということが共通する中心課題だったようです。そして、まさにスケッチするように目の前の情景を表現する。近くで見ると乱雑に塗り重ねられたとしか思えない絵の具が、全体を見るとちゃんと一つの風景になっている。これは今でも感動します。また、色彩の使い方にも特徴があり、限られた範囲の色で微妙で変化に富んだ効果を出していました。シュブルールの色彩の同時対比の法則(隣り合う色彩がお互いに影響しあって異なって見える、等)を基礎とし、対象の色は固有のものではなくその周囲の色によって変化する、という考え方が背景にありました。感覚まかせだけで描いているわけではなく、きちんとした技法のようなものがあったのですね。


1998-06-11
パステルについて
以前パステルを使ったことがあるのですが、それはクレヨンのような質感のものでした。まだあるかもと思って部屋を探してみたら、それはオイルパステルでした。ソフトパステルと比べて表面がべたっとしていて、まわりに紙が巻いてあります。試しに紙に塗って指でこすってみましたが、あまりのびません。借りてきたパステルの本で調べると、オイルパステルは油絵の具と同様テレピン油で調整することができるそうです。
ところで、クレヨンとパステルとは違うものなのでしょうか?オイルパステル以外には、パステルにはソフト、セミハード、ハードとあって、ハードパステルはコンテクレヨンと呼ばれているそうです。使う紙も様々なようです。どんな画材でも色々試してみて体で覚えるしかないのは同じでしょうが、パステルはその中でも最も多彩な画材の一つなのではないでしょうか。オイルパステル以外のパステル(ハードパステル)を先週の講義で初めて使いましたが、指でこすったり色を重ねたり、色々なことができてなかなか楽しいと思いました。色鉛筆の時はなかなか感覚がつかめなかったのですが、パステルではこんな感じでいいのかと思いつつ適当に色を塗り重ねていっても、遠くからみるとなんとなくそれっぽくできていたのもありますが……。
今回借りてきたパステルの本は、洋書の和訳版だったので、水溶性パステル(全四十八色)なるものがあることも書いてありました。でも残念ながら日本にはないようです。


1998-06-18
私と絵本
小さい頃はたくさん絵本を読んでいたと思います。考えれば考えるほど、あんなのもあったこんなのもあった、と思うのですが、その中でも一番始めに思い浮かぶのは、「ちいさいおうち」です。平和な田舎にあった家が、時が経つにつれて周りが発展して都会化されて、そのうちビルの間で廃屋になってしまうのですが、最後は家の持ち主の子孫が家を丸ごと田舎へ持っていって(トラックの荷台に乗せて……!今考えるとなんて強引な、と思ってしまいますが)また平和な日々が戻る、というお話です。そのおうちはいつもページの真ん中に描かれていて、ページをめくるたびに周りの景色が変わっていく、という構成になっています。その除々に変化する様子が楽しくて好きでした。文章もおうち主体で書かれているので、このいじらしいおうちに感情移入してしまい、都会に埋もれてしまっている場面ではとても悲しくなってしまった記憶があります。挿絵の色使いがきれいで、今も大好きです。
いつごろからだったか、絵本を読まなくなって、絵といえばマンガばかり読むようになってしまい、絵本から遠ざかってしまいました。絵本は小さな子どもの読むものと感じていたからです。高校の頃だったか、「ペンギンのペンギン」という絵本を友人からもらいました。絵本といっても、写実的な絵にちょっとシュールな内容の、大人向けの絵本です。真面目に描かれたペンギンが真面目くさってとてもまぬけなことをしていて、ちょっと笑ってしまう作品です。この本をきっかけに、絵本というものに再び興味を持ち始めました。大学生の時、あまりにもきれいなイラストに惹かれて衝動買いしてしまった絵本があります。お話はグリム童話の眠り姫ですが、エロル・ル・カイン(Errol Le Cain)という人がイラストを描いています。緻密なラインとやさしい色使いに惹き込まれました。見開きのページの片方が絵で、もう片方が文章なのですが、文章側にもイラストの枠がかけられたり色々な模様の絵で縁取りされていたりして、凝っています。
絵本には二種類あって、一つはお話が先にあってそれに挿絵として絵をつけたもの、もう一つは絵が主体でそれに合わせてお話が進んでいくものがあるそうです。眠り姫の絵本は前者、ペンギンのペンギンはおそらく後者にあたるのでしょう。でも、本当の意味でも絵本というものは、後者のことだと言っている人もいます。長谷川集平さんという絵本作家が絵本づくりについて書いた本を、以前興味本位で読んでみたことがあるのですが、そこに書いてあったものです。絵本というのはなかなか深い世界です。


