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2001年12月16日(日)

色々な情報が錯綜し、混乱していて、なかなかまとまった文章を書くことができなかった。そうこうしているうちに、9月11日の事件から3ヶ月以上経ってしまった。何でこんなことが起きてしまったのか、どうして報復しなければならなかったのか。でも、つくづく思うのは、なんで一般市民ばかり犠牲にならなくてはいけないのだろうかということ。アメリカでも、アフガニスタンでも。


2001年12月31日(月)

今年は多くの悲しい事件があった年だった。新大久保駅ホーム転落事故、えひめ丸沈没、池田小の児童殺傷事件、明石花火大会での歩道橋圧死事故、歌舞伎町のビル火災、狂牛病…。9月のテロ事件が衝撃的すぎて、他のことが薄らいでしまいそうだが、どの事件も残酷で悲しい。ジャック・マイヨール氏が自殺したというニュースを聞いた。映画「グラン・ブルー」のモデルとなった人だそうだ。争いばかりしている世の中に絶望したのかもしれない、ということがどこかに書かれていたが、本当の理由は不明だそうだ。大変な時代だけれど、苦しい中ちょっとした良いことがあればそれが励みになると思う。良いことは作り出すこともできるし、見つけることもできる。つまり、心の持ちよう。


2002年1月4日(金)

色々な考えをうまく文章にできず、そのうち時間がたってしまって、結局書けなかったことが山ほどある。昨年9月のテロ事件から、世界で何が起きているかということを、初めてきちんと考えるようになった。どこか遠いところでなく、自分が住んでいる「この世界」で起きていて、自分もその世界の「一員」なのだと本当に実感した。文章を書くのは決して得意ではない。でも「忘れない」ためにも少しずつでも書いていこうと思う。


2002年1月14日(月)

広河隆一さんの「中東 共存への道」(岩波新書)を友人に借りて読んだ。パレスチナとイスラエル。世界中のたくさんの民族紛争の極限がここに凝縮されているような気がする。ここでは子供たちでさえ、戦いを望んでいる。「人を殺す奴を殺すのは、いいことさ」(同書p186、少年の言葉)。そんな子供たちに向かって、人を殺すことは良くない、人の命は何より大事なものだ、と説いたところで、何の効果があろう。政治レベルでの和平交渉がどう進もうと、一般市民の憎しみが消えない限り、この問題は解決しない。大人たちが子供たちに憎しみを伝えつづける限り、この争いは終わらない。広河隆一さんは、35年あまりフォトジャーナリストとしてパレスチナを主に取材しつづけている。アフガンの難民キャンプへも行っている。普段テレビや新聞しか見られない私達にとって、現地で実際に起こっていることを、偏見や歪みの無いように伝えてもらうことが、いかに大切か。9月のテロ事件のわずか1週間後に、貿易センタービル爆破の写真集を出すような、金儲けのことしか考えていないどこかの新聞社もあれば、地道で堅実な活動を続けているジャーナリストもいる。私達はそれを見極めていかなければならない。


2002年1月21日(月)

アフガニスタン復興支援国際会議が今日から始まった。アフガンの困難を認識した国々が、力を合わせて支援していこうとしていることは、とても有意義なことだと思う。しかし、なんか変だ。今までよってたかってアフガニスタンの攻撃(と攻撃の支援)をしてきた国々が、今度は助けようとしている。じゃあ初めから攻撃しなければよいのに……


2002年2月4日(月)

話題の「世界がもし100人の村だったら」を読んでみた。今、私が当たり前のように生きているこの場所は、実は世界のほんの一部の恵まれた環境にあること。どこの国の人だとか、何の宗教だとか...色々言うけれど、その前に私達は「地球人」の一員なんだということ。そんなことを感じた。日本は不況だの物騒になっただのいうが、今までの「安全で平和な日本」と「物騒な外国」という区別をやめ、もっと「世界の一員」という意識をもって、どう生きていくか考える良い機会ではないだろうか。今までの豊かな暮らしは他の国々のお陰で成り立っている。例えば食料や燃料。いままで当たり前のように消費してきたものが、どうやって作られてここまで運ばれてきたのか知っておくのも、消費する側の義務かもしれない。


2002年2月17日(日)

先日のブッシュ米大統領の「悪の枢軸」発言から思ったが、この国(政府)はどうしても世界を「善」と「悪」という二つの明確な区切りで分けたがるらしい。アメリカはもちろん「善」。そしてそれに反するものは「悪」。そんなアメリカから発信される、勧善懲悪アクション・ムービーはたいてい世界的に大ヒットする(実際私も良く観る)。でもそれは映画の話。本当の世界はそんなに単純なものではない。確かに「悪の枢軸」に挙げられた国は、政治的にも軍事的にもアメリカの脅威ではあるに違いないが、どうしてそれを「悪」と言ってしまえるのか、どうしても理解できない。何を基準にして「善」なのか「悪」なのか。世界の皆が違う環境や立場でものを見て、考えて、行動している限り、どれが正しいなんて言いきれない。少なくとも私達は、これが正しいと「信じる」ことしか出来ない。だから、それぞれの立場を主張するために世界の色々なところで紛争が続いているのだ。ただ、良い奴が悪い奴を倒すだけならこんなに複雑になっているわけはない。


