シスター牧野 シスターは高齢でもあり、持てる時間を全て看護師として捧げたいとお考えです。
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             ご協力に心より感謝申し上げます。
   
                     

1934年京都に生まれる。  

カソリック教徒になったのは中学の時。
その頃仲の良かったカソリック教徒の同級生が学校をやめることになり、
彼女に会う為に日曜日ごとに教会に通うようになったのがきっかけ。
昭和31年、札幌にあった天使助産婦学校を卒業し、助産婦になる。
故郷、京都にある赤十字病院で働き始め、25歳で修道会に入る。

      

1969年 ローマ法王庁の指示により35歳で台湾に渡り、
山岳先住民族・高砂族の村に産院を作り、そこで7年間を過ごす。
電気も水道もない村。人口はわずか200人余り。周囲の村々を往診して歩き、
忙しい時は3日間一睡もできないこともざらだった。

「山の山の山の中でしたヨー。いやー、楽しかったア。
 どんなに忙しくっても、ちっとも苦じゃなかった。
 若い時から山歩きが好きだったから、6つの村を回るのもひょいひょいって感じ。
 谷を渡る時はすごく長いつり橋を渡るんですけど、木が腐ってボロボロ。
 スリル満点でしたよ。」
シスターはカラカラと朗らかに笑う。

台湾の次は、再びローマ法王庁の指示でフランスへ。老人介護の仕事につく。

マダガスカルを初めて訪れたのは1978年。
「マダガスカルって言われても、どんな国なのか知らないし。
 ただきっと面白い事がありそうだなって思いましたよ。
 行ってみたら、ノンビリした国でした。
 人間的なあったかさがあるんです。
 人情のあったかさに、すぐに惚れ込んじゃったんです。
 ここで骨を埋めようとすぐに思いました。」


ところが母親が病気になり、2年後に泣く泣く日本に帰る事になった。
以来、日本の病院で働きながらも、思いはマダガスカルに。
そして定年を迎えたその時、「今がチャンス」とローマ法王庁に手紙を書いて直訴した。

「マダガスカルに行かせて下さい」
そして彼女の願いは叶った。
初めてマダガスカルの地を踏んでから35年。
彼女はマダガスカルと、そこに住む人々を愛し続けている。
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