写真集「北仙台駅」 写真と文:千葉晃(仙台市出身 在・東京都武蔵野市) 私が撮影した思い出の北仙台駅。70年代後半から80年代の北仙台駅の懐かしい写真をお見せします。 中学校くらいの時に北仙台駅のアルバムをつくりました。きっと誰も見てくれないと思っ ていましたが、インターネットという自由な出版めいたことができる世の中になったので真っ先にこのページを作りました。私よりも若い人たちには昔の「本当の北仙台駅」を見て欲しいし、私と同世代の方には
昔を思い出して懐かしんで欲しいと思います。 |
![]() 国鉄 北仙台駅(1983年) 仙台駅から仙山線で2つ山形方面に行くと、この駅があります。 はじめてカメラを持ってきたのがちょうど28年前。1979年の夏 でした。七夕が風に揺れています。 |
![]() 駅前は昔、市電の終点でした。駅舎が小さい割には、駅前はだだ っぴろい。駐車車両だけが目立ちます。今は全面アスファルトに なっていますが、電停時代のコンクリとアスファルトが塗り分け られ、レールの踏面も一部顔を出していて、今にも市電が走って きそうな気分。茶色のカローラ、日産チェリーも懐かしい!写真右端の金物屋には祖母と行った記憶がある。トーコーチェーンもまだある。日立の電気屋さんもあったようです。 |
![]() 三角屋根のモダンな駅(1983年8月28日 日曜日) 駅舎は、おそらく昭和の初期にたてられたものでので、とっても古い。 鳩が屋根で遊ぶ。手前には懐かしいトヨタスターレットが。北仙台に近づくと、駅の裏側にある本山製作所の臭い(金属をいぶしたような鋳造の臭い)がしていました。それが北仙台のにおいなのです。 |
![]() 北仙台駅正面ファサード(1983年8月28日 日曜日) この駅は昭和町からの道路に対して若干斜め位置になっているため、なかなか正面の写真がありません。今思うと貴重なショットになっています。マンサードの屋根は大正から昭和初期にかけて、日本の景気が上向きだったときのトレンドなのでしょう。 ピンク色の相互タクシー?のコロナタクシー仕様が懐かしい(140系でしょうか)。左のランサーも同様です。コカコーラとベルミーコーヒーでしょうかそれともダイドーでしょうか。自動販売機が時代を感じさせます。 |
![]() 駅舎の中(1983年8月28日) 北仙台駅に入ってみましょう。天井が高く、思いの外明るいです。もちろん蛍光灯はたかれてはいましたが。上の写真のような曇天の日でもよく採光されています。窓口前にいるのは私の父です。自動券売機、自動改札など無い、古き良き時代です。手荷物の窓口もあったのですね。 ![]() デートが一日ずれていました。私は8月29日かと思っていましたが、やはり28日で合っています。上の写真で写っている父がきっと買ってくれたのでしょう。 |
![]() 北仙台駅前(1983年8月28日) 少しはなれて撮影。真ん中のアスファルトの部分を市電が走っていました。 トーコーチェーン、右に停まっているダットサンのトラック、ともに懐かしいです。 |
![]() 駅前の看板(1983年8月28日 日曜日) 駅の外に、この看板がありました。高浜産婦人科、阿曽沼整形外科は、仙台市営バスなどの車内放送で流れていたので、聞き覚えのある方も多いと思います。産婦人科も、整形外科もお世話になったことはないですが、音で覚えています。懐かしい。 |
ここから5カットは1979年に撮影した、最も古い写真です。![]() ホームの上(1979年8月26日) 写真はやや不鮮明ですが、ホームはこのようになっていたました。おそらく、下の写真にある急行仙山(814M)を送ったところを撮影したもの。庭師が来るのでしょうか、樹木は手入れがしてあります。この814Mの時刻が知りたくて、ちょっとオタクっぽい秋葉原の鉄道用品店に行って、1979年7月の時刻表を購入してきした。814Mは山形を1248→山寺1303→作並1325→北仙台1350→仙台1359着と書いてありました。この時間はずばり1350です。何事もなく定刻に発車していきました。暑い日でした。私が小学3年の夏です。気象庁の電子閲覧室で調べてみましたら、当日午後3時の仙台は25.4℃だったようです。午前7時から13時まで時間雨量最大4mmの降水があったようです。雨が止んだので、父とでかけたのかもしれません。 ![]() この日が本当に昭和54年の8月26日か自信がなかった。実家に戻って、切符のコレクションを確認したらこんな硬券が出てきた。やはり合っていた。 |