2002年2月23日(土)

モフセン・マフマルバフ著「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」を読んだ。そして、ようやくアフガニスタンという国が少し分かるようになった。アフガニスタンの悲劇は地理的条件の悪さ、資源のとぼしさ、隣国の理解のなさが(他にも部族主義など色々あるが)複雑に絡み合って生まれたという。アメリカの空爆やターリバーンの支配、ソ連の侵攻といった歴史的事件は悲劇の原因でなく、それまでの悲劇を悪化させる要因だった。そしてなによりの悲劇は、世界から忘れられていたということ。私は世界の多くの人のように、ターリバーンによって破壊された仏像の映像をみて嘆いたが、その下にいるアフガンの人々を見ることはしなかった。人々は忘れられていたのだ。今、仏像を復元することが検討されているらしいが、それより先にやらなければいけないことがあるということがようやく分かった。


2002年3月13日(水)

また古い話題になるが、ずっと気になっていたもので。牛肉に続き、豚肉、鶏肉偽装。外国産の安い肉を国産と偽って高値で販売するという行為(狂牛病問題で国産を外国産に偽装していたこととは、別の問題)。偽装自体許されることではないが、何故偽装しなければならなかったのだろうか。これは供給側だけでなく、消費者側の問題でもあるような気がする。国産は「安全で高品質」、そんなイメージをいつのまにか持つようになった私達。国産でなければ買わない、売れない、そんな異常なシステム。食品だけではない。洋服でも電化製品でも。しかし、もう「Made in Japan」は「良いもの」という時代は終わったのではないか。それは人々の頭の中にだけにしか残っていない。冷静に見渡してみると、この社会の色々なシステムが崩れてきているのが見える。そしてその現実にきちんと向き合わなくてはいけない時がきている。私達は大変贅沢にもなってきている。よりよい暮らしがしたい。もっと良いものが欲しい。おいしいものが食べたい。そんな私達の欲求に答えるべく、供給側は次々と新しい「モノ」を提供しつづける。しかし、もうそろそろ「いらない」ということも必要なのでは。私が生まれた時、日本はすでに豊かだった。物資の無い貧しかった昔のころのことは、本で読んだり、映像で見たりする程度でしか知らない。しかし、貧しくても昔の人のほうが一生懸命生きていたような気がする。


2002年4月13日(土)

色々なことがあった1ヶ月。イスラエルの状況はニュースで毎日のように流れている。生々しい現地の情報。シャロン首相は、テロがなくなるまで攻撃をやめないという発言をしていたが、攻撃があるからテロが生まれるのではないか。アフガニスタンでは大地震があった。何でよりによってこの時期にこの場所で、と思ってしまうほど悲劇は重なる。日本の政治に関しては、最近はっきりいって飽きてきた。暴露合戦はいいから、いい加減ちゃんとした仕事をしてほしい。私達が本当に見たいのは、腐敗したシステムを改善していく、という前向きな作業。他人の責任追及では饒舌になるが、自分達の改革になると気が進まないようだ。本当は自分の国の問題なのだから、一番考えなくてはいけないことなのかもしれない。近い将来日本は突然崩壊してしまうかもしれない。そんなことはありえない、と堂々といえる時代ではなくなってきているのだから。


2002年5月13日(月)

中国・瀋陽の日本総領事館事件。あの衝撃的な映像をみたとき、自分の目を疑った。命を懸けて脱出してきているのに。強制送還された日には死刑だろうともいわれている。それに対する日本側の職員の危機感のなさ。帽子を拾ってる場合なのか?中国の武装警官が総領事館側の同意を得たかどうかということは、まだはっきりしていないが、どのみち亡命者に対する対応としてはどうかと思う。国を動かしているのが政治や経済なら、人を動かしているものは何?マニュアルにどうしろと書いてあっても、そこに泣き叫び助けを求めている人がいるのに、黙って立っていられるのか?


2002年6月4日(火)

人に優しくすること。自分が切羽詰っているときほど、難しい。でも、自分がつらいときほど、苦しい気持ちがわかるのだから、そんな時こそ優しさを持つべきなのだろう。とあるサイトに出会った。管理人さんは病気と闘っている。でも、すごく明るい。逆に困った人たちを励ましてくれる。そんな強さに心打たれた。自分のことばかり考えて、もっとしっかりしなくちゃ、とか考えている自分がとてもちっぽけに思えた。一つ一つの命の重さ、「生きる」という強い意志。それが戦争という自体になると、とても小さくなってしまう。一つの命に変わりはないのだが、国という枠の中の一部になってしまう。先日の非核3原則見直し発言、なんだかよく分からなくなっている有事法案の審議…。何か違うんじゃあないですか?国のための人なのか、人のための国なのか。(参考:UD Agentという医療研究のソフトウェアがある。世界中のパソコンで解析プログラムを分業しようという試みだそうだ。分かり易い説明はこちら。→窓の杜NEWS

