もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー現代の仏教を考える会

 
仏教学・禅学の批判




面授(師に会う)だけではいけない


(A)面授(師に会う)だけではいけない

「正法眼蔵随聞記」

「弁道話」


 
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「てづくり素材館 Crescent Moon」
十二巻本「正法眼蔵」
  • 「龍樹祖師云、如外道人、破世間因果、則無今世後世。破出世因果、則無三寶、四諦、四沙門果(龍樹祖師云く、外道の人の如く、世間の因果を破せば、則ち今世後世無けん。出世の因果を破せば、則ち三寶、四諦、四沙門果無けん)。
     あきらかにしるべし、世間出世の因果を破するは外道なるべし。今世なしといふは、かたちはこのところにあれども、性はひさしくさとりに歸せり、性すなはち心なり、心は身とひとしからざるゆゑに。かくのごとく解する、すなはち外道なり。あるいはいはく、人死するとき、かならず性海に歸す、佛法を修習せざれども、自然に覺海に歸すれば、さらに生死の輪轉なし。このゆゑに後世なしといふ。これ斷見の外道なり。かたちたとひ比丘にあひにたりとも、かくのごとくの邪解あらんともがら、さらに佛弟子にあらず。まさしくこれ外道なり。おほよそ因果を撥無するより、今世後世なしとはあやまるなり。因果を撥無することは、眞の知識に參學せざるによりてなり。眞知識に久參するがごときは、撥無因果等の邪解あるべからず。龍樹祖師の慈誨、深く信仰したてまつり、頂戴したてまつるべし。」(5)
  • (5)「深信因果」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、391頁。
  • 「これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸佛の常法なり。
     護明菩薩とは、釋迦牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻麻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。」
  • (1)「一百八法明門」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、450頁。