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メルヘンヴェール:最終話 月
 あの出来事から四年が経過した。
 私は遠くの海に沈んでゆく夕日を眺めながら、一人海岸で思い出にはせていた。

 あの後、私とルナは城に乗り込み、衛兵を避けながら魔法使いを探した。 しかし衛兵があまりにも多く、結局は戦いを余儀なくされた。 もちろん気絶させる程度で命までは奪っていない。 彼らは衛兵としての職務を果たしているだけなのだ。
 そして最上階――ついに魔法使いを発見した。
 そこにいた魔法使いは、まさに私そのものだった。
 私を見るなり焦りの色を見せる魔法使い。 だが、私たちが起こした騒ぎのせいで城内は既に混乱していたため、彼も私たちに対抗する準備を既に整えていた。 あろうことか、姫を人質に取ったのである。
 彼は様々な黒魔術を駆使して私たちに刃向かった。 その場に集まってきた多くの衛兵たちは、恐ろしき黒魔術を繰り出し魔物を操る偽王子を見て混乱し、脅え、私たちが激しく戦っているのを茫然自失の状態で眺めているだけだった。
 だが、私とルナは、息の合ったコンビネーションで着実に彼を追い詰めていった。
 ところが切羽詰まった魔法使いは、ついに姫に危害を加えようと彼女に手を伸ばした。
 やばい――そう思った瞬間、私の足は踏み出していた。 恐らく無我夢中だったのだろう。 次に気がついたときには、私が彼の腹を、そしてルナは彼の頭を押さえていた。
 一瞬にして静まりかえる広い室内。
 間もなく彼は、激しく血反吐を吐き出すと、膝を落としてその場に倒れた。
 その瞬間、急速に消えてゆく黒魔術の気配。
 戦いの場と化した城の最上階は、数多くの衛兵たちがいるにも関わらず、しんと静まりかえったままだった。
 その後、ルナの力で彼の魔力を封じると、私の化身となっていた魔法使いは本来の姿を現した。 その本来の姿は、およそ三〇代半ばの男性だった。
 その後の調べでわかったことだが、彼は少年時代から多くの罪歴を持つ男性で、フェリクス全土において指名手配されていたお尋ね者だったらしい。
 しかし、若くして黒魔術を手に入れた男は自らの姿を変え、生き延びる術を見つけた。 ところが、黒魔術を手に入れたが為に、彼は避けることのできない運命を背負うことになった。 彼の周りには常に悪魔や魔物が集まり、彼に近づく者は皆不幸へと導かれていったのだ。
 彼が最も恐れたのは、このまま死したあとのことだった。
 ヴェールとして蘇る条件にはやはり誤解があったが、そのことを知る由もない彼は、彼に近づける者がいない――それはつまり人を愛する……人と愛し合うことができないということであり、このままでは、死んだ後もヴェールとして蘇ることになると勘違いし、焦りを覚えた彼は様々な手段を考えた。
 丁度その頃、森の国では盛大な催しが行われようとしていた。
 森の国の姫の、花婿探しだ。
 彼は、美しい若者に姿を変えると、あらゆる手段を使って試練を乗り越えた。 そして最後まで残った彼……そしてもう一人、この私。 姫は迷わず私を選んだ。 魔法使いのショックは相当なものだっただろう。
 それ以来、彼は私に執拗に嫌がらせをするようになった。 あらゆる人物に姿を変えることができる彼にとって、城に忍び込むことなど容易いことだったのだ。
 そして運命の日――私は食事に睡眠薬を盛られて意識を失った。 私を世界の果てへと飛ばした彼は、まんまと私に成りすまして姫との結婚を果たしたのである。


 私は砂浜に仰向けで倒れると、両手を後頭部にまわしてまくらを作った。 青くなり始めている空を眺めると、そこには小さな星々と共に、満月が浮かんでいた。


 私たちに捉えられ、正体を現した魔法使いは、一時はフェリクスで裁きを受けることになった。 しかし、それでは足りないと判断した神々は魔法使いの身柄を引き取り、改めて採決を受けることになった。
 神々が数日を要して話し合った結果、彼はどの宇宙の、どの世界でも、その存在が許されぬものとなり、下された罰は無に帰すこと……審判の場で彼は消失した。


