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メルヘンヴェール:第七話 親父
「ぜえ、ぜえ」
「おっ王子様!」
 私は今、ネプトゥーヌスの城の門をくぐったばかりのところにいる。
 そして、目の前にいるのはルナ。
「あれから一週間ずっと心配していたんですよ。 いったいどうされていたのですか!」
 そう言いながら、私の体をペタペタと触りまくるルナ。
「どこも、お怪我はされていないようですわね……」
 私はルナの手を掴み、彼女の行為を止めた。 そして視線だけで背後を示す。
「ルナ。 そこの門の前にいたガイコツはなんなんだ。 メチャメチャ強かったぞ」
 それを聞いて、私の肩越しに背後を覗き込むルナ。 すると彼女は目を見開いて口元を手で隠した。 彼女が見ているのは私が倒したガイコツの残骸だ。
「う、うそ。 信じられません。 まさかあれを……」
 そう言って、彼女が私に視線を戻す。
「あれは、お父様が設置したディアボルスという防衛システムです。 でもなぜあれを?」
「なぜもなにも、奴がいきなり襲いかかってきたんだ」
 首を傾げる彼女。
「お、おかしいですわね。 お父様の話では、あれは魔物以外には反応しないはずなのですが……」
「おぬしがヴェールという魔物だからだ」
「!」
 城の奥から、厚みのある男の声が聞こえた。
 声のする方向に体を向ける私とルナ。
 そこから姿を現したのは、白いケープに身を包んだ中年の男性だった。 外見的には私の父上と同い年くらいかもしれない。 もちろん神が人間とは比較にならないくらい長寿なのは言うまでもないが。
 そう、恐らく彼が――。
「お父様」
 ルナが男を見てそう言った。
 やはり、彼が海の神ネプトゥーヌスのようだ。
「ディアボルスを倒すとは……ルナの言葉も誇張というわけではないようだな」
 そう言いながら、ネプトゥーヌスはそのまま私の前に歩み寄り、そして私が身につけているケープ――地底の王から取り返したケープに視線を据えた。
「おまけに悪魔まで倒すとは……」
 なに?
「なぜそのことを?」
「王子よ。 わしはおぬしの全てを知っておる」
 全てを……?
 ルナに視線を向けると、彼女は目を白黒させていた。 どうやら彼女にも状況が掴めていないらしい。
「まあ立ち話もなんだ。 ルナ。 そして王子よ。 二人ともこちらへ」
 そう言って、再び奥へと戻っていくネプトゥーヌス。
 私とルナは一度顔を見合わせると、彼のあとについていった。


「どーだ王子よ、見事な鎧だろう。 すっげー高かったんだぞこれ!」
「……」
 私たちは今、和室と呼ばれる部屋にいる。 随分とこぢんまりした部屋で土足厳禁だが、なぜか妙に落ち着く雰囲気に包まれた部屋だ。 その部屋の奥には見たこともないようなズッシリとした一着の鎧が飾られており、ネプトゥーヌスがそれを自慢げに私に見せびらかしている。 見たことすらないものを自慢されても価値がよくわからないのだが。
 部屋に誘われたからには何か話をしてくれるのだろうと期待していたのだが、ネプトゥーヌスは何やらホレボレとした、ちょっとイッちゃってるような表情で鎧に釘付けになっているので、私はルナと話をすることにした。
「ルナ。 ムーメはどうした?」
「あの子は学校です」
 ガクッと肩を落とす私。 なんだか神世界らしくないところが微笑ましい。
「それより王子様、本当に一週間もどうされていたのですか。 地底の王は?」
 私の唇がやや重くなる。
 しばらく経ってから私はため息混じりに口を開いた。
「彼は亡くなった」
 案の定、驚きに目を見開くルナ。
「まさか、彼は不老不死ですよ。 その彼が亡くなるはず――」
 私は更にため息をついた。