![]() 急行「仙山」(1979年8月26日) 今でこそ快速列車に格下げになりましたが、25年前はれっきと した優等列車。グリーン車もついていましたがお客さんはあ まりいなかったような感じがします。停止表示はこの先にあるので、この瞬間のブレーキ扱いは、どうなっているのでしょうか?今思うと不思議なシーンです。タブレットは動いている時に、運転士が受け取っていたような気がします。 |
![]() 北仙台の駅名(1979年8月26日) さらに隣に東照宮駅が開業したので、この駅名表示は、今では幻。 |
![]() タブレットでの運行(1979年8月26日) 単線のこの仙山線は、今でこそ、自動信号化されて 同じ駅での列車追い抜きもできるようになったようですが、25 年前はタブレット(通行票)で列車交換を行っていました。 |
![]() 国鉄料金表(1979年) ずいぶん高いところに料金表が掲示されていました。当時横浜市内 まででも4000円しかかからなかったようです。 |
![]() 古いタブレット受け(1979年8月26日) 上り側ホームにあった古いタブレット受け。1979年当時は2カット上のタブレット受けで受け取っていましたが、それ以前はこちらを使っていたとのことでした。この暑い日に、父はホーム中央部の詰め所に行って、色々質問し、私に教えてくれたことを覚えています。ケッタイな形をしています。カメラは水平なので、支柱は傾いていることになります。奥は本山製作所の敷地が少し映っています。 |
![]() 急行「べにばな」(1983年8月28日 日曜日) 仙山線の特色といえば、様々な列車が走って いたことでしょう。これはディーゼルカー。今はもう 見ることはありません。1985年3月の改正で急行べにばなの仙台−山形間は廃止されました。 |
![]() 客車の普通列車(1983年8月28日 日曜日) 5両編成でしょうか。レトロな客車も走 っていました。チェーンが2本だけ。安全は企業の責任、という風土が根強くなってしまった現在、こんな客車は走らせることができないでしょう。幌の上部だけ赤さびがあるのは、機関車のパンタグラフの集電舟から出た鉄粉でそうなっているのでしょう。室内灯が白熱球だったことを覚えています。この2年後の1985年に客車は廃止されたようです。 |
![]() 交流の電気機関車 ED78(1983年8月28日 日曜日) 客車をひっぱる機関車。これはED78の1号機。片パンですね。駅員さんがタブレットをED78に渡している瞬間。このトップナンバーは今でも走っているのでしょうか。 |
![]() 北仙台駅のホームより1(1979年4月頃) 桜が咲いているので春先だと思います。この写真が私の生涯の中でもっとも古い写真かもしれません。オリンパスのペンEEのファインダーは何故か縦位置が標準でした。ですから、デフォルトで撮影すると、縦位置になりやすいです。 |
![]() 北仙台駅のホームより2(1983年8月28日) 左側の引き込み線がなくなっています。草に埋もれたのかもしれない。 |
![]() 引き込み線から(1983年8月28日) ちょっと失礼して、引き込み線からホーム側を撮影していたようです。 |
![]() 国道4号線昭和町(1983年8月28日) 懐かしい風景。写真奥が仙台方面で、緩い下り勾配 になっています。結構この坂、勾配があります。マルヤタクシーのブルーバードも懐かしい。このタクシー会社の塗装は結構当時としては奇抜でした。さすがにもう見ないですね。東北NECの看板のNECっていう文字、古さを感じさせます。 |
![]() 北山、国見駅開業 1984年2月1日 80年台半ばになると、仙台も都市化が急速に進展 仙山線も通勤電車になりました。隣駅、北山、国見駅が 開業したとき、北仙台で発行された記念切符。当時
北仙台駅だけで、800部だけ売られた珍しいもの。仙台鉄道管理局という響きが懐かしいです。このとき仙山のグリーン車が廃止されたようです。