「待て貴様!」
「おやめなさい。 この者たちは偽の王子を捉えてくれた恩人です」
 すると、私たちを取り囲む衛兵たちが無言で後ずさり、その場でひざまづいた。
 私たちに顔を向ける女性。
「そなたたち、こちらへ」
 言われた通り、彼女の前に立つ私とルナ。
 私の目の前にいるのは森の国の姫――私と愛を誓い合った女性だ。
「まさか、あの者が偽りの王子であったとは……そなたたちには礼をいいます」
「……」
 私たちが黙っていると、彼女は何かに気づいたかのように私の顔を覗き込んだ。
「それにしてもそなた、王子によく似ていますね。 それにそのケープ」
 彼女が次の反応を示すまで、数秒かかった。
 そして。
「あなたはいったい……」
「姫。 あなたにもらったこのアルミラの腕輪をもうお忘れですか」
 私の左腕にかかっているアルミラの腕輪を抜き取り、姫の前に差し出す私。
 姫はそれを受け取ると、再び私を見た。
「あなた……王子?」
 そう呟くと、間もなく彼女の頬に一滴の涙が流れた。
「あなたが、誠の王子なのね?」
 ゆっくりとうなづく。
「私が不甲斐ないばかりに君には辛い思いをさせてしまった。 本当にすまない」
「王子!」
 姫は、周囲の目も気にせず私に抱きついてきた。
 室内に動揺の声が広がる。
「王子、王子!」
 彼女は泣きながら、何度も何度も私を呼んだ。
 そして、私も彼女を包容する。
「随分と待たせてしまったな姫。 だが、もうフェリクスは大丈夫だ。 魔物共も遠ざかっている。 民と力を合わせて再建すれば、この国もまた美しい姿を取り戻すだろう」
「なぜあなたがこのような姿に。 いったい何があったというの!」
 更に顔を押しつけて叫ぶ姫。
「過ぎたことだよ。 もう終わったんだ」
 しばらく無言の時が続く。
 ふと気になり、私は姫を抱いたまま窓から見える城下を覗いた。
 高所から見て、改めて国の廃れようを実感する。 やはり、相当広い範囲で魔物たちの影響が出ているようだ。 この分だと、恐らく森の国の外まで広がっているだろう。 この国を元に戻すのは決して容易いことではない。 だが、こうなってしまったのは他でもない私の責任……。
 チラリとルナに目を向ける。
 彼女は、無言無表情で私たちの様子を見ていた。
「……」
 誰も気づかないような小さなため息をつく私。
 ルナ、許してくれ……この国の再建は、私に科せられた最大の責務。 フェリクスの王子として、それを放棄するわけにはいかない。
 私は姫の体を、更に強く抱いた。
「姫よ……これからは共にこの国の再建に励もう。 そして、この世界で最も美しい国に育てあげるのだ」
 すると彼女は一瞬ピクッと動いたあと、私の胸を押してやや離れた。
 そして私の顔を見上げる姫。 その顔は涙に濡れているが、優しく微笑んでいる。
「ばかね。 国のことはいいから早くお行きなさい」
「――?」
 理解不能な展開に、目を丸くする私。
「無理しなくてもいいの。 あなたに相応しいのは、わたしではないでしょう?」
「姫、なにを言って」
 間もなく姫は横を向いた。 私も慌ててその視線を追う。
 なんと、姫の視線はルナに向けられていた。
 ルナは私たちから顔を背けていた。 だから表情は掴めない。
 それを見ながら、クスッと笑う姫。
「安心なさい。 わたしは彼の胸を少し借りただけです」
 そう言って、再びこちらを向く姫。
 だが、その視線は私ではなく、窓の外に向けられている。
「あなたたちの戦っている姿を見て感動したの。 二人とも一生懸命に戦っているのにキラキラと輝いていた。 あんなに激しい戦いだったのに、互いを邪魔することなく、まるで円舞会の華麗なダンスを見ているかのような錯覚さえ覚えた」
「……」
「……ほら、早く行きなさい王子。 女の子を悲しませてはダメよ」
「だが、姫!」
「あなたの姫はわたしじゃない」
「……」
 私が言葉を失い黙っていると、彼女は私のケープを強く引っ張った。
「!」
「わたしを困らせないで王子! これ以上じらされたら、もう立ち直れなくなるから」
 ケープをぎゅっと掴んだまま下を向き、歯を食いしばって涙を落とす姫。
「おねがいだから早く行って。 わたしなら大丈夫だから」
「……」
 しばらくして、私は姫からゆっくりと離れると、彼女の頬にそっと触れた。
 そして、彼女の頬を伝う涙を拭うと、静かに告げた。
「……お元気で」
 すると姫は、私が今まで見た中で、もっとも美しい笑顔を見せてくれた。
「さようなら、王子」