「あのあと私は地底国に入り、地底の王に会った。 やはり彼がまとっていたケープは私のものだった。 そのケープを返してくれと頼んだところ、彼はケープを返す代わりに、ある条件を私に持ちかけてきた。 わしと契約をした悪魔を倒してくれ、とね」
「……それから?」
 ルナが僅かに身を乗り出して、私に話を促す。
 というか、その前に足が痛い。
 ネプトゥーヌスに和室の掟だと言われ、わざわざ正座をしていた私。 だが、この獣の足は正座をするには辛すぎる。 私は足をくずして、あぐらに変えた。 すると、それを見ていたルナもまた足を横にずらした。 実にエレガントだ。
「彼は、これ以上生きるのが辛いと洩らしていた。 わしと契約した悪魔を倒して、わしを楽にしてくれと、すがり付くようにして頼まれてね。 最初は迷った。 だが結局私は彼の願いを聞くことにした。 そして四日後、その悪魔が彼のもとにやってきたところを見計らって、私はその悪魔を倒した。 間もなく地底の王は一言 『ありがとう』 と言うと、彼の体は、まるで砂のようになって崩れ落ちた」
 私は少し間を置くと、やや上目遣いでルナを見た。
「私のしたことは、間違っていたかな……?」
 すると、ルナは小さく微笑み、両手で私の手を取ると、首を横に振った。
「王子様は、やっぱり素敵なお方です」
「ぬわーにが王子様だ。 よりにもよってヴェールなんぞ好きになりおって!」
 まさに一瞬の出来事だった。 いきなり横槍を入れてきたネプトゥーヌスはルナに顔面を殴られ部屋の隅まで吹っ飛ばされてしまった。 そしてルナはネプトゥーヌスご自慢の鎧のところへ行くと右手を持ち上げた。 その彼女の右手はバリバリという派手な放電を始め、そのまま鎧の前にかざした。
「うふふ、お父様――いくらお父様でも、言って良いことと悪いことがありますわよね?」
 鼻を押さえながら起きあがるネプトゥーヌス。 その彼の表情が一瞬にして青ざめたのは言うまでもない。 鼻血をたらしたままその場でひざまづき、何度も何度もルナに頭を下げる海の神ネプトゥーヌス。
「冗談です。 ごめんなさい。 もう言いません。 ごめんなさい」
 な、情けない……これがルナの父親で、泣く子も黙る海の神なのか……。


 数分後、ひとまず落ち着いた私たち。
「王子よ。 わしの身内が揃いも揃って世話になったようだな。 礼を言うぞ」
 ……あの姿を見てしまったせいか、彼の言葉に迫力が感じられなくなってしまった。
「しかしトモリの奴め」
 頬杖を突きながら口を尖らせるネプトゥーヌス。
「妹さがしを他人に任せるとは、まったくなんという奴だ。 大神の命を退けて月の神の座を拒むわ、ルポライターを名目に無断で下界を行き来するわ、最近の若者には本当に困ったものだな。 少しお灸をすえてやらねばならんようだ」
 月の神?
 そうか、もともとはヤン・トモリが月の神として座につくはずだったのか。 ところがヤン・トモリがそれを拒んだために、妹のルナに白羽の矢が当たったと、こういうわけだな。 月の神ヤン……月の神やーん。 しっくりこないな。 やっぱり月の女神ルナだろう。
「おやめください、お父様」
 ルナが困った表情でネプトゥーヌスに訴える。
「お兄様は王子様のためにムーメの捜索を委ねてくださったのですわ。 それに、お兄様が作ったお薬があったからこそムーメを助けることができたんです。 確かに兄としては不甲斐ない点も多々ありますが、ああ見えて、お兄様はとても他人想いなんです」
 私もルナに同意見だ。
 ヤン・トモリは確かに掴み所のない男ではあるが、根はいい奴である。
 間もなくルナが、私に視線を向けて微笑んだ。
「もちろん王子様には、お兄様が期待していたような下心が一つもなかったことだけは付け加えさせていただきますわ」
 ルナのその言葉を最後に、しばらく部屋の中は沈黙に包まれた。
 やっと経ってから口を開くネプトゥーヌス。
