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メルヘンヴェール:第三話 闇の向こう
「はあっ、はあっ、げほっ!」
 崖っぷちで前屈みになり、息を切らせている私。
 間もなくギアスに追いつかれるといったところで、私は猫じゃらしを崖に向かって力一杯放り投げた。 するとギアスはためらうことなく大ジャンプ。 猫じゃらしに飛び付き、そのまま崖の下へと落ちていった。 途中、岸壁に派手に衝突しながら落ちていったので、もし奴が死んでいなかったとしても、無傷ということはあるまい。
 ――うまくいった。 信じられないほどうまくいった。
 うまくいったが、本当に死ぬかと思った。
 歯がガチガチと音を出し、全身が微震を続ける。
「な、なんという恐ろしいところなのだ。 早くフェリクスへ帰りたい」
「王子様あー!」
 背後からルナの呼び声が聞こえた。
 振り返ると、彼女が一生懸命走ってくるのが見えた。
 ううむ、まずいな。 こんな震えているところを見られたくはない。 私は一度深呼吸をすると無理に冷静を装った。 そして間もなく彼女が私の前に立つ。
「はあはあ、お怪我はありませんでしたか王子様!」
 息を切らせながら目に涙を浮かべて私に尋ねてくるルナ。
「ああ何ともないよ。 これで通れるようになったな」
「王子様!」
「あわっ」
 突然飛び付いてくるルナ。 背後は崖だ。 私は慌てて体を回転させ、抱きついているルナを半回転させたあと、私を下にしてその場に倒れた。 ちょっと痛い。
「ル、ルナ?」
「あ、王子様……こんなに体が震えて……」
 私の耳元でそう呟くと、更に強く抱きしめてくる彼女。
 体の震えがバレてしまった。 しかたないので開き直る私。
「はは、正直ちょっと怖かった。 心の準備をする前にギアスが反応してしまってね」
「ご無理はなさらないでください。 あなたにもしものことがあったら、わたし……」
 そのまま黙ってしまう彼女。 私は彼女の頭に手を添えた。
「ありがとう、ルナ」
 そのとき。
「ヴェール?」
「!」
 ルナとは違う、誰か別の女性の声が聞こえた。 ルナもそれに気づいてピクッと反応する。 私たちは倒れた姿勢のまま声のする方、頭上に顔を向けた。 そこには、三人の美しい女性が立っていた。 いや少女と言うべきだろうか、見た目で判断するのが難しい年頃だ。 そして、よく見ると三人とも背中に羽が生えている。
 ――彼女たちは精霊?
「あ、あの、ごめんなさい、お邪魔でしたね!」
 精霊の一人がそう発言したことで私とルナは我に返り、二人して飛び退くようにして体を離すと、彼女と背向かいに座った。
「べ、別に邪魔ではない。 それで?」
「ありがとうヴェール。 あなたがギアスを倒してくださったおかげで、わたしたちも再び自由に空を舞うことができるようになりました」
「へ?」
「ギアスが居座ってしまったせいでこの岩場から動けなくなってしまったのです。 本当にありがとうヴェール」
「心から礼を申し上げます、ヴェール」
 ヴェール?
 私は背向かいのルナに顔を近づけて小声で話した。
「精霊というのは変わった口癖なんだな」
「おかしいですわね、このような口癖は聞いたことがありませんけど……」
 私は気を取り直して、精霊たちに向き直った。
「私は、この岩山を通るためにギアスを倒したまでだ。 だから礼には及ばないよ」
 三人の精霊はクスッと微笑んだ。
 間もなく、精霊の一人がルナに視線を向ける。
「そちらの方は……あ? ル、ルナ様?」
 突然そう叫ぶなり、あとの二人も慌ててルナに顔を向けた。
 すると、それに反応するかのようにスクッと立ち上がるルナ。
 彼女は服を軽く叩いて砂埃を落とすと精霊たちに笑顔を向けた。
「皆さん、お久しぶりですわね」
 その場に膝をつき頭を下げる三人。
「ま、まさかこのような場所にルナ様がおられるとは思いもせず大変なご無礼を。 わたしたちはなにも見ておりませんので、どうぞご包容の続きを!」
「ちげーよ!」
 何を勘違いしているのだ、この精霊たちは!
