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メルヘンヴェール:第六話 氷の少女
「お姉さま。 あなたは彼のいったいなんなの?」
「な、なんだっていいでしょう。 もういい加減になさい。 王子様に失礼でしょ!」
「なによ! なにが王子様よ! お姉さまだからって威張らないでよね!」
 ルナは腕組みをして、目の前にいる金髪の少女――ムーメに鋭い視線を送った。
「あなた、目上の者に対する態度がなっていないようですわね」
「……はあーん」
 間もなくムーメは、いやらしく笑った。
「年功序列を語るようになったら、お姉さまも、お歳よねぇ……ふふ」
「んなっ!」 ルナの顔が紅潮する。 「なあんですってえ!」
 どうやらルナの逆鱗に触れてしまったらしい。
 ついに、ルナとムーメの取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。
「もう一度言ってみなさいよ!」
「何度でも言ってあげるわ、オバハン!」
「おばっ……わたしはまだ未成年です!」
「なにが未成年よ、二千歳間近のオバハンじゃないのよ!」
「きいいいいい! 洗濯板のくせに!」
 彼女たちは罵声をぶつけ合いながら、互いに相手の口に親指を突っ込んで左右にムニムニと引っ張り合った。 恐ろしい……これが女同士の戦いというやつなのか。 なんて陰湿なのだ。
 いや脅えている場合ではない。 とにかく彼女たちを早く止めなければ。
 私は彼女たちの間に割って入ると、二人を無理矢理引き離した。
「いい加減にするんだ君たち」
 まずはルナに顔を向ける。
「ルナ、少し大人げないぞ」
 ビクリとするルナ。 彼女は一瞬何かを訴えようとしたが、言葉を飲んでしおらしくなった。
「……ごめんなさい」
「やーい、怒られた」
「ムーメ、君もだ」
 はやし立てるムーメに私はやや怒った表情で顔を向けた。
「ルナは君の姉上である前に、大神によって選任された女神なのだから、少しくらいは敬意を払うべきではないか?」
 すると、ムーメもまた 「はう」 という顔をして、間もなくやや下を向いた。 言い過ぎたとは思えないが、彼女は少し目に涙を浮かべて愚図っている。 そして口を尖らせながら。
「申しわけ御座いませんでした……」
 二人に聞こえないよう小さなため息をつく私。 二人とも素直に大人しくなってくれて良かった。 B級の創作物では、ここで仲介した人間が逆に殴られ二人から嫌われるという理不尽な展開になるのだが、そうはならなかったようで一安心だ。
 そもそも、なぜこんな展開になったのか。

 十数分前。
 ヤン・トモリの家を後にした私とルナは、この広大な氷山を半日歩き続け、ついに氷山に閉じこめられたネプトゥーヌスの娘であるミノス・ムーメを発見した。
 話はちょっとそれるが、私はヤン・トモリにもらったマントを羽織っている。 もちろん、このマントには空調魔法とかいうものが掛けられているので、この極寒の地を歩いていても、まるで暖炉のきいた部屋の中にいるような暖かさだ。
 話を戻そう。
 ミノス・ムーメは氷山の中で動いていた。 どうやら中は洞窟のようになっていて、歩き回る程度の広さはあるらしい。 同じく私たちの存在に気づいたムーメは、中から氷をドンドンと叩いて泣き始めた。 しかし氷が厚すぎるのだろう。 彼女の声はまったく聞こえない。
「かわいそうに……王子様、彼女を早く出してあげましょう」
「そうだな」
 私は、ヤン・トモリからもらった氷を溶かす薬を巾着から取り出すと、蓋を開けて中身を氷山の壁にかけた。 すると、薬のかかった場所は途端にジュウジュウと音を出しながら湯気を出しはじめ、みるみるうちにその範囲を拡げていった。 そして僅か一分足らずでムーメのいる向こう側まで到達し、間もなく氷の溶ける速度が弱まるとついに止まった。
 本気で驚いた。 なんて凄い薬なんだ。 彼は天才だな。
「わああああああん!」
 氷山の中から、ピンク色の洋服をまとった金髪ウェーブの少女が、大泣きしながら飛び出してきた。 そして彼女はそのまま私に抱きつくと、胸の中で目一杯叫んだ。