「わかっておるよ。 わしにはなにもかも」
「……?」
 最初に会ったときから、何やら意味深な言葉を洩らすことが多いネプトゥーヌス。 いい加減に知りたくなってきたので、私は彼に尋ねた。
「あなたは先刻から、私のすべてを知っていると言う。 いったい、どういう意味だ?」
「意味もなにも、わしはおぬしの全てを見ておる。 おぬし自身が知らぬことまでもな」
「――ストーカーか!」
「ちがーう!」
 互いに両手をテーブルに叩きつける私たち。
 だが、ネプトゥーヌスはすぐに姿勢を戻すと、ため息混じりに続けた。
「ルナやムーメがおぬしを好いておらんかったら興味も湧かんかったわ。 もちろんフェリクスの外に逃げ出したヴェールということで捕まえようとはするかもしれんがのう」
 私が例によって反論しようとしたら、ネプトゥーヌスは手をあげて私の言葉を遮った。
「わかっておるから、しばらく黙って聞け」
 すると、ネプトゥーヌスは突然右手を挙げて指をパチンと鳴らした。 その途端、部屋の中に 『ヴーーーー』 という唸りが鳴り始め、明るい日が射しこんでいる窓には暗幕が、そして壁際の天井からは白くて巨大な板がゆっくりと降りてきた。
 しばらくすると、部屋の中はすっかり暗くなった。
 そう思った次の瞬間、あまりの驚きに、私は飛び上がってしまった。
 壁際に降りてきた白い板が全体的に光ったかと思うと、そこに私の姿が浮かび上がったのだ。 これは、私が湖の国の城にいた頃の姿だろう。 しかし絵画にしてはリアルすぎるような気が……というか。
「な、なんだこれは、絵が動いてるぞ?」
「遠く離れた場所を水晶玉に映し出す千里眼の魔法は知ってるだろう。 これはそいつを応用して壁に大きく映し出せるようにしたホームシアターという魔法の一種だ。 別に驚くほどのものじゃない」
 ……なるほど。
「だが、ひとつだけ千里眼と違う点がある。 こいつは時の女神ホーラが手を加えた特別製でな、好みの場所だけでなく、好みの時まで映し出すことができるようになっておる」
 そして、私の姿が映し出された板に顔を向けるネプトゥーヌス。
 すごい魔法だ。 ネプトゥーヌスの言うことが本当だとすれば、これは私の過去の姿ということになる。 神というのも伊達じゃないということか。
 ルナの方をチラリと見ると、彼女は胸元で両手を組んで、なにやら目を輝かせながら動く絵を眺めていた。
「ここだ王子。 よく見ておれ」
 ネプトゥーヌスに言われ、私もその動く絵に視線を向ける。
「――っ!」
 城の中を歩いていた私が、突然フラフラとよろめき、額を手で押さえたかと思うと、そのまま廊下の壁に寄りかかって崩れるようにして倒れてしまった――思い出したぞ! このときを最後に私の記憶はなくなり、気づいたときには世界の果てにいたのだ。 このとき、私は突然なぜか強烈な眠気に襲われ、耐えることができずに壁に寄りかかった。
 更にそのまま見ていると、何やら薄茶色のコートを身にまとった人物が横から現れた。 その人物は、倒れた私の前にしゃがみ込むと、間もなく――私の姿になった。
 奴が魔法使いか!
「ちょっと早送りするぞ」
 ネプトゥーヌスはそう言うと、右手をクイと動かした。 すると絵の動きが突然早くなり、しばらく経ってから再び元の速度に戻った。
 ここは――城の屋上だな。 床に寝ている私を見下ろしている私、つまり魔法使いが、なにやら私に片手を向けて、もごもごと何かを呟いている。 すると、間もなくして私の姿はフワリと浮き上がり、とんでもない初速度で空のかなたへと飛んでいってしまった。
 次に映し出されたのは、空を飛ばされている最中の私だった。
 あ、ここは先刻通ってきた迷宮だな。 更に飛ばされると、私はマントを落とし、王冠を落とし、次々と身ぐるみが脱がされていった。
 おいおいおい!