 するとルナは小さく微笑み、私を軽くなだめると、彼女たちの前で身をかがめた。
「ほらほら、顔をお上げなさい、ここは神殿ではないのですよ」
「で、ですが」
「わたしがここにいるのはただの気まぐれです。 気になさらないでください。 それに幼い頃は寝食を共にし一緒に遊んだ仲ではありませんか。 また昔みたいにルナちんて呼んでくださるとわたしも嬉しいのですが」
 ル、ルナちんて……。
「あ思い出しましたわ。 一緒におフロに入ったとき、あなたったらわたしのお」
「きゃあああああ!」
 精霊の一人が突然手をバタつかせて叫び、ルナの言葉を遮った。
「……」
 間もなく、その精霊がハッとした表情を見せて、先ほどよりも更に深く頭を下げた。
「も、申しわけございません! どうぞ続きを!」
「あらあら……」
 さすがのルナも苦笑いを浮かべる。 ここまで上下関係がはっきりしているとルナもやりにくそうだ。 私も王子という立場柄、絶対的な上下関係にはうんざりすることがある。
 間もなくしてルナの表情は一転して明るくなった。
「あ、でしたらこれならどうです? あなた方に紹介したい方がいますの」
 それを聞いて、僅かに頭を上げる三人。 その彼女たちの視線は、否応なしに私に向けられた。 この状況下で該当者は私しかいないのだから無理もない。
 ルナが右手を私に向ける。
「わたくしの夫です」
「……」
「……」
「……んなっ!」
 ち、ちょっと待て! いきなりなに言ってんだオイ!
 精霊たちが驚愕の表情を浮かべたのは言うまでもない。 私だって驚いた。
「わたしは女神をやめて王子様と結婚をするんです。 ですから、わたしはもう女神ではありません」
「お、王子様? この方はヴェールではないのですか?」
 そういって目を白黒させる精霊たち。
 もしかして、ヴェールって私のことを言っていたのか?
 ルナも同時に気付いて、精霊たちに質問をする。
「そのヴェールというのは、いったいなんですの?」
「な、なにと仰られましても、神界と地上界の狭間にはヴェールと呼ばれる種族がいて……いえ、わたしも詳しくは存じませんが、しかしこの方の姿はどう見てもヴェール。 人でも神でもありません。 王子様というのはいったい?」
「私はフェリクスの王子だ。 決して、そのヴェールとかいうものではない」
「で、ですが」
 そのとき、立て膝だったルナが突然すくっと立ち上がった。
「あなたがた……王子様になにかご不満でも?」
 途端に青ざめる精霊たち三人。
「と、とんでもございません。 ご立派な王子様でございます!」
 うふふと笑うルナ。 ほんの一瞬だったが、ルナから殺気に近いなにかを感じたぞ。 というか、ご立派な王子様って、なんか馬鹿にされているようにしか聞こえないのだが。
「とにかく今のわたしは女神ではありません。 かしこまるのはいい加減おやめなさい」
「は、はあ……」
「さあさあ、お洋服が汚れてしまいますわ」
 精霊たち三人はルナに促されるまま、申し訳なさそうに、ゆっくりと立ち上がった。
 まあ、これで少しは普通に話ができそうだな。
「ところで、あなた方はずっとこの岩場の向こう側にいたのですよね?」
 ルナが精霊たち三人の誰とも限らず尋ねた。 すると中央に立つ一人の精霊がうなづき応えた。 割としっかりとした顔つきだが胸は控えめだな。 右側の精霊はおっとりとした、悪く言うとトロそうなタイプだが出るところは出て引っ込んでいるところはしっかりと引っ込んでいる。 左側の精霊は目がややつり上がっているが、決してきつい感じではない。 なんというか、この三人の中では最も明るそうなタイプだ。
「でしたら、お母様が今どこにおられるのかご存知ではありませんか?」
「ディーバ様ですか? いえ残念ながら。 この岩山のどこかにおられるのは確かですが、どこかまでは……」
「そうですか」
 そう言って、うーんと唸るルナ。
「お母様ったら、相変わらずですわね」
「ちょっといいかい?」