1998-06-26
絵の具について
チューブに入った絵の具といえば、水彩絵の具でしょうか。アクリル絵の具も幾度か使ったことはありますが、画材としてあまり把握できていません。水彩は今でもたまに使う、大好きな絵の具です。色の透明感が好きです。色を塗るときは原色では使わず、必ず二色以上の色を混ぜて使います。だから、同じ部分の色を作っていても混ぜる度に微妙に色が違ってきて、そこがまた良いのです。自然でやわらかな感じが出ます。下書きを鉛筆でさっと描いて、それに色づけするのですが、面積が大きいところでも一度には塗らず、何度にも分けて色を作って、ちまちまと塗っていきます。描くものは風景やその辺の小物(静物画というのでしょうか)や全くの想像の絵など、様々です。実際に手元に残っている作品はほとんどないので、少しでもとっておけばよかったと後悔しています。
昔のアルバムを見るような感覚で、昔描いた絵をもう一度見てみたいと思うのですが、それはもう無理なので、今からたくさん絵を描いて何十年後かにそれを見て懐かしむことにします。その時私は一体なにをやっているでしょう……。


1998-07-02
抽象画について
抽象画で好きなのは、クレーやカンディンスキーの作品です。もっとも、色使いやデザインが感覚的に素敵だと感じたからだけで、一枚一枚意味のある絵画としてきちんと観賞はしていませんでした。抽象画は、一つの作品が生まれるまで、作者の頭の中で様々な過程があり、練りに練られて出来上がるものなのでしょうか。それとも、なにかひらめきがあって、瞬間的にできるものなのでしょうか。決まった技法もあるわけでもなく、感覚的なものが強い印象があり、そういう点から見ると、抽象画について論じるのは難しいですね。
先週の講義で、Sさん(*)の抽象画作品を拝見できたのは、とても貴重な体験でした。絵の面白さはもちろん、それ以上にSさんの絵を描く意欲がひしひしと伝わってきて感動しました。また、最近忙しいのを理由にデッサンなどをさぼっていた自分の、絵を描きたい気持ちを問い直させられました。絵を描き始めるきっかけになればと思い、この講座を受けたものの、結局今は講義中でしか描いていません。ステンドグラス製作も一日中仕事でやっていると、帰宅後や休日はそれ以外のことをしたくてガラスをほとんど触っていません。でも、仕事では与えられたもの、決まったものしか作れません。だから、創作活動はいつになってもできない。自分の作品は自分の時間で作るしかないことを改めて気づかされました。Sさんが多くの人に作品を見てもらうとおっしゃっていましたが、本当にそれは大切だと思いました。自己満足で終わってしまったらそれは単なる趣味で、作品を見てもらうことが仕事としてプロとしてやっていく上での第一歩なのですよね。
Sさんの作品で特に好きなのは、写真立ての裏に女の子の顔がちょこんと描いてある作品です。その他、木の板にラインを描いた作品など、紙の上にとどまらないところが面白いですね。そんな斬新な抽象画、新作ができたらぜひまた拝見したいと思います。 (*)講座の先生の知り合いの方。


1998-07-23
好きなミュージシャンについて
シンガーソングライターで、アイルランド出身のエリノア・マックヴォイという人がいます。元アイルランドのナショナル・シンフォニー・オーケストラのヴァイオリニストだったそうで、そこからロックミュージシャンに転身したそうです。理由は分かりませんが、やはり自分の好きな音楽を作って歌いたかったのでしょうか。派手ではないけれど、身近なこと、日常のちょっとしたことを切実に歌っているところが、素朴で好きです。じんときます。

ビアズリーについて
絵と名前だけは知っていました。特に、サロメの挿絵はよく見ます。線が繊細で、緻密な模様を描き込むこのタッチは好きですが、この人の絵全体の独特な不気味な雰囲気(特に人の顔)にはちょっと怖い印象を持っていました。性格的にも複雑で不可解な一面を持っていた人だったのでは、と思っていました。今回、たまたま芸術公論のビアズリー特集を読む機会があって調べることができましたが、こんなにたくさんの作品を描いて世を騒がせて、たった二十五年しか生きていなかったとは驚きです。新しい印刷技術を使い、絵を大量印刷して多くの人に見てもらうという方法をとったからこそ、ここまで注目を集めることができたのはあるでしょう。でも、肺病をわずらい、いつ自分の人生が終わってしまうのか分からない中で、世間の注目を集めるには大胆にならなければならなかった。そして選んだのが彼のいうグロテスクであること……分からなくもないです。絵の才能もあるけれども、生きるということにとてつもなくエネルギーを注いでいた人なのだと感じました。


1998-08-28
ミレーについて
「落ち穂拾い」の制作動機などはよくわからなかったのですが、ミレーが働く人々にこだわり描き続けていたのは、ミレーの一連の作品をみてわかりました。「落ち穂拾い」については、当時政治的な意味が含まれているのではないかという様々な論評がなされ、評論家たちからは批判されていたようです。ミレー本人は、田園風景で見た光景を素直に描いているだけだと主張していましたが。私は、農民の働く姿に魅せられ、人間の体や筋肉の動き、それによる労働ということをできるだけリアルに伝えるために、ミレーは農耕風景を描き続けたのだと思います。そのためにたくさんのデッサンをし、試行錯誤した。この辺は推測ですが。でも、絵を描く動機としては、素晴らしいと思いました。単に描きたいから描く。ミレーの絵については、本人が主張する通り余計な教訓や主張は含まれていないと思います。