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![]() 北山駅 (1984年4月29日) 急速に都市化を迎えた仙台周辺。北仙台駅の隣にできた、できたてほやほやの北山駅を見に、早速横浜から出かけました。開業後すぐですね。列車番号2831M。15:55に北山を出た電車だということを確認しました。4月29日とデートが書いてあり、目を疑いました。もう少し4月末だと暖かそうなのに。気象庁のページで確認してみましたら、当日午後3時の気温、なんと7.4℃!GWですよ。南東の風2.6m、雲量は10でした。見事に10。 時刻表、かなり集めていましたが、引っ越しの際に廃棄してしまいました。その後、秋葉原にある鉄道用品店に行って、古いバックナンバーを入手してきました。時刻表は捨てない方がよいです。 北山駅からはチャリや原チャで仙台駅付近までは行けるようです。バスはやはり渋滞がひどいので仙台都市圏では有効な交通手段ではなさそうです。昨年(2006年)河北新報でバスの特集があったのをネット見ていました。サービス上、カイゼンの余地があるというのが結論だったようです。さて、仙台のかたは電車に乗り慣れていませんが、こんなに正確な時刻で目的地に到達する交通手段をどうして利用しないのでしょうか。一つは冬期の気温が低いことが挙げられるかもしれません。 ちなみに私のお客さんで、河合塾文理に浪人中通っていた方がいました。北山に寮があったようで(私は初めて知りました)、通常は五橋まで自転車、雨天時のみ仙山線利用とのことでした。その方はちょうどこの月に生まれたようで、是非ご覧いただたいと思って写真をアップしました!。あなたが生まれたときはこんなんだったんですよ。 ![]() この日に乗った硬券。 ![]() 記念用に購入したもの。よかった、不正乗車ではなくて。当時は ダブルで購入していたようです。60円ならば、中学2年生でも さすがに払えますよね。 |
![]() 仙台電気工事局のモーターカー(1984年4月29日) 駅のホームから撮影。こんなものもやマルチプルタイタンパーも停まっていました。 もうGWだというのに、写真は寒々しい。ホンダのシティー、日産パルサー、セリカのダブルエックス、日産のバネット、どれも懐かしいです。看板は切れているがおそらくトーコーチェーンのもの。 |
![]() 留置されていた保線用車両(1983年8月28日) 上記写真よりも左側にパンするとこんな景色が見られました。今はどうなっているのだろう。 |
![]() 電車が来た(東照宮方面) 1984年8月3日撮影 ![]() また撮影期日合っていました。この日は子供の硬券を買ったようです。 59年って、私は中学2年なので、子供ではないはず。 たぶん、記念用に購入したのではないかと考えています。 |
![]() 列車交換風景(1984年8月3日) 国見方面の25パーミル勾配を機関車が駆け下りてくる。今気づきました。何か工事やっていますね。 |
![]() 829M(1984年8月3日) シールドビーム化していない、ボヤっとした明るさのライトがいい味を出しています。 フジカラーのHRですが、全然色褪せていないです。スキャンをかけたときに、若干 補正はしていますが。見た目そのままの色ですね。 |
ここから3カットは1986年のものです。 地下鉄ができつつある時の写真です。 ![]() 仙台市営地下鉄入口(1986年) 1987年に仙台市営地下鉄が開業しました。あれからもう20年も経つのですね。この北仙台は、バスとの 連絡駅としての機能をもたせられました。これは開業前の入口を撮影したもので、まだ 砂に埋もれています。 |
![]() 北仙台駅と仙台市営バス(1986年6月1日) 私が高校1年の時に撮影。市営バス(宮城22 か22−18)は、犬のマークがついているので、北仙台営業所のもの。6月1日で窓が閉まっているので、冷房車なのでしょうか。冷房車は窓がブルーっぽかったような気がします。 |
![]() 北仙台電停跡(1986年6月1日) 市電の電停跡がよくわかる写真。上の写真を撮影した後のものでしょう。DPEラボができていました。サクラカラー、フジカラー、コダカラーと書いてあります。店舗前の2ドアスカイラインも懐かしい。つきあたりには、かつて祖父が永く勤めていた日赤があります。1986年に撮影された3枚は、いずれもコニカのEFJという、コンパクトカメラで撮影されたもの。手ぶれなのか、いずれもピントは甘い。 ![]() カメラのコニカEFJのデートはきっちりあわせてあるので、おそらく 前日に北仙台に到着して購入、翌日朝撮影に出かけたのでしょう。 |
![]() 駅の背後に高層マンションが(1997年夏) 久しぶりにカメラを持って訪れました。大きなクレーンが設置されていて驚き。 |
![]() 高層マンションと北仙台駅(1999年1月3日) これが、近代的な北仙台駅??新旧のコントラストが 絶妙なバランスを引き出しています。駅舎もレトロになりましたが、これは北仙台駅ではないと思っています。 |