 割って入る私。 彼女たちが一斉に私に視線を向ける。
「私には話がよく見えないのだが、ディーバはこの岩山のどこかにいるのは間違いないんだね?」
「そうです」
 右側のおっとりとした精霊が答えた。
「私が見る限り、この岩山に住める場所なんて限られていると思うのだが?」
 すると、今度は左側の精霊が口を開く。
「ディーバ様の行方が判らないのはそれ以前の話でして」
 私の眉間にしわが寄る。
「わからないな。 いったいどういうことだ?」
 この漠然とした質問にはルナが答えた。
「お恥ずかしながら王子様、お母様は引き籠もりなんです」
「は?」
 恥ずかしそうに苦笑いするルナ。
「そもそもこのような辺鄙な場所で暮らすようになったのも人間不信から軽い躁鬱になったためらしくて、まあその原因を作ったのはお父様なんですけど……今はもう病気は回復はしているらしいのですが、すっかり出不精と言いますか、ここ最近ではケータイやインターネットにはまってしまったらしく、お買い物も全てネット通販で済ませてしまっているとか。 品物の受け取りは門衛の方が行っているらしいのですが……人と関わり合うのがもともと苦手な人ですから余計にハマってしまったようで、本当に困ったお母様です」
 ケータイ? インターネット? ネットツウハン?
 いかん、本気で意味不明だ。
 まあ、聞いたところで理解できないだろうし小一時間はかかりそうなので聞きはしない。
「つまり、ディーバは人目を避けて暮らしているというわけだな」
 明るい感じの精霊がうなづいた。
「でもそれだけではありません。 噂では、ディーバ様の館の門さえも霧に包まれているらしく、わたしたちはおろか誰一人としてディーバ様の行方はわからないのです。 ネプトゥーヌス様に見つからないようにするためとは聞いていますけど」
 建物そのものを霧で隠すなんて、重症じゃないか。海の神と一体何があったんだ?
 私は意識的にため息をもらした。
「困ったな。 ずっと岩山で暮らしていた君たちでさえディーバの行方が判らないなんて」
 すると、中央のしっかり者の精霊が苦笑いした。
「わたしたちが岩山で暮らしていたと言っても、ギアスのせいで行動できる範囲は限られていましたけどね……あっ」
 唐突に声を上げる、しっかり者の精霊。
「なんだい?」
「そういえば、あるものを持っている方のみ、ディーバ様の館の門が姿を現し、中に入ることが許されると聞いた覚えがあります」
 あるもの?
「そのあるものとは?」
「さあ……それはわたしにも」
 ルナに顔を向ける。 だが、ルナもまた首を小さく左右に振るだけだった。
「ふむ。 自分で探すよりないというわけか。 なんだろうな。 好物か何かだろうか」
「お母様の好物でしたら、アウラの木の実ですわ」
「アウラの木の実?」
 ルナはうなづくと、両手で何かを持つような仕草をした。
「このくらいの大きさで、お母様の好きなリバティオーというお酒のつまみに合うとか」
 ほう、酒のつまみか。
「では、まずはそれで試してみるとしよう。 だが、そのアウラの木の実とやらはどこに行けば手に入れられるのだろうか」
「それならば、わたしが持っています」
 しっかり者の精霊はそう言うと、腰に付いたポシェットを漁りはじめ、間もなく不思議な葉に包まれたアボカドサイズの紅い実を取りだした。
「これがアウラの木の実?」
「はい。 岩山の途中に生えている木の実で、わたしたちはこれを食べて生きていました」
「君たちの食事というわけか。 だが、そんな大切なものを貰ってもいいのかい?」
 すると、ニコリと微笑む精霊。
「差し上げますわ。 まだ沢山実を付けていますし、それに再び空を舞えるようになったので食べ物にも困りません。 さすがに千年も同じものを食べていると飽きてきまして」
 苦笑いする全員。
 そういえばギアスは千年も前からあの場に居座っていたんだよな。
 ――あれ待てよ。 すると、この精霊たちやルナは、いったい何歳なんだ?