「恐かったよお! 恐かったよお!」
 私はルナに顔を向けると、互いにクスッと微笑んだ。 そして、私もまたムーメの体をそっと抱いて包容し、彼女の頭を優しく撫でた。 その状態が二分くらい続いた後、ムーメは次第に落ち着きを取り戻しはじめたので、私たちは体をゆっくりと離した。
 そして、彼女の目を見る。 涙で頬が濡れている。 よほど恐かったのだろう。
「怪我はなかったかい?」
「……」
「?」
 ムーメは私の目を見つめたまま固まっている。 そうか……私の頭の角を見て私が人間でないことがわかったんだな。 だが、正直もう慣れた。 相手は子供だし反論する気もない。 だから私はあえて笑顔を絶やさなかった。
 しかし、私のその考えは見事に外れていた。
「かっこいいかも……」
「は?」
 私を見つめたまま、頬を染め、ついに目を輝かせはじめるムーメ。
 こ、この反応はまさか。
 私が彼女の異変に気づいて間もなく、ムーメは私にガバッと抱きついてきた。
「はわっ」
「やっと運命の人を見つけた! わたしのおムコさんになってください!」
「えーっ!」
 慌ててルナに目をやる私。 もはや条件反射だ。
 案の定、ルナの目に怒りの炎がゴウゴウと……ま、待てルナ。 相手は子供だぞ!
 遅かった。 ルナは私とムーメの間に割って入ると、私たちを無理矢理引きはがした。
 ムーメは一瞬よろけた後、ルナをキッと睨み付けた。
「誰よあなた、邪魔しないで」
「ムーメ。 わたしは月の女神ルナ。 あなたの姉です」
「姉……?」
 ルナの言葉を聞いてしばらく固まっていたが、次第にムーメの瞳は大きくなってきた。
「あ、あなたがルナお姉さま?」
 コクリとうなづくルナ。 だがその表情は決して笑っていない。
「トモリお兄様にあなたのことを聞いて、王子様と二人であなたを助けに来たのです」
「え、お兄ちゃんから?」
 お、お兄ちゃんだって。 悪くないな。 一度でいいからそう呼ばれてみたい。 生憎私は一人っ子なので、そう呼んでくれる者はいないのだが。 いや、たとえいたとしてもお兄様か兄上が関の山だろう、はは……。
「お父様があなたのことを心配しておられるようです。 はやく帰っておあげなさい」
 すると、ムーメはニコッと笑った。
「それじゃ一緒に行きましょ。 彼をお父様に紹介するの」
 そう言って、私に近づこうとするムーメ。 だがルナがそれを遮った。
「……なに?」
「わたしたちは忙しいのです。 あなた一人でお帰りなさい」
 当然ながら、ムスッとするムーメ。
 ハラハラしながら二人のやりとりを黙ってみている私。 口を挟む隙間がまったくない。
「どこか行くの? だったらわたしも行く」
「ダメよ」
 そして、ルナとムーメの間に強烈なスパークがほとばしる――。

 ――と、こういうわけだ。
 正直、割と強引なところは二人ともよく似ている。 きっと父親譲りなんだな。
 というか、歴とした神の血筋を持つ二人に――それどころか、ルナに至っては現役の女神に説教をたれるとは、私とはいったい何様なのだろう。 私の父上が知ったら心臓発作で倒れるかもしれないな。
 それはそれとして、とりあえず私が二人をなだめたおかげで二人とも今は落ち着いている様子だ。 いや、二人とも少ししょげているか?  両極端な少女たちだ……。
「ムーメよ、悪く思わないでくれ。 ルナの言うことは本当なんだ。 私はある事情により一刻も早くフェリクスに帰らねばならない。 だが、まだそのときではない。 まずは我が国から正式に王子としての立場を認めてもらうため、この身分を証明するものを探さなくてはならないのだ」
 そう。 まずは生まれ故郷の湖の国へ行き、父上に会って、森の国を占領している魔物を退治するための兵を用意してもらう。 だが、私の身分が認められなければ父上に会うことさえ難しいだろう。 だから王家の品を探している。
 ヤン・トモリの情報によると、数ヶ月ほど前、このあたりに王家の紋章のついた品の良さそうな洋服やら何やらが点々と落ちていたらしい。 しかし不気味に感じたのだろう。 彼はそれらを拾わなかったらしく、今では、それらもどこへ行ったのか判らないらしい。 だが、私が無くしたものに恐らく間違いないだろうと彼は言っていた。