追記:病気と闘っていた管理人さん、その後まもなく亡くなられました…精一杯生きて、みんなに生きる喜びと勇気を与えてくれました。本当にありがとう。ご冥福をお祈りいたします。


2002年6月9日(日)

ロシア戦、勝った瞬間日本列島が揺れたかもしれない、と思うほどあちこちで興奮の渦が起きた。ところで、このすごいエネルギー、何かに活用したくなってしまう。モンスターズ・インクじゃないけれど、喜びのパワーを源にした新しいエネルギー資源、誰か開発しないかな?

一方、この試合終了後にモスクワでは暴動が起き、一人が死亡したという。勝つものがいれば、負けるものがいる。大きな感情の渦は紙一重で喜びにも悲しみにもなる。


2002年7月14日(日)

私はずっとこの国を外から見てきた。そして、色々と日本の悪いところを言われ、嫌な体験もしてきた。外からみた日本は何となくちゃらちゃらしていて、優柔不断で、自分が日本人なのがずっと嫌だった。帰国してからもずっと馴染めず、しばらくしたらまた出るつもりでいた。でも、最近、そんなに嫌いでもなくなってきた。確かに政治も経済も社会もがたがたになってきているけれど、良いところもたくさんあるのだから、なんとか立ち直って欲しいと思うし、そのために何かできれば、とも思う。外国(欧米)は素晴らしくて日本は駄目という考え方は、もうやめて欲しい(そういう出版物の数々は本当に腹が立つ。日本人によって書かれていると知ると一層悲しくなる)。もっとみんなにこの国を好きになって欲しい。この国に生まれても、どうしても合わない、という人がいても仕方ないと思う。でも、だからといって、生まれた国を罵倒するのは何か違う。「合わない」イコール「悪い」では無いだろう。素晴らしいといっているその国でさえ、悪いところはある。ただそれを見ようとしないだけだ。


2002年7月24日(水)

公設秘書給与の流用疑惑をはじめ、政治の世界は疑惑だらけだ。しかし、政治家だけでなく、現代社会の人間の悲しい性もあるのだろう。日本では昔から企業と私生活(家族)の関わりが密接であるというシステム上、公と私を完全に分けることは難しかった。そして、それが大規模になったのが、巷で問題になっている資金流用疑惑などの問題なのだ。規模は違うけれど、本質的な所は同じだろう。では、その解決方法は?というと、当面個々のモラルに頼るしか無いといったところなのか。今社会のモラルが低下していると言われているが、それは「自分を大切にする」ことと、「自分勝手」を履き違えている人がとても多いからだろう。偉そうに言える立場ではないが、なんとなく思った。


2002年7月25日(木)

住基ネット、本当に8月5日から稼動できるのだろうか。システム障害の被害の大きさは数ヶ月前のみずほの例で分かっていたのではなかったのか。住基ネット自体には反対ではない(それほど必要だろうかとも思うが。とりあえずICカードはいらない)。ただ、情報を1ヶ所にまとめる、というのは分散システムの時代を逆流する愚かな行為ではないのか…。また、一番大切なのは、障害を起こさないということよりも、障害が起こったときにどうやって被害を最小限に抑え、対応するか、ということなのだ。なぜなら障害が起こらないことはありえないから。今の導入(障害)状況をみていると、とても不安であり、だからこそ皆も反対しているのだと思う。何か問題が起こっても、私たちが不安の無いようなシステムと、それをきちんと説明できる体制が整えば、私たちも受け入れられると思う。


2003年3月23日(日)

イラク戦争が始まってしまった。結局この世界には本当の民主主義なんてないのだろうか。結局それは私たち一般市民をなだめるための言い訳だったのだろうか。私たちひとりひとりは本当にちっぽけな存在で、世界を動かしているのはほんの一握りの権力者たちのわがままだ。「武力でなければ解決できないこともある」、「これはイラクの人々を解放するための戦いだ」―滑稽にしか聞こえないのは私だけ?私たちの国が、国としてそれに賛成しているということは、残念で仕方がない。戦争をすることを「永久に放棄」しても、戦争行為を支持することが許されるということ自体、全く分からない。私はこの戦争に反対する。「結果的にこれは成功だった」と後で皆が言うことになったとしても。


2003年4月7日(月)

「ブッシュ政権に献金している企業の製品は買わない」という運動がある。飲食、コンピュータ、自動車、たばこ、化粧品、銀行、エンターテインメント・・・どれもこれも、私たちの生活に当たりまえのようにあるもの。私たちの日常生活に欠かせないものたちが、間接的にではあるが、ブッシュ政権を支えていて、そして今そのブッシュ政権がしていることを私たちは非難している。歪んでいる。


2003年4月13日(日)

フセイン政権は崩壊して、戦争は終結に向かっているという。フセイン大統領の銅像が倒される様子、喜ぶイラクの人々の顔・・・似たようなことがあったような。アフガニスタンの時も、報復攻撃が終わったという時、「開放」されたアフガンの人々の喜ぶ顔がクローズアップされていた。まるで、今までの攻撃を正当化するように。それで、今アフガニスタンはどうなっているのか?