![]() 北仙台遠景(1999年1月3日) |
![]() 都会に組み込まれた北仙台駅(2002年1月2日) 小雪の舞うこの日に、また北仙台を訪れてみました。 |
![]() 2003年1月2日。今年も北仙台駅に会いに行っってみました。今回は宮城交通の車庫前から撮影。初めて北仙台駅の写真を 撮ってから24年目に入りました。 北仙台駅前にある宮城交通の車庫。ここはかつて仙台鉄道の北仙台駅 だったようです。現在はマンションになっています。この鉄道の終点は中新田で昭和30年代に廃止されました。祖母が仙台弁 でこんなことを言っていたのを思い出します。「軽便ッコのレールは光るがら、戦 争のどきに飛行機がら狙われだんだー」。実際、戦争の時にずいぶん破壊されたようです。 |
![]() 北仙台とLRT(新型路面電車) 先日(2006年7月)、富山に、旧富山港線のLRTを視察に出かけました。こんなに素晴らしいものはない、と思うくらい感激しました。LRTのよいところは、駅の中に入り込まないこと。街と共存していることです。少し脚の悪い人でも、階段を上り降りしなくてすむので、こういう公共交通機関を増やすべきだと考えます。地下鉄建設は、第2次産業の方たちを養うのにある程度必要でしょう。予算があればこういった交通機関は多チャンネルになってよいと思いますが、LRTのほうが便利な場合もあります。 上の写真は、北仙台駅にLRTが来た様子をパロってみました。ただ、こういうパロディーが新しい住民運動を巻き起こしたりするかもしれないのです。昭和40年代に廃止された市電(北仙台線)がバリアフリー法のもとで復活することを祈って合成してみました。街の活性化にもなると思うのですが(レールの間は芝生です)。廃止した仙台市は愚かかもしれません。行政は30年先を見越してプランニングをする必要があるでしょう。また、時代が変わったらすぐにシティーデザインも変更する即効性・実行力も求められると思います。 |
![]() 2006年 北仙台駅 午前二時 LRTの合成写真を作っていましたらどうしても北仙台駅に行ってみたくなりました。稚内に行く途中、仙台宮城で降りて逢いに行きました。8月9日深夜午前2時。 ![]() もちろん駅には誰もいません。以前はオープンスペースばかりでしたが、都市のキャノピーに囲まれています。北仙台駅だけ、時がストップしているかのようでした。上を見たら、飛行機が1機 ジェットの音をとどろかせています。全日空の羽田発札幌行きの貨物便NH8551便(777-300)です。仙台で午前2時に聞こえる飛行機の音は、この便なのです。私は5時間かけてここまで来ましたが、彼は40分で羽田から飛んできました。速い! |
追記 北仙台駅に似た駅舎 上毛電鉄「西桐生駅」(群馬県)![]() 上毛電鉄 西桐生駅 駅舎 NIKON D70 1/160秒 F6.3 プログラムAE EV+0.7 撮影日時 : 2006:11:25 15:46:43 ISO 200 TOKINA 10-17mm F3.5-F4.5 ネットで北仙台駅のことを調べていたら、歴史的な駅舎のページにたどり着きました。そこでマウスをカチカチしていたら、なんと北仙台に最もよく似た駅があることに気づきました。是非行ってみたくて、2006年11月25日実現しました。その駅は、群馬県にある上毛電鉄の西桐生駅です。町の北はずれにこぢんまりあって、車で行くと直前まで駅舎が見えません。セブンイレブンに車を止めようと思い、信号待ち。その見えた瞬間、思わず「北仙台と同じじゃん!」と叫んでしまいました。 北仙台駅は昭和4年9月29日の営業開始、こちらは1928年(昭和3年)11月10日 で1年西桐生駅のほうが早い。こっちを兄貴と呼びましょう。 ![]() 駅舎の内部 天井が高く、採光窓もあります。北仙台よりも広いです。 昭和初期の駅舎建築デザインの潮流はちょうどこのようなマンサードっぽい屋根だったのでしょう。北仙台駅を利用している方に、としごの兄貴がいることをお伝えしたかったです。私も初めて知りました。仙台じゃなくて北仙台、桐生じゃなくて西桐生、このような「亜流」の点が味があります。 1/80秒 F4.5 プログラムAE EV+0.7 撮影日時 : 2006:11:25 15:44:43 |