 ムーメが顔を上げる。
「フェリクスに帰る? そういえばお姉さまが、あなたのことを王子様と……」
 うなづく私。
「私はフェリクスの王子だ。 いや、王子だったというべきかもしれないが」
 私は、今までの経緯をムーメに話した。
 すると、ムーメは目を潤ませて、こう言った。
「かわいそうな王子様……その魔法使い、許せませんわ」
 母親は違っても、やはり血の繋がった姉妹だ、よく似ている。
「そういえば、君の父君は、私のようなヴェールを酷く嫌っているらしいね」
 すると、意外なことに彼女は首を横に振った。
「フェリクスから逃げ出したヴェールを、ですわ。 ヴェール族みなを嫌っているというわけではありません。 王子様は自らの意志でこの世界に来たのではないのですから、お父様を恐れる必要はありませんわ」
 ムーメの話を聞いて、私は思わず嬉しさが顔に出てしまった。
「ならば話は早い。 一刻も早く私の身を証明するものを探さなくては」
「あ」
 ムーメはただ一言そう呟くと、ゆっくりと立ち上がり、なんと出てきたばかりの氷山の中へと向かって歩き出した。
「お、おい!」
「大丈夫です。 ちょっと待っていてください」
 彼女が氷山に入ったかと思うと、すぐに出てきた。
 おや? 彼女が両手で持っているのものは……。
「あっ!」
 私は思わず指をさして叫んでしまった。 ルナが慌てて私に顔を向ける。
 ムーメはそれを持って私の前に立つと、その光り輝くものを私に見せた。
「ここに来る途中で偶然拾った王冠なのですが、これはやはり?」
 私は彼女から王冠を受け取ると、それを眺めた。 王冠の内側に付いた独特の傷――これは、私がイニシャルを彫ろうとして失敗に終わった痕、まさにそれだった。
「私の王冠だ。 間違いない。 こんなところに落ちていたのか……ありがとうムーメよ」
 すると、ムーメはもじもじとして、嬉しそうに微笑んだ。
 そしてムーメがチラリとルナを見る。 一瞬鼻で笑ったように見えた。 途端にルナの目つきが険しくなる。 まだやってるのか、この二人は……。
「しかし……だとすると、私は言葉通り飛ばされたようだな。 飛ばされている最中に、身につけていたものが次々と剥がれ落ちて、このあたりに落ちたようだ。 世界の果てで気づいたときには一糸まとわぬ状態だったから、恐らく着ていたものも一つ残らず脱げてしまったのだろう」
「一糸まとわぬ……」
 ムーメがそう呟くと、ムーメとルナの二人は空をポカーンと見上げて、二人して何やらニヘラと薄笑いを浮かべながら頬を染めた。 そして、その紅潮を隠すかのように、揃いも揃って両手で頬を隠す仕草をする。
 変な想像するなよな……。
 私がわざとらしく咳払いをすると、二人は慌てて視線を落とし、目を泳がせた。
「とにかくこれで二点。 ディーバからあずかったエンブレムと、ムーメが見つけてくれたこの王冠。 だが、この二点だけではまだ身分証明としては弱いな……あともう一点くらい何かあると申し分ないのだが、しかしそう簡単に見つかるとも思えないし」
「その剣と腕輪は証明にはなりませんか?」
 とルナ。
「これは王家の品というわけではないからな。 父上や姫にしかわかるまい」
「あ、もしかして……」
 再び意味深な言葉を発するムーメ。
「ん、何か心当たりがあるのかい?」
 私がそう尋ねると、ムーメは自信無さそうに言った。
「あ……いえ、わたしの見間違いかもしれないのですが、確か最近、地底の王がフェリクスの王家の紋章をつけたケープを身にまとっていたような気が」
「地底の王?」
 コクリとうなづくムーメ。
「彼が羽織るには随分と小さなケープだったので、正直おかしいなとは思っていたのですが、あのケープはもしかしたら王子様が落としたもののうちの一つではないかと思いまして」
「ほう」 顎を掴む私。 「なるほど、それは一度会って確かめてみる必要があるな。 もしもそのケープが私のものであれば是非とも返してもらいたい……ところで地底の王とは初めて聞くな。 それも神の一人なのか?」
