風の松原を歩くに戻る
これまでの足跡 06年 1月
1/13 今回工事が行われているのは、きみどり地域の伐採と赤で示した歩道の整備・新設です

右の写真はここで確認
最終更新 2006/1/20

2006/1/1(日)

あけましておめでとうございます

大森稲荷神社に初詣に行ってきました。行く途中、本澄寺で除夜の鐘をついていましたが、戻ってきたときにちょうど照明を消した時でした。

2006/1/2(月)

 今日は箱根駅伝が終わってから風の松原に出かけたが、陸上競技場脇にはクルマがたくさん駐まっている。競技場でスキーや雪遊びをしている姿は見えないので、多くは松原散策のクルマだろう。

入口にはこの手前にも何台も駐まっている  競技場入口から入ると、12月30日に見た以外
にも倒れた木が多い。幹の上側にだけ雪を被っ
ているのでよく分かる。
この写真右端にも折れたクロマツの映像がある 健康づくりのみちNo.2地点
No.2地点から1400m側に見える倒木はニセアカシヤ 35番地点
38番地点 40番地点からNo.2地点へ向かう小径
42番地点手前 小径が単線になっている F地点まで進んだら先ほどの倒木がまた見えた
左写真の中央にクロマツの幹、右写真には折れたクロマツ、こんな激しい折れ方をするのか?
一昨年(04年)は台風の襲来が多かったが、ニセアカシヤが倒れても、クロマツが折れることは少なか
った。12月25日夜に羽越線で列車脱線転覆事故があった時もこんな強風が吹き荒れたいたのだろう。

2006/1/4(水)

 風の松原の西側に港湾道路が走り、そこに大森橋が架かっている。風の松原全体を短時間で散策するための起点、終点としてはちょうどよい場所である。大森橋からは風の松原中心部(後谷地地区)全体を見渡すことが出来る。工業団地の造成に伴って作られた泊地(運河のように入り込んだ船泊)脇のまだ20年に満たない若いクロマツから戦後になって植林された若齢林、明治期の中齢林、それ以前に植林された高齢林へと、順に辿りながらいこいの広場に達することが出来る。
 その大森橋の掛け替え工事計画があるというので見に行ってきた。夏であれば、はまなす展望台の駐車場にクルマを駐めて歩いてくれば、5分ほどで松林に入れるのだが、今の季節は大森橋から散策に入る人はいない。橋の南側の歩道も誰も歩いた形跡がなかった。

橋の名前札も吹雪で見えなかったが、手袋で雪を払うと「おおもりはし」と書かれていた
船泊の中に突き出しているのはなんのためか? こちらは何かを養殖しているのか?
船泊の向こうに見えるのが風の松原 フェンスの手前にあるクロマツは自生したもの

今回の掛け替え工事を機会に、これまで90度カーブで危険だった場所を改良したいのだという。写真でみても確かに急カーブ。特に冬はスリップの可能性も高い。撮している間に何台もトラックが通ったが、カメラのバッテリー交換作業をしていたため、撮影できなかった。

ここを右折して松林に入る。今日は大雪警報が出て、降り続いているにもかかわらず、クロマツの緑はきれいだった。いつもは幹よりも下の方ばかりを見ているので、葉の緑が目に入らないのかもしれない。下左の写真は上の写真のカーブから右を見たところ。細いクロマツには赤いハチマキを巻いたものが10本ほど見える。この目印は工事の際に邪魔になる木の目印なのだろうか。
下右の写真はカーブから中に入ったところ。左側は船泊側で樹齢は20年未満なのだが成長がよい。太陽光を十分に浴びているからだろう。

こんどは風の松原側の写真。ここは昭和28年植林だから、樹齢50年になる木々。下左は南側を撮影。下右はR地点から35番地点方面を撮す。強い西風のため幹の西側は吹き付ける雪で白くなっている。

