もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

苦悩からの解放
(A)自己の苦悩、迷い
「正法眼蔵随聞記」
- 「然れば、これ程に、あだなる世に、極めて不定なる死期をいつまで、いきたるべしとて、種々の活計を案じ、あまつさえ他人の為に、悪をたくみ思ふて、いたずらに時光を過す事、極めて愚かなる事也。」(1)
- 「須く閑に坐して、道理を案じて、終にうち立ん道を、思ひ定むべし。主君父母も、我に悟りを与ふべきに非ず。恩愛妻子も、我がくるしみを、すくうべからず。財宝も死をすくはず。世人終に我をたすくる事なし。非器なりと云て、修せずは、何の劫にか得道せん。只須く、万事を放下して、一向に学道すべし。後時を存ずること莫るべし。」(2)
(注)
- (1)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、96頁。
- (2)同上、136頁。
(B)他者を苦悩させる、迷わせる
「正法眼蔵随聞記」
- 「然れば、これ程に、あだなる世に、極めて不定なる死期をいつまで、いきたるべしとて、種々の活計を案じ、あまつさえ他人の為に、悪をたくみ思ふて、いたずらに時光を過す事、極めて愚かなる事也。」(1)
- 「自利して人を損ずる、豈(あに)、果報なからんや。」(2)
(注)
- (1)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、96頁。
- (2)同上、145頁。
(C)苦から離れる、安楽を得る
「正法眼蔵随聞記」
- 「示に云く、学道の人は、吾我の為に、仏法を学する事なかれ。只、仏法の為に、仏法を学すべき也。その故実は、我身心を、一物ものこさず放下して、仏法の大海に廻向すべき也。其後は、一切の是非を管ずる事無く、我心を存する事なく、成し難きことなりとも、仏法につかわれて、強いて是をなし、我心になしたきことなりとも、仏法の道理に、なすべからざることならば、放下すべき也。あなかしこ、仏道修行の功をもて、代りに善果を、得んと思う事無れ。只、一たび仏道に、廻向しつる上は、二たび自己をかへりみず、仏法のおきてに任せて、行じゆきて、私曲を存すること莫れ。先証、皆、是の如し。心にねがひて、もとむる事無ければ、即ち大安楽也。」(1)
- 「世間の治世は、先規有道を稽(たしなみ)求むれども、猶、先達知識の、たしかに相伝したるなければ、自し、たがふる事も有也。仏子は、たしかなる、先規教文顕然也。又、相承伝来の、知識現在せり。我に思量あり、四威儀の中にをいて、一々に先規を思ひ、先達にしたがひ、修行せんに、必、道を得べき也。俗は天意に合せんと思ひ、衲子は仏意に合せんと修す。業等して、得果勝れたり。一得永得、大安楽の為に、一世幻化の身を、苦しめて、仏意に随はんは、行者の心にあるべし。」(2)
- 「かくのごときの間、瞋恚起り、恥辱来るなり。貧にして貪らざる時は、先ず此の難をまぬかる。安楽自在なり。証拠眼前なり。」(3)
(注)
- (1)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、131頁。
- (2)同上、101頁。
- (3)同上、106頁。
(D)考えるから苦を生む
- (予期不安)
「仏法者は、衣鉢の外は、財をもつべからず。何を置かん為に塗籠をしつらうべきぞ。人にかくす程の物を、持つべからず。持たずは、返てやすき也。人をば殺すとも、人には殺されじなんどと、思ふ時こそ、身もくるしく、用心もせらるれ。我は報を加えじと、思い定めつれば、先づ用心もせられず、盗賊も愁へられざるなり。時として安楽ならざると云うこと無きなり。」(1)
- 「示に云く、学道の人は、吾我の為に、仏法を学する事なかれ。只、仏法の為に、仏法を学すべき也。その故実は、我身心を、一物ものこさず放下して、仏法の大海に廻向すべき也。其後は、一切の是非を管ずる事無く、我心を存する事なく、成し難きことなりとも、仏法につかわれて、強いて是をなし、我心になしたきことなりとも、仏法の道理に、なすべからざることならば、放下すべき也。あなかしこ、仏道修行の功をもて、代りに善果を、得んと思う事無れ。只、一たび仏道に、廻向しつる上は、二たび自己をかへりみず、仏法のおきてに任せて、行じゆきて、私曲を存すること莫れ。先証、皆、是の如し。心にねがひて、もとむる事無ければ、即ち大安楽也。」(2)
(注)
- (1)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、106頁。
- (2)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、131頁
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