仏教学・禅学の再検討

道元研究のデータ
 道元の研究において、研究者による資料の選択、意図的排除、過度の一般化、研究者に都合のよい解釈が行われている。文字操作に不慣れな僧侶、一般の社会人は、研究者の情報操作によって、道元の真意がゆがめられていることを知らない。
 道元の著作は膨大であるため、一般の僧侶、社会人が自ら確認しにくい。一般の人、僧侶の方が、自らの目で、道元の真意を確認できるように、道元の言葉をテーマ別に掲載していきたい。
 そのテーマに関係すると思われる道元の言葉は、漏れなく収録したい。恣意的な除外はしないということです。

(注)
一つを取る説のために選択された言葉 この下です
無視された坐禅法の微妙な言葉 この下です
捨てられた言葉、曲げられた言葉 別シートです

一つを取る説のために選択された言葉
(1)「坐禅が悟り」という説の根拠とされる言葉
(a)「坐禅が悟り」
「坐禅の強調」
・只管打坐
・身心脱落
坐禅が悟り、または坐禅の強調
坐即悟=随聞記
坐禅の重視=弁道話
坐禅の重視=75巻正法眼蔵(京都)
坐禅の重視=75巻正法眼蔵(越前)
坐即悟=12巻正法眼蔵
(b)悟り否定の理由
とされた言葉
・無所得・無所悟
・自未得度先度他
・不求悟
「無所得無所期(悟)」
無所得=随聞記
悟りを求めず=随聞記
無所得・不求=75巻正法眼蔵(京都)
無所得・不求=75巻正法眼蔵(越前)
無所得・不求=12巻正法眼蔵
悟りを求めず=他の正法眼蔵
証を待つ思い=弁道話・用心集

悟り否定というが違う
自未得度先度他=用心集
自未得度先度他=75巻眼蔵(越前)
自未得度先度他=12巻正法眼蔵
「悟り」否定か=坐禅儀・用心集
「悟り」否定か=75巻正法眼蔵(京都)
「悟り」否定か=75巻正法眼蔵(越前)
「悟り」否定か=12巻正法眼蔵
「悟り」否定か=随聞記
(c)智慧と修行は一如
・修証一等
・証上の修
・行解相応
修証一等=坐禅儀・用心集
修証一等=弁道話
修証一等=75巻正法眼蔵(京都)
修証一等=75巻正法眼蔵(越前)
修証一等=12巻正法眼蔵
修証一等=随聞記
(2)「信」の仏法を説いたという説の根拠とされる言葉
(b)信・志が重要
・受戒入位
・信満成仏
・生死即涅槃、など
信・志が重要=弁道話
信・志が重要=用心集
信・志が重要=75巻正法眼蔵(京都)
信・志が重要=75巻正法眼蔵(越前)
信・生死即涅槃=12巻正法眼蔵
生死即涅槃=弁道話
生死即涅槃=他の正法眼蔵
(3)「師にあうことが悟り」という説の根拠とされる言葉
(a)面授が必須 面授が必須=75巻正法眼蔵(京都)
面授が必須=75巻正法眼蔵(越前)
面授時脱落説の根拠
(4)道元は前期の正法眼蔵を否定し、思想を変えたという説
(a)道元が七十五巻本を
否定した証拠だとする
書き換えの意図=12巻正法眼蔵
矛盾と指摘される言葉=12巻正法眼蔵
(b)道元も晩年に
縁起説思惟のみを
正しい仏教とした
という説に
引用する言葉
・それへの反証
(因をつみ仏となる)
縁起・因果
縁起・因果=75巻正法眼蔵(京都)
縁起・因果=75巻正法眼蔵(越前)
因果・因縁=12巻正法眼蔵
因果同時=12巻正法眼蔵
(反証)仏となることの強調=12巻眼蔵

思量・思惟すべし
思量すべし=随聞記
思量・非思量=75巻正法眼蔵(京都)
思量・非思量=75巻正法眼蔵(越前)
思量すべし=12巻正法眼蔵
(c)ほかの思想変化
の根拠とされる言葉
出家至上=12巻正法眼蔵
男女差別か=12巻正法眼蔵

