もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
中国禅の肯定=公案=「弁道話」「学道用心集」
道元も公案で指導している。
公案
「弁道話」
- 「とうていはく、あるがいはく、佛法には、即心是佛のむねを了達しぬるがごときは、くちに經典を誦せず、身に佛道を行ぜざれども、あへて佛法にかけたるところなし。ただ佛法はもとより自己にありとしる、これを得道の全圓とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず。いはむや坐禪辨道をわづらはしくせむや。
しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こころあらむもの、たれかこのむねををしへむに、しることなからむ。
しるべし、佛法はまさに自他の見をやめて學するなり。もし、自己即佛としるをもて得道とせば、釋尊むかし化道にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもて、これを證すべし。
むかし、則公監院といふ僧、法眼禪師の會中にありしに、法眼禪師とうていはく、則監寺、なんぢわが會にありていくばくのときぞ。
則公がいはく、われ師の會にはむべりて、すでに三年をへたり。
禪師のいはく、なんぢはこれ後生なり、なんぞつねにわれに佛法をとはざる。
則公がいはく、それがし和尚をあざむくべからず。かつて青峰の禪師のところにありしとき、佛法におきて安樂のところを了達せり。
禪師のいはく、なんぢいかなることばによりてか、いることをえし。
則公がいはく、それがしかつて青峰にとひき、いかなるかこれ學人の自己なる。青峰のいはく、丙丁童子來求火。
法眼のいはく、よきことばなり。ただしおそらくはなんぢ會せざらむことを。
則公がいはく、丙丁は火に屬す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと會せり。
禪師のいはく、まことにしりぬ、なんぢ會せざりけり。佛法もしかくのごとくならば、けふまでつたはれじ。
ここに則公懆悶して、すなはちたちぬ。中路にいたりておもひき、禪師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり。わが非をいさむる、さだめて長處あらむ。禪師のみもとにかへりて懺悔禮謝してとうていはく、いかなるかこれ學人の自己なる。
禪師のいはく、丙丁童子來求火と。
則公、このことばのしたに、おほきに佛法をさとりき。
あきらかにしりぬ、自己即佛の領解をもて佛法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己即佛の領解を佛法とせば、禪師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。ただまさに、はじめ善知識をみむより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禪辨道して、一知半解を心にとどむることなかれ。佛法の妙術、それむなしからじ。」(1)
(注)
- (1)「弁道話」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、477頁。
「学道用心集」
- 「心においても身においても住することなく着することなく、留まらず滞らず。趙州に僧問う、狗子に還って仏性ありや也なしや、趙州云く、無と。無の字の上において擬量し得てんや、擁滞し得てんや、全く巴鼻なし。請う試みに手を撒せよ、且く手を撒して看よ。身心如何、行李如何、生死如何、仏法如何、世法如何、山河大地人畜家屋畢竟如何と。看来り看去れば、自然に動静の二相了然として生ぜず。この不生の時、これ頑然なるにあらず、人のこれを証することなく、これに迷うものはこれ多し。参学の人、且く半途にして始めより得たり、全途辞することなかれ。」(1)
(注)
- (1)「学道用心集」、「道元禅師全集」第5巻、春秋社、1989年、32頁。
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