昔の羽田空港の写真(1980年代)
Photos at Haneda Airport (TOKYO INTERNATIONAL AIRPORT)
photo CHIBA Akira 千葉晃
80年代中盤、横浜市鶴見区の中学校に通っていました。教室の窓からは羽田空港に離着陸する飛行機が見えるので、必然的に興味を持つようになりました。当時、羽田空港に何度か行ったときに撮った写真があるので公開します。みなさん、懐かしんでみましょう。

 意外にも、このページへのアクセス数が多いので喜んでいます!やっぱし、懐かしいですよね?私は涙が出るほど懐かしいです。80年代ってよかったな〜。今ほど悪いやつがいなく、楽な時代でした。
▲Boeing727-200(JA8355)
 1984年1月28日の東京−仙台便(NH815便 1440発1525着)。RWY04-22エンドのオープンスポットから撮影したもの。タラップ車はどこのメーカーか?DATSUNだろうか。非常に古めかしい。

※2009年1月 K氏よりご丁寧なメールがあり、「プリンスのマイラー」ではないか?との情報提供。ありがとうございます。一生懸命ネットで調べましたところ、どうもそのようです。国産車、かなり知っていますが、その名前を初めて知りました。おそらく後期型のようです。直角に立ったAピラーとウインドウ、縦長のフェンダーミラー、後輪はチェーンかけづらいタイプです。またリアのコンビネーションランプは、昔のセド・グロのバンのような縦長タイプですね。今気付いたのですが、安定させるためのアウトリガがなんと4本もついています!前向きの写真がみたいです!
▲727-200(JA8355)の機窓から 1984年1月28日
 HND−SDJ(羽田→仙台)便。今は04から離陸することはない。ちょうど旧04滑走路に進入するところ。旧国内線ターミナルが見える。当時の737や727はエンジン音も大きく、バリバリという雷に似た爆音をとどろかせ離陸していったことを覚えている。現在は設定されていないRWY04からの離陸。もう懐かしいショットとなってしまった。
▲日本近距離航空のYS-11(JA8726) 1984年1月28日
 NKAトビウオ旧塗装のYS-11。おそらく上記の727に搭乗するために、オープンスポット上を歩かされている時に撮影したもの。午後なので逆光に。YSにはAPUがないため電源車などがいる。
▲中華航空公司の747(B-1886) 1983年10月10日
2002年4月に成田に移る前、ずっと羽田に居た台湾の中華航空。羽田で珍しい外国機と言えば、これしかなかった。後ろの長ーいDC-8が今となっては気になります。
▲JA8143と767 1983年10月10日
 上記と同じ日に撮影したもの。当時A滑走路は駐機場に使用されていたため、このようなショットが撮れた。確かここは展望デッキがぐにゅっと折れていたところではないだろうか。だから斜めから映しているのだろう。JAL塗装のいすゞファーゴが時代を物語っている。
▲DC−10とYS-11(りくちゅう) 1983年10月10日
 国内での3発機は全て消えた。これからの若い人たちは尾翼にエンジンが串刺しになっている飛行機なんて滑稽になるのだろうか。ずいぶんはじっこのスポットだが、ジャンボの高さに合わせられたストッパーのようなものがおもしろい。そう考えるとDC-10のコクピットは低いものだ。
▲Boeing727-200(JA8352) 1983年10月10日
1983年の体育の日に撮影したもの。04-22の04エンド側。旧モヒカンの727がこれからフルパワーで上がっていこうとするところ。サンヨーカラーテレビのカンバン、特にフォントが時代を感じさせる。フォント一つにとっても25年は大きい。 
▲RWY33にランディングするJALの747(1985/01/01)
 1985年元旦と言えば、私が中学2年生の時の正月。当時拙宅には車がなかったので、どうやってこの浮島まで行ったのか不明。ただ、父と川崎大師に出かけたのは覚えている。写真があるから。昭和41年のカナダ太平洋航空機の事故も、この写真の2年前に起こった羽田沖日航機墜落事故はちょうどこの誘導灯にギア(脚)がひっかかったのだ。遠くに東京タワーが見える。コダックのトライXで撮影した。
▲日本カーフェリー「えびの」と767(1985/01/01)
