もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
臨済・徳山=七十五巻「正法眼蔵」ー越前下向前
臨済・徳山
「正法眼蔵」
- 「大證國師は曹溪古佛の上足なり、天上人間の大善知識なり。國師のしめす宗旨をあきらめて、參學の龜鑑とすべし。先尼外道が見處としりてしたがふことなかれ。
近代は大宋國に諸山の主人とあるやから、國師のごとくなるはあるべからず。むかしより國師にひとしかるべき知識いまだかつて出世せず。しかあるに、世人あやまりておもはく、臨濟徳山も國師にひとしかるべしと。かくのごとくのやからのみおほし。あはれむべし、明眼の師なきことを。」(1)
-
「
正法眼藏第八 心不可得
釋迦牟尼佛言、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。
これ佛祖の參究なり。不可得裏に過去現在未來の窟篭を@(えん)來せり。しかれども、自家の宿篭をもちゐきたれり。いはゆる自家といふは、心不可得なり。而今の思量分別は、心不可得なり。使得十二時の渾身、これ心不可得なり。佛祖の入室よりこのかた、心不可得を會取す。いまだ佛祖の入室あらざれば、心不可得の問取なし、道著なし、見聞せざるなり。經師論師のやから、聲聞縁覺のたぐひ、夢也未見在なり。
その驗ちかきにあり。
いはゆる徳山宣鑑禪師、そのかみ金剛般若經をあきらめたりと自稱す、あるいは周金剛王と自稱す。ことに青龍疏をよくせりと稱ず。さらに十二擔の書籍を撰集せり、齊肩の講者なきがごとし。しかあれども、文字法師の末流なり。あるとき、南方に嫡嫡相承の無上佛法あることをききて、いきどほりにたへず、經疏をたづさへて山川をわたりゆく。ちなみに龍潭の信禪師の會にあへり。かの會に投ぜんとおもむく、中路に歇息せり。ときに老婆子きたりあひて、路側に歇息せり。
ときに鑑講師とふ。なんぢはこれなに人ぞ。
婆子いはく、われは買餠の老婆子なり。
徳山いはく、わがためにもちひをうるべし。
婆子いはく、和尚もちひをかうてなにかせん。
徳山いはく、もちひをかうて點心にすべし。
婆子いはく、和尚のそこばくたづさへてあるは、それなにものぞ。
徳山いはく、なんぢきかずや、われはこれ周金剛王なり。金剛經に長ぜり、通達せずといふところなし。わがいまたづさへたるは、金剛經の解釋なり。
かくいふをききて、婆子いはく、老婆に一問あり、和尚これをゆるすやいなや。
徳山いはく、われいまゆるす。なんぢ、こころにまかせてとふべし。
婆子いはく、われかつて金剛經をきくにいはく、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。いまいづれの心をか、もちひをしていかに點ぜんとかする。和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし。和尚もし道不得ならんには、もちひをうるべからず。
徳山ときに茫然として祇對すべきところをおぼえざりき。婆子すなはち拂袖していでぬ。つひにもちひを徳山にうらず。
うらむべし、數百軸の釋主、數十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、たちまちに負處に墮して、祇對におよばざること。正師をみると正師に師承せると、正法をきけると、いまだ正法をきかず正法をみざると、はるかにことなるによりて、かくのごとし。
徳山このときはじめていはく、画にかけるもちひ、うゑをやむるにあたはずと。
いまは龍潭に嗣法すと稱ず。
つらつらこの婆子と徳山と相見する因縁をおもへば、徳山のむかしあきらめざることは、いまきこゆるところなり。龍潭をみしよりのちも、なほ婆子を怕却しつべし。なほこれ參學の晩進なり、超證の古佛にあらず。婆子そのとき徳山を杜口せしむとも、實にその人なること、いまださだめがたし。そのゆゑは、心不可得のことばをききては、心、うべからず、心、あるべからずとのみおもひて、かくのごとくとふ。徳山もし丈夫なりせば、婆子を勘破するちからあらまし。すでに勘破せましかば、婆子まことにその人なる道理もあらはるべし。徳山いまだ徳山ならざれば、婆子その人なることもいまだあらはれず。