2003年5月5日(月)

今月初め、ブッシュ米大統領がイラク戦争の終結を宣言した。何をもってして終わったのだろう。戦争の始まりさえ納得できずにいたが、終わりにいたってはますます訳が分からない。肝心のフセイン大統領の居所も、大量破壊兵器の存在も結局分からないままではないか。「戦争が終わった」今、マスコミのイラク報道もほとんどされることなく、忘れ去られようとしている。イラクの人々は「解放」されたのではなく、今までの生活の枠組みを「壊されて」―それはある意味自由になったと、無理やり言うこともできるかもしれないが―混乱している(…に違いない。報道がほとんどないので想像するしかない)。独裁政治は悪だと思う。しかし、こんなやりかたで壊すのは間違っている。


2003年6月28日(土)

「資本主義」と「社会主義」という2つの対立した社会体系がある。たまたま最近読んだ本が、この2つの世界の対立をテーマしたものだったので、少し考えてみた。資本主義社会は生き残りをかけた競争化社会。社会主義の世界は平等分配の社会。資本主義では人は自分だけのものを所有するためにモノを買い、消費する。社会主義では皆で共有する。社会主義は理論的には素晴らしかったが、正しく運営されなかったために自ら崩壊し、資本主義によって歴史の隅に追いやられた。では、資本主義の暴走がこのまま続いたら、いつかは資本主義の崩壊がくるのだろうか。その時は世界はどうなっているのだろう。資源が枯渇して、環境が汚染され、気候変動で砂漠が増え、海面が上昇して陸地が減っていき、人が死んでいく。残された人類が限られた資源を分けて生き延びていくために、社会主義の意思を引き継ぐ平等分配社会が再びできるのだろうか。

資本主義によって人は自由に自分の財産を使い、豊かに生活することが出来るようになった。そして人がモノを「所有」したがる傾向はどんどん進んでいった。人はモノを「所有」したがる。欲しいモノはどうしても手に入れようとする。所有することが豊かなのだ。しかし、このままモノをどんどん作って、どんどん消費して、どんどん廃棄していくのはそろそろ限界ではないかと気づいている人は多いと思う。環境の問題だけではない。どんどんエスカレートする人間の所有感情は、精神的中毒みたいなものなのではないだろうか。 昔読んだ、リンドバーグ夫人著の「海からの贈物」の中のフレーズがずっと頭に残っている。「どれだけ少ないものでやっていけるか」。私も少ないモノで生活できるよう努力をしているが、どうしてもうまくいかない。モノを「欲しい」、「所有」したい、と思う感情とは一体何なのだろう。

参考文献:
アーシュラ・K・ル・グイン「所有せざる人々」(ハヤカワ文庫)
池澤夏樹「楽しい終末」(文春文庫)


2003年7月19日(土)

「旅」とは…物理的に違う場所に移動することによって、日常を離れ、非日常を体験すること。新しい人、風景、食べ物、言葉との出会い。引越しをしたり、転職をしたりするのと違うのは、旅人はその場所にとって一時的な侵入者みたいなものだということだろうか。以前は趣味に「旅行」と書くほど、結構色々なところに行っていた。そういう環境にいたからというのもあるが。当時住んでいた土地と故郷の日本を往復する日々のあいだ、途中でいくつかの土地に足を運んだ。観光とかグルメとか買い物とかより、その非日常の空間にいること自体にわくわくして楽しんでいた。ただ町をぶらぶら歩いて、たまに道端の写真を何枚か撮るだけでいいのだ。そういう旅行も最近しなくなった。趣味に旅行と書けなくなった。別に休みが取れないわけでも、全くお金がないわけでもない。むしろ、今の生活自体が(引越しがあったり転職があったり自分でも訳の分からないままごちゃごちゃになっていて)「非日常」になってしまっているみたいだ。実際今の状態はというと、方向が定まらずに精神的にもふらふらとしていて、今いる場所が自分の場所という気がしないのだ。生活も仕事も家も全て仮のものという感じ。だからこの場所自体が今の私にとっての旅先なのだろうかという気持ちもある。日常がなければ非日常もない。

先日、旅と文学をテーマにした講演を聞きに行った。そこで、旅についての色々な考え方や魅力を聞いて、また少し「旅」に行きたくなった。でも、楽しいことだけではない。近々戦場になるであろう土地を離れる際に、土地で出会った優しき人々を思い出しつつ、危険な場所を離れることへの安堵感を覚えることの気まずさ。中でも印象的だったのは、紛争が絶えない国出身の友人と別れる際のやりとり。また会おうね(See you again)と軽く言うと、また(again)というな、会えるかわからないのだから(生きているか分からないのだから)、と言われたという。重い言葉。世界の人々と触れ合うということは、今までの自分の狭い世界の常識からかけ離れたこととたくさん触れることでもある。でも、それを承知で旅に出る。それだけの不思議な魅力があるのだ。