 私が慌てふためく間もなく、私はスッポンポンになっていた。 もちろん下半身はまだ人間の姿のままだ。 当然、丸見え……。
 為す術もなく言葉を失う私。 ルナを見ると、彼女は両手で顔を覆っていたが、あるものが映るたびに反応しているので、見ていないふりをして実は見ているようだ……ちょっと洒落にならないぞネプトゥーヌスよ。
「ルナよ。 間もなく王子が死ぬ。 この先は見ぬ方がよいぞ」
 ネプトゥーヌスに言われてルナはビクリと飛び上がった。 ルナはしばらく迷ったあげく、顔を背けて目をぎゅっと瞑った。
 私は息をのんで、再び絵を見た。
 ――あれは、私が目を覚ました世界の果て。 太陽の神殿と、ルナの月も見えている。 その地はものすごい速さで接近し、そして間もなく絵の視点が変わった。 絵は、落ちてくる私の姿を捉え、そしてついに地面に到達すると、私の体は血や贓物を派手に撒き散らしながらバラバラに砕けていった。
 あれが……あれが私なのか。
 地面に散らばる無数の肉片。 潰れた頭。 あまりのおぞましさに吐き気が込み上げる。
 ルナが見なかったのは正解だ。 もしこれを見ていたら卒倒するだろう。
 しばらくすると、その無惨な私の肉片は次第に薄くなり、そしてついに消えてしまった。 まるで何事もなかったかのように元の姿を現す地面。 アルミラの腕輪とアキナケス、そして私が落ちたときについた地面の窪みだけが寂しく残されていた。
「……」
 そこで絵は消えて、ただ白く光るだけの板に戻った。
 指を鳴らす音が聞こえると、低い唸りとともに室内に明かりが戻りはじめた。 暗幕が開き、白い板は再び天井に吸い込まれていった。
「ここから約二ヶ月後、おぬしはヴェールとして蘇る」
 ネプトゥーヌスが私の方を向く。
「これが、おぬしの身に起きた全容だ」
「……」
 私は今、なぜ死に至ったのかという事実よりも、この目で自らの死の瞬間を見てしまったことへのショックが大きく、しばらく自失していた。
 そんな私に構わず、話を続けるネプトゥーヌス。
「おぬしを殺した魔法使いは、おぬしがヴェールとして蘇る可能性を恐れたのだろう。 もちろん、デキちゃった結婚ならば別だがな」
 ネプトゥーヌスの顔面にルナの拳がめり込む……もうこの光景にも慣れた。
 ルナの拳が離れると、ネプトゥーヌスは涙目で鼻を押さえながら続けた。
「おぬしがたとえヴェールとして蘇っても、世界の果てに飛ばしてしまえばフェリクスに戻ることはないと魔法使いは考えたのだ。 ここまで来たおぬしにとって、この世界が神の力なくして辿り着けるほど生易しいところではないことくらい、わかっておるな」
 長い沈黙。 誰も一言も喋らない。
 私はしばらく経ってから、ネプトゥーヌスに尋ねた。
「しかし、なぜあなたは私の過去を? あなたはヴェールを、その……」
 一度腰を浮かせて座り直すネプトゥーヌス。
「そう、わしは大神の命によりフェリクスより逃げ出したヴェールを捉え、この手で罰さなければならぬ立場におる。 たとえそれが娘のムーメを救ってくれた命の恩人であってもだ。 情けをかけることは許されぬのでな。 だが――」
 と言って、ルナに目をやるネプトゥーヌス。
「ルナやムーメが、おぬしがフェリクスから逃げ出したヴェールではないと言うならば、それを確かめるのは、わしの立場としては至極当然のことだ」
「ネプトゥーヌスよ。 ひとつ聞いてもよいか?」
 私に向き直るネプトゥーヌス。
「なんだ」
「なぜフェリクスを出たヴェールは罰を受けねばならぬのだ。 恋が実る前に亡くなった者がヴェールとして蘇るというのは私も知っている。 だが――」
「ヴェールの正体は童貞、もしくは処女じゃないかということか?」
 ネプトゥーヌスもルナに殴られるのを知ってて、わざと言っているのかもしれない。 殴られたあと微妙に嬉しそうな顔を見せるネプトゥーヌス……マゾじゃないだろうな。
「……とにかくなぜだ。 なぜ恋が実らなかった者がヴェールとして蘇る。 フェリクスにおけるヴェールの使命とはいったいなんだ?」
「質問はひとつではなかったのか?」
「……」
 私も一瞬、殴りたい気分に襲われた。
「そんな目をするな、冗談だって。 おぬしは女神ルアの名を聞いたことはあるか?」
 ルア?