東北福祉大学駅 開業日 2007年3月18日 他でもレポートしますが、羽田から伊丹経由で仙台空港に入り、アクセス鉄道、そして東北福祉大学駅まで行ってみました。また北仙台駅の弟分ができた感じです。 ![]() 東北福祉大学駅 開業日 ![]() 北山駅付近 バイクの駐輪場ができていました。七ツ森が見えますね。 ![]() 北仙台のホームに下りる 何年ぶりだろう、ずいぶん変わってしまった。マンションだらけ。 ![]() 東照宮側はあまり変わっていないようです。 ![]() 北山方面 線形が緩やかになったようだ。ちょうど観音様が見える。 ![]() 駅の改札を出る やはり建物は昭和初期の木造建築そのもの。 ![]() 駅の内部 すっかり変わってしまい、驚きました。 ![]() 今日の北仙台駅はお化粧中でした。その後どうなったんでしょう。 ![]() その日、地下鉄で富沢まで行って、市電保存館に行ってみました。そこに昔の北仙台の写真がかざってありました。私は市電が来ていた時代を知らないのですが、とっても 懐かしかったです。本山製作所の煙突から煙が上がっています。 |
![]() 2008年2月9日 また北仙台駅に逢いにきました。 |
![]() トップにある1983年、25年前の写真を意識して、パナソニックのデジカメで ぐっと寄ってみました。2008年2月9日 |
![]() 昨年来たときはお化粧直しをしました。素顔の北仙台駅、久しぶりにました。 日産クルーのタクシー、たくさんいます。 2008年2月9日 |
![]() 駅前広場 ニッポンレンタカーから2台、車が出ていました。結構繁盛しているようです。 この先の道路、2007年の12月から双方向通行になったようです。 バス以外はずっと葉山町からの一方通行で不便でした。2008年2月9日 |
![]() 2009年2月6日 北仙台駅にまた逢いに行きました。 2009年2月3日に、私とこの北仙台駅の接点となった、祖母が亡くなりました。 翌日急遽仙台入りしました。全く予定していなかったことです。 葬儀終了後、東京に戻る挨拶のため、北仙台駅を通って祖母宅へ行きお線香をあげてきました。 そのとき立ち寄った時の写真です。 仙台は1月末に積雪があったようで、路肩に雪がこんもり残っていました。 |
![]() またまた塗装が変わっていました。 2009年2月6日 葬儀終了後にタクシーに乗り、親戚を北仙台駅まで送った時には 全く気付かなかったのですが、塗色変更となり明るいクリーム色になったようです。 いつかオリジナルカラーの北仙台駅にならないかな?? |
![]() 昭和町の交差点 2009年2月6日 よく考えたら、こちら向きのショットはあまりありません。 大きなビルがあります。なんとホシザキさんの営業所ビルでした。 ホシザキさんは、世界の製氷業界ナンバーワンの企業さんです。 私がイタリアのローマに行ったときに、ホテルに何気なくホシザキさんの 製氷機が置いてあって驚きました。北仙台にある有名企業でしょう。 |
![]() 北仙台駅 2009年2月6日 このあたりは、あまり変わっていないショットだと思います。私が小さかった 頃は、スパイクタイヤによって冬期は道路ペイントは消えていました。 今ではしっかり残っていますね。 |
![]() やや明るいペイントとなった北仙台駅 2009年2月6日 駅名表示板が変更されています。またフォントも現代風にアレンジ されているようです。ステンドグラス?もなかなか味わいのあるものでした。JR東日本さん で北仙台駅を管理されている方は、試行錯誤されているのでしょう。 ※私が北仙台駅を撮影してから、ちょうど30年目になりました。 これからも記録し続けていきます。Since 1979 ![]() 2009年8月30日に、北仙台駅長さんから私、千葉晃宛でメールが来ました。 開業80年になるので、写真を貸していただきたい、とのご依頼。快諾しました。 2009年11月3日に、仙台入りして父と二人で見に行きました。あいにく駅長さんはご不在でした。 上の写真は全て小職が小学から中学生のときに撮影したものです。 ![]() 北仙台駅のコーナーに展示されていました。 ![]() 私が撮影したときって、開業50年くらいだったのですね。50と80では えらい違いです! ![]() 2009年11月3日、北仙台駅 今日もいつもどおりです!! |
![]() 2011年4月29日 震災後の北仙台駅です。あの揺れにもこの構造体は耐えたようです。 |