R地点から北側を見る。 R地点から東側を見る。
R地点から50mほど東側に入ると幹のあたりが黒く
見える。これはニセアカシヤのため。
更に100m進んで休養広場の手前まで来るとニセ
アカシヤはほとんど消えている。

休養広場(東屋のあるところ)を見ながら、健康づくりのみちNo.4方面に進む。昨年末は休養広場前のわだちが2本になっていたのだが、今日は小径が一本だけ。まだ新年の作業が始まっていないのかもしれない。

休養広場の東屋 健康づくりのみちNo.4方面に進む
No.4地点の標識 No.3地点の標識。ベンチに積もった雪の多さ。
大森稲荷神社脇を下る。左側の太いクロマツが
埋もれマツ。
トリムランニングコース1100m地点。
アスレチックの遊具 まもなくB地点へ

2006/1/5(木)

 昨夜から能代地方は豪雪、今日夜まで降り続いた雪で降雪量は88センチだというテレビ報道があった。昨日も夕食後除雪をしたが、今日は1回目7時から9時40分まで。2回目11時から12時まで。3回目15時から18時15分まで。除雪に明け暮れた。風の松原のクロマツも見たかったが、そんな余裕はなかった。打合会への参加と葬式への参列があったからだ。今日見た松は二箇所。どちらも雪に埋まっている。

能代市役所第二庁舎のクロマツ 10:01 通町融雪歩道前のクロマツ
ここは高校時代の恩師アッパのご自宅 11:00

2006/1/7(土)

 4日夜からの大雪は6日夕方で一段落したが、能代市は大雪の経験が少ないためか、以前勤務していた合川町や鷹巣町に比べて除雪作業が劣り、排雪の体勢はないに等しい。昼頃に時間の余裕が出来たので風の松原に出かけた。普段車の通りの多い道路は歩道が確保されず歩くのが大変なので、まつばら保育園脇を通って願勝寺側から入った。

歩道は市内よりも除雪が行き届いていてビックリ
右端に「風の松原入口」の緑の看板がうっすらと
見えるが、手前にはクロマツの倒木。
6番地点の看板前のクロマツも倒れていた 8番地点から奥は閉ざされていると見えたが、
リキダマツの枝が折れて垂れ下がっていた。
足跡は細く続き、10番地点手前で終わっていた 大森稲荷神社への道は除雪されていたが、右へ
曲がるトリムランニングコースの道は細い

トリムランニングコース1100m地点に倒木、歩く人もまばら

1100m地点の左にはクロマツが1本折れていた。反対側から見る様子。足跡は2〜3だけ。
1300地点西側にも倒れたクロマツが見える 1700m地点を塞ぐクロマツ倒木もあった
1700m地点に近づいてみると足跡も見えない 回り込んで反対側から見る

54番地点近くの様子(この三叉路を私の地図ではF地点と名付けています)

F地点の案内板 F地点を左に入ると真ん中奥に「健康づくりのみち」
の案内板が見える。倒木も数本見える。
No.1標識手前「野鳥のみず場」付近の倒木 No.1標識付近 ここも両側に足跡が残っている

2006/1/9(月・成人の日)

 エナジアムパークに春の洋ラン展を見に行った時、チラリと見えた風の松原M地点(6番地点からロケットセンターに向かい、港湾道路に出る場所)の様子がおかしい。そこで帰りにM地点の前で車を一時停止し、除雪された雪で1メートルの高さになった壁を乗り越えて中を覗いたが、足跡は2〜3人分あるだけ。道路は倒れたクロマツが何本も続き、とても歩けない様子だった。


2006/1/11(水)

 9日に10番地点までしか入れなかったので、今日はかんじきを持って風の松原に行った。午前中は自宅前の除雪・排雪に追われたので、歩いたのは午後2時から4時頃までである。

