もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
思量を用いない
(a)思量を用いない
「正法眼蔵」
- 「行佛の威儀をC見せんとき、天上人間のまなこをもちゐることなかれ、天上人間の情量をもちゐるべからず。これを擧して測量せんと擬することなかれ。十聖三賢なほこれをしらずあきらめず、いはんや人中天上の測量のおよぶことあらんや。人量短小なるには識智も短小なり、壽命短促なるには思慮も短促なり。いかにしてか行佛の威儀を測量せん。 しかあればすなはち、ただ人間を擧して佛法とし、人法を擧して佛法を局量せる家門、かれこれともに佛子と許可することなかれ、これただ業報の衆生なり。いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。從法生にあらず、從法滅にあらず、從法見にあらず、從法聞にあらず、從法行住坐臥にあらず。かくのごとくの儻類、かつて法の潤益なし。行佛は本覺を愛せず、始覺を愛せず、無覺にあらず、有覺にあらずといふ、すなはちこの道理なり。」(1)
- 「しかあればすなはち、ただ人間を擧して佛法とし、人法を擧して佛法を局量せる家門、かれこれともに佛子と許可することなかれ、これただ業報の衆生なり。いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。從法生にあらず、從法滅にあらず、從法見にあらず、從法聞にあらず、從法行住坐臥にあらず。かくのごとくの儻類、かつて法の潤益なし。行佛は本覺を愛せず、始覺を愛せず、無覺にあらず、有覺にあらずといふ、すなはちこの道理なり。
いま凡夫の活計する有念無念、有覺無覺、始覺本覺等、ひとへに凡夫の活計なり、佛佛相承せるところにあらず。凡夫の有念と諸佛の有念と、はるかにことなり、比擬することなかれ。凡夫の本覺と活計すると、諸佛の本覺と證せると、天地懸隔なり、比論の所及にあらず。十聖三賢の活計、なほ諸佛の道におよばず。いたづらなる算沙の凡夫、いかでかはかることあらん。しかあるを、わづかに凡夫外道の本末の邪見を活計して、諸佛の境界とおもへるやからおほし。
諸佛いはく、此輩罪根深重なり、可憐愍者なり。
深重の罪根たとひ無端なりとも、此輩の深重擔なり。この深重擔、しばらく放行して著眼看すべし。把定して自己を礙すといふとも、起首にあらず。」(2)
- 「參禪は坐禪なり。
坐禪は靜處よろし。坐蓐あつくしくべし。風烟をいらしむる事なかれ、雨露をもらしむることなかれ、容身の地を護持すべし。かつて金剛のうへに坐し、盤石のうへに坐する蹤跡あり、かれらみな草をあつくしきて坐せしなり。坐處あきらかなるべし、晝夜くらからざれ。冬暖夏涼をその術とせり。
諸縁を放捨し、萬事を休息すべし。善也不思量なり、惡也不思量なり。心意識にあらず、念想觀にあらず。作佛を圖する事なかれ、坐臥を脱落すべし。
飮食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃をはらふがごとく坐禪をこのむべし。黄梅山の五祖、ことなるいとなみなし、唯務坐禪のみなり。」(3)
- 「
かくのごとく身心をととのへて、欠氣一息あるべし。兀兀と坐定して思量箇不思量底なり。不思量底如何思量。これ非思量なり。これすなはち坐禪の法術なり。
坐禪は習禪にはあらず、大安樂の法門なり。不染汚の修證なり。」(4)
- 「藥山弘道大師、坐次有僧問、兀兀地思量什麼(藥山弘道大師、坐次に、有る僧問ふ、兀兀地什麼をか思量せん)。
師云、思量箇不思量底(箇の不思量底を思量す)。
僧云、不思量底如何思量(不思量底、如何が思量せん)。
師云、非思量。
大師の道かくのごとくなるを證して、兀坐を參學すべし、兀坐正傳すべし。兀坐の佛道につたはれる參究なり。兀兀地の思量ひとりにあらずといへども、藥山の道は其一なり。いはゆる思量箇不思量底なり、思量の皮肉骨髓なるあり、不思量の皮肉骨髓なるあり。
僧のいふ、不思量底如何思量。
まことに不思量底たとひふるくとも、さらにこれ如何思量なり。兀兀地に思量なからんや、兀兀地の向上なにによりてか通ぜざる。賎近の愚にあらずは、兀兀地を問著する力量あるべし、思量あるべし。
大師いはく、非思量。
いはゆる非思量を使用すること玲瓏なりといへども、不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。非思量にたれあり、たれ我を保任す。兀兀地たとひ我なりとも、思量のみにあらず、兀兀地を學頭するなり。兀兀地たとひ兀兀地なりとも、兀兀地いかでか兀兀地を思量せん。しかあればすなはち、兀兀地は佛量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、會量にあらざるなり。藥山かくのごとく單傳すること、すでに釋迦牟尼佛より直下三十六代なり。藥山より向上をたづぬるに、三十六代に釋迦牟尼佛あり。かくのごとく正傳せる、すでに思量箇不思量底あり。」(5)
(注)
- (1)「身心学道」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、65頁。
- (2)「行仏威儀」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、66頁。
- (3)「坐禅儀」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、100頁。
- (4)「坐禅儀」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、101頁。
- (5)「坐禪箴」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、103頁。
このページのHP素材は、「てづくり素材館 Crescent Moon」の素材を使用しています。
「てづくり素材館 Crescent Moon」