もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー現代の仏教を考える会
仏教学・禅学の批判

(この文献の中から、このテーマについて、まだ、全収録には至っていませんが、別の論考で触れているため、一応、一部を記載したものをアップロードしておきます。)
慈悲、救済の実践
道元は慈悲を重視した。自分の喜びに留まらない。
慈悲、救済の実践
「正法眼蔵」
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「現在大宋國にある雲衲霞袂、いたづらに徳山の對不得をわらひ、婆子が靈利なることをほむるは、いとはかなかるべし、おろかなるなり。そのゆゑは、婆子を疑著する、ゆゑなきにあらず。いはゆるそのちなみ、徳山道不得ならんに、婆子なんぞ徳山にむかうていはざる、和尚いま道不得なり、さらに老婆にとふべし、老婆かへりて和尚のためにいふべし。
かくのごとくいひて、徳山の問をえて、徳山にむかうていふこと道是ならば、婆子まことにその人なりといふことあらはるべし。問著たとひありとも、いまだ道處あらず。むかしよりいまだ一語をも道著せざるをその人といふこと、いまだあらず。いたづらなる自稱の始終、その益なき、徳山のむかしにてみるべし。いまだ道處なきものをゆるすべからざること、婆子にてしるべし。
こころみに徳山にかはりていふべし、婆子まさしく恁麼問著せんに、徳山すなはち婆子にむかひていふべし、恁麼則&(なんじ)莫與吾賣餠(恁麼ならば則ち&(なんじ)吾が與に餠を賣ること莫れ)。
もし徳山かくのごとくいはましかば、伶利の參學ならん。
婆子もし徳山とはん、現在心不可得、過去心不可得、未來心不可得。いまもちひをしていづれの心をか點ぜんとかする。
かくのごとくとはんに、婆子すなはち徳山にむかふていふべし、和尚はただもちひの心を點ずべからずとのみしりて、心のもちひを點ずることをしらず、心の心を點ずることをもしらず。
恁麼いはんに、徳山さだめて擬議すべし。當恁麼時、もちひ三枚を拈じて徳山に度與すべし。徳山とらんと擬せんとき、婆子いふべし、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。
もし又徳山展手擬取せずば、一餠を拈じて徳山をうちていふべし、無魂屍子、&(なんじ)莫茫然(無魂の屍子、&(なんじ)茫然なること莫れ)。
かくのごとくいはんに、徳山いふことあらばよし、いふことなからんには、婆子さらに徳山のためにいふべし。ただ拂袖してさる、そでのなかに蜂ありともおぼえず。徳山も、われはいふことあたはず、老婆わがためにいふべしともいはず。
しかあれば、いふべきをいはざるのみにあらず、とふべきをもとはず。あはれむべし、婆子徳山、過去心、未來心、現在心、問著道著、未來心不可得なるのみなり。」(1)
(注)
- 「心不可得」、「道元禅師全集」第1巻、春秋社、1991年、86頁。
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「てづくり素材館 Crescent Moon」