大森稲荷神社参道にこんな大木が倒れている
電柱(湾岸線15西7)に寄りかかっているだけ
反対側から見るとこのようになっていた。
今日は10番地点以降にも道が続いている 13番地点に道を横切って倒れているクロマツ
30番地点への小径(3号線)を歩いた形跡なし
15番地点は穏やか 砂留山方面への小径も健在 16番〜17番に掛けては倒木が何本も
20番地点脇には倒木が何本も 22番地点から遠くを見ると
倒木が何本も道を塞いでいる

 22番地点からロケットセンター方面へ向かう道には何人か歩いた足跡があったが、23番方面へ右折する道に足跡はない。そこで、かんじきの登場。かんじきは今日の昼に市内のホームセンターで買い求めたもの。2軒に行ったが、1軒は売り切れ、もう1軒に1足だけ残っていた。「雪国カンジキ ヒモ締」と書いていた。1380円也。

23番地点の標識 この脇にも倒木があった 北側は遠くまで見えたが足跡は見られない

 ここから引き返したが22番地点から6番地点まで倒れたクロマツの本数を数えながら歩いたら23本だった。


2006/1/13(金)

 今日は午前中に会合があったので、午後から風の松原に出かけた。そうしたら、一昨日かんじきでようやくあるいた6番地点から港湾道路に続く道が全線除雪されていた。しかも林内作業中の立て札が立った。工事のための除雪なのだ。10番地点からG地点に向かう道路や22番地点から23番地点に向かう道路は全然除雪していなかった。

6番地点 いこいの広場入口
右折すれば900m地点へ向かう道 13番地点以降には道路脇に片づけられたクロマツ
港湾道路近くにはこんなに曲がったクロマツも 港湾道路側入口から撮影

 途中で出会った人に聞いたら、除雪作業は昨日午後に実施したという。

23番地点への道は一昨日の私のかんじきの跡が 24番地点から26番地点には倒木が3本見える
稲荷神社参道のクロマツは切り倒されていた いこいの広場の東屋にはこんなに雪が

 いこいの広場近くには工事中の立て看板が立ち、掲示板には11日にはなかった新しい掲示が2枚。

上2枚は以前からの掲示だが下2枚が新しい
この地図をわかりやすくしたものはこちら 鳥居右側にはこのような看板も

2006/1/14(土)

 昨日の秋田魁新報夕刊「対話会話」欄に潟上市天王地区発明工夫同好会会長の桜庭三郎氏が 「緑の松原」の再生を願う という文章を書いていた。内容を要約すると、

 松を直接枯らしているマツノザイセンチュウを媒介している昆虫がマツノマダラカミキリだ。触覚を含めると5p以上の暗褐色の虫だが、このカミキリを見たことがある人は極めて少ない。そこで発明工夫同好会の会員51人は「百聞は一見にしかず」と、被害木からカミキリの成虫捕獲実験を行った。
 方法は、前年秋に松くい虫被害で赤く変色し、幹にカミキリの産卵痕が多い松を選び、60pほどの丸太に切ってネットに入れ、会員一人一人が身近に置いてカミキリ出現の観察を始めた。また産卵痕が多くある部分の枝払いをした立木1本に2mほどの高さでネットを巻いて観察した。その結果、全会員の丸太から出現したカミキリはたった一匹だけ。立木からも一匹だけだった。
 秋田経済同友会主催の「秋田のみどり再生フォーラム」の詳報によると、被害木のうち実際に媒介するカミキリがいるのは一割ほど。それ以外の木は被害の拡大につながらないので、防除の際はカミキリがいる木を選んで確実に処理することが大切だ」と基調講演した。大発見だと思う。しかも従来の被害木全量駆除と異なり効率的だ。葉の変色具合やカミキリの産卵痕などからいつごろ枯れたかを特定し、広大な林の中から伐倒すべき危害木を確実に発見する秋田方式に期待したい。

というものであった。


2006/1/18(水)