2004年4月2日(金)

暫くぶりの更新。サイトを使いやすいデザインに改善すべく(「ウェブ・ユーザビリティ」というそうで…最近覚えた)思考錯誤していたのだけれど、まだ途中。肝心の作品の方は…ぼちぼちとりかかる予定。ステンドグラス一本では稼げないので、翻訳の仕事を始めたのだが、逃げているという気持ちと現実を見なくてはという気持ちが葛藤していて、まだまだ宙ぶらりんな状態。でも、当面は翻訳で収入を得て毎日の生活をきちんと続けながら、少しずつでも作品作りを続ければ、徐々に方向が定まってくるかも…しれない。


2004年4月10日(土)

自衛隊宿営地付近での砲撃事件、それに続いて日本人3人の誘拐事件が起こった。誘拐された3人はいずれも、政府の退避勧告が出ているにもかかわらず、危険を十分認識した上で自らの意思で現地に赴いた人たちなので、「死」の覚悟はできているとは思う。ただ、誘拐されて国に対して要求を出されてしまうという事態になると、自分たちだけの問題では無くなってしまうからムズカシイ。もともと自衛隊派遣には懐疑的だった。できれば、いつものように武力に突っ走るアメリカ政府を牽制してほしかった。忘れてしまったのだろうか?アフガニスタンに平和はもどったか、なぜイスラエルでは紛争が続いているのか……でも、残念ながら実際行ってしまったのだから、派遣されている間はできるだけ支援活動を続けて欲しいとも思う。ただ行って帰ってくるだけでは、それこそ誰の役にもたたず全てが無駄になってしまう。しかし、この機会に、自衛隊の位置づけをもっとしっかりさせて欲しいと思う。できれば、アメリカ支援のスタンスを改めて欲しいのだけれど…。今の日本政府には無理な話なのだろうか。


2004年4月18日(日)

人質5人は無事解放されたようで、とりあえずは良かった。でも、この事件のことを考えると、却ってやり場のない憤りが沸いてくる。誰に対して?政府に?テロリストに?NGOに?確実なことは一つ、自衛隊を撤退させてもイラクに平和は訪れない。だから、今回の政府の毅然とした態度は評価すべきだし、救出後も政府や自衛隊を非難する人たちには諸手を挙げて賛成できない。もちろん、最初に自衛隊を派遣するところで間違っていたのかもしれない。

今イラクに必要なのは、平和な(というより普通の)生活を取り戻すことだ。何故イラクがこんな状態になってしまったのか、もちろん大量破壊兵器の存在を名目にアメリカが戦争を仕掛けて、国をめちゃめちゃにしてしまったから。実際大量破壊兵器はあったのか?今となっては疑問しか残らない。だから、アメリカにも日本を含むアメリカ支援国にも復興支援の責任がある。ただ、やり方が良くなかったのだ。イラクの人々も、少し前まで攻撃してきた外国の軍隊が、今は平和を取り戻す手助けをするといっても、おいそれと信用できるわけがない。各国が国として支援するにしても、「軍隊」という形でしかできなかったのか。「非武装」で行くことはできなかったのか…大変ムズカシイことだろうとは思うが…。やはり前に書いたとおり、アメリカ主導の体制を国連などに移行していくことしかないと、素人としてはそれしか思いつかない。


2004年5月23日(日)

昨日のニュースより。

ブッシュ政策を批判した「華氏911」がカンヌ映画祭のパルムドール(最高賞)を受賞

ブッシュ大統領、自転車でこけて怪我

まあ、2つ目はプッて感じだが。「華氏911」のアメリカでの上映は、ぜひ実現してほしいと思う。9.11の被害者は本当に気の毒だし、それを引き起こしたテロ組織は憎むべき存在だが、どう考えてもその後のアメリカのとった行動は正しいとは思えない。日米関係がどうとかこうとか、私にはよく分からないが、何故日本はそこまでそんなアメリカを支持し続けるのか、不思議を通り越して不快だ。


2004年5月29日(土)

フリージャーナリストの橋田さんと小川さんの乗った車がバグダッド近郊で襲撃された。2人と見られる遺体も確認されている。橋田さんのことは、以前テレビで何回か拝見したことがある。彼の「現場の状況を伝える」熱意(ジャーナリスト魂というのか)に圧倒された。悲しい出来事だ。人質として交渉の機会を与えられることもなく、突然命を奪われてしまった。「戦場」という場所の現実。

少し前の人質事件の時に、自衛隊の撤退がどうのという議論が巻き起こったが、たとえ外国の軍隊がイラクから撤退しても、外国の民間人が攻撃されなくなることはないだろう。特に今回の襲撃事件は犯人の正体も意図も分かっていない。そして、戦争があるかぎり、戦場ジャーナリストがいなくなることもないだろう。


