もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判
道元の坐禅法=我執を捨てる=「正法眼蔵弁道話」
我見・我執から離れる。道元がそういう言葉を抽出した。
自他の見には、断見・常見がある。
我執を捨てる
「弁道話」
- 「いまをしふる功夫辨道は、證上に萬法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超關脱落のとき、この節目にかかはらむや。」(1)
- 「しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こころあらむもの、たれかこのむねををしへむに、しることなからむ。
しるべし、佛法はまさに自他の見をやめて學するなり。もし、自己即佛としるをもて得道とせば、釋尊むかし化道にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもて、これを證すべし。」(2)
- 「しめしていはく、いふがごとし。わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となりぬべし。名利におもむきやすく、惑執とらけがたし。しかはあれども、佛法に證入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。佛在世にも、てまりによりて四果を證し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。ただし、正信のたすくるところ、まどひをはなるるみちあり。また、癡老の比丘默坐せしをみて、設齋の信女さとりをひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり。」(3)
(注)
- (1)「弁道話」、「道元禅師全集」第2巻、春秋社、1993年、460頁。
- (2)同上、477頁。
- (3)同上、479頁。
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