もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー現代の仏教を考える会

 
仏教学・禅学の批判




無所得・無所期


(A)無所得・無所期

「正法眼蔵随聞記」

(B)「無所得・無所期」の語ではないが果、悟りを求めるな

「正法眼蔵随聞記」


 
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「てづくり素材館 Crescent Moon」
  • 「仏道は人の為めならず、身の為也といって、我身心にて仏になさんと、真実にいとなむ人も有り。是は、以前の人々よりは、真の道者かと覚ゆれども、是もなを、吾我を思うて、我が身よくなさんと思へる故に、なお吾我を離れず。又、諸仏菩薩に、随喜せられんと思ひ、仏果菩提を、成就せんと思へる故に、名利の心ろ、猶、捨てられざる也。
     是までは、いまだ百尺の竿頭をはなれず、とりつきたる如し。只、身心を仏法になげすてて、更に悟道得法までも、のぞむ事なく、修行しゆく、是を不染汚の行人という也。有仏の処にもとどまらず、無仏の処をもすみやかにはしりすぐ、という、この心なるべし。」(1)