2004年6月6日(日)

子どものネット使用についての議論が盛んだ。例えばチャット。さっきまで会っていた友達と今度はチャット…それが理解できないという人もいるが、一昔前はそれが電話だったわけで、それが時代とともに携帯やメール…と移り変わってきただけのような気がする。でも、その急激な移り変わりのために、社会自体が殺伐としてきて、また、どこかおかしくなってきているのは確かだろう。モノとカネと情報があふれる生活。慣れてしまったようで、実は心の奥で気づかないうちにゆがみが生まれているのかもしれない。急ぎ足で駆け抜ける毎日、何気なく過ぎていってしまう日々……たまには立ち止まることも必要なのかもしれない。


2004年6月10日(木)

職場ビルのトイレには、ペーパータオルが常備してある。最近は、ペーパータオルからハンドドライヤー(ジェットタオル)に変えるところが多くなってきているので、珍しい。実際、ペーパータオルとジェットタオル、どちらが環境配慮なのだろう?紙を使うか電気を使うか…微妙なところだ。個人的には、自分のハンカチを使うのが一番かなと思ったり。


2004年6月21日(月)

沖縄は旅行で1回行ったきりだが、私にとって憧れの地である。いつかは沖縄でのんびり暮らしたいなぁと、甘っちょろいことを考えている。(目下の課題は台風の激しさと虫の大きさ)雇用問題や基地問題など厳しい面もあることも事実。でもそういう環境の中でもおおらかに生きている人々を尊敬する。灰谷健次郎の「太陽の子」を読んで号泣した。あれほど泣いた本は他にない。本当につらく悲しい思いをしてきたからこそ、人に優しくできるということを教えてもらった。そして自分のちっぽけさにも空しくなった。ああ、もっと器の大きな人間になりたい。


2004年7月20日(火)

本日の最高気温、39.5度(東京)。暑い。暑いから冷房を使う、放出熱でますます暑くなる、まさに抜けられないループ。室外機をはじめとするエネルギー使用による排熱や、アスファルトだらけの環境による熱の過剰蓄積は、ヒートアイランド現象と呼ばれるが、対策はというとなかなか進んでいない。そもそも、ビルというもの自体が空調なしではいられない構造になっているからどうしようもない。

もともとコンクリートの建物の中で過ごすのは好きではない。過去にマンションに住んでいたこともあるが、どうしても息苦しく、木造のアパートに引っ越した。夏は暑いし冬は寒いが、精神的によっぽど快適だ。勤め先は高層ビルの中にあるが、これはさすがに仕方ない。ちなみに、前の会社は今の勤め先から近く、今の職場の窓からその建物が見える。高層ビル街の真ん中にたたずむ、たった9階建ての古いビル。そこでは現在、屋上緑化の計画が進んでいるそうだ。しばらくしたら、窓から小さな緑の屋上が見えるようになるだろう。大都会の巨大なコンクリートの壁にかこまれた、ほんのささやかな緑。


2004年7月21日(水)

「地中熱利用冷暖房システム」(旭化成)

従来の冷暖房装置で利用していた外気の代わりに、地中熱を利用するシステムだそうだ。地中は外気と比べて年間を通した気温の変化が少ない(15度前後)ので、夏季の冷房時は地中に熱を放射、冬季の暖房時は地中から熱を取り込む。排熱を外気ではなく地中に逃がすため、ヒートアイランド現象の緩和にもつながるという。ランニングコストは従来のエアコンに比べて60%弱のようだ。だが、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の助成金制度を利用しても、初期費用は200万を超えてしまう。初期投資が大きいと、なかなか一歩を踏み出すことができない。長い目で見れば同じかあるいはプラスになるには違いないのだが。


2004年7月29日(木)

台風(10号)が東から西へと進んでいる。

日本付近の台風は通常、上空の偏西風の影響で西から東へと流される。また、地球の自転の影響で北に向かう性質もある。台風が発生する南海では西から東へ向かって偏東風(貿易風)が吹いているので、初めは北上しながら西に向かい、やがて偏西風の影響で日本付近で東に進路変更する。しかし、偏西風の勢力が弱い(太平洋高気圧が北に張り出している)場合、台風は高気圧の縁に沿って西に進み続ける。これが今回起こっている珍しい現象。どうやら温暖化や異常気象とは関係ないらしい(多分)。


2004年8月31日(木)

がんばれ、クロネコヤマト。ちょっと位高くても私はこっちを使う。

「クロネコヤマトは変えません。」(ヤマト運輸)


2004年10月30日(土)

ヨーロッパにいると、アメリカの存在など「大西洋の向こうの辺境の地」程度で、気にも留めていなかったが、帰国してから、日本の生活に染み込んでいるアメリカの影響力、また存在感の大きさに驚いた。一度離れたからこそ分かったのか、ずっと日本にいたら気づかなかったかもしれない。日本には、軍事的な問題も含めて、アメリカからの束縛から早く解き放たれて欲しい。日本は交渉ごとが下手だし、あいまいだし…でも優しくて人情あふれる国。そういう日本の良さを取り戻して欲しい。でも、戦後60年という重さ。その60年で固められてきた関係をたやすく断ち切ることなどできないだろう。