「……」
 今さら野暮なことを考えるのはよそう。
「これも差し上げますわ」
「これもどうぞ」
 左右の精霊たちもまたポシェットからそれぞれアウラの木の実を一つずつ取りだして私に差し出した。 なんだか厄介物を押しつけられているような気分だな。
「あ、ありがとう」
 私はルナに顔を向けた。
「まあ三個もあればじゅうぶんだろう。 早速行ってみるとしようか」
「そうですわね」
 ルナは精霊たちに顔を向けた。
「あなた方も同行いたしませんか?」
「え?」
 精霊たちが 「なんで?」 といった表情で声をあげる。
「わたしたちはこの岩山に不慣れなので、あなた方に案内して頂けると助かるのですが」
 精霊たちは困った様子で互いに顔を見合わせた。
「で、ですが、その……お邪魔では?」
 いいかげん、その方向への誤解はやめてほしい。


「はあん、だ、だめです王子様、そこは」
「あえっ? わ、私じゃないぞ!」
「あ、あ、王子様」
「……」
 私は何もしていない。 私はフェリクスの王子だ。 紳士だ。
 まあ、それはそれとして、私たちは今、岩山の中腹で見つけた洞窟の中にいる。 先程まで外の岩場を捜索していたのだが、ディーバが住むと言われる館の門はおろか、それを隠しているという霧さえも――言葉通りの霧かどうかは知らないが――見つからなかったので、最後まで行くのをためらっていた、この前人未踏の洞窟内に足を踏み入れることにしたのだ。
 しかし、当然ながら洞窟内は真っ暗でなにひとつ見えない。 精霊たちもこの洞窟には怖くて近づいたことがないらしい。
 さすがに、これだけ暗いと先に進むのも辛いな。 それにこの空気……中は意外と広い感じがする。 私たちは手探りをあてに洞窟の壁伝いにゆっくりと歩いているのだが、先ほど危うく落ちそうになった。 どうやら洞窟内にも地割れがあるらしい。
「やはり光がなければ相当危険だな。 一度戻るか」
 私がもと来た方向に手を伸ばした。 そのとき。
「はおんっ!」
「あす、すまない!」
「い、いえ」
 この声は、あのトロそうな精霊の声だな。
 今のは未知の感触だった。 まるで山盛りの生クリームに指を突っ込んだような柔らかさ……。
「戻るのですか?」
 とルナ。
「一度外に出て、タイマツかなにかを作ってから改めて来た方が良さそうだ」
「待ってください。 ダメかもしれませんけど、ひとつ試したいことが」
「試したいこと?」
「ルナの名の下に命ずる。 月明かりを洞窟に」
 ルナがそう言葉を発した途端、彼女の体から眩いまでの光が発せられた。
「成功ですわ!」
 あまりの眩しさに目をつぶる私。 そして慣れてきたところで徐々に目を開けていく。
「……っ!」
 明るく照らされた洞窟内の様子を、ぽかーんとした表情で見回す私たち。
 驚いた。 なんて広さなんだ。 天井も遙か上に見える。 地面は大きく裂けていて底が見えない。 ルナが造りだした月明かりでさえ底を照らせないほどの深さ。 こんなのに落ちたらひとたまりもないだろう。
「あ、ルナ様! あそこ!」
 明るい感じの精霊が、この広大な洞窟の、とある一点を指さした。
 あれは……門だ。 崖を挟んで向こう側に木製の巨大な門が見える。
「もしかして、あそこにディーバがいるのか?」
「たぶんそうですわね。 行ってみましょう」


 私たちは崖を迂回して門の前に立った。
「……」
 門の横に掛かっている表札には、でかでかと『ディーバ』と書かれている。 どうやら間違いなさそうだ。
 結構がっしりとした造りの門だな。 私は彼女たちの顔を一通り見回すと、一呼吸置いて、門に付いている鉄の輪を掴んでゴンゴンと叩いた。 しばらくすると、門は重々しく手前に動き始め、そして中から――。
「何者だ!」
「きゃあ!」
 黄色い服を着た一人の門衛が出てくるなり、持っていた槍を精霊の一人に向けた。