 今日の北羽新報は風の松原で倒木被害を報じている。紙面では9面左側連載マンガの隣だったが、今日のWeb版北羽新報ではトップ扱いだった。

見出しは豪雪 風の松原で倒木被害
        幹の細い黒松 雪解け期に本格調査

記事によると

  松原約760ヘクタールのうち約350ヘクタールを管理する米代西部森林管理署は、昨年末と今月6日に被害調査を実施。積雪が深く現状では全体像の把握は困難だが、昨年末は14本、今月は約20本の倒木を確認している。現在確認されているものは、萩の台など市街地に近い場所に多くみられ、周囲の太い松の間の幹の細いものがほとんど。同管理署は、積雪が少なくなってから本格的な調査を実施することにしているが、確認されている樹木は樹齢の若いまだ幹の細い黒松で、一カ所に集中せず散発的であることから、現段階では大規模な被害は出ていないとみている。
 また、県山本地域振興局農林部によると、県有林約272ヘクタールでも、倒木の被害を確認しているが積雪のため本格的な調査は雪解けを待ってから。
 
また、松食い虫被害との関連については、県山本地域振興局の記事に続けて、

 放っておくと「松食い虫被害の拡大につながる恐れもある」とし、春先に早急に被害状況の把握に努めることにしている。と報じている。

この記事では倒木被害の木は「周囲の太い松の間の幹の細いものがほとんど」と報じられているが、果たしてそうだろうか。そこで「豪雪の被害」というページでまとめてみたい。


2006/1/19(木)

 今日は月に1回の通院日。血圧測定をしてもらった。先生は「今は風の松原は歩いていないでしょうね」と言う。この先生も普段、早朝や昼休みなどに風の松原を歩いている人だ。
 今日はこの冬一番という寒さで−6℃。午前中はずーっと吹雪いていた。午後から時間を見て松原に出かけてみた。最近は大森稲荷神社入口や斎場側から入っていたが、今日は陸上競技場側から。するとそこには工事事務所ができていた。
 トリムランニングコースはいつもと逆の回り方をしたので、写っている標識も裏側になっている。

陸上競技場側入口 掲示板右後にプレハブが 1700m付近のクロマツはまだそのまま
1400m地点からもクロマツ倒木が見える 近づいてみると細い木ではなかった
1100m地点の倒木クロマツ 900m地点の倒木クロマツ
6番地点看板裏にも倒木クロマツ 4番地点付近(サン・ウッド近く)にも倒木クロマツ
3番地点付近 2番地点付近

 トリムランニングコースを一周したが倒木クロマツは6〜7本。北羽新報の記事と違ってトリムランニングコースの倒木クロマツはそんなに細いものではない。「周囲の太い松の間の幹の細いもの」というクロマツは10番地点から港湾道路にかけては多いが、トリムランニングコースにはないのだ。


2006/1/20(金)

 今日はいつもよりも天候がよく、午前中一杯除雪に明け暮れ、午後から互助会新年会に出席した。出席者は143名。そんなに多くの人と話ができるはずがない。腰の病気だと聞いていたので会いたいと思っていた人とも二言三言話しただけだった。
 その中で、ある先輩から「今日のマリオンに風の松原が出ていたよ」と聞いた。そこで家に戻ってすぐに『朝日マリオン』のページを開いた。そこには『日本音紀行』の1ページがあった。このページの作者鳥越けい子氏が能代に来たのは12月11日の夕方から12日朝にかけて。掲載写真は6番地点とD地点の間。7番地点付近だと思う。鳥越さんが歩いた道路とは1本ずれている。この写真は雪の様子からして12月だとすれば20日以降のそんなに遅くない時期、1月だとすれば7日以降の天気のよい日。カメラマンには、もう少し道を歩いて豪雪を受けたクロマツの様子を報道してほしかった。
 1月13日に安井さんに会ったときには、「まだ記事にはなっていない。鳥越さんはもう一度風の松原を歩いてから記事にしたいと電話で言っていたのだが」と話していた。

1掲載写真はこの場所から撮した?