 知らないので首を横に振る。
「またあなたの娘か?」
「バカ者」
 ネプトゥーヌスは気まずそうに咳払いをすると続けた。
「弔いの女神ルア。 彼女はフェリクスの戦場で流された血を清めて償う女神だ」
「ヴェールとの関係は?」
「ヴェールとして蘇った者たちは、フェリクスの戦場で傷ついた者たちのために尽力しなければならないという義務が課せられておる。 つまりヴェールは皆ルアに仕えて、その義務を全うしなければならないのだ」
 疑問だ。 それを口にするとネプトゥーヌスは答えた。
「人として蘇るためだ。 義務を尽くし、ルアに認められれば、ヴェールは再び人間として生まれ変わることができる」
「一度ヴェールになった者が再び人間として生まれ変わる?」
 うなづくネプトゥーヌス。
「つまり人生のリベンジのチャンスを与えておるのかもしれんな。 幸せになりたかったら、まずは人のために尽くせと。 もちろん一度実った恋でも壊れてしまえばヴェール街道まっしぐらだが」
「待ってくれ、おかしいぞ。 幸せの形など人それぞれだろう。 中には恋を幸せと感じない者もいるはずだ。 人生をリベンジしたいかどうかなんて個人の自由意志ではないか。 当然ルアに仕えるかどうかも本人の自由であるべきだ。 フェリクスの外に出たくらいで罪にされたらたまらない」
「わしに言われても知らんよ。とにかくこの件についてはヴェールに決定権はない。 フェリクスにいないということはルアのもとから逃げ出して、課せられた義務を放棄したものとみなされるのだ。 そして罪が認められれば、もはや人間として蘇ることさえも敵わない。 永遠の罰を受けるのみなのだ」
 私は両手でテーブルを強く叩いた。
「どうかしている! それはあまりにも理不尽すぎやしないかネプトゥーヌスよ! なにがヴェールだ。 なにが義務だ。 心清く、しかしモテない者はヴェールとしての呪われた苦しみを味わい続け、逆に心は醜いがモテる者は苦しむことなく死を待つことができる。 あなたはそう言いたいのか!」
 ネプトゥーヌスが鼻を鳴らす。
「言っておくが経験済みのヴェールもいる。 逆に幼子のヴェールはほとんど見たことがない。 こうは考えられぬだろうか? そもそもヴェールとして蘇ること自体が恋に関する何らかの罪を犯した事の表れ。 たとえば偽りの恋。 偽りは他人の人生を大きく狂わせる重い罪とされておる」
「!」
「罪であれば償いとしてルアに仕えるのも納得がいくだろう。 神判は未来も判断材料となる。 たとえば、おぬしの死によってパートナーが多大な苦労を被ったり、それこそ寝取られるなど……そう考えると今のおぬしは大悪党かもしれぬな」
「……っ」
 ぐうの音も出ない。
 一言一言がナイフのように容赦なく突き刺さる。
「逆にヴェールは被害者側で、やり残したことを遂げる機会を与えられておるのかもしれん。 とにかくヴェールとしてよみがえる条件は単純ではない。 まあ、どのような形にせよ恋が不成立というのは共通条件にはなっておるようだがの」
「……」
 私が言葉を失っていると、ネプトゥーヌスは落ち着いた声で続けた。
「しかしな、今のおぬしはもっと大きな問題を抱えておる」
「……まだあるのか」
「こちらの方が重大だ。 よく聞け王子よ。 ヴェールの一族には決して犯してはならない厳しい掟がある。 よいか。 おまえたちはたとえどのような時と場合でも、他の者に血を流させてはならぬのだ。 それがたとえ魔物や悪魔であってもだ」
「――っ!」
「この掟を犯したヴェールもまた同様、永遠に人には戻れぬ。 おぬしが考えておるより事は重大なのだ」
「……」
 再び沈黙。
 一〇秒ほど経ってから、ネプトゥーヌスが静かな声で言った。
「一応言っておくと、この先の海を越えれば、そこはもうフェリクスだ……おぬしがフェリクスに帰らんとする事情はわしもよく知っておる。 だが、フェリクスにおいてルアの目を逃れることは絶対にできぬ。 彼女はヴェールの監視だけでなく、死して生まれたばかりのヴェールを捕まえるため常にフェリクス全土にセンサーを張っているのだ。 ルアに見つかれば、おぬしは果てしなく辛い日々を送らなければならんのだぞ」
「……」
「ここにいる今ならばまだ間に合う。 王子よ。 おぬしがフェリクスに帰らぬというならば、わしは、いや、わしらは一生おぬしをかくまいルアの目から逃してやると約束をしよう。 だから」
 私は、鼻で強くため息をついた。
 言葉を止めるネプトゥーヌス。
 ――もう、いいかげんにしてくれ!