今の日本の社会。表向きは平和だけど、社会全体が何となく歪んできている。何か、一本通った筋というか、強さが無くなってきて、甘えが増大している。原因の一つは恐らく、今の日本に考える環境が減っているということ。何もしなくても、簡単に色々なモノや情報が手に入るから。考えなくてもベルトコンベアに乗ったように流れていられるから。考えない子どもが大人になって、考えない大人がいずれ社会のリーダーになって、この国をどうやって変えるべきか決めなくてはならなくなった時、どうするのか。素晴らしい政策案や改革構造案が理論的にたくさんあっても……それを実行してくれる人がいない。

***

日本人が抱く戦争のイメージは悪であり、悲惨なものだ。でも、世界各地では、今でも自らの正義のために戦い続ける人たちがいる。それが正しいのかどうか、分からない。でもやはりこの言葉が心に響く。
「いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。」(井伏鱒二著「黒い雨」より)


2005年3月6日(日)

今更だが…2月16日に京都議定書が発効された。日本の温暖効果ガスの排出量削減目標は1990年の6%減(1990年からの増加分約8%を加えると14%減)…排出権売取引などの「京都メカニズム」の手もあるが、本当に実現可能なのか。全体で考えても漠然としすぎているから、自分たちができることを少しずつやっていくしかない。例えば:  1.自分に本当に必要なものは何か考えること。   2.車→電車・バス、電車・バス→自転車、自転車→歩きなど、移動手段を変えてみること。  堅苦しく考えなくても、1は「少ないこだわりのもので生活する」、2は「健康的/安上がり」位に考えればやりやすいのでは。


2005年3月7日(月)

「海からの贈物」(リンドバーグ夫人著、新潮文庫)を最近読み直してみた。「どれだけ少ないものでやっていけるか」という以前も取り上げたフレーズは、今の私の生活に大きな影響を与えた。もう一つ、心に留まったフレーズがある。「私たちの周囲にある私たち自身の問題を解決することができないので、私たちがいる場所から離れた所で起こっている世界の問題について論じあう〜(中略)〜私たち自身の問題が解決できなくて、世界の問題が解決できるだろうか」……著者はもっと精神的なことを論じているのかと思うが、とりあえずは、遠くのことばかり見ていないで、身近なことも考えてみよう。日常生活にある、私の周りのことをもっと丁寧に見てみよう。考えてみよう。小さな日常の集積が大きな世界であるのだから。

興味深いページを紹介していただいた。様々な社会問題を経済を用いて改善しようという理論。経済のことは全く分からないが、なかなか面白いのではと思った。人の欲や確執や様々な複雑な感情がが絡んでくるとなかなか難しいものもあるのかもしれないが。→ソーシャル・エコロノミクス


2005年3月25日(金)

インターネットがこれからも普及し続けることは間違いないだろうが、視聴者の意向に合わせた「オンデマンド」の流れに進んでいるにしても、この膨大な情報の海の中から自分の求めるものを探し出すのは結構困難だ。テレビやラジオの強みは、「スイッチ一つで使える」ことで、リモコン操作や番組録画だけで四苦八苦している人がまだまだ多い世の中で、パソコンは生活家電にはなりきれないような気がする。たくさんの情報が欲しいのではなく、その中からカスタマイズされた情報を簡単に入手できるような仕組みが欲しい。イメージとしては、デジタル放送の双方向サービスをもう少し進化させたような感じだろうか。現在のパソコン+インターネットは、大衆化するよりも、むしろ専門的な用途として残っていく気がする。(今や翻訳作業にインターネットは必需品!)

技術発展で生活のペースが速くなり情報が氾濫する毎日に、ストレスを感じる人は多い。スローフードや、リラックス、癒しのビジネスが広がっていることはそれを顕著に示している。これからは、モノや情報が溢れる物質的に豊かな生活から、シンプルでゆったりした心の豊かな生活を求めるようになっていくだろう……というのは私の希望にすぎないが、そうしたことを考慮すると、コンテンツが多いとか凝っているとかよりも、シンプルさが重要になってくるような気がする。


2005年4月7日(金)

どんな理由があっても、それが例え正義や信念のためでも、殺人が合法化されてはたまらないと思う。「戦争のルール(民間人を巻き込まない)」は名目上のものであってないようなものだ。(人が暮らす)地域・国が攻撃対象になる以上、民間人が巻き込まれないことはありえない。また、戦争になれば、民間人と軍人の区別さえあやふやになってしまうだろう。私は軍人の視点に立つことはできない。一市民から見て、やっぱり「正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」のだ。