北仙台駅についての記述は、杉崎行恭(1994)「日本の駅舎」JTBの27Pにある。「以前は近代建築の専門書に載っているクラシックな洋風駅舎だった」、という記載が印象的。どのような専門書で、どんな書きぶりなのか知りたくもあります。。 またまたサーチしていたら、もうひとつの書物の中でも見つけました。 鈴木博之他著(2005)「都市の記憶U 日本の駅舎とクラシックホテル」。版元は白揚社というあまり聞き慣れないところである。その本文ではなく、付録っぽい章、現存調査の概要ページ337pに北仙台駅の名前がリストアップされていました。どうも社団法人日本建築学会の建築歴史・意匠委員会で、「大正昭和戦前建築調査小委員会」というのが立ち上げられ、そこで1983年に「新版日本近代化建築総覧」というのが刊行されているようです。。それを見ればよいのでしょう。 |
新事実 「北仙台駅前に田中角栄が来た!」 2012年2月4日、北海道に住む私より4つ上のかたから、「このページを見ました!」というブログに書き込みがありました。何度かやりとりをしていたところ、「当時の一番強烈な記憶は、北仙台駅前に田中角栄が演説に来たことです。付近一帯傍聴の人でいっぱいになり、幼いながらも記憶が鮮明にあります。」とのこと。北仙台駅のことを調べ始めてかなり経ちますが、一国の内閣総理大臣が北仙台駅に来た!ということに強い衝撃を受けました。 武蔵野市立中央図書館で、新聞縮刷版をめくり、田中角栄の本を読みあさりました。このかたも河北新報さんに問い合わせてくださり、また河北の担当者さんも親切におしえてくださいました。 その日は、1974年1月20日(日曜日)です。私は3歳手前で記憶すらありません。 1週間後の1974年1月27日(日)に仙台市長選が行われ、現職で革新系の島野武氏(68歳)と新人で自民党の愛知和男氏(36歳)の一騎打ちだったのです。どうして田中角栄か? というと愛知氏の父、愛知揆一氏が田中派だったからです。 朝日の縮刷版では、首相の一日を「永田町」というコーナーで報じていますが、肝心な日曜日の様子がわかりません。月曜日にはコーナーが毎週ないのです。そこで国立国会図書館へ2月18日に行き、河北新報のマイクロフィルムを閲覧したところ、角栄氏来仙の記事が。著作権があるので、紙面はこの程度のイメージのみにしておきます。下部に愛知和男氏、と島野武氏の広告があります!愛知和男氏への応援は当時の県知事山本壮一郎と書かれています。 ![]() 新聞を読み込んでいくと、この日は一番丁、北仙台駅前、鶴ヶ谷ショッピングセンター前、袋原団地公園で愛知和男氏の応援演説をしたようです。また、鶴ヶ谷が「革新の牙城」と表現されています。おそらく北仙台も島野地盤が強い地域なのでしょう。交通も遮断できるし、セキュリティーもしやすいから北仙台が選ばれたのだと思います。田中政権では当時物価高を招いたとのことで、反田中を打ち出すプラカードを持った人もいたようです。 結局、島野武が市長に再選されますが、翌日の記者会見で田中角栄は「仙台は勝ちたかった!」と一言述べています。 当日田中角栄の行動は不明です。私の予想では、上野・朝6:33の特急やまびこ1号で10:48に仙台入り、一番丁の後なので、北仙台は11:45頃ではないかと思います。13時に仙台駅付近のホテル?で記者会見して、14時頃のはつかり6号か、ひばり20号で上野へ戻っていると推測します。午後6時半から東五反田の関東逓信病院で顔面神経の診察を受けているので、おそらく日帰りでの仙台訪問になっているはずです。空路入りしたのかと思い調べてみましたが、うまい時間がないですし、また記者会見するならば仙台空港になりますよね。アクセスにも時間がかかります。 この日の写真が見たいです。どなたか見せてください! 想像イラストを描いてみました。 ![]() 私のイラストを見て!北海道のかたからすぐにお返事いただきました。 (中学校や高校の時、しっかり美術のデッサン習っていたかった・・・後悔) 「それから千葉さんの予想図、絵もお上手なんですね!でもあの場に居合わせた私の記憶では、もっともっと群集でした(笑)。自分がまだ小さかったせいもあったかもしれませんが、イメージとしましては、絵の真ん中の道路は全部人で埋まっており、駅前の道路も封鎖してたくらいじゃなかったかと。 実際駅は稼動してるわけですから、駅前の道路封鎖なんてありえないでしょうけどね。 私の記憶のなかでは、そのくらいの群集でした。 千葉さんのイラストのどちらかといえば右側で、私は背伸びをしながらあのガラガラ声を聞いてたと思います。 鮮明なんですよね。不思議なことです。」 このメールを受け取って、この瞬間の写真がもっともっと見たくなりました! |