「ありがとうネプトゥーヌスよ。 あなたやご家族の心遣いは痛み入る。 しかし私はもはや人間に戻ろうなどとは考えていない。 事情はどうであれ一度は本当に死んだのだからな。 だが、その忌まわしきヴェールの使命とやらにも従う気はない」
「おぬし……っ!」
 私はネプトゥーヌスを睨み付けた。
「私にはやらなければならぬことがあるのだ。 悪いがフェリクスに帰らせてもらう」
 すると、ネプトゥーヌスもまた、私の目を見て睨んだ。
「なるほど、神をも恐れぬ愚か者といったところか。 それも、このわしの目の前で」
「……」
「あ、あの、あの、やだ、二人とも落ち着いて……」
 と、あわあわしながら両手をふらつかせるルナ。 彼女が心配そうな面もちで私とネプトゥーヌスを交互に見ている様子が視界の傍らに見えている。
 ところが、私たちが睨み合ってから十数秒後、ネプトゥーヌスは突然クックッと小さく笑っいだした。 そして、その笑いは次第にエスカレートして終いには大笑いをする。
「はーっはっは! こりゃおかしい!」
「……?」
 ネプトゥーヌスは笑いながらルナを見た。
「ルナよ。 男嫌いだったおまえが心変わりした理由がよくわかったぞ。 まさかこのわしに喧嘩を売ろうとは。 本当に骨のある奴を見つけたな。 こやつの揺らがぬ信念、実に気に入った! これならば跡取りとしても申し分ない!」
 ネプトゥーヌスの変貌ぶりに、私とルナは顔を見合わせて目を白黒させた。
 間もなくニヤッと笑った彼が私に向く。
「よかろうフェリクスの王子よ。 わしに何ができるのかはわからん。 だがおぬしにできる限りの協力をすると約束しよう」
 ネプトゥーヌスが私に協力?
 ルナに顔を向けると、彼女は優しくうなづいた。
「よいか、王子よ」
 とネプトゥーヌス。
「おぬしはこれから神々の審判を受けることになるやもしれぬ。 一応ルアには掛け合ってみるつもりだが、正直可能性は低い。 もしものことがあっても覚悟はあるな?」
 私は毅然とした態度で顔を引き締めた。
「もちろんだ。 わずかな可能性に賭ける」
 それを聞いて、ネプトゥーヌスもうなづいた。
「ところでネプトゥーヌスよ。 あなたの跡を継ぐかどうかは約束できないぞ。 なんたって私は罪深きヴェールだからな」
「構わぬよ。 こやつを幸せにしてくれるならばわしは何も望まぬ。 なんたって、わしは神である前に一人の父親だからな」
 そう言って、ルナの頭をグシグシと撫でるネプトゥーヌス。 ルナがあっあっと言いながらその頭を押さえようとする。
 それから彼は二、三度笑ったあと、表情を引き締めた。
「さて、笑うのはここまでだ王子よ。 まずはどうする。 証言者をかき集めるか?」
「ふむ」

 どうする、か――。