「さあ……少なくとも神ではありませんが、わたし、あの人嫌いなのでよくわかりません」
 そのとき、ルナが横から口を挟んだ。
「地底の王は、フェリクスを追いやられてこの世界に勝手に住み着いた人間ですわ」
「人間だって?」
 コクリとうなづくルナ。
「人間年齢の八〇歳を超えてから悪魔と契約をし、紛い物の不老不死を手に入れた老人です。 三千年も前からこの地に住み、そして勝手に地底世界を支配した愚か者で、正直なところ神々も彼の存在には困り果てている状態なんです。 まあ、地底ならば放っておいても害はないので無視されていますけどね」
「そうか」
 再び顎を掴んで、小さくため息をつく私。
 地底の王。 フェリクスを追いやられた人間。 そして悪魔と契約をした不老不死。
 ――ちょっと厄介だな。 フェリクスを追いやられたということはフェリクスを少なからず恨んでいる可能性がある。 ましてや私はフェリクスの王家の人間。 もし地底の王が身につけているケープが私のものであったとしても、それを素直に返してくれるとは思えない。
 しかし、だからと言って、ここで指をくわえていても意味がない。
 やはり、地底の王に会ってみよう。
 私はムーメとルナの顔を交互に見て、二人に尋ねた。
「地底の王はどこにいる?」
 すると、ルナは小首を傾げた。 どうやら知らないらしい。
 答えたのはムーメだった。
「ここを南に行ったところに流れの速い海域があるんです。 そこに地底国への入り口があるのですが、その地底国に住む魔物はとてもどう猛なので……」
「危険は承知の上だよ」
 私はムーメにそう言うと、二人に対してニコッと笑ってみせた。
「地底国へは私一人で行く。 悪いがルナは、ムーメをネプトゥーヌスのところへ送り届けてあげてくれないか」
「そんなっ!」
 ルナが叫ぶ。
「危険ですわ王子様。 わたしも同行致します」
「危険だから、なおさら君を連れて行くわけにはいかない。 君は女神だろう。 つまり悪魔と契約をしている地底の王は、君にとってまさに天敵だ。 みすみすそんな危険なところに君を連れて行くわけにはいかない」
 すると、ルナは涙を浮かべはじめた。 本当に涙腺の弱い子だ。
「でも……」
「大丈夫。 どうしてもヤバイと思ったら、ケープを諦めて素直に海の神のところへ向かう。 だから君は一足先にネプトゥーヌスのところへ行って事情を説明しておいてくれないか」
「……」
 なかなかうなづいてくれないルナ。
 私はルナの前に歩み寄ると、彼女の顎にそっと触れて唇を少し開かせた。 彼女は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに上向き加減になって目を閉じた。 私は彼女に顔を近づけると、そのふっくらとした唇に軽い口吻をした。
 そして、数秒後に離れる私たち。
「私を信じて」
 しばらくして、ルナはぼんやりと目を開けると、やっとのことで小さくうなづいた。
「……絶対に、ご無理はなさらないでくださいね」
 私は力強くガッツポーズを見せた。
「ああ」
 続けて、私はムーメに顔を向けた。
「それじゃムーメ……うっ!」
 目を閉じて唇を前に突きだしているムーメ。 彼女はいつの間にか私の目の前にいた。
 ヤン・トモリの言う通り、彼女は確かにイケイケらしい。
 本気で困った私はルナに顔を向けた。 するとルナはクスッと小さく吹き出し、何も言わず自らの額をトントンと人差し指で叩いた。 なるほど、確かにそれが最も無難なようだ。
 私はムーメの額に手を当てて彼女の前髪を上げると、額に軽くキスをした。
 すると、嬉しそうに目を開けるムーメ。
「やっぱダメかあ」
 そう言うと、ムーメは私から離れ、ルナの横に立った。
「お姉ちゃんのカレシじゃ仕方ないよねー」
「こ、こら!」
 慌ててムーメの口を塞ぐルナ。 じたばたと暴れるムーメ。

 それから私たち三人は南へ向かい、氷山を抜けて海域に出ると、そこで二手に分かれた。 ルナとムーメは更に南へ。 そして私は東の海流へ――。