もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

利鈍にかかわらず
(A)利鈍にかかわらず
「正法眼蔵随聞記」
- 「道を惜しむに非ず。常に与うれども人の得ざる也。道を得ることは、根の利鈍には依らず。人々皆方を悟るべき也。只精進と懈怠とによりて、得道の遅速あり。進怠の不同は、志の到ると到らざると也。志の到らざることは、無常を思はざるによるなり。念々に死去す。畢竟暫くも止らず。暫くも存ぜる間、時光を虚しくすごすこと無かれ。」(1)59頁。
- 「我執を捨て、知識の教えに随ふ也。其大意は、貪欲無也。貪欲無からんと、思はば、先須く吾我を離るべき也。吾我を離るるには、観無常、是第一の用心也。
世人多、我は元より、人に、よしと言れ思はれんと思ふ也。其が即、よくも成得ぬ也。只、我執を次第に捨て、知識の言に随いゆけば、昇進する也。
禅僧のよく成る第一の用心、只管打坐すべき也。利鈍賢愚を論ぜず、坐禅すれば自然に好くなるなり。」(2)
- 「一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。しかれば、学人只管打坐して、他を管することなかれ。仏祖の道はただ坐禅なり。他事に順ずべからず」(3)
(注)
- (1)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、59頁。
- (2)同上、66頁。
- (3)同上、149頁。
- (4)同上、xx頁。
- (5)同上、xx頁。
- (6)同上、xx頁。
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