 過日(2006/06)に川崎・浮島に行ってみた。もちろん久しぶりに飛行機を見るため。なんと船着き場のところが左折できない!壊しているのだ。この写真を撮影した1985年元旦のようなことはもうできなくなってしまった。当時船には全く興味がなかったが、拡大してみると日向行きの「えびの」のようだ。これは太平洋沿海フェリーから転籍したもののようだ。昔拙宅から仙台湾が一望できた。もしかすると見ていたのかもしれない。仙台に住んでいた人ならば♪「太平洋〜沿海フェ、リ、いー」というCMを見たことがあるだろう。
▲Boeing727-200(JA8354) (1986年夏)
 1981年にCanonのAE-1+Pを買ってもらい使用。80年代中盤に135mmのF2.8を手に入れる。そのころ撮影したもの。京浜島のRWY04-22エンドで撮影。そのころは、飛行機の知識は少なかった。1985年の大きな航空事故で、テレビから強制的に知識が植え付けられる。このころすでに沖合展開の準備が行われていたようだ。
▲747-SR(1986年夏撮影)
レジはJA8147のもよう。モヒカン旧塗装。旧22にランディングの瞬間を捉えた。京浜島から撮影。
▲往年のワイドボディー機集合 (1986年夏撮影)
RWY22に着陸したモヒカン747。当時はRWYから高速離脱するような考えはなく、ゆっくりとタキシーウェイへとそれていった。トーイング中のDC-10(JA8542)、トライスター(JA8517)も。トライスターのドアは特殊な閉まり方をする。1985年8月末に1度だけ、CTS→HND(千歳→羽田)便のJA8509トライスターに搭乗したことがある。千歳空港天候不良で、予約していたJD便(東亜国内航空)が飛ばず、NH(全日空)に振り替えられた。夜は8時過ぎの比較的遅い時間の羽田に着陸したこと、左側の窓から見えた月が美しかったことだけは覚えている。
▲東亜国内航空 DC-9-41(JA8427)(1986年夏撮影)
 今は長胴タイプのMD-81が全盛だが、少し前まではDC-9-41が一部の幹線にも導入されていた。
奥に見えるJALの格納庫にあるやぐらはDC-10のエンジン整備用なのだろうか。
▲滑走路04エンド側から見た旧ターミナル(1986年夏撮影)
京急の旧羽田駅、今の天空橋の交番脇から撮影したもの。ゴミゴミしたつくりのターミナルに、小型のジェットが並んでいる。左はDC-9でJA8460、右は737-200でJA8454という記録が残っている。管制塔が低い位置にある。昔のターミナルは建て増し建て増ししていたので、要塞みたいになっていた。セキュリティーも甘く、良い時代だった。今では夜は撮影できないし、コクピットにも見せてもらえない。地下に潜むテロリズムという考え方、そして全日空機をハイジャックした一橋大卒→JR貨物の被告を恨むしかない!
▲ロッキードL-1011(トライスター)(1986年夏)
 レジはJA8509。田中角栄のロッキード事件というのはこの機体の導入を巡る汚職のこと。エンジンは3つついているが、2つもアウトになったことがある。ギャレイは階下のカーゴスペースにある。エンジンを回送させるときは、主翼に取り付けることができる。トライスター、かっこいい。
▲JALの767-200(JA8232) 1986年夏
 鶴丸塗装の767-200。767-200自体が今では珍しくなってしまった。767と777は遠くで見ると一瞬区別がつかない場合があるが、メインギアを見ればすぐわかる。767の場合は、メインギアが進行方向に向かって下がっている。
▲富士山とJA8133(1987年1月1日)
 高校1年の時、何故か元旦に羽田に撮影に行っていたようだ。今となってはほとんど記憶がない。展望デッキから撮影。04エンド側。ACE、Canon、三越などの看板が懐かしい。灯油臭いジェット燃料の匂いをかぎながら撮影(ジェット燃料はほぼ灯油と同じ成分です。→だから羽田は石油ストーブ臭いのです)。
▲Boeing747-100B/SUD(JA8170)(1986年6月7日)
鶴丸のSUD(ストレッチト・アッパーデッキ)は当時もの珍しかった。これは導入直後の写真。この8170には、その後2度搭乗している。世界でも2機(JA8170 JA8176)しかない。雨の04から離陸するところでJT9Dエンジンからの排気が水しぶきを上げている。外見は古くはないが、便所が圧縮式ではなく循環式で蒼い水が流れていた。それが古い証拠だろう。
▲オリンピア(JA8736) (1986年6月7日)
YSもこのように04から、ビーンという音をたてて離陸していた。後ろのYSのオンパレードも気になる。東亜。背後は航空局のYSのオンパレード。がんばれYS!
▲インドネシアのマンダラ航空に輸出されるYS-11 1987年1月1日