「ふう」
 空はもう真っ暗だ。 見えるのは星のきらめきと、月明かりだけ。
 ちょっと寒くなってきたな。
「あなた」
「!」
 仰向けで寝た姿勢のまま、頭上に顔を向ける私。
 そこにいたのは、月明かりでキラキラと輝いて見える女性、ルナだった。
「そんなところにいると風邪をひくわよ」
「ああ……夜空が綺麗でね」
 すると、その場で空を見上げる彼女。
「ちょっと輝きが足りないわね。 サフィルスったら、ちゃんとお仕事してるのかしら?」
 吹き出す私。
「仕事をサボって下界に遊びに来ている私たちが言う台詞じゃないな」
 彼女もまた笑う。
「たまの休みくらいいいでしょう。 お姫さまの結婚式に招待されたのだから、わたしたちが有給休暇をとる理由としてはじゅうぶんじゃない?」
「まあね」
 私はルナと結婚し、そしてその数年後にはディーバの父である大神の計らいで人の姿を取り戻すことができた。 更にその過程で私は大神と契約し、異例の神の座を授かることになった。 もちろん神としてのノウハウは全くないに等しい。 まずは入門の意味も込めて、世界の果てにある砂漠に常駐し、「湖の神」として命を受け、世界中の砂漠や荒れ果てた大地にオアシスを造りながら、ルナの祖父である太陽の神フェーブスのもとで修行することになった。 「湖」が私の過去を意図したものか、偶然かは不明だ。
 どうやら将来的には、太陽の神として彼の跡を継ぐことも視野に入れられているらしい。 ある意味では実に恐ろしいことだ。 それに、もしも太陽の神になってしまったら、ルナとは昼夜真逆の生活になってしまうので個人的にはお断りしたいところではある。
 一方、私の心配の種であった森の国の再建についてはかなり順調に進んでおり、まわりの国からも惜しみない協力を得ているらしい。 もちろん、これは義兄さん――ヤン・トモリから聞いた情報でしかなかったのだが、実際に今日、森の国に顔を出したときは、感動すらおぼえるくらい緑が戻っていた。 街には民が戻り、国は活気を取り戻し……砂漠をも潤す湖の神の命を受けた私が手を出すまでもない、これこそが人間の底力なのだなと改めて実感させられた。
 そして、姫――。
 彼女は明日、結婚をする。 相手の男性は、美しい草原が広がるシーフに住む、ごく普通の青年だと言っていた。 彼は森の国の再建にボランティアで協力していて、たまたま外を歩いていた姫と遭遇したときに、なにやら運命的なものを感じたらしい。
 もちろんその青年は、姫と結婚をしたあとに王子となり、いずれはフェリクス全土をまとめる王となる。 だが当然ながら王家としての知識など何も持ってはいない。 これからが大変だと姫は笑いながら語っていた。
 その姫の笑顔を思い出して、クスッと笑ってしまう私。
 一時は何もかもを失ってしまった姫。 この再建に要した数年間は言葉に表せないくらい大変だっただろう。 あのとき――私と姫が別れるときに見せてくれた笑顔も、実は相当無理をして笑ってくれていたのは間違いない。 その彼女が、ごく自然な笑顔で笑う……これこそが、私の見たかった本当の笑顔だったのかもしれない。
 今まで苦労したぶん、彼女には幸せになってもらいたい。
 私は夜空を見つめながら、そう思った。
「あなた、いつまでもそうしてないで。 お食事が冷めてしまうわ」
 とルナ。
 見ると、彼女は頬をぷうと膨らませて怒っていた。 おもわず吹き出してしまう私。
「そうだな。 行こう」
 体を起こして立ち上がると、彼女の肩を抱いて、一週間だけ借りた家に向かった。


(了)