「なんだ。 誰かと思えば精霊ではないか。 おまえたち、こんなところで何をしている」
「い、いえ、わたしたちではなく……」
 私は足を踏み出して、門衛の前に姿を現した。
「!」
 門衛が、慌てた様子で私に槍を向ける。
「あ、怪しい奴め、何者だ貴様!」
「私はフェリクスの王子だ。 女神ディーバに会わせてくれないか」
「なにおう? 獣の分際で偉そうに。 おまえのどこが王子に見える。 命だけは助けてやるからさっさと帰れ」
「慈悲深いことだが、その言葉そっくり返そう」
 どうやら予想通りの反応をしはじめる門衛。 怒りのためか、全身が激しく震えている。
「人を小馬鹿にしおって貴様ァ! この場で退治してくれるわ!」
 門衛が槍を構えたそのとき、私の前にルナが立ちはだかった。
「お、おいルナ!」
 慌てて彼女の腕を掴もうとしたが、その手が止まる。
 なんだ……ものすごい殺気だぞ。
「このお方に、それ以上の無礼は許しません」
「えちょ……な、なにやつ。 そ、そんな目をしても怖くはないぞ」
 そう言いながらも、じりじりと後ずさっていく門衛。 完全に気迫負けしているようだ。
「なにやら騒がしいようですわね」
「!」
 突然、門の奥から女性の声が聞こえた。
「いったい何事ですか?」
 間もなく、門の奥から赤いローブをまとった女性が姿を現した。
 割と美人だ。 歳はまあ中年だろう。
「お母様!」
 そう叫ぶなり、ローブの女性にいきなり飛び付くルナ。
「ル、ルナ! あなたルナなの?」
「はい。 お久しぶりですぅ」
 そう言いながら、ルナがローブの女性に頬ずりしまくる。
 お母様ということは、この女性がディーバか。
 私はちょっと気になり、早くも蚊帳の外の存在となりつつある門衛に視線を向けた。 すると予想通りルナを見たまま顔を真っ青にしていた。 どうやら月の女神だということを知らなかったらしい。 ご愁傷様。
「まあまあまあ。 すっかり大きくなって。 見違えたわね」
「最後にお会いしてから千年ですもの。 わたしももう大人ですよ」
 ――千年て、人間には長老、いや超人のレベルなんだが。
「でも、どうやってここに。 岩山のギアスはどうしたの? もういなくなったのかしら」
「ギアスは王子様が退治しましたわ」
「王子様?」
 ルナは、ディーバに抱きついたまま後ろを振り返り、私に視線を送った。 その視線に気づいたディーバもまた私に顔を向ける。 その彼女の表情は次第に険しくなってきた。
「そなたはヴェール! なぜこのようなところに!」
 やれやれ、またヴェールか。
「私はフェリクスの王子だ。 そのヴェールとかいうものなどではない。 気づいたときにはこのような姿となって砂漠に倒れていたのだ。 何が起きたのかは私にも判らない」
 ディーバが怪訝そうな顔を見せる。
「誰がそのような嘘を信じますか」
 ちょっと頬を膨らませる私。
「私だって、こんなこと嘘だと信じたい……」
「……?」
「お母様。 彼の言うことは本当なんです。 どうか王子様のお話を聞いてはくれませんか」
「だ、だけどルナ……」
 ディーバは娘のルナに言われ、どちらを取るべきか悩んでいる様子だ。
「あ、そうだ、王子様」
 そう言って、私に微笑みかけるルナ。
「ん?」
「例のおみやげを」
 ルナに言われて思いだした。 私は精霊たちに貰った巾着に入れていたアウラの木の実を取りだしてディーバに見えるように差し出した。 すると、ディーバは途端に目を輝かせて生唾をゴクリと飲み込んだ。
 そのディーバの様子を、楽しそうに見ているルナ。
「ほら、お母様」
 ハッと我に返るディーバ。 彼女はバツが悪そうに一度咳払いをすると。
「ま、まあ立ち話もなんだから、中に入りなさい」

 なんだか色々な意味でルナに助けられてばかりだな、私は――。