1987年元旦に撮影。レジはPK-HYZと書かれている。記憶によれば結構長い間羽田にストックされていたような気がする。結局この機体は、マンダラ航空側に引き渡されることなく、解体されたとのこと。
▲DC-9Super80 (JA8469) 1987年1月1日
これからRWY04からテイクオフしようとしているSuper80。このクラシックなSuper80に乗ってみたかった。Superと書いてある筆記体がなんとも美しいです。
▲DC-8がやってきた(1987年12月17日)
 33エンドでカメラを構えていたら思いがけずDC-8-62AFがやってきた。この写真は、TOMYから発売された、おもちゃの「ファミスコ60S」という天体望遠鏡をAE-1+Pにリングをつけて撮影していたものである。確か絞りは固定のF6.7くらいで、400mmの焦点距離があった。周辺部に色ムラがあるが、お金のない私には最高の長玉だった。各検索エンジンで「ファミスコ」と入力すると、天体写真など色々と出てきて、大変に懐かしい思いをした。
▲JAL CARGOのJA8036だった。(1987年12月17日)
 RWY33に滑り込み、リバースをかけているところ。尾翼には鶴丸はなく、台湾にも飛べるよう配慮されたものだろう。どうやって調べたのかはわからないが、アルバムにJL3938、OKA(那覇)toHND便と記入されている。14:00頃。ファミスコで撮影。フィルムはフジのネガHR-200。色が少し中途半端でそれ以来200は買わないようにしている。
▲スターボードサイドには塗装はない(1987年12月17日)
 右舷側からも荷物の出し入れをしている。当時は貨物には興味がなかったのだが、沖縄からの花卉類でも出しているのだろうか。この日は高校2年生の期末試験最終日だったようで、午後から羽田に出かけたという記録が残っている。昼に、大倉山駅の貸しレコード屋にいたら、かなりでかい地震があった。
▲コクピットのアップ(1987年12月17日)
 ファミスコでぐっとアップしてみたら、コーパイさんが見えた。コーパイさんと言っても結構年齢が上なので、たぶんダブルキャプテンなのだろう。この方はお元気なのだろうか。みなさんご存じの通りDC-8にはワイパーはなく、圧縮空気で雨粒をはねとばす装置がついているらしい。また、昔は航法士が乗っていた名残りから、天測用の窓があるのも旧世代のジェット機の証拠。
▲DC-8の力強いテイクオフ(1987年12月17日)
 それほど長くないターンアラウンドで、また8はどこかに飛んでいった。アルバムには、JL1937便として那覇に向け、15:30にドアクローズ、15:38にT/Oしたと記録されてある。第一世代のジェット機のため、エンジンからのエグゾーストまで撮影されてしまう。DC-8を見たのは、羽田に長い間ストアされていた、JA8001とこの機体だけだ。後方では一生懸命埋め立てが行われていたようだ。当時はネットもないので、何の工事なのかはわからなかった。読売新聞だけでは、情報収集がきつい時代だったことは確かだ。
▲1987年7月17日
 GAJまで飛びました。私が高校2年の夏休みです。シップはJA8455。B737-200。羽田の旧3番スポット。
▲ゼネラルエレクトリックのJT8Dエンジン。
 今のエンジンは全体的に「ビーン」という音がしますが、このJT8Dは雷のようなバリバリ、というすごい音がします。(1987年7月17日)
▲全日空さんのモニタ
 グリーンディスプレイ。今から20年前はこんなディスプレイで、目的地、シップナンバー、スポットナンバーなどが見えます。モニタの上に置いてあるのは、当時全日空さんが香港便を運行開始したときのパンフレット。私ももらってきたことがありますので、わかります。このモニタは三菱電機さんの製品。全日空さんの備品番号G224021。(1987年7月17日)
▲こちらはTDA(東亜国内航空)のモニタ。航空各社にご勤務のグラホスさんなどに是非ご覧いただきたいです。(1987年7月17日)
▲羽田空港にて 銀塩カメラなので、機窓から撮影して問題ありません。JA8348 ボーイング727-200。(1987年7月17日)
▲となりの5番スポットに駐機していたMD-81 JA8497(1987年7月17日)
レジはかろうじてギアの2文字のところが読み取れます。撮影していたモニタに5番スポット(4は欠番ですから隣ですね)351、KMJ、M497、0940と書いてあったので、のでJA8497と判別。熊本行き東亜国内航空351便、MD-81のJA8497、9時40分発という意味でしょう。
