もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

道元の坐禅法=(4)我が身を捨てる
(C)我見・我執を捨てる
(D)我が身を捨てる
(E)名利を追わない
(D)我が身を捨てる
「正法眼蔵随聞記」
- 「只、なにとなく世間の人の様にて、内心を調へもてゆく、是、実の道心者也。然れば、古人いわく、内、空しくして、外したがふ、といひて、中心は我身なくして、外相は他にしたがひもてゆく也。我身、我が心という事を、一向にわすれて、仏法に入て、仏法のおきてに任せて、行じもてゆけば、内外ともによく、今も後もよき也。」(1)
- 「然れば、これ程に、あだなる世に、極めて不定なる死期をいつまで、いきたるべしとて、種々の活計を案じ、あまつさえ他人の為に、悪をたくみ思ふて、いたずらに時光を過す事、極めて愚かなる事也。」(2)
- 「或時、比丘尼云く、世間の女房なんとだにも、仏法とて、学すれば、比丘尼の身には、少々の不可ありとも、いかで叶うべからずやと覚ふ。如何、と云いし時、
示に云く、此の義、然るべからず。在家の女人、其身ながら、仏法を学んで、うることはありとも、出家人の、出家の心なからんは、得べからず。仏法の、人をえらぶには非ず。人の仏法に入らざれば也。出家在家の儀、其心殊なるべし。在家人の、出家の心有らば、出離すべし。出家人の、在家の心有らば、二重の僻事也。用心殊なるべき事也。なすことの難きには非ず。よくすることの難き也。出離得道の行、人ごとに心にかけたるに、似たれども、よくする人の難き也。生死事大也、無常迅速也。心をゆるくすることなかれ。世をすてば、実に世を捨つべき也。仮名は、何にても、ありなん、おぼふる也。」(3)
- 「況や、衲僧は、是には超えたる心を持つべき也。衆生を思ふ事、親疎をはかたず、平等に済度の心を存じ、世出世間の利益、都(すべて)、自利を憶わず、人に知られず、主に悦ばれず、唯人の為に善き事を、心の中になして、我は是の如きの心、もたると、人に知られざる也。
此の故実は、先ず須らく世を捨て身を捨つべき也。我が身をだにも、真実に捨離しつれば、人によく思われんという心は無き也。然ども、又、人は何にも、思はば思へとて、悪き事を行じ、放逸ならんは、又、仏意に背く。唯、好き事を行じ、人のためにやすき事をなして、代を思に、我がよき名を留めんと思わずして、真実無所得にて、利生の事をなす。即、吾我を離るる、第一の用心也。
此の心を存ぜんと欲せば、先づ、須く無常を念うべし。一期は夢の如し、光陰移り易し。露の命は待がたふして、明るを知らぬならひなれば、唯、暫も存じたる程、聊(いささか)の事につけても、人の為によく、仏意に順はんと、思べき也。」(4)
- 「仏法者は、衣鉢の外は、財をもつべからず。何を置かん為に塗籠をしつらうべきぞ。人にかくす程の物を、持つべからず。持たずは、返てやすき也。人をば殺すとも、人には殺されじなんどと、思ふ時こそ、身もくるしく、用心もせらるれ。我は報を加えじと、思い定めつれば、先づ用心もせられず、盗賊も愁へられざるなり。時として安楽ならざると云うこと無きなり。」(5)
- 「況や衲子の仏道を行ずる、必ず二た心なき時、真とに仏道にかなふべし。仏道には慈悲智恵、もとよりそなわれる人もあり。たとひ無けれども、学すればうる也。只だ身心を倶に放下して、三宝の海に廻向して、仏法の教えに任せて、私曲を存する事なかれ。
漢の高祖の時、或堅臣の云く、政道の理乱は、縄の結おれるを解が如し。急にすべからず。能々結び目をもて解べし。仏道も是の如し。能々道理を心得て、行ずべき也。法門をよく心得る人は、必ず道心ある人の、よく心得る也。いかに利智聡明なる人も、無道心にして、吾我をも離れず、名利をも捨てざる人わ、道者ともならず、正理をも心得ぬ也。」(6)
- 「示に云く、学道の人は、吾我の為に、仏法を学する事なかれ。只、仏法の為に、仏法を学すべき也。その故実は、我身心を、一物ものこさず放下して、仏法の大海に廻向すべき也。其後は、一切の是非を管ずる事無く、我心を存する事なく、成し難きことなりとも、仏法につかわれて、強いて是をなし、我心になしたきことなりとも、仏法の道理に、なすべからざることならば、放下すべき也。あなかしこ、仏道修行の功をもて、代りに善果を、得んと思う事無れ。只、一たび仏道に、廻向しつる上は、二たび自己をかへりみず、仏法のおきてに任せて、行じゆきて、私曲を存すること莫れ。先証、皆、是の如し。心にねがひて、もとむる事無ければ、即ち大安楽也。」(7)
- 「示に云く、学道の人、身心を放下して、一向に仏法に入るべし。古人云く、百尺竿頭上、猶一歩を進む。何にも、百尺の竿頭の上て、足を放たば、死ぬべしと思て、つよくとりつく心の有也。其を思切りて、一歩を進と云は、よもあしからじと、思ひきりて、放下する様に、度世の業より始て、一身の活計に至るまで、何にも捨得ぬなり、其を捨ざらん程は、何に頭燃をはらひて、学道する様なりとも、道を得こと叶わざる也。思いきり身心倶に放下すべし。」(8)
- 「須く閑に坐して、道理を案じて、終にうち立ん道を、思ひ定むべし。主君父母も、我に悟りを与ふべきに非ず。恩愛妻子も、我がくるしみを、すくうべからず。財宝も死をすくはず。世人終に我をたすくる事なし。非器なりと云て、修せずは、何の劫にか得道せん。只須く、万事を放下して、一向に学道すべし。後時を存ずること莫るべし。」(9)