無視された坐禅法の微妙な言葉
禅の思想ではなく坐禅および日常の実践法とみられる言葉がある
(1)坐禅も簡単ではない
(a)思量、分別を用いず (A)思量を用いない=随聞記
(A)思量を用いない=坐禅儀・用心集
(A)思量を用いない=弁道話
(A)思量を用いない=75巻正法眼蔵(京都)
(A)思量を用いない=75巻正法眼蔵(越前)
(A)思量を用いない=12巻正法眼蔵
(A)思量を用いない=他の正法眼蔵
(b)是非に執著しない
・辺執見の捨棄
・中道(二元を超える)
(B)是非に執著しない=坐禅儀・用心集
(B)是非に執著しない=随聞記
(B)自他の見を捨てる=弁道話
(B)是非に執著しない=75巻正法眼蔵(京都)
(B)是非に執著しない=75巻正法眼蔵(越前)
(B)是非に執著しない=12巻正法眼蔵
(B)是非に執著しない=他の正法眼蔵
(c)我見・我執の捨棄
(C)我見・我執を捨てる=坐禅儀・用心集
(C)我見・我執を捨てる=随聞記
(C)我見・我執を捨てる=弁道話
(C)我見・我執を捨てる=75巻正法眼蔵(京都)
(C)我見・我執を捨てる=75巻正法眼蔵(越前)
(C)我見・我執を捨てる=12巻正法眼蔵

諍論するな=随聞記
諍論するな=弁道話
諍論するな=12巻正法眼蔵
(d)我が身心を捨てる (D)身心を捨てる=随聞記
(D)身心を捨てる=学道用心集
(D)身心を捨てる=75巻正法眼蔵(京都)
(D)身心を捨てる=75巻正法眼蔵(越前)
(D)身心を捨てる=他の正法眼蔵
(e)煩悩の捨棄
・持戒の大事
・悪をなさない
(E)貪瞋癡など=随聞記
(E)貪瞋癡など=坐禅儀・用心集
(E)貪瞋癡など=弁道話
(E)持戒の大事、悪をなさない=弁道話
(C)持戒の大事、悪をなさない=随聞記
(E)持戒、煩悩を捨てる=75巻正法眼蔵(京都)
(E)持戒、煩悩を捨てる=75巻正法眼蔵(越前)

(E)悪をなさない=十二巻眼蔵
(E)持戒の大事=十二巻眼蔵
(E)煩悩の捨棄1=12巻眼蔵
(E)煩悩の捨棄2=12巻眼蔵
(E)煩悩即菩提は邪見=12巻眼蔵
(E)解脱の否定は邪見=12巻眼蔵

(E)持戒の大事、悪をなさない=他の正法眼蔵
(f)名利を追わない
煩悩の捨棄の一つ
(F)名聞利養=75巻正法眼蔵(京都)
(F)名聞利養=75巻正法眼蔵(越前)
(F)名聞利養をおわない=12巻正法眼蔵
(F)名聞利養をおわない=随聞記
(F)名聞利養をおわない=用心集
(F)名聞利養をおわない=弁道話
(g)悟りをも求めずに
・生死即涅槃
・すでにある、求めるな
(G)得法をもとめず、今
(G)求めず=75巻正法眼蔵(京都)
(G)求めず=75巻正法眼蔵(越前)
(G)求めず・とどまらず=12巻正法眼蔵
(G)悟りを求めず=他の正法眼蔵
(h)坐のみでない (H)坐のみでない=随聞記
(H)坐のみでない=坐禅儀・用心集・弁道話
(H)坐のみでない=その他
(H)坐のみでない=75巻正法眼蔵(京都)
(H)坐のみでない=75巻正法眼蔵(越前)
(H)坐のみでない=12巻正法眼蔵
(i)その他 (I)無常を観ずる=随聞記
(I)無常=75巻正法眼蔵(京都)
(I)無常=75巻正法眼蔵(越前)
(I)無常を観ずる=12巻正法眼蔵
(I)身体の苦行ではない/苦しくとも行ぜよ
(j)悟後の修行
仏道は悟りのみにあらず
人々の苦を救うこと
(これは「慈悲」を参照)
(J)悟りにも留まらないー坐禅儀
(J)悟りにも留まらないー随聞記
(J)悟後なすべきこと=75巻正法眼蔵(京都)
(J)悟後なすべきこと=75巻正法眼蔵(越前)
(J)悟りにも留まらない=12巻正法眼蔵
(J)衆生を救った後にほとけになる=12巻正法眼蔵
(2)指導者の心得、進度に応じた指導
(a)教化は人、進度に応じて
思想理解でないがゆえに
人・進度に応じて=12巻正法眼蔵
人・進度に応じて=75巻正法眼蔵(京都)
師に質問する(入室独参)=弁道話・用心集
(3)悟道して自覚する実相
(a)思想ではなく
坐禅して観ずる心の実態
・人の知らない心の様子
・悟道しない限り断言できない
真相もある
本来清浄・無自覚=75巻正法眼蔵(京都)
本来清浄・無自覚=75巻正法眼蔵(越前)
本来清浄・無自覚=12巻正法眼蔵
本来清浄・無自覚=坐禅儀・用心集
本来清浄・無自覚=弁道話
本来清浄・無自覚=随聞記

道元重要事項索引
捨てられた言葉