1998-09-03
浮世絵について
浮世絵は日本の芸術なのに、図書館や本屋などでいざ資料を探してみようとすると、案外見つからないことを実感しました。西洋の画家の画集や本は結構どの本棚にもならんでいて、こちらの方が今の日本の生活に身近にある感じです。やっとそれらしき本を見つけても、古くて分厚くて、本文の文体も堅苦しくて何が書いてあるのかよく分からなかったりします。
浮世絵は、江戸時代に江戸の庶民層によって生み出され、主に写楽の役者絵、歌麿の美人画、北斎の風景画などがあります。浮世絵は当時の人々から、紅絵や錦絵と呼ばれていたそうです。どちらも版画で、紅絵はその名の通り紅を中心に数色を筆で彩色するだけのもので、錦絵は多色摺りの木版画です。紅絵は初期のもので、一七六五年頃から錦絵が主流になっています。浮世絵版画は本来、地本問屋(絵本などの娯楽出版業者)を版元として、営利を目的とする出版物として企画され、主題の選択や彫り、摺りの精粗などは版元の意向に制約されていたので、単純に写楽や歌麿の絵師の美術品というより、商品としての版画といった方がいいのかもしれません。ビアズリーも、自身の作品をラインブロック印刷によって大量印刷し、流通させました。ビアズリーの時代は百年も後のことになりますが、その過程に似ています。
浮世絵の絵自体についていえば、線のなめらかさ、色の繊細さは以前から好きでした。以前一度展示会で実物を見て、大変感動した覚えがあります。浮世絵は、元来鑑賞する絵画というよりも広告宣伝的な要素が強かったものなので、画面のレイアウトなども独特で、それがデザイン的に面白いのだと思います。
最後に、東洲斎写楽について簡単に。一七九四年五月、彗星のごとく現れ、わずか十ケ月で忽然と消えてしまった人物です。残されたのは役者絵をはじめとする百四十枚の錦絵。役者の顔の造作を滑稽に辛辣に暴き出す画法で一時的に注目を浴びましたが、結局「理想化された似顔絵を好む保守的な伝統の前にあえなく敗退」(資料より抜粋)したらしいです。それにしても十ケ月は短すぎます。


1998-09-10
メルヘンとはなにか
中世のドイツ語で、メーレという、「報告・通知」という意味の言葉がありました。事実だけでなく、嘘も交えた報告もあったことから、次第に「作り話」という意味も加わったそうです。もともと十五世紀ころからドイツ文学では、メーレという詩の文体を持つ物語(人間のみ登場する創作物語)のジャンルがありましたが、このメーレという言葉に「小さい」を意味するヒェンが加わり訛って、メールヒェン、「短い作り話」ができました。ですから、ドイツがメルヘン発祥後で、十八世紀以来スイスとオーストリアも含んだドイツ語の世界で、文学として重要な位置を占めてきました。
しかし「短い作り話」といっても、実際には長編の詩や小説、また劇の形式をとっている作品もあり、さらにメルヘンの種類として一般民衆の間で口伝えにされるものと、それをもとに作家によって創作されるものとあります。このため、メルヘンとはどんなものか一言で説明することは困難です。また、子どものために書かれた童話ではなく一般の大人のためのもので、綺麗で甘くて夢のような世界とは無縁の、厳しい現実の世界を反映する話であることも多かったのです。
もともと、ドイツでメルヘンが繁栄するきっかけとなった一つとして、フランスの妖精物語や民話に基づく物語集がありました。しかし、これらの物語は母国では宮廷社会のものに限定され、フランス革命で貴族階級の支配が終わると共に消えていきました。さらに、ドイツではイギリスやフランスのように近代的な統一国家になるのが遅れ、それによる大都会文学の発展の遅れが、逆に各地の風土を愛し表現する文学をはぐぐむことにつながったのです。
ところで、私も含め、日本人のメルヘン観は相当ゆがめられていることが、今回調べて分かりました。「世界中で日本だけが、メルヘンを改変して、残酷さをなくし、事なかれ主義の甘い話にしてしまう」という指摘さえもあります。「メルヘンの本来的意味の中から、国民性、お国柄にあうような、都合のいい部分を取り出して」その結果、メルヘンは子どもの童話になってしまった。グリム童話の、たとえば白雪姫を原文の内容そのままで読めば、かなり不気味な怖いお話です。少しだけ、メルヘンの本当の姿が見えてきたような気がします。
参考文献:「メルヘン案内 グリム以前・以後」宮下啓三著、NHKブックス」


雑記帳にもどる