- 「示に云く、行者、まず、心を調伏しつれば、身をも世をも捨つる事は易き也。言語に付き、行儀に付きて、人目を思う。此事は悪事なれば、人、悪く思うべしとて、なさず、我、此事をせんこそ、仏法者と人は見め、とて、事に触れ、能事をせんとするも、猶、世情也。然ればとて、又、恣(ほしいまま)に、我意に任せて、悪事をするは、一向の悪人也。所詮は、悪心を忘れ、我身を忘れ、只、一向に、仏法の為に、すべき也。」(10)
- 「世人、多く、小乗根性也。善悪を弁じ、是非を分ち、是を取り、非を捨つるは、なおこれ、小乗の根性也。只、世情を捨つれば、仏道に入る也。仏道に入るには、善悪を分ち、よしと思ひ、あしと思う事を捨て、我身よからん、我心何と有ん、と思ふ心を忘れ、よくもあれ、あしくもあれ、仏祖の言語行履にしたがひ行く也。」(11)
- 「もし己見を存せば、師の言ば耳に入らざる也。師の言ば耳に入らざれば、師の法を得ざるなり。又只法門の異見を忘るるのみに非ず、又世事を返して、飢寒等を忘て、一向に身心を清めて聞く時、親しく聞くにてある也。是の如く聞く時、道理も不審も明めらるる也。真実の得道と云も、従来の身心を放下して、只直下に他に随ひ行けば、即ち実の道人にてある也。是れ第一の故実也。」(12)
- 「吾我を離るべし。たとひ千経万論を学し得たりとも、我執をはなれずば、ついに魔坑にをつ。古人いわく、仏法の身心なくば、いずくんぞ、仏となり祖とならん。我を離るというは、我が為に仏法を学すること無き也。只、道の為に学すべし。身心を仏法に放下しつれば、くるしく愁うれども、仏法にしたがって、行じゆく也。乞食をせば、人、是をわるしと、思はんずるなんど、是の如く思ふ程に、いかにも仏法に入り得ざる也。世情の見をすべて忘れて、只、道理に任せて学道すべき也。我身の器量をかへりみ、仏法にもかなうまじき、なんど思ふも、我執をもてる故也。人目をはばかる、即、我執の本也。只すべからく、仏法を学すべし。世情に随ふこと無かれ。」(13)
- 「信心銘にいわく、至道かたき事なし。ただ、揀択(けんじゃく)を嫌ふ。揀択の心を放下しつれば、直下に承当するなり。揀択の心を放下すというは、我を離るる也。いわゆる、我が身仏道をならん為に、仏法を学することなかれ。只、仏法の為に、仏法を行じゆく也。たとひ千経万論を学し得、坐禅、とこをやぶるとも、此の心無くば、仏祖の道を学し得べからず。只、須く身心を放下して、仏法の中に他に随ふて、旧見なければ、即ち直下に承当する也。」(14)
- 「示に云く、古人云く、百尺の竿頭に、更に、一歩を進むべし。この心は、十丈の、さをのさきにのぼりて、猶、手足をはなちて、即ち身心を、放下せんがごとし。是について、重重の事あり。」(15)
- 「仏道は人の為めならず、身の為也といって、我身心にて仏になさんと、真実にいとなむ人も有り。是は、以前の人々よりは、真の道者かと覚ゆれども、是もなを、吾我を思うて、我が身よくなさんと思へる故に、なお吾我を離れず。又、諸仏菩薩に、随喜せられんと思ひ、仏果菩提を、成就せんと思へる故に、名利の心ろ、猶、捨てられざる也。
是までは、いまだ百尺の竿頭をはなれず、とりつきたる如し。只、身心を仏法になげすてて、更に悟道得法までも、のぞむ事なく、修行しゆく、是を不染汚の行人という也。有仏の処にもとどまらず、無仏の処をもすみやかにはしりすぐ、という、この心なるべし。」(16)
- 「其の中に心をもて、仏法を計校(けきょう)する間は、万劫千生にも得べからず、心を放下して、知見解会を捨つる時、得る也。見色明心、聞声悟道のごときも、なお、身を得る也。然れば、心の念慮知見を、一向すてて、只管打坐すれば、今少し道は親しみ得る也、然れば、道を得ることは、正く身を以って得也。是によりて、坐を専にすべしと覚ゆる也。」(17)
- 「示に云く、人は思切て命をも捨て、身肉手足をも斬事は、中々せらるる也。然れば、世間の事を思ひ、名利執心の為にも、是の如く思ふ也。只、依来る時に触、物に随て、心器を調る事、難き也。学者、命を捨ると思て、暫く推し静めて、云べき事をも、修すべき事をも、道理に順ずるか、順ぜざるかと案じて、道理に順ぜば、いひもし、行じもすべき也。」(18)75
(注)
- (1)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、91頁。
- (2)同上、96頁。
- (3)同上、104頁。
- (4)同上、105頁。
- (5)同上、107頁。
- (6)同上、130頁。
- (7)同上、131頁。
- (8)同上、104頁。
- (9)同上、136頁。
- (10)同上、84頁。
- (11)同上、86頁。
- (12)同上、63頁。
- (13)同上、137頁。
- (14)同上、144頁。
- (15)同上、145頁。
- (16)同上、147頁。
- (17)同上、103頁。
- (18)同上、75頁。
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