現在大宋國にある雲衲霞袂、いたづらに徳山の對不得をわらひ、婆子が靈利なることをほむるは、いとはかなかるべし、おろかなるなり。そのゆゑは、婆子を疑著する、ゆゑなきにあらず。いはゆるそのちなみ、徳山道不得ならんに、婆子なんぞ徳山にむかうていはざる、和尚いま道不得なり、さらに老婆にとふべし、老婆かへりて和尚のためにいふべし。
かくのごとくいひて、徳山の問をえて、徳山にむかうていふこと道是ならば、婆子まことにその人なりといふことあらはるべし。問著たとひありとも、いまだ道處あらず。むかしよりいまだ一語をも道著せざるをその人といふこと、いまだあらず。いたづらなる自稱の始終、その益なき、徳山のむかしにてみるべし。いまだ道處なきものをゆるすべからざること、婆子にてしるべし。
こころみに徳山にかはりていふべし、婆子まさしく恁麼問著せんに、徳山すなはち婆子にむかひていふべし、恁麼則&(なんじ)莫與吾賣餠(恁麼ならば則ち&(なんじ)吾が與に餠を賣ること莫れ)。
もし徳山かくのごとくいはましかば、伶利の參學ならん。
婆子もし徳山とはん、現在心不可得、過去心不可得、未來心不可得。いまもちひをしていづれの心をか點ぜんとかする。
かくのごとくとはんに、婆子すなはち徳山にむかふていふべし、和尚はただもちひの心を點ずべからずとのみしりて、心のもちひを點ずることをしらず、心の心を點ずることをもしらず。
恁麼いはんに、徳山さだめて擬議すべし。當恁麼時、もちひ三枚を拈じて徳山に度與すべし。徳山とらんと擬せんとき、婆子いふべし、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。
もし又徳山展手擬取せずば、一餠を拈じて徳山をうちていふべし、無魂屍子、&(なんじ)莫茫然(無魂の屍子、&(なんじ)茫然なること莫れ)。
かくのごとくいはんに、徳山いふことあらばよし、いふことなからんには、婆子さらに徳山のためにいふべし。ただ拂袖してさる、そでのなかに蜂ありともおぼえず。徳山も、われはいふことあたはず、老婆わがためにいふべしともいはず。
しかあれば、いふべきをいはざるのみにあらず、とふべきをもとはず。あはれむべし、婆子徳山、過去心、未來心、現在心、問著道著、未來心不可得なるのみなり。
おほよそ徳山それよりのちも、させる發明ありともみえず、ただあらあらしき造次のみなり。ひさしく龍潭にとぶらひせば、頭角觸折することもあらまし、頷珠を正傳する時節にもあはまし。わづかに吹滅紙燭をみる、傳燈に不足なり。
しかあれば、參學の雲水、かならず勤學なるべし、容易にせしは不是なり、勤學なりしは佛祖なり。おほよそ心不可得とは、畫餠一枚を買弄して、一口に咬著嚼著するをいふ。」(2)
- 「臨濟院慧照大師云、大唐國裏、覓一人不悟者難得
(大唐國裏、一人の不悟者を覓むるに難得なり)。
いま慧照大師の道取するところ、正脈しきたれる皮肉骨髓なり、不是あるべからず。
大唐國裏といふは自己眼睛裏なり。盡界にかかはれず、塵刹にとどまらず。遮裏に不悟者の一人をもとむるに難得なり。自己の昨自己も不悟者にあらず、他己の今自己も不悟者にあらず。山人水人の古今、もとめて不悟を要するにいまだえざるべし。學人かくのごとく臨濟の道を參學せん、虚度光陰なるべからず。
しかもかくのごとくなりといへども、さらに祖宗の懷業を參學すべし。いはく、しばらく臨濟に問すべし、不悟者難得のみをしりて、悟者難得をしらずは、未足爲是なり。不悟者難得をも參究せるといひがたし。たとひ一人の不悟者をもとむるには難得なりとも、半人の不悟者ありて面目雍容、巍巍堂堂なる、相見しきたるやいまだしや。たとひ大唐國裏に一人の不悟者をもとむるに難得なるを究竟とすることなかれ。一人半人のなかに兩三箇の大唐國をもとめこころみるべし。難得なりや、難得にあらずや。この眼目をそなへんとき、參飽の佛祖なりとゆるすべし。」(3)
(注)
- (1)「即心是仏」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、56頁。
- (2)「心不可得」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、82頁。
&=人偏に爾(なんじ)。@=宛に「リ」(えん)。
- (3)「大悟」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、93頁。
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