もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
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仏教学・禅学の批判
諍論するな=「正法眼蔵弁道話」
(a)諍論するな
「弁道話」
- 「とうていはく、いまわが朝につたはれるところの法華宗、華嚴教、ともに大乘の究竟なり。いはむや眞言宗のごときは、毘盧遮那如來したしく金剛薩@につたへて師資みだりならず。その談ずるむね、即心是佛、是心作佛というて、多劫の修行をふることなく、一座に五佛の正覺をとなふ、佛法の極妙といふべし。しかあるに、いまいふところの修行、なにのすぐれたることあれば、かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや。
しめしていはく、しるべし、佛家には教の殊劣を對論することなく法の淺深をえらばず、ただし修行の眞僞をしるべし。草花山水にひかれて佛道に流入することありき、土石沙礫をにぎりて佛印を稟持することあり。いはむや廣大の文字は萬象にあまりてなほゆたかなり、轉大法輪又一塵にをさまれり。しかあればすなはち、即心即佛のことば、なほこれ水中の月なり、即坐成佛のむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。いま直證菩提の修行をすすむるに、佛祖單傳の妙道をしめして、眞實の道人とならしめんとなり。」(1)
(注)
- (1)「弁道話」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、467頁。@= 土偏に垂(た)
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