戦場に赴いた人々の心情は、戦争体験していない私にはとても分かることではない。でも戦争に行くということ自体がその人々に死を覚悟させることで、人に死を覚悟させる状況、そしてそれが当然と思わなければならない環境が恐ろしいと感じるのだ。自らが家族のため、国のため、と覚悟して納得しているとしても(それは大変勇敢なことだと思うが)、「死を選ばなければならない」状況を作り出した戦争は悲しすぎるし、また腹立たしい。死を選ぶより、例え無様で情けなくて格好悪くても、逃げまといどうにか「生きて」欲しいと考えてしまう。男と女の思考の違いなのだろうか(勿論それだけではなく、時代の違いもあると思うが)。私は、理性(知識)よりも感情(心)を重視し、理論的に考えるより感覚で行動し、国や組織や社会よりももっと個人的な身近なものを大切と感じる。だから国の大義のためにといわれても、どうしてもピンとこないのだ。

過去の大戦については、それがどう評価されるべきかということより、今の私達の時代が過去にあったそれらの「事実」によって作り上げられていることを認識することが、まず第一歩ではないかと思う。戦争とそれによる多くの犠牲が今の豊かさに通じているのだとしたら、昔と今は関係ないなどとドライなことは言っていられない。戦争のことを議論するのではなく、人々の犠牲に上に成り立っている今の私たちの社会がこのままで良いのか考えなくてはいけないような気がする。


2005年5月20日(金)

最近あった中国主要都市でのデモ、戦争を体験してない若者世代が多かったことに驚いた。戦後の教育による反日主義もあると思うが、「集団行動」がもたらす異常な興奮感が、過激・暴力的な行為を引き起こしてしまったこともあると思う。でも、日本製品の非買を叫ぶ彼らの自宅には日本製品が溢れていた。中国の若者一人一人は本当はどう感じているのだろう。学生時代からの中国人の友人が何人かいるが、今まで戦争の話などしたことはなかった。ごく普通の話をして、遊びに行って、ご飯を食べて―仲良くなった。寮生活をしていたこともあり、中国人だけでなく、世界中の国(アフリカも中東も南米もオセアニアもアジアもヨーロッパも)から集まった留学生と出会った。10代だったからか難しい議論をすることもなく、なんてことないくだらない話を延々として笑い転げ、盛り上がった。自分の国を「愛する」ことは大切だけれど、激しい「ナショナリズム」にはどうしても抵抗を感じる。自分の生まれた土地を愛することを忘れず、でもナショナリズムにとらわれることなく、世界中の人々と隔たりなく交流できたらと思う。あー超理想論。


2005年10月19日(水)

小泉首相の突然の靖国神社参拝。今回は私的参拝であることを強調していたが、やはり一国の首相という立場から、近隣諸国の批判を買ってしまった。しかしながら、今の日本は戦争時代を生き抜いた人々によって成り立っていることを認識する、また、これから二度と戦争を起こさない決意のもと平和を願う、という心構えに異論はない。全くそのとおりだと思う。ただ、小泉首相はいつもながら言葉足らずなのだ。近隣諸国に向けた言葉を付け加えて欲しかった。なにか配慮のある一言を。

言葉で国を動かしていかなければならない政治人が言葉足らずではイカンと思う。自らを主張するだけでなく、相手に理解してもらい納得してもらわなければ、外交政策は進まない。この問題に限らず、小泉首相はどうも説明しなくてはならないことの半分しか(いやそれ以下か)言葉にしていないことが多いと思うので、もっときちんと「説明する」ということをして欲しい。

靖国神社という存在が、そこを訪れる現代日本人の平和を願う気持ちにかかわらず、戦時中の軍事的宗教施設のイメージを拭いたくてもどうしても拭えなくなってしまっている今、無宗教の墓地(千鳥ケ淵の戦没者墓苑のようなもの)を新たに作ることも検討していかなくてはならないのではないだろうか。靖国神社はどうするのだという話にもなるが、このまま公人がいかに信念を貫き靖国参拝を続けても、何の問題解決にもならないような気がする。


2006年1月20日(金)

ライブドア事件で、世間の株ブームへの熱が少し醒めれば良いと思っている。株取引の専門家が株を操るのは当然だが、一部の業界人によって素人までが踊らされて、誰もがみなマネーゲームに走るのは恐ろしい。今朝の新聞にも、通信講座の広告が大きく載っていた。「あなたも株をはじめてみませんか……」 まるでボールペン字か園芸講座のノリである。株を買うのは個人の自由だが、素人がそれで儲けようと思うのはちょっと甘いのではとも思う。

日本人の強みはモノづくりだとよくいわれるが、全ての人がモノづくりだけをするべきだとは思ってはいない。経営の専門家がいれば、製造の専門家もいる。しかし、有形物でも無形物でも、努力なしで楽して作り上げようという考えは、たとえ運というものが存在するとしても、歪んでいるし、いつか壊れてしまうと思う。知識をきちんと身につけて、それが本当に必要なものか冷静に見極めることができなくては。とかくブームに流されがちな私たちが、これから心がけなくてはいけないことだろう。

以上、地味にモノづくりをしてきた職人の立場から見た今回の騒動。


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