もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

慈悲・衆生を思う
「正法眼蔵随聞記」
- 「況や、衲僧は、是には超えたる心を持つべき也。衆生を思ふ事、親疎をはかたず、平等に済度の心を存じ、世出世間の利益、都(すべて)、自利を憶わず、人に知られず、主に悦ばれず、唯人の為に善き事を、心の中になして、我は是の如きの心、もたると、人に知られざる也。
此の故実は、先ず須らく世を捨て身を捨つべき也。我が身をだにも、真実に捨離しつれば、人によく思われんという心は無き也。然ども、又、人は何にも、思はば思へとて、悪き事を行じ、放逸ならんは、又、仏意に背く。唯、好き事を行じ、人のためにやすき事をなして、代を思に、我がよき名を留めんと思わずして、真実無所得にて、利生の事をなす。即、吾我を離るる、第一の用心也。
此の心を存ぜんと欲せば、先づ、須く無常を念うべし。一期は夢の如し、光陰移り易し。露の命は待がたふして、明るを知らぬならひなれば、唯、暫も存じたる程、聊(いささか)の事につけても、人の為によく、仏意に順はんと、思べき也。」(1)
- (教条主義ではいけない)
「問うて云わく、仏教の進めに順って、乞食等を行ずべきか、如何。
答えて云わく、然るべし、但、是は、土風に順って、斟酌あるべし。なにとしても、利生も広く、我が行も進むかたに、就くべき也。是等の作法、道俗不浄にして仏衣を着て、行歩せば、穢れつべし。亦、人民貧窮にして、次第乞食も、叶うべからず。行道も退くべく、利益も広からざるか。只、土風を守り、尋常、仏道を行じ居たらば、上下の輩、自ら供養をなすべし。自行化他、成就せん。是の如きの事も、時に臨み事に触れ、道理を思量して、人目を思わず、自の益を忘れ、仏道利生の方によき様に計うべし。」(2)82
- 「況や衲子の仏道を行ずる、必ず二た心なき時、真とに仏道にかなふべし。仏道には慈悲智恵、もとよりそなわれる人もあり。たとひ無けれども、学すればうる也。只だ身心を倶に放下して、三宝の海に廻向して、仏法の教えに任せて、私曲を存する事なかれ。
漢の高祖の時、或堅臣の云く、政道の理乱は、縄の結おれるを解が如し。急にすべからず。能々結び目をもて解べし。仏道も是の如し。能々道理を心得て、行ずべき也。法門をよく心得る人は、必ず道心ある人の、よく心得る也。いかに利智聡明なる人も、無道心にして、吾我をも離れず、名利をも捨てざる人わ、道者ともならず、正理をも心得ぬ也。」(3)
(注)
- (1)「正法眼蔵随聞記」、「道元禅師全集」第7巻、春秋社、1990年、105頁。
- (2)同上、82頁。
- (3)同上、131頁。
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