もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
中国禅の肯定ー普勧坐禅儀・学道用心集
(A)中国禅僧の肯定
「普勧坐禅儀」
- 「たとい、会に誇り、悟に豊かにして、瞥地の智通を獲(え)、道を得、心を明めて、衝天の志気を挙(こ)し、入頭の辺量に逍遥すといえども、ほとんど出身の活路を虧闕(きけつ)す、いわんや彼の祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見つべし、少林の心印を伝うる、面壁九歳の声名なお聞ゆ、古聖既に然り、今人なんぞ弁ぜざる。」(1)
(注)
- (1)「普勧坐禅儀」、「道元禅師全集」第5巻、春秋社、1989年、4頁。
「学道用心集」
- 「参禅学道は正師を求むべきこと
右、古人云く、発心正しからざれば万行空しく施すと。誠なる哉この言。行道は導師の正と邪とに依るべきか。機は良材の如く、師は工匠に似たり。縦い良材たりといえども、良工を得ざれば奇麗未だ彰われず。縦い曲木といえども、もし好手に遇わば妙功忽ち現わる。師の正邪に随って悟の偽と真とあること、これをもってさとるべし。ただ我が国昔より正師未だ在らず、何をもってかこれが然るを知るや。言を見て察するなり、流れを酌んで源をたずぬるが如し。我が朝古来の諸師の篇集せる書籍、弟子におしえ人天に施す、その言これ青く、その語未だ熟せず、未だ学地の頂に到らず、何ぞ証階の辺に及ばん。ただ文言を伝え、名字を誦せしむ。日夜他の宝を数えて自ら半銭の分なし。古の責ここに在り。あるいは人をして心外の正覚を求めしめ、あるいは人をして他土の往生を願わしむ。惑乱ここに起り、邪念これをもととす。縦い良薬を与うといえども、銷方を教えざれば病となること、毒を服するよりも甚だし。我が朝古より良薬を与うるの人なきが如く、毒薬を銷するの師未だ在らず。ここをもって生病除き難く、老死何ぞ免れん。みなこれ師の咎(とが)なり、全く機の咎にあらざるなり。所以いかんとなれば、人の師たる者、人をして本を捨て末を逐わしむるの然らしむるなり。自解未だ立せざる以前、偏えに己我の心を専らにし、みだりに他人をして邪境に堕ちることを招かしむ。哀れむべし、師たる者、未だこの邪惑を知らざれば、弟子何すれぞ是非を覚了せんや。悲しむべし、辺鄙の小邦仏法未だ弘通せず、正師未だ出世せず。もし無上の仏道を学ばんと欲せば、遥かに宋土の知識を訪うべし、迥かに心外の活路を顧みるべし。正師を得ざれば学ばざるにしかず。それ正師とは、年老耆宿を問わず、ただ正法を明らめて正師の印証を得るなり。文字を先とせず、解会を先とせず、格外の力量あり、過節の志気ありて、我見に拘わらず、情識に滞らず、行解相応するこれ乃ち正師なり。」(1)
- 「心操を調うる事もっとも難し。長斎梵行もまた難からざらんや。身行を調うるの事もっとも難し。もし粉骨貴ぶべくんばこれを忍ぶ者昔従り多しといえども、得法の者これ少なし。斎行の貴ぶべくんば古従り多しといえども、悟道の者これ少なし。これ乃ち心を調うること甚だ難きが故なり。聡明を先とせず、学解を先とせず、心意識を先とせず、念想観を先とせず、向来すべてこれを用いずして身心を調えもって仏道に入るなり。釋迦老子いわく、観音流れを入して所知を亡ずと。即ちこの意なり。動静の二相了然として生ぜず、即ちこれ調なり。もし聡明博解をもって、仏道に入るべくんば神秀上座その人なり。もし庸体卑賤をもって仏道を嫌うべくんば曹渓高祖あに敢えてせんや。仏道を伝え得るの法は、聡明博解の外に在る事ここにおいて明らけし。探りて尋ぬべく、顧みて参ずべし。」(2)
- 「人の師たる者、人をして本を捨て末を逐わしむるの然らしむるなり。自解未だ立せざる以前、偏えに己我の心を専らにし、みだりに他人をして邪境に堕ちることを招かしむ。哀れむべし、師たる者、未だこの邪惑を知らざれば、弟子何すれぞ是非を覚了せんや。悲しむべし、辺鄙の小邦仏法未だ弘通せず、正師未だ出世せず。もし無上の仏道を学ばんと欲せば、遥かに宋土の知識を訪うべし、迥かに心外の活路を顧みるべし。正師を得ざれば学ばざるにしかず。それ正師とは、年老耆宿を問わず、ただ正法を明らめて正師の印証を得るなり。文字を先とせず、解会を先とせず、格外の力量あり、過節の志気ありて、我見に拘わらず、情識に滞らず、行解相応するこれ乃ち正師なり。」(3)
(注)
- (1)「学道用心集」、「道元禅師全集」第5巻、春秋社、1989年、22頁。
- (2)同上、26頁。
- (2)同上、24頁。
(B)中国禅の禅指導法を肯定
- 「嘗て観る、超凡越聖、坐脱立亡も、この力に一任することを。いわんや、また、指竿針鎚を捻ずるの転機、払拳棒喝を挙するの証契も、未だこれ、思量分別の能く解するところにあらず。あに、神通修証の能く知るところとせんや。声色の外の威儀たるべし。なんぞ知見の前の軌則にあらざるものならんや。然れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者をえらぶことなかれ。専一に功夫せば、正にこれ弁道なり。」(1)
(注)
- (1)「普勧坐禅儀」、「道元禅師全集」第5巻、春秋社、1989年、6頁。
- (2)同上、xx頁。
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