もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
索引ー「ら」
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
わ
ら
- 「xx」
- 「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、287頁。
- 「xx」
り
- 「輪廻」について、「多生」
- 「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、307頁。
「もし宿善なきものは、一生二生乃至無量生を經歴すといふとも、袈裟をみるべからず、袈裟を著すべからず、袈裟を信受すべからず、袈裟をあきらめしるべからず。」
- 「袈裟功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、317頁。
「二生に迦葉佛の法にあふたてまつりて比丘尼となり、三生に釋迦牟尼佛にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明六通を具足せり。三明とは、天眼宿命漏盡なり。六通とは、神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏盡通なり。まことにそれただ作惡人とありしときは、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいでてまた作惡人となる。戒の因縁あるときは、禁戒を破して地獄におちたりといへども、つひに得道の因縁なり。いま戲笑のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。」
- 「発菩提心」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、336頁。「もし如來の道力によるときは、衆生また三千界をみる。おほよそ本有より中有にいたり、中有より當本有にいたる、みな一刹那一刹那にうつりゆくなり。かくのごとくして、わがこころにあらず、業にひかれて流轉生死すること、一刹那もとどまらざるなり。かくのごとく流轉生死する身心をもて、たちまちに自未得度先度他の菩提心をおこすべきなり。たとひ發菩提心のみちに身心ををしむとも、生老病死して、つひに我有なるべからず。」
- 「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、372頁。「すでに歸依したてまつるがごときは、世世生生、在在處處に増長し、かならず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。」
- 「帰依仏法僧宝」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、375頁。 「人身うることかたし、佛法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷屬として一生をわたり、むなしく邪見の流類として多生をすごさん、かなしむべし。はやく佛法僧三寶に歸依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし。」
- 「深信因果」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、391頁。
「あるいはいはく、人死するとき、かならず性海に歸す、佛法を修習せざれども、自然に覺海に歸すれば、さらに生死の輪轉なし。このゆゑに後世なしといふ。これ斷見の外道なり。かたちたとひ比丘にあひにたりとも、かくのごとくの邪解あらんともがら、さらに佛弟子にあらず。まさしくこれ外道なり。おほよそ因果を撥無するより、今世後世なしとはあやまるなり。」
- 「三時業」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、405頁。「いはく、人ありて、この生に、あるいは善にもあれ、あるいは惡にもあれ、造作しをはれりといへども、あるいは第三生、あるいは第四生、乃至百千生のあひだにも、善惡の業を感ずるを、順後次受業となづく。菩薩の三祇劫の功徳、おほく順後次受業なり。」
- 「xx」
る
- 「xx」
- 「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、287頁。
- 「xx」
れ
- 「冷煖自知」
- 「弁道話」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、476頁。
「とうていはく、この行は、いま末代惡世にも、修行せば證をうべしや。
しめしていはく、教家に名相をこととせるに、なほ大乘實教には、正像末法をわくことなし。修すればみな得道すといふ。いはむやこの單傳の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。證の得否は、修せむもの、おのづからしらむこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし。」
- 「霊知」「神性」
- 「即心是仏」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、54頁,55頁。
- 「xx」
ろ
- 「xx」
- 「出家功徳」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、287頁。
- 「xx」
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
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「てづくり素材館 Crescent Moon」