▲GAJ(山形)に向けて出発します。ランプコーディネーターがプッシュバック時の安全を確認しています。(1987年7月17日)
▲RWY22に着陸機が写っているので、おそらくRWY15から出発したと思います。中華航空公司(チャイナエア)の747とNHのSRがテイクオフのために並んでいます。(1987年7月17日)
▲1987年当時の羽田空港全景(1987年7月17日)
このNH803便が羽田の15滑走路を離陸して左旋回している時に撮影
バンクしているので、斜めっています。結構埋め立て進んでいたんですね。
▲NH803の機内。(1987年7月17日)
全然覚えていないのですが、こんな写真が出てきました。CAさん、昔のデザインのお帽子をかぶっていますね。また結構満席のようです。この便のキャプテンは美女平(びじょひら)さんというかなり珍しいお名前のかたでした。GAJ到着後、コクピットに入れてもらいました。ありがとうございます。
▲羽田空港のスポット地図 1986年6月頃
左上の49番は後から手書きされているのがおもしろいです。
▲日本で初めてのジェット機。DC-8 JA8001。1987年元旦
 今の若いかたはご覧になったことはないと思います。この機体はずっと航空保安大学校の裏にストアされていました。
▲上記のJA8001 1987年5月30日(土)
 エンジンが抜かれ、塗装が真っ白になりました。ただ、レジと鶴丸はなぜかきっちり書いてあります。
▲727がRWY22にランディング 1987年5月30日(土)
 手前の747SRはJA8126。そして青社の767-200はJA8241。
▲727がトーイングカーでプッシュバック 1987年5月30日(土)
 レジはJA8347、モヒカン、美しいです。後ろにあるCAB(運輸省航空局)さんとまんだら航空のYS、そして何と言ってもJA8001。
▲JA8347 の B727-200の尾翼 1987年5月30日(土)
 青社さんでは今でもこのレオナルドダビンチの胸章をお使いになっているようです。
▲JA8547のDC-10 1987年5月30日(土)
ランウェイ22、タッチダウン寸前。手前はトライスター。
▲JA8547のDC-10 1987年5月30日(土)
ランウェイ22から離脱。看板群に再度注目!奥で何か高層ビルが建築中ですね。
▲JA8761 オリンピア 1987年5月30日(土)
 整備なのか、トーイングカーで移動中。それよりも、手前のJALカーゴの冷凍コンテナが、カルガモのお引っ越しみたいでかわいいですね。
▲羽田の出発改札
 1984年1月28日撮影。こんな写真が出てきました。これから仙台に行くところでおそらく父が撮影したのでしょう。当時のターミナルの内部を写した貴重な1枚なので、(顔に自信がありませんが)あえて公開します。セキュリティーもくそもないですね。ホイールチェアが何台も置いてあります。
▲A滑走路の駐機場 1986年6月7日
 手前はSR、奥はSUDのJA8170。それよりもリムジン、乱れています。低床なので、エアコンが屋根についていますね。
▲A滑走路の駐機場 1986年6月7日
2階席窓3つのクラシック。
▲JA8170とJA8176。
1987年元旦撮影。お腹が光っています。
▲04からテイクオフするJA8170とJA8176(手前)。1987年元旦撮影。
▲中央脚がついているDC-10(JA8545) 1987年5月30日(土)
▲DC-9 Super80 (JA8461) 1987年5月30日(土)
 テールのタラップが下りています。タラップ車はいすゞフォワード。


youtubeの時代になって・・・

皆さん、この画像をご覧下さい。羽田空港旧ターミナル最終日 1993年です。私の撮影したものよりは後ですが、この当時の彷彿とさせる動画です。残念ながら作者は私ではありませんが、このページをご覧いただいたかたはおそらく懐かしさを感じると思いますよ。

https://www.youtube.com/v/kY2ftW0-20E

 08/JAN/2005記す
08/SEP/2005追記
02/Jul/2006さらに追記
01/SEP/2007、11/JAN/2009さらに追記
31/JAN/2015 youtubeリンクを追加

11/NOV/2008 B3のエンジン型式の誤植について指摘があり、修正しました。
 
今改めて思うと、鶴見から近かったので、結構羽田に出かけていたんだなー。
まだまだ写真がありますので、おいおいアップして参ります。



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